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5.三日目の、悩みごと

 三日目の教室は、そのニュースで持ちきりだった。
「白い狼……?」
 昨日の晩、校舎に現れたのだという。葵が校舎に入ったときは、既に姿は無かったと言うが……。
 既に噂にはどこをどう回ったのか随分と尾ひれが付いていて、合宿初日に退治されたガルムのつがいだとも、例の魔女っ子達の宿命のライバルだとも言われている。
「A組の連中が見たんだってさ。あと、美春とか。だよな?」
「あ……うん」
 八朔の言葉に、百音は言葉少なに答えると、そのままそそくさと冬奈たちの元へと行ってしまう。
「………? なあ、ハニエ。俺、美春になんか嫌われるような事、したか?」
 昨日の態度は、普通だった。嫌われるような事もした覚えがない。
 そもそも百音に嫌われるような事をしたなら、冬奈やリリあたりが怒鳴り込んでくるはずだ。
「ええっと……そうじゃないんだけど、ねぇ……」
 声を掛けられたファファも、やはり短めにそう答えて、冬奈や百音たちのもとへ。
「俺の所為か?」
「何かやったのか、良宇」
 そもそも良宇と女子が絡んでいる所を、見た場面が少ないのだが。
「昨日の夕飯、オレだったろう」
 そう言われて、昨日の夕食当番が良宇だった事を思い出す。
 メニューは炊きたてのご飯と麻婆豆腐。
 献立としては、悪いものではなかった。
「ああ。辛かったな、あれ」
 辛いが、けっして不味くはなかった。みんな辛い辛いと言いながら、ご飯はしっかりおかわりしていたくらいなのだから。
「あれかもしれん」
 そんな中でただ一人、ファファだけは麻婆豆腐に手を付けようとしなかった。ご飯だけは食べていたようだが、彼女には耐えられないほど辛かったらしい。
「……違うだろ」
 それなら、八朔が百音に距離を置かれる理由が分からない。
 それに、少なくとも昨日の夕飯の片付けで、ファファと良宇が普通に話していたのは見た覚えがある。夕飯でファファがすねているのなら、その段階で嫌われているはずだろうが……。


「ごめん、リリちゃん。ちょっと携帯の充電、させてもらっていいかな?」
 教卓の辺りで他の女子と話していたリリに、ハークはそう声を掛けた。
「あ……う、うん」
 慌てて距離を開けるリリを少し不思議に思いながら、置かれていた充電器のプラグを携帯に差し込んで。
「何の話?」
 携帯のバッテリーは、まだ半分以上残っている。そこであえて充電しに来たのは、単に女子との話に混ざるきっかけを作りたかったからだ。
「いや、大した話題じゃ……ないよ」
 リリは他の女子と少し目配せをすると、そのまま教卓を後にしてしまう。
「どうかしましたか? マクケロッグ君」
 やはり携帯の充電をしに来たらしい祐希にハークが向けたのは、この上もなく真剣な表情だった。
「委員長……ボク、女子に嫌われるような事、したかなぁ……」
 もちろん、そんな事をした覚えはない。
 男子に嫌われるのはどうでも良かったが、女子に対してのそれは細心の注意を払ってきたはずなのに……。
「委員長……相談があるんだが」
「どうしたんです? ローゼリオン君まで」
 そして、普段は穏やかな表情を崩さないウィルが祐希に見せたのも、この上もなく真剣な表情。
「客観的に見ての話で良いんだ。客観的な話で」
 その表情を、つい三十秒ほど前に見た記憶がある。
「……女子に嫌われる事をしたかどうかですか?」
 ウィルもハークも、女子にはまめなタイプだ。ハークの男子に対する態度を込みにすれば評価が分かれる所だろうが、それでもあからさまに敬遠されるタイプではない……と、祐希としては思う。
「む……キミは読心の魔法が使えたのかい?」
「……使えませんよ。で、二人とも、覚えはないんですか? 例えば……女子のシャワー室を覗いたとか」
「失敬な!」
「そうだよ! そんな嫌われるような事、するわけないだろ!」
 即答だった。
「まあ、そうですよね……」
 家庭科室でのリリの事件以来、祐希の所にその手の通報は届いていない。ただ、セイルも良宇も女子に敬遠されている様子はないから、何の理由もなく二人が嫌われる事もないはずなのだが……。
「もしするにしても、バレないように上手くやるよ! 後は誰かのせいにするとか!」
「………いや、それはアウトだと思うんですが」
 力説するハークに、委員長的には苦笑を禁じ得ない。
 ただ、まだ未遂なら、女子達もネタとして受け取ってくれる……だろう。
「聞きやすい人に、聞いてみるしかないか……」


 背中から掛けられた声に、冬奈は思わず足を止めた。
「こんな時期に、プールの掃除……ですか? はいり先生」
 声を掛けた張本人は、その問いにニコニコと笑っている。
「そだよ。四月朔日さん、水泳部に仮入部してたよね? お昼ご飯食べたら、プールに集合だから。よろしくね」
 確かに昨日、水泳部への仮入部届は出した。魔法科一年のクラブ活動が本格的に始まるのはテント生活が終わってからだというが、もともと入ることを決めていた部だ。
 顧問のはいりも、快く応じてくれていた。
「何なんだろ、一体」
 普通、プール掃除は六月に入ってからだ。早いところでも、GWより前にするなど聞いたことがない。
 そもそも屋外プールでこの時期に水を入れても、寒くてとても泳ぐどころではないはずなのだが。
「ああ、いたいた。四月朔日さん」
 不可解な作業に首を傾げる冬奈に掛けられたのは、男子の声。
「どうしたの? 委員長が二人揃って」
 祐希とレイジだ。どちらの表情も、真剣というか、何と問えばいいか迷っているような……複雑な表情だ。
「ちょっと、相談したい事があって……」


 放課後、プールに集められたのは、水泳部だけではない。
 テント生活を送っている、魔法科一年の女子一同だった。
 A組もB組も関係なく。二十名ほどの女子が、まだ肌寒くもある春風の中、プールサイドに集められている。
「ねえ。なんでわたしたち、プールに集合なの?」
「何か、二年とか三年の先輩も混じってるよね……何でだろ?」
 プールサイドの反対側にちらほらと見えるのは、明らかに一年ではない女生徒達。こちらと明らかに違うのは、彼女たちの誰もが嬉しそうな表情をしている事だ。
「うわ……ホントに水、入ってるよ」
 春の日差しをきらきらと弾くのは、澄んだプールの水面だった。
 まさか、寒中水泳が楽しいイベントだとはとても思えないのだが……。
「ねえ、冬奈はプール掃除したんでしょ? はいり先生から何か聞いてないの?」
「知らないわよ。お昼の掃除、大変だったんだから」
 汚れを分解する魔法は、部の先輩から掛けてもらった。
 けれどそれは、一瞬でプール全体をきれいに出来るような都合の良いものではない。モップやぞうきんが、異様に汚れを落とせるようになっただけだ。
 中には分身を操ったり、モップやぞうきんの群れを念動で動かしている先輩もいたが、基本は単純な手作業だった。昼休みのわずかな間に掃除が終わったのは、奇跡に等しい。
「みんな、揃ってるわね」
 そんな疑問符だらけの一同の前に姿を見せたのは、魔法科一年の二人の担任。
 兎叶はいりと、雀原葵だ。
「はいりせんせー。これから、水泳なんですか?」
「……こんな寒いのに、泳ぎたいの?」
 真顔のはいりに、晶は慌てて首を振った。
 この春のプールに突き落とされたら死ねる。そんな自信さえあった。
「みんなそろそろ、シャワーだけじゃ嫌になってきたよねぇ。匂いとか気になってるコも、結構いるんじゃないかな?」
 はいりの言葉に、少女たちは思わず顔を見合わせる。
 それは誰もが思っていたことだ。シャワーで汚れは落ちるのだろうが、すっきりはしない。
 正直、男子に不潔と思われるのも、気分の良いものではなかった。たとえそれが、不可抗力だと分かっていてもだ。
「入りたいでしょ? お風呂」
「そりゃ、入れるなら……」
 リリの答えは、女子としては当然のもの。
「というわけで、これからお風呂に入りまふぎゃっ!」
 堂々と胸を張って宣言したはいりに下されたのは、分厚い装丁の本の一撃だった。
「……別にあなたがやるワケじゃないでしょ、はいり」
 背後からの不意打ちにうずくまっているはいりを放置して、葵はその書を片手で広げ。
「あの。ここで……ですか? 雀原先生」
「二十人がまとめて入れるお風呂の代わりなんて、校内じゃここしかないもの」
 お風呂と言っても、プールにあるのは水だけだ。
 何より周囲はグラウンドと校舎が一望できる見晴らしの良さ。お風呂に入れるのは嬉しいが、こんな露天風呂は嫌すぎる。
「だからみんな、脱いで」
 復活したはいりに早々に下されたのは、分厚い装丁の第二撃だった。


 レイジが呟くのは、その一言。
「……………すげえ」
 目の前にあるのは、プールをまるまる覆う、巨大な黒い半球だ。
 完全な遮光処理が施されているそれは、中の様子を外へと見せる事はない。
 しかも叩けば、コンコンという硬い音を返してくる。ある程度の物理防御力も、併せ持っているらしかった。
「この中が、大露天風呂になってるんですか……?」
 周囲を遮光・防御の結界で覆い、プールの水を適温に熱する。おそらくは断熱の結界も重ねてあるだろう。
 仕掛けそのものはシンプルだが、それだけにしている事は果てしない力技だ。数百トンの水を瞬時に熱するなど、一体どれほどの魔力が必要なのか。
「まあ、温水プールっていうか、露天風呂っていうか、そんな感じだな」
 祐希の問いに答えたのは、プールの入口で退屈そうにパイプ椅子に腰掛けている男だった。
「覗きたいか」
 くわえタバコに火を点けて、ジャージ姿の青年は結界を珍しそうに眺めている男子達をぐるり見回してみせる。
「そういう事言って良いんですか、飛鷹先生。……っていうか、校内禁煙なんじゃ」
「こんな割に合わん仕事押しつけられてんだから、ちょっとくらい大目に見ろよ」
 まだ半分も残っているタバコを携帯灰皿に渋々押し込み、飛鷹は退屈そうにあくびをひとつ。
「覗きたいなら、覗いてもいーぞ。健全な男子のやることだから、別に止めねーし」
「それって番の意味、無いんじゃ……」
 結界は薄く、番人は限りなく不在。
 覗くべきか、覗かざるべきか。
 その悩める男子達を押しのけて場に飛び込んできたのは、浮き輪を抱えた子供だった。
「おぉ、飛鷹ー。番、ご苦労っ!」
 この場にいるどの生徒よりも小さく、そして幼い。
 けれど彼女も、れっきとした華が丘高校の教師だった。
「ンだよ。ルーニまで露天風呂かよ……」
「当たり前だろ! せっかくこんな楽しい事やってんのに、授業の準備なんかしてらんねー!」
 春の陽を浴びてきらきらと輝く長い金の髪を揺らし、幼子は年相応の満面の笑顔。
「…………」
 その様子だけ見れば、これが校内屈指の暴君教師だとは誰も思わないだろう。
 だが。
「そうだ。葵から伝言なんだが、中を覗けた勇者には、葵の授業の評価、テストなしで優をくれてやるってさ。ガンバレよ、男子ども」
 その一言を残し、ルーニはひょいと黒い結界の中へ。
 どうやら、侵入者の選択機能まで備えているらしい。
「…………」
 結界は薄く、番人は限りなく不在。
 さらに、術者自身からの公認まで出た。
 覗くべきか、覗かざるべきか。
 悩む要因をさらに倍された男子達に。
 黒い結界の中から、金の髪がひょいと戻ってくる。
「あとな、はいりとか葵とか、結構良いカラダしてるぞ? じゃーなー」
 そう言い残して、今度こそルーニは結界の中へと姿を消した。
「……えげつねぇな。あのガキ」
 覗くべきか、覗かざるべきか。
 黒い壁の向こうに待っているのは、楽園だ。


続劇

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