3.動き出すメガリ
青い空を飛ぶ影に、言葉はない。
山の端の宿営を引き払った後、半人半鳥のトリスアギオンは黒金の騎士を吊り下げて、一路西へと向かっていた。 セノーテが向かうのは、大陸の西海に浮かぶウナイシュ島。ソフィア達が行方を消したと言われる場所だ。
(そこに、母様がいるって言うけど……)
それが本当かは分からない。
そもそもセノーテが本当に味方かすらも分からないのだ。ホエキンを沈め、イズミルやマグナ・エクリシアをおかしくした者達の一員という可能性も未だに残っている。
(……でも、イサイアスの城にいるよりはよっぽどいい)
既に山地は抜け、イサイアスの東に広がる湖に差し掛かっていた。湖の対岸に小さく見えるのは、陽光を受けて輝くイサイアスの城壁である。
この状況も虜囚と言えばそうなのかもしれないが……あのまま城の一室に囚われ、脱出計画を練っているよりは、マシな状況と言って良いはずだった。
例えこれが、罠だったとしても。
そんな事を考えていると、やがて機体がぐらりと揺れる。
「ちょっと何よ。落とすつもり?」
いつもの習慣で伝声管に声を掛けてから気付く。
トリスアギオン用の伝声管は、セット運用が前提とされていたエイコーンとケライノー用に作られた仕掛けであり、普通のトリスアギオンにはない仕掛けだ。他に付いているのは同様の運用が考えられていたペトラのアンピトリオンくらいだから、言った所で答えが返ってくるはずもない。
「……湖面は時々気流が乱れますから」
けれど、金属の管を通って返ってきたのは、あの白銀の髪の娘の声だった。
「……何か?」
「ううん……何でもない」
よく考えれば、セノーテの父はあのククロだ。
可変型トリスアギオンなどという凝った機体を思いつくのは彼くらいだろうし、何かのためにと伝声管を乗せていても不思議ではない。
「文句を言うなら貴女もバランスを取って下さい」
山から下りてくる風もあるし、上下に行き来する突風もある。ただでさえ大きな荷物を吊り下げて飛んでいるのだから、乱流に巻き込まれればバランスを崩すのは当たり前だ。
「バランス……?」
だが、少女の言葉にカズネは首を傾げるだけ。
「だって、ダンはそんな事……」
訓練と称してイズミルの周辺に遊びに出る時も、山地に遠出した時も、一度もそんな事を言われた事はない。移動中はただ吊り下げられているだけだったし、戦闘中でさえカズネはただ攻撃と防御に集中するだけで良かったのだ。
「ダン?」
「イズミルで一緒にいたでしょ。あたしとペトラとダン。黒い髪がツンツンしてて、おっきくてぼーっとしてるほう」
それは、ほんの数日前の話。
イズミルに久方ぶりに戻ってきたというセノーテと初めて会った時、三人はいつものように一緒だった。
だが、イズミルでペトラと別れ、メガリ・イサイアスでダンと別れ……。
ほんの数日の事なのに、何もかもが遠い昔のことのよう。
そんな想いを一瞬抱いたカズネだが、我に返った時にも伝声管からは何の言葉も響いては来ない。
「……セノーテ? ねえ、セノーテってば」
そう呼びかけても、やはり返事はない。もう三度ほど呼びかけたところで、ようやく少女の反応が戻ってきた。
「……優秀な駆り手なのですね、そのかたは」
「そうなのかなぁ……。でもそのバランスを保つのって、そんなに大変なの?」
「そもそもこんな運用で戦う事自体、ありませんから」
ただでさえ飛行機体を制御するのは難しいのだ。それは、飛行機体の建造技術が安定した現在でも全てのトリスアギオンが飛ばずにいる事からも分かる。
そこに重量物を吊り下げて……さらに言えば一切バランス取りの概念を持たない荷物が勝手に暴れる所まで加味した上で……戦闘に臨むなど、並の駆り手に出来る事ではない。
「…………そう、なんだ」
伝声管の向こうの少女は小さく呟き、それきり次の言葉が聞こえてくる事はない。
キングアーツの西部には、巨大な湾が広がっている。王国最古級のメガリであるニルハルゼアからインバネッサを巡り、イサイアスの西方を通る弧を描く、内海とでも呼ぶべき領域だ。
そのニルハルゼアの対岸。彼の地を上顎に例えれば、下顎に相当する半島の先に、ダン達の目指す場所はあった。
メガリ・ヘデントール。
ニルハルゼア対岸の開拓のために作られた、キングアーツ最新の前線基地である。
「……なるほど。事情は分かった」
その執務室でダンやエレ達の話を聞いていた男は、少年達の言葉に静かに頷いてみせた。
ソフィアが行方不明になったのは、それこそヘデントールの調査領域の中だ。彼としても力になりたくはあるし、それを防げなかった責任を感じてもいる。
「だが、さすがに兵までは動かせんぞ」
キングアーツ最新のメガリとはいえ、ヘデントールは辺境の前線基地でしかない。海と滅びの原野に囲まれた地形は周囲の干渉を受けにくく、攻めるに難い地形ではあるが、それは裏を返せばこちらから攻め出るにも難しいという事だ。
神揚製の輸送鯨もあるにはあるが、それも十分な数があるわけでもない。
「今いただいている支援だけで十分です。これ以上の無理は、さすがにお願い出来ません」
物資の補給と、ヴァルキュリアたちジョーレッセ一家の保護。王都で動くための幾つかの紹介状。そして工廠では、ケライノーの修理作業も行なわれていた。
いくらアーデルベルトの権限が大きくても、これ以上のダン達への力添えは問題行為と取られても仕方ないだろう。
「迷惑を掛けるな、アーデルベルト」
ヴァルキュリアの言葉にも、アーデルベルトは小さく首を振るだけだ。
「お互い様だ」
アーデルベルトにも妻子はいる。子供達は既に独り立ちし、ヴァルキュリアの娘達のように小さくはなかったが……同じように城を預かる身としては、けっして他人事と放っておけるものではない。
「……で、アタシらはこれからどうするんだ? 王都か」
「はい。エレさんは、用意が出来たらすぐに王都に発ってもらえますか?」
「アタシはって……ダンはどうするんだ?」
娘達のいるヴァルキュリアがヘデントールに残るのは分かる。だがダンの口ぶりは、彼も王都に同行しないと言っているかのようだった。
「……カズネ姫が心配なのは分かるが、イサイアスに戻るのは勧められんぞ?」
カズネという新たな手札を得たイサイアスがイズミル侵攻への意識を加速させるのは間違いない。そのぶん警戒も厳しくなるだろうし、兵の数も増えるだろう。
いくら彼の駆るケライノーが機動力に長けた機体とはいえ、そんな場所に単身で飛び込んでも出来る事などないはずだ。
「……分かってます。そっちじゃありません」
本当はその想いを必死に押し殺しているのだろう。
両の手を白くなるほどに握り締めた彼が、口にした場所は……。
「セノーテ! セノーテってば!」
ずっと沈黙を守っていた伝声管から再びカズネの声が響き渡ったのは、イサイアス湖を渡り終えて少ししての事だった。
「……何ですか?」
「あのトリスアギオンは何!?」
吊り下げられた黒金の騎士が指差す彼方には、十機ほどの大型機が行軍を行なっていた。機体の瞳を望遠にして確かめれば、肩部装甲に刻まれているのはメガリ・イサイアスの紋章だ。
「……イサイアスの先遣隊ですね」
軍を動すと言っても、いきなり全軍を動かすわけではない。偵察や地形調査、相手国の警戒などを行なう少数の部隊を先行させる事がほとんどだ。
とはいえ、トリスアギオンの十機ともなれば一個中隊規模である。小規模な城塞ならば十分に落とせるし、相手が内側をクーデターによって食い潰されて本来の機能を失っているなら、国境要塞すら陥としきるだろう。
「……セノーテ」
メガリ・イサイアスから南に向かう一個中隊の重騎士を上空から見遣り、カズネは小さくその名を呼んだ。
「進路を、南に取れない?」
「イズミルですか」
「ええ。悪いけど、ウナイシュ島には行けない」
イサイアスの城塞を逃げた後、どうすればいいのか……どうするべきなのか、カズネの中に見えてこなかった。だからこそ、セノーテの誘いが罠であっても応じ、彼女の動くままに任せていたのだが……。
目の前のその光景は、大人しく見逃せるはずがない。
「母様の命令違反になるって言うなら、あたし一人でも行くわ」
無謀なのは分かっていた。
たった一人で国境を越え、イズミルに戻った所で、恐らくは何も出来ないだろう事も。
しかしそれでも、イズミルがイサイアスの手に落ちてしまえばおしまいだ。彼女達の出来る事は今以上になくなり、神揚との戦も始まってしまう。
「ここから歩いたところでどうにもならないでしょう」
セノーテの言う事は正しい。
ここから徒歩でイズミルに向かったところで、先遣隊に先行することは難しいだろう。
「……それでもよ」
しかしそれでも、彼女は向かわねばならないのだ。
彼女がイズミルの一員である以上。
その指に金月の指輪を戴く身である以上。
「それに……母様なら、きっとイズミルに行かせると思うわ」
そう口にした瞬間、二人の乗る機体がぐらぐらと揺れる。
「セノーテ、お願い!」
エイコーンの手足を動かし、カズネは空中でのバランスを取ろうとするが……吊り下げられた機体で補える限界を超えているのだろう。揺れはなかなか治まらない。
「……セノーテ?」
彼方のトリスアギオン部隊はまだこちらには気付いていないようだ。もちろん、こちらの感知出来る外からの奇襲を受けたわけでもない。
原因は……頭上。
「ちょっと、セノーテ!?」
制御を失った機体の中。カズネは声しか届けられない相手に、必死で呼びかけを続けていく。
続劇
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