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2.セノーテの正体

 ネクロポリスの円卓で食事をしながら。ペトラが目を向けたのは、タロの隣で野菜の炒め物をつまんでいるソフィアだった。
「ソフィア様は……僕の事をご存じなんですよね?」
「ええ。380年のそちらでは、行方不明にでもなってる?」
「大騒ぎですよ。カズネも母様も、すごく心配してます」
 見かけだけではない。物言いも身のこなしも、ペトラの良く知るソフィアのものだ。
 二人のやり取りに興味ないかのように食事をしているタロも、恐らくソフィアと行動を共にして、ホエキンごとこの世界にやってきたのだろう。
「ウナイシュでホエキンが襲撃されてね。しかも相手が転移術でホエキンを飛ばそうとしてきて……」
 敵からすれば、ウナイシュから引き離せればどこでも良かったはずだ。術を受けた感じでは通常の転移神術と変わりなかったから、せいぜい神揚の果てに飛ばされるくらいだろうと思っていたのだが……。
「気が付いたら、ここにね」
「襲われたって……どんな相手だったんですか?」
 この時代に来る前に、あの時代のアレク達から聞いた話を思い出す。
「緑色の、見た事もない大きな機体だった。たぶんトリスアギオンだとは思うけど……細かい所は良く分からないわね」
 どこかぼかすような物言いだ。
 恐らくソフィアは、その事以上に気付き、見抜いた情報があるのだろう。あえてそれを口にしないのは、十三年前の者達が同席している事と……彼女の中でも、確固たる証拠があるわけではないからだろう。
 もちろんそれは、ペトラも口を挟むことではない。ただ小さく頷いて、理解した素振りを見せるだけだ。
「ですが、驚きましたよ。実際に時間転移を目に出来るとはね」
 転移神術は空間を操る技だ。故に、空間に歪みが生まれていれば、それに引きずられて違う場所に出る事がある。
 それと同じ理屈で、時間側に歪みが生まれれば、それに引きずられて別の時間に出てしまう可能性は確かにあった。
 だが、時間を歪ませる神術がいまだ編み出されてはいない以上、それは理論上の現象であって、実際にそれが確かめられるのははるか未来の出来事……だったはずなのだが。
「可能性としては、他の誰かが前後に使った時間移動の余波を受けたと考えるのが自然ですが……」
「時巡りはないだろうし……それ以外の時間移動か」
 記憶だけでも大幅な犠牲を強いる術式だ。記憶どころか肉体まで行き来させる神術など、未来のロッセさえ実用化には至らずにいる。
「……セノーテ」
 そんな話の中でペトラが口にしたのは、あの白銀の髪の娘の名だった。
「セノーテ? セノーテ・クオリアのこと?」
「はい。僕がこの時代に来たのは、セノーテが案内してくれたからで……」
 数日という前後はあるが、ペトラも同じように過去へとやってきたのだ。彼女の使った術がどんな術だったのかは分からないが、その余波にソフィアが巻き込まれたと考えれば、時間転移もこの時間に流れ着いたことも、ある程度は説明が付く。
「セノーテ・クオリアか……」
「……さっきの戦いも、連中は僕じゃなくて、セノーテを狙っているようでした」
 襲撃の直後は、未来の知識を持つペトラが狙われたのかとも思ったのだ。しかし刺客達はペトラの事など初めから眼中にないようで、見えない神獣達がさらったのもセノーテだった。
「……セノーテって、一体何者なんですか?」
 ククロの娘だという事は知っている。
 しかしそれ以外は、分からない事が多すぎた。
 時を越える術を使えたこともそうだし、そこで告げられた言葉の真意も分からないまま。
 何より、どうしてこの時代にイズミルにいたセノーテを、十三年後のペトラ達はあの日まで知らなかったのか……。
 ペトラもククロも、ずっとイズミルにいたはずなのに。
「セノーテは……」


 薄紫の空を舞うのは、巨大な飛行鯨だった。
 タロの駆る輸送用のそれではない。対空神術を封じられた神術火器や、神揚の金属をキングアーツの技術で加工した火砲などを備えた、空中戦艦とでも呼ぶべき騎体である。
「…………」
 キングアーツ製の鋼板に覆われた狭い廊下を歩くのは、ペトラ達の元から連れ去られた白銀の髪の娘だった。鹵獲されたバルミュラから引きずり出された彼女は既に武装も取り上げられ、白く細い腕は後ろで縛り上げられている。
「入れ」
 彼女を縛るロープの端を握っていた兵に促されるまま通されたのは、船の中央、分厚い壁に囲まれた一室だ。
「……お連れ致しました。長よ」
「貴様ら、何をやっておる!」
 その部屋で待っていた人物が兵の報告に返すのは、労いの言葉ではなく叱責の声。
「我らが主にそのような振る舞いがあるか。無礼であろう!」
 薄暗がりの上座からぬるりと姿を見せたのは、深い皺に覆われた枯れ木のような老爺であった。孫どころか曾孫にも見える幼い少女に迷いなく膝を着いて両手を合わせ、深く頭を垂れてみせる。
 奴隷が主人に額ずくように。
 信徒が神を伏し拝むように。
 それは神揚の、最大級の服従の姿勢であった。
「我輩は風然・ヒサと申します。手の者が失礼を致しました。……平に、ご容赦下さいませ」
 だが、兵達を叱責し、恭しい態度を取りながらも、風然と名乗った老人はセノーテの戒めを解こうとする様子はない。
 従いながらも、セノーテの真意を……警戒を、いまだ計りかねているのだろう。
「お目通りがかないまして光栄の至り」
 そんな老人の振る舞いを前にしても、セノーテの表情は変わらない。ただつまらない物を見るかのように、枯れ木の老人の姿を瞳に映しているだけだ。
 その表情は。
「セノーテ・ヒサ神王陛下」
 呼ばれた真の名に、どこか不機嫌そうに見えるもの。


「セノーテが……神王?」
 それは、イズミルの歴史を語る上では必ず口にされる名前の一つ。この黒大理の都のかつての主にして、イズミルを巡る最大の戦いの発端となった人物だ。
 イズミルに生えた世界樹での戦いでソフィア達と刃を交え、世界樹と共に消えたと聞いていた。だからこそペトラ達の時代には、それらの脅威は残っていないのだと。
「でも、神王って……」
 千茅は、その戦いにも加わっていた。そこで目にした神王は珀牙の体に宿り、一騎当千の剣技で散々イズミルの将達を苦しめたのだ。
「……女性ですよ。珀牙さんだって、珀亜さんの体に入っていた時期があったでしょう?」
 ソフィアからの書状を読み終えたのだろう。シャトワールはそれをロッセに渡し、改めてペトラ達へと向き直る。
「そういえば、アディシャヤさんは神王さまの魂を受け入れた事があるんだっけ」
 クズキリ兄妹の機転で珀牙の体を追い出された神王の魂を受け入れたのは、確かにシャトワールだった。しかしあの戦いの後、神王はシャトワールの中で眠りにつき、歴史の表舞台から姿を消したのではなかったか。
 そして既に去った脅威として、イズミルの戦史に刻まれたはず。
「二つの魂が一つの体にずっと居続けるのは良くないと沙灯達から言われまして。……ちょうどククロさんが新しい体を用意してくれましたから、珀亜さん達に手伝ってもらって、神王様の魂はそちらに」
「……ククロのヤツ、そんな大事なこと黙ってたのか」
 恐らくは余計な混乱を避けるために、養女という事にしたのだろう。その気持ちも理解出来ないではないが、いくらなんでも気を回しすぎだ。
「恐らくは、神王の頃の知識で時間を越えたのでしょう。神術か、ネクロポリスの技術かは分かりませんが」
「そっか……セノーテが、ね」
 神王の時代に存在した古代の神術体系も、ネクロポリスの超技術も、まだまだ解明されていない事ばかり。シャトワール達もそれを紐解こうとしているが、ほんの数年の研究ではなかなか目立った成果も出てこない。
「で、神王はまだ何か悪い事を考えてるのか?」
 だが、セノーテが本当に神王だというなら、いまだヒサ家の妄執に囚われている可能性も少なくない。
 あの時、二度目の大後退を起こそうとしたように。
「セノーテが……敵?」
「ペトラはどう思いますか?」
 奉の問いに答えるより先にシャトワールが視線を向けたのは、未来から来た少年だった。
「僕は……」
 静かに呟き、思い出す。
 あの逃亡の夜のことを。
「……セノーテは、信じて欲しいって言いました」
 彼女の向けた、瞳のことを。
「僕も……信じたいです」
 この世界ですべき事があると言った、彼女の事を。
「だから、この時代のセノーテも助けたいです」
 あの時代に戻る前に。
 彼女を助け、自分のすべき事を成すために。
「だから……力を貸してもらえませんか?」
 ペトラ一人の力など知れている。
 そして、この世界ではその力はさらに小さい。
 だからこそ、頼る。
 かつて敵だった相手のために力を貸すのは抵抗があるかもしれないが……それでも力を貸して欲しいと、そう思ったのだ。
「俺は初めから部下を取り返しに行くつもりだよ」
「奉さん……!」
 静かに呟く奉の言葉に涙を浮かべ。
「ペトラさんの大切な人ですもんね」
 微笑む千茅の言葉に、思わず頬を赤らめる。
「……事情は分かりました。元の時間に戻る方法は、こちらで何とか考えましょう」
 そんな少年の様子に場に久しぶりの笑いが戻ったのと、ロッセが書状を読み終えたのは……ほぼ同時だった。
「セノーテが神王……ヒサ家の開祖というなら、その力を欲しているのは恐らくヒサ家の現当主でしょう」
 今のヒサ家で時巡りの術を使える術者は、既に当主一人のはず。新しく子供が生まれたという噂も聞くが、まだ秘儀を会得するだけの力も思いも十分ではないだろう。
 だとすれば、彼の一族はその隙を埋める力や、それ以上の何かを渇望しているはずだ。
「じゃあ、セノーテは神揚に……?」
「いえ……その可能性は薄いでしょう」
 神揚帝国の闇に厳然たる影響力を持つヒサ家のこと。もっと動きやすく、人目に付かない隠れ場所も幾つも持っているはずだ。
「数日は情報収集です。あなた方の機体も修理せねばなりませんしね」
 見当すべき情報は足りないし、奉達の神獣もダメージが大きい。ペトラのアンピトリオンに至っては、全てがこの時代にない規格だからなおのこと手間がかかるはずだ。
「そんな……」
「あてもなく彷徨って見つかる相手ではありませんよ。まずは食事でもして落ち着きなさい」
 ぴしゃりと言い放たれて、ペトラは思わず口をつぐむ。
 実際、セノーテ達がどこにいるかも分からないのだ。彼自身、あてもなく彷徨って行き倒れたのはつい先日の事だし、彼の言葉にも反論のしようがない。
「……だったら、ソフィア様」
 ロッセの言葉に何事かを考えていたペトラは、やがて顔を上げると、金髪の美女へと向き直る。
「僕に、改めて剣を教えてもらえませんか?」
 今までの戦いで、ペトラの剣はほとんど通用しなかった。ほんの数日の稽古で出来る事など知れているだろうが……それでも、しないよりはマシだろう。
「手加減はしないわよ?」
「戦場では、誰も手加減なんかしてくれませんから」
 たっぷりの餡の掛けられた肉を飲み込んで、ソフィアは少年剣士に楽しそうに微笑んでみせる。


続劇

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