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3.空賊船オルエース号

 薄紫の空を舞うのは、ホエキンよりもふた回りほど小さく、細身の船体を備えた紺色の飛行鯨である。
 オル級飛行鯨。
 輸送用に特化された大型のホエ級飛行鯨とは違う、快速な移動と機動性に重点を置いて建造された、鯱の如き高速艦である。
 外部ブースターによる急加速を終え、通常巡航に移ったその船の艦橋に姿を見せたのは……船内に機体の収容を終えた、大柄な少年だった。
「お久しぶりです、エレさん」
「……こんな時間にカズネ連れて滅びの原野なんざ、二人で駆け落ちでもしたか?」
 エレの冗談にも、ダンの影にいたカズネはふて腐れた様子を隠さない。
「ンだよ。カズネも久しぶりなんだから、ちったぁ愛想笑いでも見せたらどうだ、こらっ!」
「ひゃ……ちょっと、やめてったら、エレ!」
 白髪交じりの髪にそぐわない力強さで抱きしめるのは、太い腕。最初はカズネの長い金髪をワシワシと撫でていた手は、やがて胸元へ淀みなく流れていく。
「なんだ。胸も結構あんじゃねーか」
「ひゃぁああぁぁぁっ!」
「……助かったぞ、エレ」
 暴れるカズネを押さえつけていたエレに淡々と礼の言葉を口にしたのは、二人から少し遅れて艦橋に入って来た白い髪の女だった。
 彼女はその手に幼子を抱きかかえ、足元にも五つか六つほどの子供をしがみ付かせている。
「あ、かずね……だん……」
 この船に乗り込んでから、知らない大人達ばかりだったのだ。ようやく知った顔を見つけ、足元の子供はほんの少し安心した表情を見せるが……。
「……オルエース号は空賊船で、託児所じゃねえんだがな」
 カズネを抱きしめたまま笑顔を向ける大柄な女に驚いたのか、再びヴァルの足にしがみ付いてしまう。
「少々人見知りするが、大人しい娘達だ。迷惑はかけん」
 そんな娘の白い髪をあやすように撫でる母親の様子に、エレは時の流れを感じるばかりだ。
「まあ、つまみ食いしていいってんなら……」
「殺すぞ」
「……相変わらず冗談の通じねえ奴だなぁ」
 とはいえ、二十年かけて変わる所もあれば、変わらない所もあるらしい。
「貴様のそれは冗談ではないだろう」
 もっともそう言ったエレも、二十年を経てさして性格が変わったという自覚もないのだが。
「うぅ……もういい? エレ」
「おう。ちったあ元気になったか」
 大きな瞳に浮かぶ涙を指先でそっと拭い、エレは抱えたままだった少女を解放してやる。
「……ありがと。エレとヴァルは、あたしの知ってる二人だ」
 女の振る舞いは乱暴で傍若無人なものだったが、カズネ達のよく知るそれと変わりなかった。あの日の晩に見た万里やアレク、こちらを追いかけてきたハーピー達のまとう空気とは明らかに違う。
「かずねー!」
「フリスも無事だったんだ。良かった」
 そんな彼女に飛び付いてきたのは、ヴァルキュリアの足にしがみ付いていた子供だった。ぴったりとくっついてくる幼子を抱きしめて、母親似の白い髪にそっと自身の頭を押し当てる。
「……で、何があった。お前ら」
 妹分の幼子をあやすカズネの様子を眺めながら。
「前置きは良いから、全部話せ」
 女空賊の瞳は二十年前から変わらぬ、獣のように荒々しいそれへと変わっている。


 艦の制御を部下達に預け。
 艦橋の一角に設えられたソファーに身を投げ出したエレがカズネ達の話を聞き終えたのは、薄紫の空に朝日が昇りきった頃だった。
「……なるほどなぁ。イズミルとマグナ・エクリシアが」
 女王たる万里やアレク、駐留する兵士達の突然の豹変。
 そして、流れるような城塞の占拠。
「本当に突然だったからな……。近くを回っていたエレに連絡を取るので、精一杯だった」
「根っこは同じっぽいが、犯人も分かんねえか」
「分かれば苦労せん」
 偶然と言うには出来すぎたタイミングだし、将の誰一人としてクーデターの予兆に気付かないなどさすがに不可解すぎる。
 そこまではヴァルキュリアにも想像が付くが、かといってその先は闇に包まれたままだ。
「だいたい分かった。……で、これからどこに行く気なんだ?」
 イズミルにはアーレスやリーティのように異変に巻き込まれていない将も多く残っている。彼らの性格を考えれば、個別に動いているだろう事は想像に難くない。
 彼らと合流する手もあるだろうし、新たな戦力を頼みに各地を回るという考えもある。
「どうするって……力、貸してくれるの?」
「エレさんに迷惑がかかるんじゃ……」
「バーカ。姫さんや環が恐くて空賊なんかやってられるかよ」
 先程自身で口にしたように、今のエレは空中海賊の頭領を称していた。
「私掠船免状出してるの、万里様じゃ……」
 ただ、正確に言えばエレは無法行為を働く本来の意味の空賊ではない。
 私掠船免状と呼ばれる許可状を三国から与えられた彼女達が狙うのは、国の許可を得ていない非合法取引や、本物の空中海賊達だ。空賊と名乗ってはいるが、その立場としては商人の私設軍や軍の遊撃部隊の方が近い。
「こまけえことはいいんだよ! 二度と勃たなくしてやろうか?」
「いやちょ、それは……ッ!」
 さらりと口にされた恐ろしい台詞に本気で怯えるダンを楽しそうに眺めながら、エレが浮かべるのは不敵な笑みだ。
「それにどっちが悪いかなんざ、アタシくらいになると匂いで分かんだよ」
 イズミルが独立するまでも、それからも。
 この二十年近い時を、彼女はその嗅覚と直感で乗り切ってきたのだ。その感覚は今なお現役で、衰えてはいない。
「え、あ……。昨日お風呂入ってないから……臭う?」
「そういうのも嫌いじゃねえけどな。……で、ダン。お前はどうするつもりだった?」
 先程の戦いであえて派手に振る舞っていたのは、少年の機転だという。あの急な状況でそこまで判断出来るなら、恐らくはこの後……エレと合流出来ず、マグナ・エクリシアの協力も得られなかった場合……の事も考えていたはずだ。
「俺は……マグナ・エクリシアがダメなら、メガリ・イサイアス経由でグランアーツに行こうと思ってました」
 ダンは女空賊が唐突に向けた視線に驚いたようだったが、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「そこからイズミルに縁のある諸侯なり商会なりに、情報収集や支援を求めようかと」
「そうか。ロッセと瑠璃は王都にいるのだったな……」
 ダンの両親は、イズミルの大使としてキングアーツの王都に出向いている。大陸北部で今の状況を立て直すなら、確かに彼らに頼るという判断は間違っていない。
「どうかしたんですか?」
 だが、ダンの言葉にエレの瞳は鋭さを残したまま。
 彼の意見に不満があるわけではないのだろう。気に入らないなら、即座にそれを蹴り飛ばせる女だ。
 意見でも、相手自身でも。
「いや……実際に見たほうが早ええな」
 やがて小さくそう呟いて、ヴァルキュリアに向けた表情は……いつもの肩の力の抜けたもの。
「ヴァルはどうする?」
「イズミルを頼れんなら、選択肢はないな」
 ソファーの隅でくうくうと寝息と立てている二人の娘をあやすように撫でてやりながら、ヴァルキュリアも頷いてみせる。
「なら決まりだな。我がオルエース号はメガリ・イサイアスに向かう。……いいな野郎ども」
 不安そうに眠る子供達を起こさないように小声で上げられた叫びに、艦橋に詰めるエレの部下達も小声で応じてみせるのだった。


 エレとの話が一段落ついて。
 短い仮眠を終えたカズネが足を向けたのは、オルエースの後部に備えられたアームコートの格納庫だった。
「……ダン」
 そこで作業をしていたのは、この艦で彼女が最も見慣れた相手。
「どした」
「……この盾、どうしたの?」
 格納庫で休む彼女の機体には、新たな大盾が組み付けられていた。ダンがしているのは、赤銅色のそれを黒と金に塗り直す作業だ。
 戦場ではともかく、これからの場であり合わせの装備を使っているという印象は、マイナスに働く事も少なくないだろう。半ばハッタリではあるが、時にはそれが必要な場面もあるのだ。
「ああ。エレさんが、使って良いって」
 以前この艦に乗っていた、エレの相棒の物らしい。予備の装備として残していたが、機動性を重視するこの艦の駆り手には使いこなせる者がおらず、倉庫の隅で埃を被っていたのだという。
 古くはあったが、良い素材を使っていたせいか劣化もない。今のエイコーンには大きな力となるだろう。
「カズネ」
 彼女の新たな力に黒い塗料を塗りながら、ダンは少女の名を呼んだ。
「……あの時、なんで突っ込んだ」
 それがいつの事か、もちろんカズネにも分かっていた。
 つい先程の、マグナ・エクリシアでの戦いのことだ。
「それは……」
「さっき、エレさんに事情を話した時も誤魔化したよな?」
 ヴァルキュリアやエレも彼女の気持ちを察してか、軽く流していたし、ダンもあの場をかき乱すつもりはなかったから多くは喋らずにいたが……。
 本来であれば、軽く流せる場面ではない。
 彼女の判断でヴァルキュリアとの連携は乱れ、ヘタをすればエレとの合流も出来ない所だったのだ。
「…………」
 少年の問いに、少女は貝のように口をつぐんだまま。
 オルエースの格納庫に響くのは、飛行鯨の機関音と、大盾に走る刷毛の音だけだ。
 やがて。
「……ミラコリが言ってたの」
 ぽつりと口にしたのは、短い言葉。
「ホエキンを墜としたのは、燃えるような翼のバルミュラだった、って」
 あの凶報を聞いて、まだ一日と経っていないのだ。
 気持ちの整理も出来ていないだろうその状況で、万里に刃を向けられ、マグナ・エクリシアを追われ……。
 そこで両親の仇を目の前にして、平静を保てという方が無理な相談だろう。
 その気持ちは分かる。
「別に隠すような事じゃないだろ」
 けれど、それとこれとは別問題だ。
「……母様の仇は、あたしが討つわ」
 小さく呟き向けるのは、左の中指に嵌められた小さな指輪。
 金色の月をあしらったその指輪は、万里の持つ銀の太陽と対になる品だ。イズミルの主としての証となる、万里から託されたソフィアの想い。
「なあ、カズネ」
 そんな少女の名を、ダンは改めて口にする。
「……アレ、使ってやろうか?」
「……やめてよ」
 少年の言葉が何を意味するものか、カズネは良く知っていた。しかしそれを……知っているからこそ、彼女は否定するしかない。
「でも……」
 ソフィアはおらず、万里は刃を突き付けてきた。環達とは引き離され……頼れる勢力は、ほんのわずか。
「やめてって言ってるでしょ!」
 吐き捨てられるような叫びに、刷毛を動かしていた手が止まる。
「けどよ……今のお前じゃ、セノーテには勝てねえぞ」
 格納庫に入ってきた時以上に苛立ちを露わにするカズネに掛けられたのは、突き放すようなダンのひと言だった。
「何よ。……さっきだって、ダンがもっと突っ込んでくれれば良い勝負出来たのに」
「何が良い勝負だ。そんなんだから、勝てないって言うんだよ。頭冷やせ」
 戦いで必要なのは、相手との技量の差を見極める事だ。
 差がある事自体は問題ではない。その差を正しく認識し、埋めるために何が出来るかが問題なのだ。
 けれど見境無しに突っ込む今のカズネでは……。
「勝てないのはダンのせいでしょ! 次は絶対倒すんだから、ちゃんと動いてよね!」
 ヴァルキュリアを守ってハーピーと戦った時には出来たのだ。だとすれば、それと同じ事はセノーテ相手に出来ないはずがない。
 カズネの翼はダンなのだ。
 それが彼女の思い通りに動くなら、どんな敵にも勝てるだろう。
「だから、そういう気持ちじゃダメだって言ってるだろ!」
 ダンの剣はカズネである。
 けれどダンには、その剣が取り返しの付かない領域まで進まないように押し留める役割もあった。
 仇を討ちたい気持ちは痛いほど分かるが、それだけではダメなのだ。
「何がダメなのよ! ダンのバカ!」
「…………ああもうっ」
 足音も荒々しく格納庫を後にする少女に、大柄な少年は苛立たしげな声をひとつ。
「何で俺はいつもこう……っ」
 自分の物言いに棘がある事は、正直理解していた。
 自分が思う以上に沸点が低い事も。
 理解はしているのだ。それを上手く御そうとも、思う。
 今までなら、その御し役は穏やかな黒髪の少年が引き受けてくれていたのだが……。
「……なんでこういう時にいないんだよ。ペトラ」
 別れたままの親友の名を小さく口にし、ダンはそれきり黙ったまま、中断していた作業を再開させる。


続劇

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