-Back-

3.トリスアギオン

 鉄格子の差し込まれた窓から注ぐのは、穏やかな月明かり。
 昼間の一件の後、様々な話を語り終えたペトラは再び最初の部屋へと戻されていた。昼間と違うのは、扉に鍵がかかっている事と、扉の向こうに見張りが控えている事だろう。
 ドアの上に開けられた小さなのぞき窓から外を窺えば……廊下の椅子に腰掛けているのは、昼間出会った白銀の髪の少女だった。
「ねえ、セノーテ」
 ペトラの呼びかけに少女は椅子に腰掛けたまま、ふいと顔を上げてくる。
 もともと表情の薄い娘なのか、その様子から機嫌を伺う事は出来ない。警戒しているのかそうでないかも分からなかったが、会話を拒絶しているわけではないと判断して、ペトラは言葉を続けてみせる。
「この時代って、本当にキングアーツ歴367年なの?」
 その問いに、セノーテは言葉を返さない。
 ただこくりと頷いて、質問を肯定するだけだ。
(やっぱり、十三年前なんだ……)
 だとすれば、ソフィアが若いのも、ペトラと呼ばれた赤子が生まれたばかりなのも納得出来る。
「セノーテは、僕の事は知らないんだよね?」
 その問いも、セノーテは首を縦に振ってみせた。
 恐らくは未来のセノーテが案内した先……滅びの原野の砂嵐が、ペトラをこの時代へと導いたに違いない。しかしその事を目の前のセノーテは一切知らないようだった。
 それが周囲を欺く演技ではないのは、目の前の態度を見ていれば自然と分かる。
「それで、ここはイズミル……」
 やはりセノーテは、首を縦に振るだけ。
 マグナ・エクリシアの面影を残しながらペトラの記憶にないのも当たり前だ。ペトラが物心付いた時には既にイズミル城は神揚様式の形をしていたし、それ以前の様子は記録写真で何度か目にしただけ。
 けれどそれなら、あらゆる疑問に辻褄が合う。
「そっか……」
 彼のトリスアギオンは取り上げられ、工廠の奥で取り調べを受けているという。ここを脱走して他の神獣やシュヴァリエを奪う事は不可能ではないだろうが……仮に移動手段を確保したとして、彼の事を誰も知らないこの世界で、行くアテなどあるはずもない。
「……どうしよう」
 果たして、これからどうなってしまうのか。
 ペトラは冷たい鋼の扉にそっと背中を預け、小さく呟く事しか出来ずにいる。


「未来から来たなど……にわかには信じられんな」
 執務室のソファーで漏らしたアレクの呟きは、その場に集まっていた者達の総意と言っても過言ではない。
 ソフィアが滅びの原野で助けた、行き倒れの少年。神獣に似た騎体に乗っていた彼は、キングアーツ歴380年……今から十三年も先のイズミルからやってきたのだという。
「けど、聞いた話に嘘っぽい所はないんだよね……」
 未来の事情をそれほど深く聞いたわけではない。
 けれど計画されているイズミル城の様子やこの時代に来るまでの流れ、彼の語る話の大半は辻褄が合っており、それを補う質問に対する回答にも矛盾らしきものは見当たらなかった。
 ただ一つ、時を越えたという現象にさえ目を瞑るならば。
「ククロ、彼の神獣はどうだった?」
「驚いたよ。……あれ、神獣じゃなくてトリスアギオンだったんだよね」
「……第七世代アームコートってヤツか」
 正確に言えば、それはただのアームコートではなく、アームコートと神獣、シュヴァリエという三つを技術を統合した存在となる。故にアームコートという名でくくる事をせず、トリスアギオンという新たな呼び名を与えたのだ。
「私の白雪やMK-IIの発展系なんだっけ。でも、それってまだ試作中じゃなかったの?」
「だからだよ、昌。解析出来ない装置もあったけど、アンピトリオンには操縦席もフレームも、第七世代の設計コンセプトが全部入ってた」
 ククロの目指した理想の機体は、数日前に設計図が出来たばかりで、現実には存在しない。仮に王都の工廠あたりにそれが流出したとしても、あそこまでククロの理想通りに仕上げる事など出来ないだろう。
「ハギア改は第七世代って言ってたじゃない」
「ハギアやバルミュラ・ハドリアナは現行機を改造しただけだよ。フレームから作ってるのは、工廠のケライノーだけだけど……」
 試作品として建造中の唯一の純正トリスアギオンでさえ、まだ完成度は八割といったところ。
 そんなあるはずのない騎体が、目の前にあるのだ。
 それだけで、ククロは『アンピトリオン』を駆るペトラが十三年後からやってきたと信じざるを得ない。
「でも……時間を越えてきたっていうことは、また神王さまか誰かが何かしたんですか?」
 時を越えるほどの力を及ぼすとすれば、それは古代の技術のいずれかか、強力な神術儀式の所為だろう。この場にいた全員の頭に浮かぶのは、かつてヒサ家の術士が使った、『時巡り』の秘術である。
「さあ? さすがにそこは分からないけど……多分、千茅の思ってるような事はないと思う」
 だが、時巡りの術は対象の記憶を過去へと飛ばすだけだ。今回のように人間どころか神獣まで過去に送り込むような芸当は出来ないはず。
「瑠璃か沙灯に何か聞ければいいんだろうけど……」
 ペトラをこの時代へと導いたという謎の霧の事もあるし、恐らくは何か別の要因が関わっているのだろうが……その手がかりは、彼らの中にも浮かんで来ない。
「……とはいえ、この時期に厄介ごとは困るぞ」
 今のイズミルは、独立を控えた微妙な立ち位置にある。
 多くの工作と利害関係の調整を重ね、やっと辿り着いたその場所に……今回の件は、大きな波紋を生む自体にもなりかねない。
「兄様、そういうこと言わないの。自分の子供でしょ?」
「本当ならな」
 ククロの説明は分かる。しかし、十三年後から来た事そのものは認めるとしても、それがそのままアレクと万里の息子という結論に結びつくわけではない。
「……万里はどう思う?」
「私は……あの少年を信じます。……あの子は、本当のペトラだと思うから」
「母親の勘ってやつ、か」
 小さく頷き、万里が抱え直すのは腕の中の赤ん坊だ。
 この時代の小さなペトラは昨日までと何一つ変わる事なく、母親の腕の中で穏やかな寝息を立てている。


 扉の向こうから聞こえてきた問いは、鈴の鳴るような澄んだ声で紡がれた。
「ねえ」
「……何?」
 まさか扉の向こうから問いが来るとは思わなかったペトラは、セノーテの言葉に反応が一瞬遅れてしまう。
「未来の私は、あなたと会った事があるの?」
 けれどそれを気にする様子もなく、促されたセノーテは澄んだ声で淡々と言葉を続けてみせる。
「……ちょっとだけね。未来の事は黙っていろって言われたから、あんまり言えないけど」
 未来の知識を知っても、今の時代に必ずしも良い結果をもたらすものではない。自身の潔白を証明するため未来の話をしようとしたペトラに最初に突き付けられたのは、そんな言葉だった。
 奉たちが先にそんな注意をした気持ちは、分からないでもない。イズミルを巡る戦いの中で、ある神術儀式によってもたらされた多くの未来の知識は、万里達を助ける反面、多くの運命もねじ曲げてしまったのだから。
「……セノーテは、ククロの娘さんなんだよね?」
 だから口にしたのは、あの時確かめられなかった、話の続き。
 またね、の先の明日で聞こうと思っていた質問だ。
「……ククロは、体を作ってくれただけ」
「やっぱりその体、義体なの?」
 キングアーツでは、事故に遭った体を全身義体に置き換える事は珍しくない。事故や戦争で一人だけ助かり、孤児となった子供を養子に迎えるケースも、ごく自然に行なわれているという。
 イズミル屈指の技術者であるククロなら、そんな境遇の子供に自作の義体を与えたとしても何ら不自然ではない。
 義体部分は交換しない限り成長も老化もしないから、十三年後のセノーテと今のセノーテの外見が変わらないのも、一応の説明は付く。
「義体は、ダメ?」
 ぽつりと呟いた言葉の意味を、一瞬ペトラは理解出来なかった。
「え、あ……ごめん。そんなの、気にした事なかったから」
「そう……」
 カズネやソフィアも全身義体だし、イズミル市街の遊び仲間にも全身義体は珍しくない。一部の神揚の民には金属の体に抵抗を持つ者もいるらしいが、イズミルやキングアーツで義体を見慣れている者にとっては、そんな偏見がある事すら想像の外だろう。
「まあでも、また会えて良かったよ」
「私は、あなたの知っているセノーテじゃない」
 ペトラが会ったのは、十三年後のセノーテだ。この時代の彼女ではない。
「それでもだよ。……君を最初に見た時、ホントに安心したんだから」
 知っている者が誰もおらず、ペトラをよく知っているはずの者でさえ彼を『知らない』と言い放ったのだ。そこで受けた衝撃や違和感に比べれば、良く知らない彼女との会話は十三年後のそれとほとんど変わらない。
「……だから、抱きついたの?」
「ごめん。神揚じゃ、そういう習慣ってないんだよね?」
「神揚……?」
 首を傾げる気配があって、ようやく気付く。
 神揚の神殿に入っていたのは、十三年後の未来のセノーテだ。今のセノーテは、キングアーツに属するいち兵士でしかない。
「……ううん。何でもない」
「交代だ。セノーテ・クオリア」
 ちらりと扉の外を覗けば、セノーテの交代としてやってきた兵は、ペトラの知らない顔だった。不機嫌そうな雰囲気は、控えめに見ても楽しく話が出来る相手ではない。
「それじゃあ」
 今のキングアーツ兵としての彼女が、どうして神揚に向かう事になったのか。
「……うん。話出来て、嬉しかった」
 違和感は少ない。
 衝撃もない。
 けれど彼女にも、間違いなく十三年という時間は流れている。それを改めて実感しながら、ペトラもそっと扉を離れるのだった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai