きゅっ。 蛍光灯の光弾くタイルの壁にシャワーの水音がはね返り、ふわふわとシャボンの泡が飛び交った。 「じゃあ、ローリちゃんは?」 目をぎゅっと瞑ってぐしぐしと頭を洗いながら、はいりは窓の外に声をかける。 「連れ去られただけだ。まだ、助かる可能性はある」 窓枠に丸まっているのは、猫らしき小動物だ。はいりの質問に答えつつ、視線は窓の外へ固定したまま。 「そっか……なら、助けるよ。あたし」 シャンプーの泡を洗い流しながら、はいりは静かに呟いた。 「無茶言うな。自分で何言ってるのか、分かってんのか?」 「でも、あの力が使える人、ローリちゃんとあたしだけなんでしょ? それに、今日の敵は何とか倒せたじゃない!」 「まあ、そうだが……っておい!」 真剣に考えられたのは、ほんのわずかの間だけ。 気が付けば、猫の体ははいりにひょいっと抱えられている。 「わーい、ふかふかー!」 裸のままで猫を抱き、柔らかな毛並みに頬を埋めて喜ぶはいり。 「コラ、やめろーっ!」 「いいじゃん別に。減るもんじゃなし」 少し汚れているようだが、どうせ今から体を洗うのだ。少々なら関係ないだろう。 「俺ぁ男だっ! しかもテメェより年上だぞ、こらぁっ!」 「オスなのは分かってるよぅ。それに、猫って一年くらいで大人になるっていうじゃん?」 必死に叫ぶが、猫の力でははいりの力にさえ敵わない。圧倒的な力でぎゅっと締め付けられ、口から呼気が漏れる。 「そういう意味じゃねえ! ぐはっ!」 「そうだ。キミ、ちゃんとお風呂入ってる? ついでだから洗っちゃうよー?」 洗面器に湯を汲み、慣れた手つきでシャンプーを取る。犬しか洗ったことはないが、猫も何とかなるだろう。たぶん。 「やーめーろーーーー!」 「あ。そういえばキミ、何て名前?」 〜華が丘1987〜 leg.3 絶望に舞うツバサ 「精霊武装が発動しない?」 闇の中に響いたのは、おっとりとした女の声だった。 「結界服の展開はしたのよねぇ? なら、そんなハズはないんだけど……」 純白のワンピースドレスをまとった美しい女だ。爪先まである長い裾をコンクリートの屋上にゆるりと広げ、ビルの端に身をもたせかけながら、不思議そうに首を傾げてみせる。 「だよなぁ」 女の前で丸まった猫はそう言うと、眠たげにあくびを一つ。猫のように見えるが、その詳細はこの世界のいかなる生物とも異なっている。 ……そもそも、猫は喋らないが。 「その割に、フォームチェンジはしちまうんだから。全然分かんねえ」 「……ソニアの複数使役を?」 猫の言葉に、おっとりした美女は訝しげに眉をひそめた。 「アイゼンを喚び出して、トウテツの眷属を一匹倒しやがった」 フォームチェンジ……複数の人工精霊を喚び出し、己の力として使いこなす術は、ソニアを使う者の最高等技術だ。変身するだけなら素養次第で誰でも出来るが、フォームチェンジとなるとそうはいかない。 「ローリは半年。あの菫でさえ三ヶ月かかったってのに……」 「うーん」 小首を傾げ、おとがいに細い指を添えて一考。 けれど、考えたところで答えは出ない。 「ま、その件は文献を当たってみるわ。貴方は、その子のことをお願い」 結論の出ない思考を中断し、女は猫の背へそっと手を伸ばした。 「……相変わらず、触らせてくれないのねぇ。貴方の背中、ふわふわして気持ちよさそうなのに」 猫のほうも慣れたものらしく、指が触れかけたところでひょいと立ち上がり、女の手をするりとかわす。 「ンなことされてたまるか。ブロッサム」 「あら、洗ってもらったの?」 「ちがーう!」 ブロッサムと呼ばれた女ははぁ、とため息を一つ吐き、ひらひらと手を振ると…… 「じゃあね。また報告があったら呼んで頂戴」 その場から、本当に姿を消した。 「病気?」 朝礼の終わった教室。一時間目の教室移動で席を立つ生徒達の中、ただ一人教壇に駆けよったのははいりだった。 「ああ。今朝、近原の親御さんから連絡があってな。体調を崩したから、しばらく休むそうだ」 海外から来たんだし、慣れないウチは調子も悪くなるさ。と、担任の教師は穏やかに笑う。 「ローリちゃん、無事だったんだ……病気で、家で寝てるって!」 「病気、ねぇ」 遅れることほんの少し。美術の教科書を提げて現われた葵と柚に、はいりはにっこりと微笑みかける。 「無事……?」 「あ、あはは、何でもないです」 その言葉に首を傾げる担任教師を、軽く笑って誤魔化しておく。 「で、どうするの? はいり」 ま、分かってるけど……といった様子で、葵は肩をすくめた。柚もはいりが次に言おうとすることを分かっているのか、にこにこと笑っているだけだ。 「そりゃ……」 「「「お見舞いに行くよ!」」」 三人の言葉が、見事にハモる。 次に弾けるのは、少女三人分の笑い声。 「……やっぱりね」 「葵ちゃんも柚ちゃんも行くよね?」 いちおうは疑問形だが、二人がお見舞いの同行を断る可能性は全く考えていないはず。 これでも、前学年からの付き合いだ。それくらいは分かる。 「……しょうがないわね」 「うん。いいよ」 「お見舞いは良いけど、あんまり近原の家の人に迷惑かけるんじゃないぞ? 兎叶」 「はーい」 担任教師の言葉をやっぱり軽く流し、三人の少女は美術室へと走り出した。 ぴん、ぽーん。 ローリの家は、田舎町には珍しい洋風の家だった。周囲に並ぶ瓦屋根と比べて、目立つこと甚だしい。 『あら、どなたかしら?』 そのうえ、玄関のチャイムは音声応答だった。 「ええっと……あ、葵ちゃんっ!」 最新の機器にどうすればいいか戸惑ったはいりは、隣の親友にバトンを放り投げるので精一杯。 「わ、私!? そんな、いきなり言われても」 葵とて、この手の機器に対応するのは初めてだ。 少女達が慌てていると、二人の影にいた少女がすいと一歩を踏み出した。 「わたし、華が丘小学校五年三組の大神柚子と申します。ローリ近原さんのお見舞いに、寄らせていただいたのですが……」 「あらあら。今開けますね」 二人が呆然と見守る中、チャイムの向こうからはローリの母親らしい穏やかな声が返ってくる。 「あ、ありがと、柚ちゃん」 「へへ……」 やがて玄関が開き、その中から現われたのは……ローリと同じ、ものすごい美人だった。 すらりと伸びた細身の体に、光の加減で金髪に見える栗色の髪。ポニーテールに結ばれたそれは、美女の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。 「ね、あれ、お母さんかな?」 まさか彼女が先程のチャイムに出ていた女性なのだろうか。それにしては、随分と若い気もするが……。 「ばっかねぇ。そんなわけないでしょ?」 「どうなんだろう……」 少女達のした反応には慣れているのだろう。長身の美女は悪戯っぽく微笑むと、庭の入口を手際よく開く。 「ローリの姉のリタリナです。ママは手が離せなかったから、代わりに私が」 「そうなんですか。ローリちゃんは……?」 リタリナはフェンスに長身を預け、軽くため息を吐く。動作の一つ一つが大きく優雅で、テレビで見たモデルのようだとはいりは思った。 きっとローリも、大きくなったらこんな美人になるに違いない。 「まだ熱が高いみたいで、寝てるのよ……。お医者さんは、ただの風邪だって言ってたけれど」 「そう……ですか」 寝ているのでは仕方ない。今日はこのまま帰ることになりそうだ。 「悪いね。また熱が下がってローリが落ち着いたら、来てくれる?」 「はいっ! それじゃ、また来ます!」 元気の良いはいりの返事に、リタリナも柔らかく微笑みかえす。 ローリの家からの帰り道。 「残念だったね、はいりちゃん」 柚子の言葉に、はいりはそれでもにっこりと笑う。 「でも、ローリちゃんが無事で良かったよ」 「それって……昨日の怪物にさらわれたって話?」 「うん。あたし、ローリちゃんがさらわれたとばかり……」 それからすれば大発展。少なくとも家にいるのなら、ひと安心だ。 「ま、家族と一緒なら大丈夫じゃない?」 「だよねーっ」 チャイム越しの母親の声は穏やかだったし、リタリナも優しそうな感じのお姉さんだった。 彼女達がいれば、ローリもすぐに元気になるだろう。 「あたし、明日もローリちゃんちに行ってみるよ!」 「その意気よ。私は一緒に行けないけど」 明日は、週に一度のダンス教室の日だ。 「えー。柚ちゃんはー?」 「わたしは……」 そこまで言いかけて、柚子は口をつぐむ。 「ちょっと、柚は明日、塾の日でしょ?」 笑顔のはいりと困り顔の柚子の間に割り込んだのは、葵だった。 「あ、そっかー。ごめんね、柚ちゃん」 「ううん。気にしないで」 屈託無く笑うはいりに、柚子も柔らかく微笑み返す。 ぎぃ、と軋んだ音を立て、扉が開く。 「ママ。帰ったわよ、あの子達」 ポニーテールをゆらりとなびかせ、リタリナはリビングのソファーに腰を下ろした。 「そう……」 向かいに座るのは、リタリナをさらに美しくした美女。リタリナと並べれば姉妹にしか見えないだろうが、れっきとした彼女の母親である。 緩くウェーブの掛かった髪をふわりと揺らし、お茶の入ったカップを優雅に口に運ぶ。 「トウテツ」 呟きと共に。 ソファーの隅にわだかまるのは、漆黒の闇。 「リーザ様。此所に」 トウテツ。 長い黒髪をまとう、漆黒の魔獣使い。 先だってローリをさらった張本人である。 「あの子が……ハウンドを倒したって言う、ソニアの鈴の持ち主?」 「はい。結界獣と共にソニアの鈴を持ち、逃亡した子供ですわ。油断しました」 トウテツは、ぎり、と唇を噛む。 鈴を持つのは、力なき獣と、もっとか弱い少女の二人組。愛しい闇の猟犬は簡単に任務を果たし、すぐに戻ってくると思ったのだが……。 結果は、全くの逆。 ハウンドは滅ぼされ、二人はのうのうと生き残っている。 「そんな感じはしなかったけどね。あの結界獣が何かやったんじゃないの?」 「貴様ぁっ! 私のハウンドが、結界獣ごときに負けると言うか!」 皮肉じみたリタリナの台詞に、膝を折っていたトウテツは思わず立ち上がる。 漆黒の魔女に対するは、どう見てもただの女子高生。だがリタリナはトウテツの魔力に屈するどころか、むしろ挑発するような笑みさえ浮かべてみせる。 「トウテツ」 その激突を止めたのは、ローリの母親……リーザだった。 「……は」 立ち上がるどころかただの一言で、漆黒の魔女は再びリーザに膝を折る。 「その子の実力、仕掛けてみれば分かるでしょう。ねえ?」 「次は、ハルピュイアを出させます」 天翔る翼の魔獣だ。ハウンドを超える機動力と、それに倍する戦闘力を持つ、完全戦闘用の闇の獣。 ハルピュイアが任務を果たせばそれで良し。もし敗れることがあれば、それは全力で葬るべき相手、ということだ。 「ええ、それでいいわ」 まるで夕食のメニューでも決めるような気安さで、リーザはにっこりと微笑む。 「ママ! あんな連中、あたしに言ってくれれば!」 「リタ。私達三人には、他にやるべき事があるでしょう?」 空になったカップをその場に置き、リーザはソファーを立ち上がる。 奥の間に続くドアをそっと開けば……。 「……うん。そうだね、ママ……」 そこにあるのは闇の渦。 中央に囚われているのは……。 彼女の娘であるはずの、ローリの姿だった。 学校まで戻ってきた一同に掛けられたのは、鋭い男の声だった。 「はいりっ!」 けれど、肝心の男の姿は無い。 声の主は、視線のはるか下……。 「あ、ニャウ」 地面スレスレの位置にある。 「その名前で呼ぶんじゃねえ! 俺の名前はニャウムだっ!」 「……だから、ニャウでしょ?」 猫らしき獣……ニャウは苛立ちながら言い返すが、肝心のはいりは理解する様子もない。この、発音の微妙な違いが理解できるはずもないか……とニャウは肩を落とす。 「そう聞こえたよねぇ、二人とも」 だが、返事はない。 「…………」 「…………」 葵も柚子も、少女と獣のやり取りを呆然と見つめているだけだ。 「…………」 そしてニャウも、今頃になって気が付いた。 「に、にゃー」 何となく、猫の真似をしてみる。 あまり似ていなかった。 「いまさら誤魔化しても遅いですわ」 「はいりちゃん。このコが……?」 「あ……うん」 「はーいーりーっ」 二人の問いに苦笑するはいりに、ニャウは小さな目を細める。 「この事は秘密だって言ったろうがっ!」 昨晩、真剣な表情でそう言ったニャウに、はいりも真剣な表情で答えてくれたはず。 だったのだが。 「だ、だって、葵ちゃんと柚ちゃんは親友だしっ!」 「親友ならなおさら巻き込むんじゃねえ!」 「……え?」 ニャウの剣幕に押され、はいりは呆然と繰り返した。 巻き込む? 「悪い。とりあえず、お前はまた巻き込んじまったらしい」 「……まさか」 よく見れば、校庭に人がいない。 今日はスポーツ少年団の活動日で、この時間はまだ大勢の団員が野球の練習をしているはずなのに。 「また結界!?」 ニャウの視線を辿っていけば、空の向こうに黒い影。 「来る! 変身しろ、はいり!」 「う、うんっ!」 猫の言葉と共に右の拳を前に突き出し、手首を支点に軽く一振り。 凛、と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音。 「解放っ!」 放たれた言霊が世界の構成を書き換え、はいりのまとう制服を、赤き戦衣へと組み替えていく。 「はいりちゃん……」 「はいり……本当だったんだ」 「うん。葵ちゃんと柚ちゃんに、嘘なんかつかないよ」 にっこりと笑うのは、ブルームソニアの名を戴く、はいりのもう一つの姿。 「こいつらは俺が何とかしてやる。お前はあのハルピュイアを。モータルフォームなら、飛べるはずだ!」 「うん。スペルリリース! モータルフォーム!」 掛け声と共に赤き戦衣の表面が青く染まり、細かなディテールが別の姿へ変わっていく。 赤が青へと置き換わり、空間から現われたホウキを掴み取れば、天翔る戦士の姿がそこにはあった。 「青い……魔法使い?」 「へへ。魔法の本はないけどね」 照れくさそうに笑うはいりに、ニャウは不安げな表情を浮かべる。 「精霊武装はやっぱり出てこないか……」 モータルソニアの真骨頂は、精霊武装『モータルグリフ』を使った魔術攻撃にある。その力の前では、空を飛ぶことなどオマケのようなものだ。 「そうみたい。でも……空飛べるの、この姿だけなんでしょ?」 「ああ……」 そのオマケのような力に頼らねばならない自分達を苦々しく思いながら、ニャウは奥歯をぎりと噛む。 しかし、ハルピュイアを相手に空を飛べなければ、戦いにさえならないというのもまた事実。 「だから、行ってくるね。ニャウは二人のこと、お願い」 「ああ。任せろ」 結界獣のニャウに出来ることは、結界を張ることと、彼女を送り出す事だけなのだから。 はいりが空へと姿を消して。 「ニャウ、とか言ったわね」 後ろから掛けられたのは、気の強そうな少女の声だった。 「何だ」 「私を戦えるようにしなさい」 本気で無茶だ。 ニャウはそう思い、ぶっきらぼうに言葉を投げ返す。 「バカ言うな」 どうやらはいりとハルピュイアが接敵したらしい。直線と鋭角を連ねて駆ける小さな影と、力強い曲線を描いて飛翔する大きな影が、それぞれの軌跡を続けざまに交わらせていく。 「だって、はいりが戦ってるのよ? それにあの子、武器がないんでしょ?」 ハルピュイアの軌道は大きく、隙が多い。はいりは小回りの利く機動性で、その隙を翻弄しているようだが……。 突いた隙に加えられる一撃がない。 「あなた達の話を聞いてれば、それくらい分かるわよ。何とかできないの?」 「出来たら俺がやっている!」 「あ……」 吐き捨てるようなニャウの言葉に、葵は息を飲む。 その時だった。 「はいりちゃんっ!」 柚子の悲鳴と共に、はいりの軌道が落下運動に転じたのは。 「はいりっ!」 「はいり!」 二人の悲鳴が、柚子に続く。 「くっ!」 飛翔用のホウキを力任せにねじ込み、機首を落下方向に重ね合わせる。流れに沿ったところでそのまま加速し、機首を引き上げて戦線復帰。 「……どうしよう」 戦ってみて分かったが、モータルフォームの装甲は驚くほどに薄かった。魔法使いだから防御力に自信がないといわれればそれまでだが、肝心の魔法まで使えないのだから話にもならない。 その上、相手の動きは速く、力は強い。 「ひゃあっ!」 紙一重で爪の追撃をかわし、ホウキの推力を全開に。 距離を取っても、解決策は浮かばない。 「せめて、アイゼンフォームの拳が使えればなぁ」 しかし、打撃重視のアイゼンフォームに変われば、今度は空が飛べなくなる。空を飛べる相手には致命的だ。 ハルピュイアが迫ってきているのに気付き、慌てて加速。 しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。 「早くやっつけないと……」 そう思った瞬間。 「ッ!?」 打撃は、上から来た。 大地に墜ちたはいりのもとに駆けよってきたのは、守るべき友人達だった。 「はいりっ!」 「はいりちゃん!」 「バカ、出るなっ!」 少し遅れて、ニャウも走り寄ってくる。 「みんな……」 ゆっくりと立ち上がり、はいりはにっこりと笑う。 「ごめんね。すぐあいつ、やっつけるから」 ふらつく足でホウキを構え、崩れそうになる体を無理矢理にまたがらせる。 「やっつけるって……勝ち目はないんでしょ?」 こんな状態で飛んでも、結果は見えている。そもそも戦える武器がないのだから、ダメージを受けに行くだけではないか。 「でも、あたしがやらないと……」 「ああもう、見てられないわ!」 大切な友を戦場に送らないため。最後の飛翔にさせないために、葵は思わずはいりを抱きしめた。 揺れるはいりの腕の先、鈴の音が凛と鳴る。 「行かないで良いよ、はいり」 「でも……」 「勝てないんでしょ?」 「う……」 口をつぐんだはいりの言葉を継いだのは……。 「おいガキ」 「何よ、バカ猫」 はいりを抱きしめたまま、葵は答える。 「お前、何とかしたいって言ったな」 「言ったわよ」 だからといって、はいりを離す気などはない。彼女一人を死地に送り出すくらいなら、ここで一緒に死んだ方がいくらかマシだった。 天国だろうが地獄だろうが。はいり達と一緒なら、少しは楽しいはずだから。 「お前なら何とか出来るかもしれん」 「……え?」 その時だった。 「はいりちゃんっ!」 大地スレスレを飛翔するハルピュイアが、彼女達の前で巨大な爪を振り上げたのは。 「ッ!」 「はいりっ!」 空の魔獣の鋭い爪が、はいりの体を……。 貫くはずの衝撃は、いつまで経っても来なかった。 赤い戦衣で防御の姿勢を取ったまま、はいりは呆然と呟く。 「……え?」 赤い、戦衣だ。 モータルフォームの蒼い戦衣ではなく、フォームチェンジをする前の、ブルームソニアの赤い戦衣。 はいりの目の前。 蒼い戦衣を翻すのは……。 「葵……ちゃん?」 雀原葵。 はいりの、大切な親友の姿。 眼前にあるはずのハルピュイアは、今は空の彼方にある。唐突に現われた魔力の強さに、慌てて距離を取ったらしい。 「ちょっとは見直したわよ、バカ猫」 「うっさい。ガキ」 呆然としたままのはいりに親友が向けるのは、晴れやかな笑顔だ。 「あなたの力、分けてもらったわよ」 「え……?」 見れば、四つの環を連ねていたソニアの鈴が、三連になっている。 失われたリングは……。 「はいり。あなたはここで待ってて」 凛、と腕を一振りすれば、虚空から現われるのは青色の魔術書だ。ソニアの鈴をはめた腕でそれを執り、葵はホウキに横座りに。 「葵ちゃんは!?」 ホウキは少女の意志のまま、ふわりと空に舞い上がる。 「ちょっと、あいつを叩き落としてくるから」 青のソニア。 モータルソニア、出陣。 |