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17.いずれ九る試練の予兆

 早朝の訓練、二日目。
「……いつも、あんな練習やってるのか?」
 痛む身体のあちこちを押さえ、レムはそうぼやいてみせる。どうやら今晩も、筋肉痛に苦しむ事になりそうだった。
「準備運動みたいなものでしょ」
 それを準備運動と言い放つ冬奈は、当然ながら平然としたものだ。
「今日はお風呂の日ですしね。ちょっと長めにしちゃいましたけど」
 そしてもちろん、この訓練を既に一週間続けている真紀乃も、けろりとしていた。
「風呂……か」
 そういえば今日は、三日に一度のお風呂の日。
 ちなみに男子も女子の後にちゃんと入っているのだが、今ひとつ盛り上がったためしがない。レムとしては温水プールに海パンを履かずに入っているようで、どうも落ち着かないのだ。
「……覗いちゃダメですよ?」
「無理だって」
 そして葵の黒い結界は、初日の段階で大半の男子が挑む術を使い果たしていた。レムの魔法を蝕む雷も二回目の時に試してみたが、表層をわずかに削るだけで、早々に手詰まりとなった覚えがある。
 二年、三年の先輩達が挑むのは、その時のリベンジマッチなのだろう。
「おーい!」
 そんな話をしながら校庭に戻れば、レイジがこちらに向けて手を振っているのが見えた。
「レム、四月朔日ぃ。ちょいとばかり、手伝っちゃくれねえか?」
 朝の仕事は、それほどない。
 洗濯物やアイロン掛けはだいたい放課後だし、小さなテントの掃除などたかが知れている。朝食当番やクラスの日直に当たらなければ、案外暇なものだ。
「何? どうかしたの?」
 委員長のレイジの仕事も、似たようなもののはずだが……。
「あたしは?」
「ああ、暇なら子門も頼む。今日は朝飯の当番じゃねえんだろ?」
 朝の運命を司る、今日の朝食当番は……。
「晶ちゃんと、セイルくんだったかなぁ……?」
 晶の料理の腕は半分よりも上だから、アタリだ。それなりにまともなものが出てくるだろう。
「ならいいや。来てくれ」


「近原先生。連れて来ましたけど……」
 祐希の言葉にローリは応援が来たことを確かめると、バンの後部ハッチをゆっくりと開く。
「この箱を、理科準備室に運んでくれるかしら?」
 中に積み上げられていたのは、大量の段ボール箱だった。大きなバンの後部を占領しているそれは、確かに一人で運び入れるのは面倒だ。
「それほど重くはないようだね」
 積まれた段ボールの一つを取り、ウィルは軽く揺すってみせる。長身のウィルでさえひと抱えはある大きな箱だが、中は空っぽかと思うほどに軽い。
「期末テストの備品よ。テント生活が終わったら、これの管理もあなたたちの仕事になるから」
「……期末テスト、ですか?」
 まだ入学してからたった一週間。期末テストどころか、中間テストもGWすらも迎えていない。
「今から準備しておかないと、ちょうどいい大きさに育たないのよ」
 バンから箱を端から下ろしながら、ローリはつまらなそうに答えてみせる。
「……育つ? 中身って、何なんです?」
 育つからには、植物か生物なのだろう。その割に、ローリの箱の取り扱いは、乱暴な気がしないでもない。
「トビムシ」
 無造作に呟いたその名に、ウィルは段ボールと取り落とし、ハークはその場で動きを止めた。
「……すまない祐希くん。突然だが、用事を思い出したんだ。私はこれで失礼させてもらうよ」
「き、奇遇だねウィル。ボクも用事があったんだ! 一緒に行こうよ!」
 冷静を装いながらも表情が引きつっているウィルと、明らかに動揺しているハーク。二人はそのまま、早足でその場を後にしてしまう。
「あ、ちょっと二人とも……」
 ムシというからには、虫なのだろう。
 そういえば二人は虫が苦手だったな……と、祐希は今更ながらに思い出す。
 けれど地球のトビムシは、爪先ほどもない小さな生物だ。シャーレやビーカーならともかく、こんな巨大な段ボールに入れて持ち運ぶようなものではない。
「近原先生。人手、集めて来ましたぜー」
 そこに来たのは、やはり手伝いを集めに出ていたレイジだった。レムに冬奈、なぜかA組の真紀乃までいる。
「ちょうど良かったわ。この箱を理科準備室まで運んでくれるかしら?」
「随分軽いわね……中に何が入ってるの?」
 やはり箱を揺すっている冬奈を見て。
「……後で説明するわ。まずは運んで頂戴」
 ローリはひとまずそれだけ言うと、黙々と作業を再開した。


 それを見た瞬間、真紀乃とレムは、その部屋からいなくなっていた。
「これが……」
「トビムシ……」
 クルミ大の、金色の球体だ。その名の通り、球体の両脇には巨大な羽が生え、狭いクリアケースの中をぶんぶんと飛び回っている。
「正式には、トビマワリマルカラダハネツキムシというのだけどね」
「……そのまんまですね」
 ただ、ケースの底には着地したトビムシが数匹這い回っており、それを端的に表現するなら……。
 金色の、ダンゴムシだった。
「こんなもん、わざわざ向こうから持ってきたんすか? こっちの生物じゃ、ねえはずですよね」
 やはりメガ・ラニカの生物らしい。しかもレイジの言い方からすれば、それほど価値のある生物ではないようだ。
 頷くローリに、レイジはへぇ……と感心半分、呆れ半分のため息を吐くばかり。
「あたし、こんなの運んできたの…………?」
「そういえば四月朔日さん、こういうの苦手でしたっけ……」
 中学の頃、遠足で山に入ったとき、そんな話を聞いた覚えがある。
 どうやら真紀乃とレムも、先ほどの反応からするに似たようなものらしい。
「悪い? こんな生き物、絶滅すればいいのに」
 物騒なことを平然と呟いておいて、冬奈はケースの中をぶんぶんと飛び回るそれを嫌そうな顔で眺めている。
「そういえば先生。さっき、これを期末試験に使うって言ってましたけど……」
 その言葉に、冬奈の表情がさらに渋さを増す。
「ああ。魔法科一年の期末の実技、クラス対抗でこれを捕まえるのよ」


 穏やかな湯気の立ちこめるプールで、リリはその話に思わず声を上げる。
「………虫を捕まえるの?」
「うん。また今度、話があるみたいだけど……信じらんない」
 昼に水泳部の先輩に聞いたところ、理科準備室にトビムシが搬入された話は既に魔法科全体に広まっているようだった。しかもトビムシ捕獲はメジャーなテスト方法らしく、特に驚いた様子も無い。
「あー。見ちゃったのか」
 そんな事を話していると、向こうからはいりが流れてきた。
「はいり先生。あれ、どうにかならないんですか? 虫なんて触りたくありませんよ」
 現物を既に見た真紀乃も困り顔。テンガイオーに捕獲させる手もあるだろうが、それを後で掃除するのは真紀乃の仕事だ。
 正直、勘弁して欲しかった。
「アレ決めたの、あたしじゃないもん。文句なら、魔法の先生に言って」
「魔法の先生って……ルーニ先生?」
 プールの端に目をやれば、三年のお姉様がたにオモチャにされているちびっ子教師が目に入る。
 むしろルーニは、昆虫なんか絶滅すればいいと考えているクチだと思ったのだが。
「違うわよ。魔法科目の教科主任の、バンブルビー先生」
 言われ、思い浮かぶのは、魔法科三年の学年主任。入学式で一度だけ見たその姿は……。
「あの怖そうなおじいさんですか……?」
 長いローブに白いヒゲ。節くれ立った木の杖と、昔絵本で見た魔法使いそのままな、頑固そうな老人だ。
「基本的に口出しはしてこないけど、怒らせるとすっごく怖いから、気を付けてね」
 その様子からすると、彼の雷を何度も落とされたことがあるのだろう。渋い顔のはいりに、辺りからは思わず苦笑が漏れる。
「ともかく、天候竜を狩れってんじゃないんだから。みんな、しっかり頑張って」
 そう。
 相手は天候竜ではない。
 ただの、虫なのだ。
 虫…………。
「まだ天候竜のほうが…………」
「いや、いくらなんでもそれはない」
 思わず呟く冬奈の言葉に、一同は一斉に突っ込むのだった。


 そんな話も、ひと段落した頃。
「そういえば、キースリンさんは?」
「今日もいないわね……」
 見回しても、黒髪のお嬢様の姿はない。また一人で、シャワーを浴びているのだろうか。
「結局、三回続けてお休みか……」
 今日も数組のパートナーが成立していた。このままの流れで行けば、おそらく次のプールが最後になるか、その前に合宿は終わってしまうだろう。
「うーん」
 プールの脇に腰掛けて、晶は水面をばしゃばしゃと。
「どうしたの? 晶ちゃん」
「そんなに、裸見せるのってイヤかなぁ……? ファファや百音だって、来てるのに」
 もちろん、恥ずかしくないわけではない。胸やお腹だって、気にはなる。
 けれど男子の目はないし、既に三度目ともなれば、いい加減に慣れてしまった。それに何より、ここまで広いお風呂に入れる誘惑には……そうそう勝てるものではないわけで。
「ちょっと晶ちゃん?」
「どういう意味……?」
「冬奈に聞いて」
「……あたしに振らないでよ」
 晶からの無茶振りから向けられた視線に、冬奈もさすがにあきれ顔。
「相変わらず、着替えの時も最後まで残ってるよね」
 百音のおかげでテント内でのトランプなどには混ざるようになってきたが、それ以外の事は相変わらずだ。
 料理にお目付役が必要な事を除けば、悪い子ではないし、晶の悪巧みに乗ってくれもする。何かもうひと押しあれば、必ず仲良くなれるはずなのだけれど……。
「…………決めた」
 お湯の中にばしゃんと飛び込み、晶はひと言。
「何が?」
「脱がせよう!」


続劇

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