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 華が丘の受験の日から、しばらくの時が過ぎた。

 広い私室に響くのは、ノックの音。正確な間を置いた三回の打音の後に、短く了承の言葉が続く。
「お嬢様。地上世界より、文が届いております」
 ドアの傍らに控えたのは、執事服を着た老人だ。ハルモニア家に仕えて既に数十年。部屋の主たる彼女が産まれるはるか前から、屋敷の全てを取り仕切っている。
「……何と?」
 部屋の主の姿は、広い部屋のどこにも見あたらない。ただわずかな衣擦れの音が、部屋の隅、ベッドを覆う天蓋の影に彼女がいる事を示してくれていた。
「合格、だそうです」
 執事の答えはたったひと言。
 そしてそれは、当然のひと言。
「……そう。ありがとう、じいや」
「は。……おめでとうございます、キースリン様」
 天蓋の影から姿を見せたキースリンは、下着姿のまま、一枚の服を胸元に当ててみせる。
「ねえ、じいや」
「はい?」
 キースリンの様子に、老人はそっと歩み寄り、彼女にその服を着せ始めた。
 ブラウスの袖を通し、胸元のボタンを留め、スカートのファスナーを引き上げて……。
「地上の学校って……この格好で行かないと、ダメ……なのよね?」
 産まれたときから彼女の全てを見守ってきた老人だ。全てを知っている彼の前で服を脱ぐのは当たり前の事だし、着替えさせてもらう事も、特に恥ずかしいとは思わない。
「そう聞いておりますが」
 タイを結び、ジャケットの襟を軽く引いてできあがり。
 それは一揃えのブレザーだった。スカートは膝丈よりも短く、彼女がいつも着ているドレスからすれば、酷く頼りないものだ。
「良くお似合いですよ?」
 もちろんそれは、地上から既に取り寄せていた、華が丘の制服である。
「…………似合って、いいものなのかなぁ」
 じいやのひと言に、キースリンは小さく溜息を吐いて、そんな感想を漏らすのだった。



華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#1 ようこそ、華が丘へ! 後編


8.英雄戻る!


 華が丘の駅前で。
 少女は腕を組み、堂々とした名乗りを上げた。
「華が丘よ! わたしは帰ってきた!」
「おかえり!」
「おかえりっ!」
「やっほー! みんなっ!」
 春からクラスメイトになる友達の声に、真紀乃は元気よくVサインをしてみせる。
 華が丘に初めて来たのは試験の時。そして合格の連絡をもらってからの下見に一度。三度目の今日は、引越当日だ。
「携帯は? 変えたって聞いたけど」
「見てくださいっ! じゃーん!」
 晶の言葉に、左腕を勢いよくかざしてみせる。
 そこにあるのは、大きな腕輪にも見える、携帯ホルダーだ。アンテナピクトは無情な圏外ではなく、しっかりと三本を示している。
 いる、が。
「…………」
「…………コスプレ?」
 ひゅう、と春にしては冷たい風が、吹いた。
「え? 格好良くないですか? これ」
 返事がない。
 もう一度、寒い風が吹く。
「ま、まあ……ありじゃない? そういうのも」
「ですよねーっ! で、他のみんなは?」
 既に合格通知が届いて、一週間ほどが過ぎていた。三月も終わりに近づき、メガ・ラニカの側に動きがあってもおかしくない頃だろう。
「うん。百音ちゃんも昨日こっちに帰ってきたよ。セイルくんやファファちゃんも合格通知が来たって」
 百音はメガ・ラニカ枠での入学だから、パートナーが出来たときにはそちらへホームステイする事になる。とはいえ、実家がある事には変わりない。行き先が決まるまでは、ケーキ屋で過ごす事になるのだろう。
 ファファたちはこちらの滞在先がないから、入学式当日にメガ・ラニカから来るはずだ。
「そっか。なら、この春からみんな一緒ですね!」
「今日はこれからどうするの? 引っ越しの荷物も、今日届くのよね?」
「はい。お父さんがアパートを借りてくれましたから、まずそこに行って……」
 場所は前回来たときに確かめてあるから、迷う事はない。最悪今回は、迷っても携帯がある。
 その時、駅前の小さなロータリーにミニバンが停まり、短いクラクションを数度鳴らしてきた。
「誰?」
「リリよ。ちょっと遅れるって言ってたけど」
 窓から元気よく身を乗り出すのは、冬奈の言うとおり、リリだった。
「遅くなってごめーん! 応援連れてきたら、遅くなっちゃった!」
 もちろんリリが運転手のはずがない。
 運転手の顔を見ようと、真紀乃は正面に回り込めば。
「リリちゃんもありがとー! ……って、あれ?」
 それは真紀乃が二度目に華が丘に来たとき、見た顔だった。


 真紀乃のアパートは、駅から車ですぐの所にあった。
「リリちゃんちが大家さん……だったんですね」
 引越業者の車を見送りながら、真紀乃はぽつりとそう口にする。
 ミニバンの運転手は、前回華が丘に来たときに不動産屋から紹介された、アパートの大家だった。その時は瑠璃呉 陸と名乗っていたから、気にも留めていなかったのだが……。
「リリはママの姓で名乗ってるから、気付かないよなぁ」
 陸はカラーシャツにジャケットを軽く引っかけた、青年実業家、といった風体の男だ。まだそれほどの年ではないだろう。
「だって、瑠璃呉璃々なんて言いにくいんだもん」
「……まあ、否定はしないけどさ」
 地上とメガ・ラニカの間に生まれた子供は、どちらの姓を名乗る事も出来るのだという。リリはメガ・ラニカ側の姓で名乗るし、晶や百音は子供の頃から地上側の姓で名乗っている。
「そういえば真紀乃ちゃん。テレビや本棚はあったけど……冷蔵庫とか電子レンジとか、どうするの? 自炊するなら無いと不便でしょ?」
 部屋の隅に腰を据え、テレビとゲーム機、HDDレコーダーと格闘している晶の様子を眺めつつ。リリは真紀乃にそう問うた。
「ええっと、そういうのは、こっちで揃えようって思ってたんですけど……」
 借りた部屋は2DK。魔法科の生徒はパートナーと暮らす必要があるからと、駐車場がない代わりに格安で貸してもらったのだ。
 もちろん今日荷物を出したのは、真紀乃の部屋が中心だ。パートナー用の部屋は当然として、調理器具もほとんどないから、ダイニングキッチンには広げる物がない。
「だったら、今年卒業した子が置いてった家具とか倉庫にあるんだけど……使う?」
「いいんですか?」
 真紀乃の言葉とリリの視線に、大家は軽く頷いてみせる。
「どうせリサイクルショップに流すか、処分するだけだったしね。パートナーが決まったら、その子の分も持って行くと良いよ」
「ありがとうございます、リリちゃんのお兄さん」
 真紀乃のそのひと言に、場が凍り付いた。
「…………」
 晶はケーブルを取り落とし。
「…………」
 冬奈も抱えていた本を落としそうになる。
「………ああ。これパパ」
 その言葉を真紀乃が理解するまで、数秒かかった。
「……はぁ?」
 パパといえば、父親の事。
 よもや、不健全な関係の相手、なんてことはないだろう。
「失礼ですが、お年は?」
「今年、31かなぁ。魔法科の一期生だから、君たちの先輩……ってことになるね」
 リリは真紀乃と同い年の15歳。
 31からそれを引けば………。
「…………義理?」
「義理じゃないわよ」
「え、ええっと………」
 参考資料として、自分の両親の年を思い出してみる。
 そこから自分の年の15を引いてみれば、それなりの数字がはじき出されてきた。計算方法は間違っていないはずだ。
「その………」
 けれどどう考えても、リリと陸では計算が合わない。
「冬奈さぁん……」
「その計算で合ってるから、気にしないで良いわよ。華が丘じゃ有名な話なんだから」
 既に冬奈はいつもの調子を取り戻していた。苦笑しつつではあったが、本棚に本を入れる作業に戻っている。
「だって……えええっ!?」
「ママが可愛い過ぎたのが悪いんだって。何だったら免許証、見るかい?」
 晶もリリも、混乱している真紀乃を見て笑っているだけだ。どうやらドッキリでも陸がサバを読んでいるわけでもなく、本当に本当の話なのだろう。
「真紀乃。とりあえず、こっち終わったわよ!」
「テレビ、見られるようになりました?」
「ええ。レコーダーの方も大丈夫なはず。ここ、ケーブル入ってるんですよね?」
 頷く陸に、晶は陣取っていたその場からひょいと下がる。
「さ、点けてみてよ」
「………そう言われると、緊張しますね」
 実家でも使っていた液晶テレビだが、場所が変わると別の機械に見えてしまう。おそるおそるスイッチを入れ…………。
「……………」
 映るのは、砂の嵐。
「………チャンネル、変えてみて。映らないチャンネルなのかも」
 言われ、チャンネルを1から切り替えてみる。
 1から12、特殊チャンネルから外部入力に至るまで、全ての画面が砂の嵐。
「おっかしいなぁ………。ちゃんと繋いであるはずなのに」
 家のゲーム機群は全て自分で設置している晶だ。テレビの接続程度、そうそう間違えるはずはないのだが……。
「まあいいや。とりあえずひと段落したのなら、倉庫を見てから降松に出ようか。足りないものを揃えないと、今晩何も出来ないぞ?」


続劇

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