家の前でアイドリング音を響かせるのは、引っ越し会社のロゴの入った大型のトラックだ。 「気を付けてね、ローリちゃん」 既に荷物の積み込みは終わっている。空っぽになった近原邸の前でローリの手を握りしめるのは、はいりだ。 「ええ。みんなもね」 あの戦いから、数ヶ月が過ぎた。 ローリの両親は近原家に無事戻り、華が丘も平穏そのもの。蚩尤の封印は無事に働いているし、新たな蚩尤の刺客が現れることもなかった。 だが。 ローリは家の都合で華が丘を離れ、帝都に戻ることになったのだ。もともとフィールドワークの多い研究者らしく、こういう引っ越しは日常茶飯事なのだと笑っていたが……。 「ローリ、もう行くぞ」 「分かってる!」 トラックの助手席から飛んできた男……ローリの父親の声にそう返し、ローリは三人の親友にもう一度手を振って。 「…………行っちゃったね」 角を曲がっていったトラックの荷台を見送り、最初に呟いたのは柚子だった。 「そうね。寂しくなる……って、泣かないの。バカ」 「だってぇ……」 肩にしがみついてきた小さな頭を抱き寄せつつ、葵はやれやれと苦笑い。 ローリの前では最後まで笑顔。見送る最後の一瞬まで、悲しそうな表情を見せなかったのだ。まあ、今くらいはいいだろう。 「なんだ。もうローリの奴、行っちまったのか」 はいりの頭にそっと頬を寄せ、軽く頭を撫でていると……そこに現れたのは、長身の男だった。 「…………誰?」 細身で精悍な顔つきではあるが、三十は間違いなく過ぎているだろう。ただ、だらしない格好のおかげで老けて見える可能性は、否定できない所だったが……。 「……さあ?」 柚子の視線を送っても、困ったような表情で首を振るばかり。 学校のお別れ会は既に済ませてあるし、担任の教師も今日は来るとは言っていなかったはずなのに……。 「誰はねぇだろ。失敬な奴らだな」 「でも、知らないよね……?」 明らかに男はこちらを知っている様子だが、涙を拭って葵の肩を離れたはいりも、不思議そうに首を傾げるだけ。 狭い田舎の華が丘だ。近原家の近所の住人で、向こうがこちらを知っているならば、三人の誰か一人くらいは面識があるはずなのだが……。 「警察呼んだ方がいいんじゃない?」 不審者認定しようとしたその時だ。 「ニャウよ!」 「どわっ!」 男の腕に元気よく飛びついてきたブレザー姿の少女は、この場にいた誰もが知っていた。 「え…………?」 そして、少女が呼んだその名前も。 「ニャウって………」 だがその名から思い浮かぶのは、人の言葉を喋る子猫ほどの生物だ。 間違っても、こんなだらしない格好をした長身の男ではない。 「………だから、ニャウじゃなくて、ナウムだって言ってただろ。ずっと」 男が口にしたフレーズは、結界獣が事あるごとにぼやいていたもの。ただ一つ違うのは、訂正後の名前が正確な発音になっている、一点だ。 「え? あ、あの、その…………」 猫もどきの正体は、目の前の男。 「えええっ!?」 それも、少女たちの年からすれば、明らかにおじさんだ。 「ちょっとバカっ! へんたいっ!」 そんなナウムに向けられるのは、少女たちの一斉の拳の洗礼だった。もちろん遠慮など一切無い、グーである。 「へんたいっておま……俺、ちゃんと男で大人だって言ったぜ! だいたい無理矢理風呂に引きずり込んだのは……」 「ばかばかーっ! そんな事言わないでよーっ!」 拳の洗礼は、より威力を増して。 確かにここしばらく、結界獣の姿は目にしなかったが……。 「あの、菫さん……?」 柚子が声を掛けたのは、ナウムの腕から離れる気配のない菫へだ。連れ立って現れたのだから、結界獣がおじさんになってしまった事情は知っているのだろう。 「ブロッサムがね。今回大変だったからって、戻してくれたんだって」 ブロッサム。 確か、菫たちに遺産封印の任務を授けた宇宙人だったはず。最終決戦のあの日に少し会っただけだから、柚子としては綺麗な女性という印象しかない。 「元が人間なのは知ってたけど……こんなにいい男になってるなんて思わなかったんだもの。性格もニャウと一緒なら、全然OKだし」 「…………そういう趣味なんですね、菫さん」 女子高生と三十路越えでは、十歳以上の開きがあるのだが……まあ、本人がおじさんで良いと言っているのだから、柚がどうこう言うことはないだろう。 「そういえば、菫さんはどうするんですか? 高校は、華が丘なんですよね?」 菫はもともと、蚩尤の眷属としてこの華が丘にやってきたはずだった。 今は華が丘高校の生徒として過ごしているようだが、蚩尤の支配から解き放たれ、また蚩尤の封印も終わった今、華が丘に続けて暮らす意味はあまりない。 「しばらくはいるわよ。ブロッサムから新しい指示が来れば、そっちに行くけどね」 大きな任務が終わったこともあってか、ブロッサムからの指示は来ないままだった。もちろん急に連絡してくる相手だから、油断は出来ないのだが……。 「そうですか………」 「ほら。泣きそうな顔しないの。まだ、すぐにいなくなるってワケじゃないんだから」 「う、うん………ふぇぇん…………」 出会いは別れの始まり。 再び泣き出したはいりを、葵はそっと抱き寄せてやるのだった。 少女の泣き声がおさまったのは、華が丘の街並みを抜け、海が見えてきた頃のこと。 「………パパ」 「何だい? ローリ」 傍らで泣きじゃくる愛娘の肩をずっと抱いていた男は、ようやくの言葉に優しくその名を呼んでやる。 「次は……どこに行くの?」 近原家は、もともと引っ越しが多い。中長期にわたるフィールドワークの多い、研究者という仕事の所為もあるのだが……実際の理由の大部分は、夫とずっと一緒にいたいという妻のワガママによるものだ。 「しばらくは帝都だよ。次の調査は、まずどこを調べれば良いかから調べなければならないからね」 「何それ。どこにあるか分かんないモノを調べるの?」 呆れたように呟くのは、助手席でのんびりとお菓子を食べていたリタリナだ。 「パパの仕事は、そういう物なんだよ」 愛娘の冷たい態度に苦笑しつつ、男はまだ見ぬその地にそっと思いを馳せる。 しばらくは帝都で基礎調査だ。 そして十分な情報が集まれば、調査すべき地へとまた引っ越しをすることになる。 「で、次は何の調査なの? あなた」 「ああ。失われた世界………」 妻の言葉に、男は彼方の空を見て。 「メガ・ラニカというんだ」 |