13.ダンス・パーティ
円の中央に燃え上がるのは、魔法の炎。
熱や木の爆ぜる音さえ再現されているそれは、精巧極まりない幻術だった。もちろん熱くはあるが火傷もしないし、何より火事の心配がない。
「よし、やんぞー!」
放送部から拝借してきた機材は既にセットアップ済み。レイジがスイッチを押せば、校庭のスピーカーから流れ出すのは……。
「…………え!?」
女子が必死に特訓したロシア民謡ではなく、軽快なアメリカ民謡だった。
「………グダグダね」
もはや音楽以外フォークダンスのフの字もない有様を眺めながら、葵は小さくため息を一つ。
これでは、周囲に防音の結界を張った意味は……。
「ま、楽しそうだからいいんじゃない?」
下手は下手なりに……ではなく。上手いどころかそもそも基準自体が分からないのが逆に良かったらしい。どう見てもフォークダンスにはなっていないが、その輪は何となく、踊りの輪らしきものになっていた。
「フォークダンスなんてわたし達の頃でも踊ったことないわよ。誰が思いついたのかしら?」
指先一つでキャンプファイアーの炎を調整しながら、銀髪の養護教諭はあくびを一つ。
「そういえば、踊った事なかったわね……」
防音の結界は葵だが、幻のキャンプファイアーはローリの役目。ちなみに二人の間に座る体育教師は、何もしていない。
「じゃ、踊ろっか。あたし達も!」
そんな体育教師は元気よく立ち上がり、傍らに座るローリをひょいと抱き上げた。
子供の頃は同じ背丈でも、今は二十センチ近い差のある二人だ。幼さの抜けないローリの姿もあって、まさに大人と子供である。
「ちょっ、はいりっ!」
珍しく焦った声を上げるローリに、燃えさかる炎も勢いを増す。
「はいり! あなた、踊り方知ってるの?」
「どーせみんな知らないんだから、適当でいいってば! 葵ちゃんも、行こ!」
空いた手で葵の手も引っ掴み、無駄なパワーで一気に引き起こした。もちろん並の女性の力しか持たない葵に、それに抗う術などあるわけもない。
「だからって振り回さないでってば! はいりのバカー!」
そして教師三人も、踊りの輪に加わっていく。
校庭に響くのは、エンドレスのオクラホマミキサー。
それをぼんやり聞きながら、レムはテントの中でごろりと寝ころんでいた。
フォークダンスは、基本的には自由参加。暇を持て余した連中は軒並みダンスに行っているようだが……1−B副委員長としての仕事は悟司とちゃんとこなしたし、後はテントにいても悪くはないはずだ。
「えっと、失礼しまーす」
そのテントを、小柄な頭がひょいと覗き込んできた。
「……真紀乃さん?」
身を起こし、その名を呼んでみせる。さすがに女子の前でゴロゴロしていられるほど、度胸は据わっていない。
「ソーアさん、踊らないんですか?」
「そんな気分じゃ、ないからさ……」
ちりんと鳴るのは、携帯から下がるストラップ。十字に重なる二本の刀が、レムの言葉に抗議するよう揺れている。
「何か、お悩みみたいですね?」
「……そんなわけじゃ」
言いかけ、それ以上の言葉に詰まる。
図星を突かれた事に驚きはしない。この態度を見れば、誰だって分かるだろう。
それならそれで、問題は……。
「そういう時は、思いっきり踊るとすっきりしますよ! 行きましょう!」
ないはずのレムの手をひょいと掴むのは、小さく柔らかな真紀乃の手。
勢いよくぐいと引き上げられ、レムの細身が思わず持ち上がる。
「え、あ、ちょっと、待ってってば! オレ、踊り方なんか……!」
調理室でウィルがダンスの猛特訓をしていたらしいが、その時レムは祐希達と機材の準備に追われていた。もちろん、レムにダンスの心得など、あるわけもない。
「みんな知らないから、適当で大丈夫ですってば!」
テントを抜けて、校庭へ。
目の前にあるのは、みんなが好きに踊っている、奇妙極まりない踊りの輪。
「それに、掃除当番替わってくれてませんよね? 代わりに今日のダンス大会に付き合ってもらったんで、いいですから」
最初の鬼ごっこの時のひと言だ。ピンチを救ってもらったお礼に、確かにそう言った覚えがある。
「そ、それは今度替わるから……!」
言いかけ、それが不可能な事に気が付いた。
「残念でした。クラスが違うから、替われませんっ!」
「あ、おま、ひど……っ!」
せめてゴミ当番と言えば良かった。
そう思っても後の祭。
彼に残された選択肢は、目の前の祭に参加する事、ひとつだけのようだった。
皆が楽しそうに踊る輪の中で。
ただ一人、不機嫌極まりない者がいた。
「で、何でボクが君と踊る事になってるんだよ……」
ハークである。
フォークダンスの花は、女の子と一緒に踊る事。
そんな女の子達と踊れるはずのフォークダンスで……。
「いや、よく分からんが……」
ハークの手を取るのは、維志堂良宇。
思いっきり、男だった。
「って、振り回さないでってば!」
良宇とハークの身長差は四十センチ。さらにウェイトや体積で言えば、その倍はくだらない。
ウィルに習った付け焼き刃。ターンの時に勢いだけで腕を回せば、ハークの身体は良宇の腕の延長となり、容易く宙をぐるりと回る。
「先生達はこんな感じでやっとるが……ミキサーだから、こう、思い切り回すんじゃないのか?」
飛行の魔法を使うだけあり、空間把握は得意なハークだ。回る視界の中、銀髪の小さな身体をぶんぶんと振り回しているはいりの姿が、確かに見えた。
見えはしたが……。
「あれ間違った例だからっ!」
少なくとも、女の子役を振り回すようなスパルタンなフォークダンスは、この世にはない。
そんな混乱の中。
まともにフォークダンスをこなそうとする面々も、いるにはいた。
「ええっと………」
男性側が女性の肩を抱くように構え、リズムに合わせて軽快にステップ。
リズムの切れ目で足を止め。互いに位置を入れ替えるように一周回り、回りきると同時にパートナーを入れ替える。
……ただそれは、男女の身長差がまともな時に限っての話。
「………こう?」
小柄なセイルの肩を抱くように構えているのは、女性側であるはずのリリだった。
「たぶん……」
もちろん、セイルもリリも、まともなフォークダンスなど踊ったことがあるはずもない。
家庭科室ではコロブチカだったから黙っていたが、リリはオクラホマミキサーならテレビで見たことがあるとかで、そのまねごとをしているのだ。
「へへ。何か、難しいねぇ」
そもそもパートナーが代わるタイミングがオリジナルと全く違うのだから、それらしく踊る以上の事が出来るはずもない。
「……?」
どうやらどこかで交代があったらしく、バラバラと全体でパートナーが入れ替わり始める。
「あ………」
次にセイルの傍らに来たのは、冬奈だった。
「…………」
あの事件があってから、まだほんの数日。さすがの冬奈も視線を逸らし、その頬は心なしか朱く見える。
それは決して、キャンプファイアーの炎のせいだけではないはずだ。
「え、と………えと……」
もちろんセイルと冬奈の身長差で、セイルが冬奈の肩を抱くことは出来ない。
それでも少年は少女と並び……。
「……とりあえず、踏んでる」
それだけで、わりと一杯一杯だった。
そんなセイル達の様子を眺め、まともに踊れかけている者達も、いる。
「ありがとう、美春さん」
百音の肩を抱くように立ち、ゆっくり歩みを進めるのは、悟司だった。ちょうど十センチの身長差は、少年が少女をエスコートするのに程良い高さ。
「ううん。みんな楽しそうで、良かったよ」
踊りは確かにメチャクチャだ。本当ならステップを一度踏み、一回まわった所でパートナーは替わるはずなのに、既に悟司とのステップは四度を数えている。
「そうだね」
けれど、そんな目茶苦茶な踊りでも、少なくともみんな楽しそうでは……あった。
「これで、みんな少しはパートナーの事とか、考えてくれるといいんだけど……」
悟司の言葉に、メレンゲの言葉を思い出す。
パートナーは、男にしろと。
「…………」
触れる悟司の手のひらは、百音の手のひらと重なり合ってはいない。
どこか照れくささを残すよう、指先で軽く触れているだけだ。
「…………」
踏むステップは、既に五度。
少しだけ見上げれば、そこにあるのは正面を向く、どこか真剣な悟司の顔。
「あ、あのね………」
「っと、交代だ」
触れるだけだった指が、すっと離れ。
「あ……」
二人の相手は、次の相手へと。
キースリンと別れ、晶のもとへとやってきたのはウィルだった。
「……大したもんねぇ」
晶はオクラホマミキサーの踊り方を知らない。けれどそんな晶でさえ、四拍子のオクラホマミキサーで三拍子のワルツを踊るのは、無駄に高度なテクニックだという事くらいは分かる。
現に二人の踊る場所だけは、即席のフォークダンス会場ではなく、王宮のダンスホールだった。
「ああいうのは、得意なのだけれどね」
無論、そんな無茶を押し通せたのは、ウィルとキースリンがそれだけワルツに慣れていたからなのだろうが……。
そんな技量は、晶にはない。
「ねえ。紳士なら……踊れないレディでも、ちゃんとエスコートしてくれるんでしょうね?」
「もちろん。レディの魅力はダンスの腕前だけではないからね」
ぽそりと呟く晶に、ウィルは穏やかに微笑むと。
「晶さんの頼みとあらば、喜んで」
優雅に一礼をしてみせるのだった。
そして。
「で、今度はなんで委員長なの」
「そう言われましても……」
ハークの次の相手は、森永祐希。
交代の合図が出るまで適当に踊って、パートナーチェンジ。
次の相手は……もちろん、踊る前から輪の隣を見れば一目瞭然なのではあるが……。
「悔しかったら、牛乳飲め、牛乳」
レイジだった。
「牛乳よりジャンケンに勝てる方法を教えて欲しいよ……」
そう。
ハークの属している輪は、男子の輪ではなく、女子の側。女の子は左右で踊っているだけで、彼に回ってくることは未来永劫ないのだった。
「そりゃ、気合だろ」
自由参加のフォークダンス大会で、女子の側が足りなかったのだ。それも一人ではなく、二人。
一人足りないだけなら、祐希かレイジが抜ければ済んだ。けれど二人足りないのなら、男子が一人女子の列に入れば、数は合う。
ついでに言えば、背はなるべく低い方が、ダンスの時に収まりが良かった。
「……気合だけで解決出来るなら、今ごろ僕はハーレムにでも住んでるよ」
そのジャンケンに、負けたのだ。
女の子に対する意気込みなら、誰にも負けない自信はあったのに。
「ははは。お疲れさん」
やはり適当に踊って、パートナーチェンジ。
「……次はオレンジ?」
「八朔だ馬鹿野郎」
そして八朔が、悪夢のダンスパーティでハークが踊った、最後の相手となった。
続劇
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