3.花唄 「良くないにゃあ」 詳細を聞いた猫族の第一声は、それだった。 「ネコはそんな悪い事しないにゃあ! するなら『白猫』さんみたく、正義の味方にゃあ」 二股に別れた尻尾を揺らしながら、随分とムキになって反論してくる。先日宮廷詩人から聞いた猫族の英雄の話を聞いてから、ずっとそんな調子なのだ。 「あら、そうかしら?」 おいたをする悪い猫はここにいるけれど、と少女は呟き、魔術師の娘を抱き寄せた。 「姫様。山道ですので程々に」 「……分かってるわよ」 配下の者にそう言われ、姫様と呼ばれた少女は渋々猫族の娘を解放する。 そう。ここから先は、少女達がじゃれあって進めるような呑気な道程ではない。 「このあたり? 出るのは」 「そのはずですが」 ココの山中に巨大な化け猫が出現するようになったのは、つい先日の事だ。あちこちに現れては事件を起こすそいつを、ココ王家第二姫であるアリス自らが討伐にやって来たのである。 アリスの周囲を囲む少女達もピクニックのお供などではなく、姫直属の護衛騎士。すなわちプリンセスガードなのだ。 「とはいえ……」 そう言って、ガードの一人がため息を吐いた。 この数日で見つけたのは山賊が数人と、ゴブリンの団体を二つほど。正直、その程度では準備運動にもならない。 「姫様、あれを!」 その時、ガードの一人が生い茂る一角を指差した。良く通る少女の声に気付いたのか、その奥にいた影はがさりと姿を消す。 「待ちなさい!」 言うが早いか、アリスは疾走を開始。もともと身軽な彼女のこと、不規則な大地や蔦に身を取られる事もなく、森の中を快走する。 護衛のはずのガード達をあっさりと置き去りにして、気付いた時には相手と自分の二人きり。 そこに至って、ようやく相手は足を止めた。 深い山の中。垂れ下がる枝を切り払いながら、少女は傍らの娘に手を合わせた。 「ごめんねぇ、エミュ。いきなり手伝わせて」 「いいよ。ポクもガードの一員なんだし」 翼膜に覆われた翼は、蝙蝠族の翼。小さく畳んだそれに払った枝が引っかかるのを見て、エミュはひょいと手を伸ばす。 「ありがと」 少女が振るう剣にも、エミュのものと同じ紋章が輝いていた。この少女も、シーラ姫のプリンセスガードの一人なのだ。 「ホントならもう何人か来てくれるハズだったんだけど……。グルーヴェの方にも手伝いに行ってるし、何だか忙しくってさ」 小規模とはいえ、ココとグルーヴェの戦が終わった直後。さらにグルーヴェは革命で混乱の最中にあり、隣国のココもその混乱に無縁ではいられない。 特に辺境の治安は、ここ数ヶ月で急速に悪化していた。増える一方の盗賊相手に警備隊や冒険者だけでは手が足らず、シーラやアリスのガード達が手伝いに向かう事もしばしばだ。 「静かに。そろそろですよ」 そんな話をしていた二人の少女を、柔和な青年の声がやんわりと制した。少女達もその言葉が届いた時には、表情を冒険者のそれへと移し終わっている。 気配を殺して少し進めば、森の中に一軒の廃墟が見えてきた。昔の戦争で廃棄された、砦の一つである。 「……ねえ、誰もいないみたいだよ?」 周囲の音を確かめ、蝙蝠の少女は呟く。 目の前にある廃屋からは人の気配や音が一切感じられない。出払っていても見張りは残っているだろうに、その気配すらないのだ。 「地図は合ってるんだよね」 「そのハズですが」 青年は犬族だから、方向感覚には自信がある。地図も出発前に十分に確認した、間違いはないはずだ。 「ねえ、あれ……」 そんな中、少女が口を開いた。 指差す方を見てみれば、廃屋の入口の奥。誰かが倒れているのが見える。 「ちょっと行ってみるよ」 「気を付けて下さいね」 音もなくエミュが駆け寄れば、盗賊らしい男が倒れていた。ゴブリンと呼ばれる、はぐれビーワナの一種だ。 外傷はないが、呼吸は確かに止まっている。 そんな不可解な男の最後を見て、エミュに呼ばれた青年が小さく呟いた。 「何だ……?」 首筋に細い毛のようなものが伸びている。燃えるようなゴブリンの赤毛の中で、その一本だけが闇のように黒い。 「それ、毒針だよ。麻痺毒のはずだけど、触らない方がいいよ、きっと」 触れようとして、少女の声に手を止める。 「え、ちょっと、エミュ!?」 呟き、駆け出した少女は、青年の静止にも応じはしない。 「お姉ちゃん、どうして私を追いかけるの?」 問い掛けるのは、娘の声。分厚いフードの下にあるのは、年端もいかない子供の声だ。 「それは貴女も知っているでしょう?」 アリスはそう答え、たおやかな指を腰の剣へ。 鍛えられた鋼の音が長く鳴り、撥音一つ残して完全に引き抜かれる。 「……そう」 対する少女も瞳を伏せて、それきり人の言葉を放たない。 アリス小飼の魔術師が聞けば耳を疑ったろう。それは、こんな子供が駆れる域をはるかに越えた呪文だったのだから。 「術など……遅いっ!」 その事を知ってか知らずか、アリスは美貌に笑み一つ。下草を蹴り、配下を置き去りにした快速を即座に叩き出す。 躊躇のない突き込みは、詠唱よりも迅い。 「!」 しかしアリスの前に現れた巨影はさらに迅く。 連なる斬撃の音と、刹那の雷光音。 「……お見事。名前は?」 そう呟いたのはアリス。 巨影と少女の後にいた異形を貫いた剣を、ゆっくりと引き戻しながら。 「コーシェイだよ。こっちは、ねこさん」 答えたのはコーシェイ。 見上げるほどの獣が、巨体に似合わぬ声でにゃあと鳴く。その手の下では、雷光に撃たれた異形がやはり叩き潰されている。 「コーシェイ……そう。イルシャナやリヴェーダから聞いているわ」 「イルシャナ様の、お友達?」 珍しい名に娘は反応してみせた。 自分の名からイルシャナの名が繋がるということは、確かに相手はイルシャナを知る者なのだろう。 「ええ。アリス、でいいわ」 そこに至ってようやく少女達が追い付いた。 「姫様! 辺りに魔物が!」 「な……なんだにゃあ!」 「魔物くらいで慌てるんじゃないの」 魔物や巨大な獣にどよめく一同を、プリンセスガード達の主は悠然と制す。 「紹介するわ。こちら、コーシェイ嬢とねこさん。『白猫』のお二人よ」 近頃ココを賑わせる英雄の名を呼び、アリスはコーシェイの隣で剣を構えなおした。 「助太刀宜しいかしら? 白猫殿」 「もちろん」 少女はぱたぱたと走っていた。 扉を過ぎ、廊下を抜け、ひたすらに奥へ。 初めての場所だが迷いはしなかった。進むべき先には、必ず人が倒れていたから。 人相の悪い彼らはこの廃墟の住人だろう。けれど、今の少女にそれに構っている余裕はない。向こうから呼び止めないのを幸いに階段を駆け上がり、さらに奥へ奥へ。 ようやく歩みを止めたのは、最上階に着いてからだった。 「これ、あなたが?」 砦に入って初めての人影に、問いを投げる。 はぁはぁと息を吐きながらの問い掛けに、窓際に立つ影は少し驚いた様子。 「……ええ」 それでも、影は問いに答えた。 「……そっか」 少女は影に何の警戒も抱かず、答えを受け止める。敵だとも、こちらに害を及ぼすとも思っていない。 気も張らぬ、完全に無防備な体勢で、呼吸を整える事に専念する。 「昔、僕がいた盗賊団だったんですよ」 そう。この場所で影は片目を失い、もっと大切な何かを幾つも捨て去ってきた。 それを取り返しに、影はやって来たのだ。 片目は戻らぬけれど、取り戻せる何かを、取り返せるだけ取り返す為に。 その、途中だったのに。 「それにしても、どうしたの?」 はぁ、とため息を吐き、窓際の影は僅かに姿勢を変えた。 途端に光が当たり、影は少年の姿を取り戻す。 「だって、ずっと帰ってこないんだもん。あんまり遅いから、迎えに来ちゃったよ」 ようやく呼吸を整え、少女はふわりと笑った。 「……そう、かな」 自分が納得出来たその時、戻ろうと決めていた。だが、それは逃げだったのかもしれない。 潮時かな、と少年は思う。 「そうだよ」 「……そっか」 ぎこちなく笑う少年に、元気良く言葉を投げる。 「お帰り、レアちん!」 「ただいま、エミュ」 そして。 「どうしたらいいと思います?」 ばばん、という打音と共に投げられた問いに、青年は面倒くさげに答えた。 「見つけてくれた人にお礼を払う事にして、ギルドに似顔絵を登録すればいいんじゃないかな?」 「……それだ!」 この数日後、一枚の広告が冒険者ギルドに張り出される事になる。 『クラム・カイン 賞金10万スー』 |