-Back-

「どうして、大層な悪役ぶりだな。菫」
 石段の向こうに三人の少女たちが消えていくのを見届けて、猫に似た小動物はやれやれとため息を一つ。
「いいんじゃない? これ以上あのコ達を巻き込むわけにもいかないでしょ」
 声を掛けられた娘は、妙に大人びた猫の態度を気にすることもなく、手水舎の石垣に腰を下ろす。黒く長い髪を銀の腕環のはまった右手で軽く弄びつつ、こちらに小さくため息を一つ。
 その額は、強い力を操った余韻の所為かわずかに汗ばみ、ほんのりと朱く染まっていた。
「けど、本当に良かったのか? あの三人がいれば、少しは楽になっただろうに……」
 それも、単に戦いから退けただけではない。これからの戦いで娘の助けとなるはずの、三つの腕環も預けたままだ。
 まだ三人の少女達が敵側の監視から逃れたわけではない。そのために必要な処置だと、分かってはいるが……。
「みんなまだ小学生よ? 資格者とはいえ、あんな小さなコ達に親友やその家族と本気で戦えってのは……キツいでしょ」
 菫の気持ちも、痛いほどによく分かる。
 けれど、かつてのようにフォームチェンジも出来ず、かといってその穴を埋められる味方もいない。対する敵の陣容は、以前菫が戦った時よりもはるかに厚みを増している。
 当時も最悪の状況だと思っていたが……下には下があるものだと、もはや乾いた笑いすら出て来ない。
「……俺から見りゃ、お前も十分ガキなんだがな」
「何か言った?」
 拗ねたような視線を向ける黒髪の少女に、猫に似た戦友は諦めたように首を振るだけだった。


 長い石段を下りた先。
 商店街に続く石畳の参道で、三人の少女たちは足を止めていた。
 目の前にいるのは、やはり三人の女性。
「ローリ……ちゃん」
 一人は親友。
「菫さんとは、もう別れたの?」
 長い髪をくるりと巻いた、ロール髪の同級生。誰が選んでくれたのだろうか、薄青のワンピースが銀の髪によく映えている。
「お姉さん……おばさん………」
 そして残る二人は、菫と同い年くらいの闊達そうな少女と、穏やかな笑みをたたえた玲瓏な美女。
「あら。私はリーザさんって呼んでくれないのねぇ」
 おばさんと呼ばれたことに腹を立てるでもなく、美女は鈴の鳴るような声でころころと笑うだけ。
 街で友達の家族と会うことなど、何も珍しくはない。
 だがその光景を前にした三人の少女たちは、笑うどころか揃って身を固くし、続く言葉を紡げないまま。
「ど、どうして……」
「別に家族揃って買い物に来てても、おかしくはないでしょ?」
 ようやく呟いた誰かの声に、親友の姉は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
 だが。
「ついでに、ソニアの鈴も三つ……持って帰れそうだけどね」
 その笑みが、不自然に歪む。
 心からの笑顔ではなく、笑顔の意味を知らない何かが笑顔に似せて作ったような。見ている者に不安だけを駆り立てさせる嗤い顔へと。
「ローリ」
 母親の言葉に、末の娘はわずかに一歩。
 踏み出すと同時、左の腕をゆっくりとかざす。
「ローリちゃん……」
 それを迎えるべき少女にあるのは、ためらいの色。
 相手は親友。まだ出会ってほんの少しの時間しか過ごしていないが、これから共に楽しい時間をたくさん過ごすはずの……。
「はいり。戦いたくないと言っても良いけれど……」
 躙。
 振り下ろされたローリの腕から響くのは、世界を壊す鈴の音。
「こちらは、殺しに行くわよ?」
 薄青から一転、漆黒のドレスに姿を変えたローリに対し。
「はいり!」
「はいりちゃん!」
 左右の親友達の言葉に、はいりもためらいの色を消しきれないまま、言葉を返す。
 戦う意志はなくとも、今のままでは一方的に攻められておしまいだ。同等の力を手にすれば、せめて防御する事だけは出来る。
「…………う、うん」
 はいりの動きに合わせ、三人の少女は揃って右手を振り下ろす。
 凜と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音だ。


魔少女戦隊マイソニア
〜華が丘1987〜

leg.10 

「葵ちゃん、防御っ!」
「分かってるわ……………よ……………」
 はいりに答えようとした青い法衣の少女の動きが、途端にスローモーションに。
 無論そんな緩慢な動きでは、魔法どころか、防御態勢すらも間に合うはずがない。
「………きゃああああああっ!」
 一足飛びで間合を詰めた黒い影の一撃に、細身の体が宙を舞う。既に時間遅延は解除されているのか、悲鳴も放物軌道も本来あるべき速度に戻っている。
「柚ちゃ…………っ………」
 次に赤い戦衣の少女が声を掛けようとしたのは、浅黄の戦衣をまとうおさげの娘。
 だが、今度ははいり自身の声がスロー再生を掛けられたように速度を減じ。
「え……あ…………っ! はいりちゃ……っ」
 声を掛けられた柚子の両腕は無数の小さな魔法陣が浮き上がり、その内から金属片を喚び出すところ。武装を喚び出すまでのわずかな隙は、いつもならはいりか葵が護ってくれるはずなのに。
 葵は石畳にその身を打ち付けられ、はいりは時間を減じられたまま。
 無数の金属部品をボルトとビスが次々と固定していく中で。目の前に現れるのは、銀のロール髪をなびかせた黒い影。
 かざす拳に、容赦はない。
「きゃあああああああっ!」
 武装となるはずだった金属片を盛大に撒き散らしながら、小さな浅黄の戦衣が吹き飛ばされる。
「ゆ………ず……………ちゃ…………っ」
 並ぶ石灯籠を三つ打ち抜いたところでようやく動きを止めて。ぐったりと崩れ落ちる柚の姿に、はいりは悲鳴を上げるが……その声さえも、以前よりも威力を増した時間減速に巻き込まれ、まともに届くことはない。
「あと一人……か。キュウキ、ここはナンクンに任せましょう」
 ほんの数秒の戦闘で、立っているのはタイムプレッシャーを受けたままのはいりだけ。もはや黒い戦士・ナンクンが負ける理由が思い浮かばなかった。
「じゃ、ルナーはあたしにやらせてくれるよね? ママ!」
 黒いミニドレスをふわりと揺らして愉しげに嗤うキュウキの言葉に、母親は優しく頷いてやる。
「ええ。いいわね? ナンクンも」
 末娘が小さく頷いたのを見届けて。
 姉は黒い翼を拡げ、大きな羽ばたきを一つ、二つ。
 飛翔を始めるキュウキの姿を見届けて、母たるカオスもその場から姿を消していた。
「ロ……リ…………」
 葵は石畳の上、気を失ったまま。
 柚も灯籠に背を埋め、垂れた頭を上げる気配がない。
「………………ち……ゃ…………」
 紡がれるはいりの言葉は、未だ速度を減じたままで。
 踏み込むナンクンの動きを止める者は、誰もなく。
 打ち込まれた肘を遮る者も、誰もなく。
 天高く吹き飛んだブルームの体を受け止める者も。
 誰も、ない。


 大気を振るわす強い気配に、猫に似た生物は思わずその髭を逆立てさせていた。
「…………ンだ、こりゃ……」
 空間を操る結界獣の髭は、この世界に満ちる魔法の力を鋭敏に関知する。それが逆立つほどの力など、魔法の力が強いこの華が丘でも初めてのこと。
「この気配……間違いなく、蚩尤の魂ね」
 封印を施されてもなおそれだけの魔力を放つ、偉大なる最凶の力。
 コスモレムリアの負の置き土産。
 蚩尤の魂。
 本体と分かたれ、厳重に封印されていたはずのそれが……奉じられていた近原邸から持ち出され、ついに本体の元へとやってきたのだ。
「葵の封印が解けるだけで……ここまで早くなるもんなのか」
 華が丘神社に納められていた本体に施した追加の封印は、先日キュウキに破壊されたばかり。
「本体と魂の共鳴がこんなに強いなんて、誰も思わないわよ。……ニャウ!」
 そのたった一つが崩れただけで、事態は二人の想定以上のペースで転がり始めていたらしい。もはや一刻の猶予もなかった。
「分かってる!」
 菫が命じた時には既に世界は切り取られ、災いの全ては結界獣の内にある。
 社殿で目覚めつつある蚩尤の本体と、それに刻一刻と近づいてくる蚩尤の魂。結界獣の作れる世界の隔たりなど気休めほどの効果しかないが、それでもないよりはマシだ。
「ニャウ……」
 その名を呼んだ菫に掛けられるのは、人の声。
 この世界に菫以外いるはずのない、人間の声。
 その声が放つことが出来る存在は……結界獣の力で元の世界から切り離された、蚩尤の魂を預かる者達だけだ。
「あら。結界を張られちゃったのねぇ」
 石畳に姿を見せたのは、黒いロングドレスの女と、揃いの色のミニドレスの娘。
 女の口調は驚いてこそいるものの、眉の一つも動かしていない。
「ママ! 邪魔しちゃダメだからね!」
 だが、女の言葉を遮るように前に出たのは、黒いミニドレスの娘。背中には既に黒い翼が広げられ、完全な戦闘態勢にある。
「ええ。存分に遊んでらっしゃい」
 母の声に大きく頷き、娘の顔に浮かぶのは凄惨な笑み。周囲には殺意を含んだ凶風が渦巻き、細い娘の体をふわりと浮かび上がらせる。
「菫。ここは任せるぞ」
 返された頷きを確かめることもなく、小さな結界獣は石段へと駆け出していく。
 二人の女は、石段を下から昇ってきた。なら、先ほど同じ石段を降っていった三人の少女たちと、その途中で鉢合わせしたはずだ。
 駆け抜けていく小動物を、黒いロングドレスの女は止めようとする気配もない。それがただの余裕なのか、既に手遅れと知っているのか。そのどちらとも判別しきれなかったが、今の結界獣には女のそれを油断と信じるほかにない。
「さて……蚩尤の下僕」
 小さな獣が石段の向こうに姿を消したのを確かめて、菫は静かに右手を振り上げる。
「私はあの子達のように、手加減はしないわよ?」
 世界を揺らす鈴の音を合図にして。
「上等!」
 もう一つの戦いも、始まった。


 穿たれた石畳の上。
 周りの少女たちが動く気配はまだ、ない。
「ローリ………ちゃん………」
 ようやく元のスピードを取り戻した声を感じつつ、はいりはその身をゆっくりと引き起こした。悲鳴を上げる全身を無理矢理ねじ伏せ、歯を食いしばる。
 痛くはあるが、まだ動く。
 少なくとも、ナンクンの一撃は致命傷には至っていないらしい。
「………まだ、立てるの」
 無機的なナンクンの言葉に混じるのは、幽かな驚きの色。けれどそれも一瞬のことで、再び一歩を踏み出してくる。
 次の一歩を、はいりは認識出来なかった。
 感じ取れたのは、目の前に広がる一面の青空と、奇妙な振動を伴う浮遊感。
 二回目の感覚だ。
 即ち、時間を鈍らされた後にその身をかち上げられ、ナンクンの異能の及ぶ範囲を抜けたということ。
 落下の速度ははいりが普段感じるままに。
 全身を貫く衝撃がようやく全ての神経に行き渡り、受け身を取る余裕も奪われたまま、石畳に打ち付けられた。
 ブルームソニアの結界服が、落下のダメージは受け止めてくれる。けれど鉄壁の防護服も、同じソニアの一撃までは防ぎきる事が出来なかった。
 けれど。
「…………あなた」
 再び立ち上がった少女に、黒い戦衣の娘は続く言葉を放てない。
 二度の攻撃は、どちらも必殺の気合を込めて放った一撃だったはず。それを証拠に、その前に倒した二人はいまだ立ち上がる気配さえ見せずにいる。
「だって………ロ………」
 はいりを包む時が鈍り、言葉は聞き取れない早さへと。
 三度目の打撃も、無防備なその身へ完全な踏み込みとインパクトで叩き込まれた。
 飛翔の向きは垂直ではなく、水平へ。
 少女の小さな肢体は石灯籠を四つ抜け、石の大鳥居の基礎にぶつかってようやく停止。
「これで………」
 石灯籠や大鳥居は、ダメージソースとしては考えていない。ただ、一撃の威力を示すバロメータと考えれば、それだけの破壊力を余波として持つ一撃は間違いなく必殺の打撃。
 の、はず。
 だった。
「……………どうして……!」
 それでもなお立ち上がる、小さな赤い姿の前では……その言葉も過去形にしかならなかったが。
「だって……ローリちゃん……」
 少女の言葉は、もはや遅くはならなかった。
 その言葉の続きを最も求めているのは、他ならぬ術者自身だったから。
「………泣いてるんだもの」


 放たれたルナーの銃弾を受け止めるのは、連なり渦巻く疾風の盾。
「……相性が悪いか」
 ルナーの銃剣は、魔法の結界を断ち切り、撃ち貫く力を持つ。その特性を持ってすれば、ソニアの結界装甲といえど、意味を持たないはずなのだが……。
 目の前の黒いミニドレスの少女が操るのは、魔力を帯びぬ純然たる風。魔力に操られるだけの大気は、魔法結界を断ち切るそれらを、力任せの風圧で受け止めるだけ。
「違うわね……」
 そして広がる、黒い翼。
 その周りに渦巻くのは、無数の大気の弾丸だ。
 一発一発がルナーの弾丸以上の速さと、重さと、打撃力を持つ破壊の権化。当たれば嵐の如き暴風の力を解き放ち、触れるもの全てを引き裂き、打ち砕いてみせる。
「相性は、最高って言うのよ!」
 全方位から放たれる嵐の弾幕は、通常の身のこなしで避ける術などありはしない。
 そう。通常ならば。
「タイムコンプレッサー……」
 だが、ルナーソニアの真骨頂は、その通常を越えた先にある。
「ディスチャージ!」
 時の流れを圧縮し、爆発的な加速を生み出すその力。
 タイムコンプレッサー。
 時の流れを鈍らせるナンクンを圧倒し、一対圧倒的大多数の戦いさえ、銃剣一本で可能にする超絶の力。
 それを開放すれば、全方位から迫り来る嵐を避けきることなど、造作もない。
「……来たわね」
 しかし。
 風を操るキュウキの唇に浮かぶのは、勝利を確信した歪んだ笑みだけだ。


「泣いて……いる………?」
 少女の頬を伝うのは、熱を含んだ液体だった。
 瞳から溢れ出し、そのまま止められることもなく、ゆっくりと流れ落ち続けている。
 彼女に涙を流すという性質は備わっていない。肉体の反射運動でもなく、己自身の干渉でもないとすれば……。
「ローリの感情が……制御できていないの……?」
 自身の踏み込みも、打撃のタイミングも、間違いなく完璧だったはず。
 けれどそこにローリの意思が干渉し、呼吸を半瞬でもずらされたのであれば……必殺の一撃が必殺たり得なかったことも、理解出来る。
「あなた……ローリちゃんじゃないの……?」
 そんなローリの姿をした少女の呟きを、はいりは確かに耳にしていた。
 彼女が呼んだローリの名は、一人称ではなく、明らかに他人を呼ぶ時に使う調子。ならば、目の前のローリは、かつての菫と同じ……。
「私はナンクン……ローリの体を制御する、シャドウソニアの人工精霊……」
 紡がれた名は、今のローリが化身した、黒衣の戦士そのものの名。
 即ち、法衣に宿る人工精霊の名。
「ブルームと……同じ……? なら、なんでローリちゃんを……!」
 ソニアの戦士も、その戦衣に同じく人工精霊を宿していた。ブルームソニアを護る人工精霊ブルームは、普段は赤い晶石として、ソニアの鈴、銀の腕環の中央に輝いている。
 だが、ブルームは黙って力を貸してくれるだけ。はいりの意識を占有することはおろか、その意志に干渉してきた事すらもない。
 その人工精霊が、ローリの心を捕らえているという。
「それが我らの使命。我らが祖、蚩尤の復活のために……」
 ソニアの戦士がコスモレムリアの英知の結晶なら、シャドウソニアは蚩尤の力の落とし子だ。
 ソニアはコスモレムリアのために負の遺産を封じ、シャドウソニアは蚩尤のために封じられたその身を開放しようとする。
「そんな……ひどい……」
 対極となる存在であるが故に、宿る想い、本能の向きも対極に。
「それより、そちらの鈴を渡しなさい」
「イヤだ!」
 伸ばされた手に叩きつけられるのは、圧倒的な拒絶の意思。
 だが、その言葉の直撃を受けて、ローリの姿をしたナンクンは動きを止めた。
「理解できない。鈴を渡せば、見逃してもいいと言っているのに」
 ナンクンに与えられた命令は、ソニアの鈴を回収することだ。彼女たちの命を奪うことは手段の一つであって、優先順位はさして高くない。
「あたし、ローリちゃんを助けるって決めたから!」
 けれどナンクンの提案にも、はいりは首を振るばかり。
「だから、ローリちゃんの鈴はあんたなんかに渡せない! あなたをやっつけて、ローリちゃんも取り返す!」
「助ける? ……この状態で?」
 既に相手は立っているのがやっとの状態だ。タイムプレッシャーを発動させる必要もない。
 ほんの一歩で間合を詰めて、軽く一撃くれてやる。牽制程度の一撃だから、ローリの邪魔が入ったところで何の影響もない。
「きゃああああっ!」
 その一撃で、大きく吹き飛ぶ小さなカラダ。
 石畳に叩きつけられ、動かなくなる。
「理解出来ない。お前が求めるのは、何だ? ……力か? ……それとも、他の対価か?」
 ローリの心を探っても、見つかるのは過去の記憶の断片や、理解出来ない感情の渦ばかり。そんながらくた同然のものに、対価に値する何かがあるとはとても思えない。
「そんなのどうでも……いい……っ」
 だが、ようやく立ち上がったふらつく体は、ナンクンの口にした全てを否定する。
「あたしは、あたしがやるって決めたから……やってるだけ!」
「そこの二人も利用して?」
「り、利用なんか………」
 どうやらナンクンの指摘は、はいりの痛い部分を突くことが出来たらしい。
 精霊武装を使えないはいりでは、戦力的に難がある。殊にここ数戦は、倒れて動かない二人が主力になっていたはずだ。確かに命令を遂行するための駒としては、これ以上なく優秀だろう。
「利用なんか……してないよ」
 だが、次にナンクンの言葉を否定したのは、はいりではなく。
「わたしが、はいりちゃんを手伝いたかったの……!」
「柚ちゃん……!」
 砕け散った石灯籠の中からゆっくりと起き上がる、浅黄色の戦衣の娘。
「当たり前でしょ……」
 それに続くのは、さらなる否定の言葉。
「この馬鹿に頼まれたくらいで、この私がこんな所に来ると思う?」
 石畳から身を起こし。一度大きくふらつくものの、強い意志に貫かれた両足が、しっかりと大地を踏みしめる。
「葵ちゃん……!」
 揺れるのは、青い法衣。
「私も私がやりたいからやってるの。はいりの事なんか関係ないわ。もちろん……あんたもね」
 瞳に宿るのは、はいり以上に強い意思。
「理解……できない……」
 三人の力は、けして強くない。
 こちらがタイムプレッシャーを掛ければ……いや、それを使うまでもなく、十数える間に三人全てを地に伏せることも出来るだろう。
 けれど彼女たちは、再び起き上がるはずだ。
 納得は出来ない。
 理解も出来ない。
 だが必ずそうなる事だけは、人工精霊ナンクンにも容易く予想することが出来た。
「理解出来なくても、今までずっとそうやってきたんだから……仕方ないでしょ。この馬鹿は」
 そう呟いて、葵は小さくため息を一つ。
「もぅ。ひどいよう、葵ちゃん」
 しかし、呆れられ、侮蔑の言葉を放たれたはずなのに、当のはいりは怒る様子など見せず、ただ穏やかに笑っているだけだ。
「理解出来ない……理解……出来ない………っ!」
 叫び、ナンクンは石畳を蹴って加速。
 この相手は危険だ。
 そう、蚩尤に埋め込まれた本能が警告を上げている。いま滅ぼしておかなければ、目の前の赤い戦衣の娘は間違いなく蚩尤に対しての脅威になると。
 それだけは理解出来た。
「理解出来ないものは…………滅ぼす……っ!」
 もはやタイムプレッシャーを放つ余裕もなく、立っているのがやっとのはいりに向けて拳を振り上げる。
 それをまっすぐに叩きつけ。
「………な…………?」
 その先にあるのは、何度も拳を打ち付けた赤い戦衣ではなかった。
 黒い、魔法金属の重装甲。
 そしてそれを何層にも覆う、防御結界の円環だ。
「おしゃべりが過ぎたようね! ローリの偽物!」
 アイゼンソニアと、モータルソニア。
 無機を操る人工精霊アイゼンの重装甲に、精神を操る人工精霊モータルの魔法防御壁。
 二重の防御をもってすれば、いかなナンクンの打撃とはいえ、受け止められない道理はない。
「………なっ!」
 伸びてくるのは重装の豪腕。回避しようにも、足元に浮かび上がる無数の魔法陣が、逃げることを許さない。
「こっちだって、あんたとずっと言い合いだけしてたワケじゃないのよ!」
 叫ぶモータルの右手にあるのは、光り輝く魔道書だ。今この瞬間まで隠匿魔法で全ての感知の目を逃れていたそれは、主の強い意志を受け、今までにないほどの力を溢れさせている。
「柚、放すんじゃないわよ!」
 それはナンクンを直接捕まえるアイゼンも同じ。
 完全にホールドされた今では、いかにタイムプレッシャーを発動させて相手の動きを鈍らせようが……圧倒的なパワーとウェイトが逃げることを許さない。
「はいりちゃん!」
 そして。
「く……っ!」
 目の前に立つのは、赤い戦衣の小さな少女。
「あたし、ローリちゃんとも仲良くしたいの! 友達になりたいの! だから………っ!」
 振り上げられるのは、拳。
 アイゼンに比べればはるかに弱く。
 モータルのような異能も持たない……小さな、拳。
 けれどその拳を瞳に映したナンクンは、異様な感情に支配されていた。
「ふ……ん………。精霊武装も使えないあなたの拳など……」
 強い言葉で自らを奮い立たせ、崩れそうになる意思をひたすらに支えようとする。
「ローリちゃんの中から………」
 だが、必死で積み上げたその楼閣も、紡がれた力ある言葉、実際の動きの前には全くの無力。
 体は締め付けられたように動かず、手足も小刻みに震えるだけの役しか果たさない。
「出て……」
 踏み込みは拙く、体重の半分ほども力に換えられないだろう。
 モーションも無駄に大きく、効率が悪い。もっとコンパクトに振り抜かなければ、ここでも凄まじいパワーロスが起きてしまうはずだ。
 タイムプレッシャーを受けてはいないはずなのに、ゆっくりと迫り来る拳の一撃は……ナンクンの結界装甲の前では、毛ほどのダメージも与えられないに違いない。
 ダメージなどない。
 ないのだ。
 ないに決まっている!
 無いと言って………………誰か!
「行けぇ……っ!」
 突き出された弱い拳が、ローリの胸にぽすんと当たり。

 人工精霊ナンクンが断末魔の一瞬に理解したのは。
 恐怖、という感情だった。


 崩れ落ちたのは、嵐の結界を抜けられたキュウキではなく。
「馬鹿………な…………」
 タイムコンプレッサーを起動させた、ルナーだった。
「馬鹿はアンタでしょ?」
 甲高い声でけらけらと嗤いながら、黒いミニドレスの娘は倒れている紫の戦衣を蹴りつける。
 石畳の上をごろりと仰向けにされたルナーは、全身を貫いた重い衝撃に体の感覚を取り戻せないまま。はぁはぁと荒い息を吐く唇の端からは、細い唾液の筋がついと流れ落ちていく。
「これさ。別に、その場ですぐ爆発するわけじゃないのよねー」
 誰に語るでもなく呟いているキュウキの手に現れるのは、先ほど無数に放たれた風の弾丸、ひとつ。
 ぽろりと取り落とせば……。
 その先にあるのは、菫の細身の腹の上。
「……っ!」
 けれどキュウキの言うとおり、それは菫の腹で微かにバウンドしただけ。先ほどのように派手に爆発するどころか、戦衣の上に留まったままだ。
 風を巻いた塊だというのに、重みも衝撃も、そよ風さえも衣の上に与えない。ただわずかな風のうねりが、大気を微かに震わすだけだ。
「風の動きは世界の動き。アンタの時間加速がどこで終わるか分かってれば……」
 大気の中で動きを取れば、それは全て風となる。風の全てを把握するキュウキの前では、風を起こした段階で全ての動きを把握されているも同然だ。
「後は、簡単でしょ?」
 本命の一撃は、たった一発。
 それ以外の全ての弾丸を目くらましにして、タイムコンプレッサーの終了地点に本命の一発を仕掛ければいい。
「ほら。こうやって……」
 紫の法衣の上では、嵐の弾丸がいまだ唸りを上げたまま。
「ぼーんって。ね?」
 そして、キュウキが指をぱちりと鳴らし。


 結界の中。ルナーの絶叫が、響き渡った。


続劇
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