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2.交差する思惑たち

 呼び止められた声に、レアルは足を止めた。
「何か用?」
 相手の外見を確かめて返答をよこす。
「あのね。ネコさん探してるの。見なかった?」
「ネコさん? ……猫?」
 目深にフードを被っているから表情は見えないが、困ったような幼い声から少女と分かる。
「酒場に行くまでの間なら、手伝えるけど」
 半ば無意識に口から出た言葉に、自身軽い驚き。今までの自分なら、「あ、そう」で済ませるだけで、思いつきもしなかった言葉だ。
 これもあの人達の影響かな、と静かに笑う。
「それじゃ、行こうか。あなた、名前は?」
 少女は頷き、伸ばされた少年の手を取った。
「コーシェイだよ」


 巨大な櫓が林立する、グルーヴェの鋼の回廊。
「何だ。まだ動かないのか」
 そこに一騎だけ立つ完全な姿の獣機を見上げ、シェティスは露骨に不満そうな声を上げた。
「……悪いな」
 かつてはそこにも整備櫓があった。
 だが、中の獣機が全く動かなくなってしまい、いつまで経っても動こうとしないので櫓の方を解体したのだ。材木を組んだだけの整備櫓とはいえ、獣機の機体分あるわけではないのだから。
 とは言え、獣機使いが死んだわけではない。
「で、その格好は何だ? ロゥ・スピアード」
 動かぬ『ハイリガード』の主は、目の前に。
「……見て分かれよ」
 少年は上下のツナギにブラシと水の入ったバケツ。ご丁寧に頭にはバンダナまで巻いてある。
「掃除だ、掃除」
 慢性的な人材不足に悩むグルーヴェ軍に人を遊ばせておく余裕はない。ましてや獣機に乗れない獣機使いを放置しておくわけがなかった。
「そんな事をしている余裕はないと言っているだろう! 早く獣機を戦列に復帰させよ!」
「やれるもんならとっくにやってる!」
 ブラシをばんと叩き付け、ロゥは吼えた。
 睨む少年傭兵と、それを冷たい視線で見返す隊長代理の少女。
「獣機に乗れぬ獣機使いが何の役に立つ」
 その言葉に、少年の眉が下がった。
「……分かってるよ」
 だが、どう言えばいいのか、分からない。
「分かって……るんだ」
 そう言い放ってふいと向こうを向いたロゥに、シェティスは短く弁解。
「……すまん。気が立っていたのだ」
「いや、俺も……」
 もともと小柄なロゥだ。その上ビーワナに比べて虚弱な傾向にあるラッセの出。男ではあるが、いやだからこそ、戦場で『力』を得る手段として獣機を選んだ少女の気持ちが良く分かる。
「そいやあさ。何で隊長さんは軍に?」
 向こうをむいたまま、ロゥは話題を変えた。
「私の住む地方は赤い泉が多くてな。だから、皆を守るために軍に入り、獣機使いになった」
 やがて守るものの中に部下が加わり、上司であり戦友であるドラウンが加わった。
「じゃ、今の任務は……?」
「ああ。侵略はあまり乗り気ではないな」
 先日の赤い泉討伐は気楽だったが、と付け加え、シェティスは目を伏せた。
「おーい」
 そこに、声。
「どうした雅華。スクメギに行ったのでは?」
 その問いに「これから行く所」と返し、赤い髪の女は紙切れを少女の方に振って見せた。
「本国からの定時連絡とその他一件。微妙なのと悪い知らせがあるけど、どっちがいい?」
「……上の紙から読んで貰おうか」
 どちらもロクな報告ではないらしい。
「じゃ微妙な方。本国から増援が来るって」
「……増援? 雅華やロゥ達で、我々への増援は終ったのではなかったのか?」
 少女は疑念を隠せない。スクメギ制圧の捨て駒となった自分達に、今さら増援など……。
「そのはずなんだけどねぇ……。いい加減、本国もしびれを切らしたってトコじゃない?」
 シェティス達がスクメギ方面に派遣されてから、成果らしい成果は何一つ上がっていない。
 数少ない収穫は敵方の上級獣機であるハイリガードを手に入れた事と赤い泉を一つ潰した事だったが、指揮官を失った事と獣機の損失と経費を秤にかければ、どちらに傾くかは明らかだ。
「報告書は出したけどグルーヴェの上はアタマ悪いからねぇ。敵のVIP捕まえたとか、秘密兵器を奪ったとか、派手な戦果がないからさ」
 テコ入れに送り込まれた雅華が来てからも完全な膠着状態にあるから、雅華も強く言えないのが正直なところだ。
「けど、本国の獣機大隊が来るかぁ……」
 ふぅ、とため息。
「うむ……。雅華のように甘くはないよな」
 良く言えば容赦ない。悪く言えば無法の群れ。ずっと辺境で中央とは疎遠なシェティスは直接の面識がないが、進路にあった村を片っ端から略奪するような無頼の輩とも聞いている。
 そんな輩が来れば、何の成果も上げられなかったシェティス達がどうなるか……。
「で、悪い知らせというのは?」
 シェティスの問いに雅華は珍しく表情を曇らせ、それでも服のポケットから一枚のボロ布を取り出して見せる。
「何だそりゃ。マスクか?」
 ロゥの言うとおり、広げられたそれは覆面だった。狼を模して作られた、大柄なマスク。
「それは……まさか!」
 その正体を知っているのは少女だけだった。
「そう。グルーヴェ獣機軍スクメギ方面団長。『狼面』ことドラウン大佐の狼面さ」
 今朝方、偵察に出していた雅華の部下が見つけてきたのだという。
「そうか。皆にはご苦労だったと伝えてくれ」
「……そうするよ」
 少し風呂に入って来る、と言い残し、隊長代理から隊長に格上げされた少女は自らのテントへふらふらと姿を消すのだった。


 イルシャナは提示された条件に、怪訝そうな顔をしてみせた。
「私をスクメギの長と知った上で、そう仰っているのですか?」
 猫に導かれるようにして廃墟の中に入ってみれば、そこにいたのは先日クラムを捕まえた虎ビーワナの娘。実は彼女はクラムの友達で、捕まったのも半ば狂言だと言うではないか。
 驚く娘に、彼女は友を助けたいと告げた。
 そして、その手伝いをイルシャナにしろと。
「まー、そういう事ですね」
 ミユマは目の前の少女にそう笑いかける。
「わたしはクラムさんを。イルシャナさんは、エミュさんを。どうせ二人とも同じ所に捕まってるんですから、一人助けるも二人助けるも一緒でしょう?」
 助けた後は互いの自由にすればいい。ミユマの考えの中では、条件はイーブンのはずだ。
「……どうでしょうか? イルシャナさん」
 問われたイルシャナは黙っている。
 それはそうだ。スクメギの長自らが、自分の所にいる囚人の脱獄の相談を持ちかけられているのだから。
 悩む彼女に決断を促すように、彼女の膝の上にいる猫がにゃーと鳴いた。
「……いいわ。その計画、乗りましょう」
 リヴェーダが許してくれないなら、こちらもそれなりの手段に出るまでだ。


 甘いココアを一口すすり、レアルは静かに呟いた。
「で、僕に何を歌えと?」
「何でもいいんだけどねぇ。政府要人の誘拐の話とか、何かこう、派手な話をどーんとね」
 へらへら笑いながらストレートのブランデーを口に運ぶのは、赤い髪の女。周りの客が物騒な話題に関心を示さないのは、詩人と酔っぱらいが歌の話をしていると思っているからだ。
「……無茶な」
 いくらレアルがスクメギの中枢に入り込んでいるとはいえ、その首脳部自体が大した事ないのだ。要人に至ってはわずか二名。しかも決別中だから、交渉の材料にすらならないだろう。
 ……いや、果たしてそうだろうか?
「まあ、無茶は分かってるさ。ダメもとで聞いてみただけだから、期待はしてないよ」
 顔を紅くしたまま、雅華。浴びるほど酒を飲んでいるが、即座に戦場の指揮が執れる程度の意識は保っている。
 つまりは、素面も同然ということだ。
「……いや、そうでもないかもしれませんよ」
「何?」
 一瞬、雅華から酔っぱらいのフリが抜けた。
「遺跡の謎を知っていそうな重要人物の確保でもいいんですよね? この場合」


「いやぁ。物分かりの良い方で助かりました」
 イルシャナと猫を見送り、ミユマはふぅと肩の力を抜いた。
 本当なら、この場で警備を呼び、ミユマ達をまとめて捕獲する事だってできたのだ。それをしないという段階で交渉成立の見通しは立っていたが……もともと頭脳プレイは得意でないミユマだけに、冷や汗もかく。
「そうですわね。あの方、エミュ様という方をすごく大事に想っているみたいですし」
 きっと上手くいきますわ、とメティシスも穏やかに笑う。
「あ、そうだ。バッシュさんも手伝ってくれませんか? その後スクメギに直行しますから」
 脱走計画は、リヴェーダが公館を確実に留守にするスクメギ調査の当日に決まった。イルシャナがリヴェーダの時間を可能な限り稼ぎ、その間にミユマ達が公館に忍び込む作戦だ。
 クラムを助けた直後、4人はメティシスの願いを叶える為、最深部への扉が開いたスクメギに向かう事になっている。
「……そういう事なら、承知した」
 バッシュも、メティシスを手伝う事にやぶさかではない。
 そう。自らの願いを叶える為に。


 少女は、石造りの床の上を暇そーにゴロゴロと転がってみた。
 痛かった。
 仕方ないのでベッドの上の薄い毛布を引っ張り出し、それにくるまってゴロゴロやってみた。
 痛さはあんまり変わらなかった。
「ねー。クラムちゃーん」
「んー」
 つまらなそうに、隣室の少女に声を掛ける。
 壁以外は3方が鉄格子なので声は掛け放題だ。
「あーきーたー」
 自己紹介、好みの食べ物、歌、自分が冒険者見習いをやっている事、胸のお守りの事、大好きなイルシャナの事、大概の事を話した上に飽きるほど昼寝もやってみたが、それでも時間が余っている。
 今までイルシャナの世話役として忙しく働いてきただけに、さらに暇を持て余していた。
「まー、捕まってるしねー」
 隣室の有翼族の娘は諦めたようにダラダラと。
「……出る!」
「おいちょっとエミュ!」
 エミュは精神を集中させて手を伸ばす。
 自らの内に燃える想い。イルシャナに会いたい想いを、流れる血を通して形にする。
 こころの容は、炎となって現れ出でた。
 彼女を束縛する鉄檻を焼き払う力として。
「祖霊使い……? そんな馬鹿な!」
 その姿にクラム・カインは息を飲む。
 祖霊使いの力はあくまでも自らの種族特性の延長でしかない。飛翔、加速、怪力、毒。広いフェアベルケンだから、体表の色を変える生物はいる。はぐれビーワナたるゴブリン達もいる。
 だが、炎を放つ生物はいない。
 しかしエミュを包む炎の質は明らかに祖霊使いのそれと同じもの。ラッセの魔術ではない。
「お姉ちゃん。それ、止めた方が良いよ」
 ふと、そこに声。
「へっ!?」
 エミュの掌にあった炎が、ふいと消えた。
「きっと、迷惑がかかるから」
 声の主はフードをかぶった子供。声の調子から、女の子ではあるようだが。
「だね。イルシャナ様も困るんじゃない?」
「みゅーーーー」
 イルシャナの名前を出されては弱い。エミュもしぶしぶ気を納め、炎の気を完全に消した。
「大丈夫。イルシャナ様とかみんなが頑張ってるから、きっとすぐ出られるよ」
「ホント!?」
 再びの問いにフードの子供は軽く頷く。
「……キミ、名前は?」
 エミュの様子にフードの下、穏やかに笑ったらしい子供に、クラムはそう問うた。
「コーシェイ」


 大して広くもないスクメギの公館前。
「あら、レアル」
 ちょうど戸口にいたレアルを、猫を抱えたままのイルシャナは呼び止めた。
「イルシャナ様。どうかされました?」
 振り返ったのはいつもの吟遊詩人だ。
 エミュと仲が良い彼なら、クラムとエミュの脱走計画に力を貸してくれるかもしれない。
「いえ、別に……」
 だが、今の彼はリヴェーダの側近らしき事もやっている。最も聞かれたくない相手に情報が流れる事だけは、避けるべき事だった。
 ただでさえ危ない橋なのだ。リスクは最小限に抑えなければならない。そう思い直す。
「そうだ。イルシャナ様」
「何かしら?」
 レアルも一瞬だけ躊躇。
「無茶を承知でお願いがあるのですが……」
 しかし、彼は切り出した。
 彼には……正確には、彼の後ろ盾にはもう後がない。ならば、今は勝負に出るところだ。
 どうせ失うものなど何もないのだから。
「あ。ネコさん」
 けれども、駆け寄ってきた少女の声に思考を途切れさせられた。
 目深にフードを被った娘。コーシェイだ。
「あら。この子、貴女の猫だったの?」
 こくんと頷くコーシェイに、イルシャナは抱えていた『ネコさん』を優しく手渡してやる。
 二人が話している間にレアルは考えを変えた。
「イルシャナ様。この子、孤児らしいんですが、僕の部屋に置いてやって構いませんか?」
 まずは様子見の一手だけでいい。本命は、日を改めるか晩にでも仕切直しだ。
「それはいいけれど……公館の雑用を手伝って貰えれば、助かるわね」
 イルシャナはレアルを少女と思っている。その上この手の話には甘いから、二つ返事で了解をくれるのは分かっていた。
「ね、お姉ちゃん」
 予想通りと思った瞬間、そのコーシェイに袖を軽く引っ張られる。
「話したかったのは、私の事じゃないよね?」
 思考を見抜かれた一瞬に、言葉を失った。
「あら。そうなの?」
 ここで誤魔化すのは良くないだろう。コーシェイの言葉を取りかかりに、勝負に出た方が良い結果が出そうだ。
「ええ、実は。あとこの話、リヴェーダ様には内密にしてもらいたいのですが……」
「それは良いけれど……」
 軽く感触を確かめた後、戸惑い気味の振りをして本命のカードを切り出す。
「エミュを、逃がしてやりたいんです」
 そして『彼』は、最初の賭に勝利した。


 ベッドに清潔なシーツを取り替えると、レアルはその場所を少女に明け渡した。
「ほら、ここを使って」
 スクメギ公館でレアルに与えられた部屋。広い部屋ではないが、小さなソファーとベッドがあるから、子供二人が眠るには十分だ。
「……いいの?」
「うん。もう、使わなくなるから」
 そう。もうすぐ、レアルはここを去る。
 全てを捨てて、この場所からいなくなる。
「わかった」
 少女は理由を問わない。
 それ以降何も言わず、着替える気配もなくベッドの中へもぞもぞと潜り込もうとする。
「ここにいる時くらい、それ、取ればいいのに」
 フードも分厚いマントも着たままで。
 いつでも逃げられるようにか、素顔を余程見せたくないのか……。
 まるで誰かのようだ、とレアルは思う。
「私、追われてるから……。ネコさんが守ってくれてるの」
「……そう」
 大事な作戦の前にこんな子供を連れてきて、一体何がしたいんだろう、僕は。
(ここに何かを残しておきたいんだろうか)
 自分にすら己の気まぐれが理解出来ないまま、レアルはソファーへと横になる。


 そして数日の後。リヴェーダの研究が完成し、スクメギ探索の朝がやって来た。
 世界の終わりを予告する、運命の一日が。



続劇
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