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5.『メティシス・ノイタルフィーオ』

 メティシスは、ゆっくりとその扉を開いた。
 天井に巨大な穴の穿たれた巨大な広間『世界門』の中央に位置する扉である。
 少女が手を触れただけで、扉は音もなく開く。
「ここが……」
 スクメギ中枢部『響天の間』。
 白と青を基調にした淡い色と、穏やかな照明。
 曲線を組み合わせた幾何学図形の描かれた床。
 天井から柔らかく下がる、無数の布状の天幕。
 今までのスクメギが無機的で厳格な父性を示す古代の遺産だとすれば、この広間は有機的な優しさを持つ、母性的な空間と言えた。
「あれが……メティシスの探してた?」
 そして、その広間の中央に位置する座。
「はい。きっと……」
 玉座というほど華麗ではない。しかし、響天の間にある調度品がこれだけである以上、この座こそが彼女の記憶を取り戻す鍵なのだろう。
「なら、早く座るがいい。貴公の命を狙う者が来るやもしれん」
 周囲を見回しながら、バッシュも静かに促す。
 彼女の命を狙っているリヴェーダもスクメギの中にいる。リフトで先回り出来たとは言え、いつ追い付いてくるかは分からないのだ。
「メティちん……」
 その座へ向かおうとするメティシスの肩に、伸びる手があった。
「エミュ様?」
 まだ青い顔のまま、静かに呟く。
「『今度は』上手くいくといいね……」
「エミュ、メティシスがどうかしたの?」
 意味不明な事を口走り始めたエミュの額にクラムが手を当てた瞬間、その声は響天の間に響き渡った。
「そ、そ奴を殺せ! メティシス・ノイタルフィーオを天喚の座に座らせてはならん!」


「だぁっ!」
 振り下ろされた矛が、大地を打ち砕いた。
 階層状になっているスクメギの床だ。床を抜けば、すぐに下に次の層がある。
「……」
 対する狂犬は落下する中微動だにせず。集中し、音速で迫る重矛から視線を一瞬も逸らさず。
 矛の動き、落ちる床、大気の流れ。全てを知覚し、反応出来るよう全身を極限に研ぎ澄ます。
 極限の集中に、時すらも止まって見えた。
 それが『狂犬』の力の源。祖霊使いの限界を超え、知覚の究極に辿り着いた凌駕の力。
 その力の前に、大矛が大気のみを断つ。
(この状況で……)
 はずだった。
(翼を使うかッ!)
 ハイリガードの翼が開いている!
 思考を言葉に紡ぐよりも迅く刃を大矛の平に叩き付け、紙一重の回避。爆発的な加速を得たハイリガードの肩部装甲を蹴って宙を舞い、距離を取って下層の床へと降り立つ。
(……なるほど、な)
 ロゥの無謀な突撃は完璧に見切っていた。だが、地上戦がギリギリの空間で飛翔するというさらなる暴挙は、ロゥの考えではあるまい。
 無謀な莫迦二人が相手とは、やや分が悪い。
「む?」
 一瞬の思考を切り上げて周囲を見れば、先程別れたスクメギ兵士達の姿があった。
「貴公等、奥へ行ったのではないのか?」
「はぁ。リヴェーダ様に置いて行かれまして」
 近道を使ったらしく、先行してどこかへ行ってしまったらしい。地図もないし、途方に暮れているのだと。
「あー。詩人。テメ、何やってんだよ!」
 と、ロゥの乱暴な声が響いた。
「……何?」
 見れば、リヴェーダ付きの詩人とグルーヴェの重装獣機が話をしているではないか。
「どういう事だ……?」
「今忙しいから後でな!」
 振り返り、こちらを視認。
「行くぜ! 2対1だが、悪く思うなよ!」
 重矛を薙ぎ払い、推進器を爆発させ、再びの極限打撃。異常とも言える機動は『狂犬』の反応限界に迫り、追い越そうと食らいついてくる。
 戦場を下の層に移しながら、戦いはまだ続く。


 ミユマは入口にいた影を見た瞬間、ひどくバツの悪そうな顔をした。
「イルシャナ様……もうちょっと、時間を稼いでくれないと……」
 よりによってリヴェーダにメティシスと一緒にいる所を見られてしまったのだ。クラムが名前で呼んでいるから、誤魔化しもできない。
「エミュ! 無事だったのね!」
「あ! イルシャナさまぁ」
 懐かしい声に名を呼ばれたエミュは、今までの雰囲気はどこへやら。イルシャナと隣にいるコーシェイのもとに駆け寄っている。
「あ。コーちんの言うとおりになったよ〜」
 満面の笑顔でそう言われ、コーシェイも無言で首を縦に振る。
「閣下!! エミュなど後になされ! 今は早くあ奴を捕らえ、破壊せねば!」
 そんな空気を再びリヴェーダがぶち破った。エミュ達が脱獄した事をとがめるどころか、気付きもしていないようだ。
「え、いや、捕まるのはともかく……」
「そんな偽物などどうでも良い!」
 殺されるのは嫌だなぁ、と呟こうとしたクラムが、え、と凍り付く。
「ええい。やはり誰も当てにはならぬ! 『滅びの鍵』が相手と成ればッ!」
 世界門の封印を解ける魔術師など、老爺を除いてスクメギ界隈には存在しない。ならば相手は『鍵を持っていた』と考えるのが妥当。
 そんな相手は、今は一人しかいない。
 杖を取り出し、呪文の詠唱を開始。宮廷付きの占い師でも、多少は魔術の心得はある。
「ってリヴェーダッ!」
 それが範囲破壊を巻き起こす禁呪であるとイルシャナが気付いた瞬間。
「……騒がしい御仁だ」
 幾何学模様の描かれた床が、赤く染まった。
「バッシュ……さん?」
 バッシュ。
 通り名しか知らぬ虎族のビーワナ。
 人でありながら獣機と渡り合う、屈強の戦士。
 穏やかな守護者。
 だったはずの彼が、血刀を手にしていた。
「困るのだよ。ここまで来て、邪魔されてはな」
 一瞬のうちに凍り付いた空気に誰もが縛り付けられる中。ぼそり呟き、刃の柄でとんと突く。
「……え?」
 とさり。
 痩せぎすの蛇の老爺が崩れる音は、ごくごく軽い音。
 その世界では、獣機が世界門に舞い降りた飛翔音も、響天の間に歩み寄る駆動音すらも、聞き取れないほどに小さく。
 反応すら、縛り付けられて。
「……来たか」
 ただ一人バッシュだけが、入口に現れた白銀の獣機へ悠然と声を掛ける。
 胸部の扉が開き、そこから現れた少女が呆然と呟いた、その名は……。
「……ドラ……ウン……さま?」
 死んだはずの、グルーヴェ将軍の名前だった。


 少年は、目の前の男達を静かに見上げた。
「……どういう事だ?」
 前に立つのはスクメギ付きの兵士達である。種族は様々だが、今まで数度の実戦と調査行を行ってきた、歴戦の猛者達だ。
「何でお前がグルーヴェの奴と話をしてる」
 対する少年は、しがない吟遊詩人。
「……ごめんなさい」
 少年は強く問われた少年は石の床に膝を落とし、片方しかない目で涙を流していた。
「僕……あいつらに脅されて……仕方なく」
 嗚咽にまみれ、言葉は正確な意を得ない。しかし、子供を泣かせてしまった罪悪感に、男達はどうしたものかと顔を見合わせる。
「まあ、とりあえず、縛らせてもらうぞ? それからリヴェーダ様には報告しておくからな」
「許して……くれるの?」
 仕方なかろう、と荷物の中から縄を取りだしたニワトリの兵士に、少年は"薄く笑った"。
「がっ!」
 その瞬間、ニワトリの兵士は大地に転がる。
「なっ!」
 兵士の体は激しい痙攣に波打ち、口からは泡を吹いていた。急所に毒針の一撃を食らい、呼吸器を潰されたのだ。
 呆然とする間、瞬きする間に立っている兵士の数が次々と減っていく。
「許すなんて言うからさ……」
 片目の少年は小さく呟くと、縄を掛けられる事もなく、静かに立ち上がった。毛針となって逆立った髪を、手櫛で軽くなでつける。
 もちろん、目には涙など浮かんでもいない。
「裏切り者はさっさと処分しとかなきゃ」
 ふぅ、とため息をつき、少年は先を急ぐ。


「シェティスか」
 短く呟き、崩れ落ちた蛇の傍らから軽く跳躍。呆然と立ちつくすメティシスの隣へと舞い戻る。
 凍り付いていた刻が再び動き出し、エミュがリヴェーダのもとへ慌てて駆け寄った。
「ドラウン様……生きて、おられたのですね」
 涙声のグルーヴェ副隊長に、悠然と笑み。
「悲願を達するまで、死にはせんよ」
 自らの異名の源となった『狼面』を失おうとも、それしきで死ぬ男ではない。
「シェティス。我と共に歩むか?」
「はい……はい!」
 バッシュ……否、ドラウンの問いに、シェティスは泣きじゃくりながら首を何度も縦に。
「ちょっとシェティス。こいつ、何か変だよ」
 直感で異様な雰囲気を感じ取った雅華が肩を叩くが、気付いた様子もない。
「それが、戦いの道であってもか?」
「ええ。勿論」
 雅華を意に介す風もなく、シェティス。
 狼面の男は常に護る戦いを繰り広げてきた。それは彼女も強く望むものだから、迷いはない。
「ならば支援せよ。強者なきこの世界に、神世の戦いを呼び戻す為に!」
「……え!?」
 その瞬間、大地が揺れた。
 地震ではない。言葉の意味を悟った『シスカ』が、主の命を受けるよりも早く動いたのだ。
 ドラウンを狙って。
 だが。
「ミユマ! 否、誰でも良い! 奴を止めろ! この世界を終わらせてはならぬ!」
 エミュの『力』で治療を受けていたリヴェーダの絶叫を受け、ミユマが状況を理解せぬまま、赤い光をまとって走り出す。
 バッシュを狙って。
 だが!
「遅い!」
 ドラウンが鉄色の少女の肩を掴み、強引に椅子へと押し込む方が、ほんの一瞬だけ早かった。

 そして。
 世界は、青い輝きに包まれた。



続劇
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