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3.運命の朝に

 これはなんですかな、と蛇族のビーワナはない眉をひそめた。
「我々は遠足に行く訳ではありませんぞ?」
 イルシャナ、レアル、コーシェイ、そしてネコさん。大人達に紛れて、子供やら猫やらが混じり込んでいるのだ。
「何かに役に立つ事もあるでしょう」
 レアルが連れてきた小娘を話し相手にする事で落ち着いたのか、この数日はリヴェーダの部屋にイルシャナは殴り込んでこなかった。
 怒りの矛先が変わるなら、まあ安いものだ。
「……閣下がそう仰るなら」
 イルシャナの真意に気付く素振りもなく、リヴェーダは二つ返事でコーシェイを認めた。
「『狂犬』殿。貴公にも迷惑を掛けますな」
「構わぬよ。リヴェーダ老」
 傍らに立つ護衛役の『狂犬』も、イェド風の長いマントをまとい、短く答える。
「それとリヴェーダ。その方の事なのですが」
「何か?」
 先日の赤い泉の一件でイルシャナも彼の実力は知っているはずだ。怪しいから連れて行けない、などと言うつもりもないだろうが……。
「その方のお名前は? その……本人を前に、そんなあだ名で呼ぶというのは、どうも……」
 目の前の男は、年を経て賢さと穏やかさを手に入れた老犬のような雰囲気を漂わせている。間違っても『狂った犬』などではない。
 それにイルシャナは、王族に連なる者として宮廷の作法を叩き込まれている。悪い言葉を正面から言うのも抵抗があるのだろう。
「知りませぬ」
「……知らない?」
 通り名と技量だけが先行し、肝心の本名は誰も知らない。高名な傭兵には良くある事……なのだという。
「『狂犬』で構いませぬよ。お気になさらず」
「そうですか……」
 当の『狂犬』が名乗らないのなら仕方ない。イルシャナが割り切ったところで、リヴェーダが杖を手にした腕を上げた。
「では、行きますぞ。一同、出発」


「結局、間に合わなかったか」
 銀色の巨大な手甲に腰を下ろしたまま、銀髪の少女はふぅ、とため息をついた。
 グルーヴェ本陣。あたりは出撃前の喧噪に包まれている。
「意地っ張りのヒヨッコは大変さね」
 その整備櫓の周り、ツナギを着たまま走り回っている少年を見て、赤い髪の美女もやれやれとため息。
 櫓の間には、直立姿勢のままの獣機が一騎、櫓に包まれる事もなく立っている。
「……ま、本気になれば多少は変わるだろう」
 まだ、チャンスはある。
 そう。全てが終わるまでは、まだ、大丈夫。
 ひらりと立ち上がり、ポケットから取り出した細紐で流れる銀髪を手早く結い上げる。
「ならば雅華、留守番と本隊の出迎えは頼む」
 軽くグルーヴェ式の敬礼。
 それと同時に、『シスカ』が自らの操縦席まで相棒の彼女を持ち上げた。
「面倒だねぇ……でもま、そっちは任せるよ」
 美女の崩れた敬礼を見届け、グルーヴェ軍の新隊長は自らの獣機に叱咤した。既に内部の拡声機能は、獣機によって最大になっている。
「総員獣機に搭乗せよ! これよりスクメギ遺跡を占拠すべく、全力攻勢をかける!」
 前門にスクメギ、後門にグルーヴェ本隊。
 シェティス達にもう、後はない。
「総員、出撃!」


 こん。
 明かり取りの格子をすり抜けて飛んできた小石が、クラムの額にこつんと当たった。
「っつー」
 思わず狙ったんじゃないの……と思ったが、空を飛べるメンバーがいないと思い直し、隣で寝ているエミュに声をかける。
「エミュー。脱走するよー」
「もう食べられない……」
「お約束の寝言はいいからさ。イルシャナ様ん所に帰るんでしょ?」
「あっ!」
 ネタを軽くスルーしたクラムにそう言われ、がばりと身を起こすエミュ。昨日から準備していただけあって、起きれば即出発出来る。
「じゃ、いっくよー!」
 言った時には真っ赤に燃える炎の塊が手の中に。エミュの想いを形にしたかのような、強い強い輝きが辺りを照らし、焼き焦がす。
「吹っ飛ぶよ! 離れてー!」
 外に向かって声を掛け、クラムも避難。
 放たれた火球は2枚の鉄格子と石壁をあっさりと貫通し、二人の脱出口を簡単に創り上げた。
「次はメティシスのスクメギかね。エミュもイルシャナ様に会いに行くっしょ?」
 足元で手を振っているミユマとメティシスにひらひらと手を振り返し。
「うん!」
 クラム・カインはエミュを抱え上げ、今度はスクメギ領主公認の脱走をぶちかました。


 少年は、獣機を見上げた。
「ハイリガード……」
 かつて駆った獣機は雨ざらしのまま。
 何を言えばいいのかは、分かっているのだ。
 だが、言えなかった。
(くそ……っ)
 既に周りの獣機櫓は空になっている。後詰めの数騎を除いた全ての獣機は、スクメギ制圧に向かっているのだ。
 もちろん、ロゥは後詰めではない。
 補充要員ですら、ない。
「掃除ご苦労さーん」
 そこに現れたのは雅華だった。
「もうすぐ本隊が来るんだ。念入りに頼むよ」
「……へぇへぇ」
「けど、これでコイツも見納めかねぇ」
 適当にいなしていたロゥだったが、流石にその言葉を流すほどバカではなかった。
「……どういう事だ?」
 答えを求めて辺りを見回すと、誰もがロゥから視線を逸らした。それが、答えなのだろう。
「聞いたとおりだよ。動かない獣機なんて、アンタ以上に役に立たないしね」
 動かない獣機は解体され、部品単位で再利用される。遺跡の発掘品であり補充の限られた獣機は、配線一本でも貴重な物なのだ。
「だって! ここの連中は……」
「本国の奴らは違うよ。この隊みたく甘っちょろい事を言う奴は、皆干されちまうのさ」
 反論し掛けてぴしゃりとそう言われ、ロゥは言葉を失った。
「俺にはハイリガードが必要なのに……」
「けど、アンタが不甲斐ないばっかりにあれはバラバラにされちまう」
 雅華の言葉は容赦なく胸を刺す。
「そうだよ……。不甲斐ないのは俺だよ……」
 焦りと渦巻く感情に、吐き気すら催すほどに。
「全部分かってるんだ。俺が悪いのも、『あいつ』に勝つにはこいつの力が必要なのも」
 最強のビーワナと称された『あいつ』。
 スクメギの、今の守護者。
 あいつに追い付く為に。追い付き、こちらを向かせ、己の存在を知らしめるために。
 彼は兵士となり、やがて獣機乗りとなった。
「何だい。私用かい」
「ああそうだよ。俺は『あいつ』に勝つ為に、ハイリガードの力を欲しいと思ったんだよ!」
 呆れる雅華に、ロゥは一瞬激昂し……
「悪かったって分かってんだよ。……けど、どうやって謝ったらいいかわかんねえんだよ」
 力なく、獣機の爪先に腰を落とした。
「俺……バカだからよ……。ダチにも謝った事ねえんだぜ……?」
 伏せた顔の中を雅華は見なかった。興味ないし、見て楽しいものでもない。
「『ゴメン』って言えば?」
「ゴメンで済めば、自警団はいらねえだろが」
 その時、誰かがため息をついた。
 ふぅ、と。

−最初っから、そう言やぁいいのにさ……−

 ったくバカなんだから。
 心に響いた嘆息と共に、少年の小柄な体が前にぽーんと放り出された。
「って放り投げるんじゃねえよ! 雅華!」
「ん? あたしゃ何もしてないよ?」
 小馬鹿にしたようにヒラヒラと両手を振ってみせる赤髪の美女。周囲の作業員達も、ロゥを投げられる間合にいる者はいない。
「文句なら、後に言えば?」
 そう言われて振り向けば。
「な……」
 あるのは一歩踏み込んだ脚と、伸ばされた腕。
 無骨な装甲をまとったその獣機の名は……。
「ハイリガード……許して、くれるのか?」
 その問いに、閉ざされていたハッチが開く。
 それが、答えだった。
「じゃ、行こうか。スクメギへ」
 後からの雅華にロゥは涙を拭いて苦笑。
「本隊の出迎えがあるんじゃねえの?」
「正直、これから来る連中とは顔を合わせたくなくてな……。口うるさい上にアタマ悪いし」
「なるほど……」
 操縦席に着けば既に機体は最大出力。今までに感じた事のないほどの力が駆け巡っているのが肌で分かる。
「ついでに作戦も一つ頼みたいんだよ」
 全開に近い機体のチェックをしながら、ロゥは雅華の話を流し聞いた。確かに大逆転のチャンスが狙えそうな作戦だ。それにグルーヴェの中では自分が一番の適役だとも思えた。
「どうするよ、相棒」
 その言葉と共に背中の重装甲が開き、長大な翼が天を割って現れる。
「だが、間に合うか? 今から」
 今頃になって気付くが、スクメギ製のハイリガードに飛行能力はない。移動力は他のグルーヴェ製獣機に比べて格段に落ちる。
「間に合うようになったんだよ……」
 巨大な排気口が咆吼を上げ、超重量級の機体をゆっくりと天空へ押し上げていく。
「たった今からな!」
 射出の爆裂、猛烈な衝撃が辺りを震わせた!



続劇
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