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2.誰も知らない再会

 その質問は、ペトラにとって予想外過ぎるものだった。
 悲鳴を上げるなり、軽蔑の表情を向けられるなりは覚悟していたが……まさか目の前の少女の反応がそれ以前の問題だったなど、想像も付かない。
「あの……僕だよ。ペトラ・永代。昨日の晩、城を脱出する時に案内してもらった……」
「…………?」
 その説明にも、セノーテは先程ペトラが抱きついた時と変わらない、不思議そうな顔をしているだけ。
(もしかして僕、何日も寝てた……?)
 しかしそれでも、ペトラの事など全く知らない、と言った説明にはならない。脱出の時にはセノーテの側から声を掛けてきたくらいだから、軽い訂正だけで終わるはずだ。
「君はセノーテ・クオリアだろ? ククロ・クオリアの娘の」
「そうだけど……」
 その認識は間違っていないらしい。
 なら、次は昼間イズミルの街で出会った時の事を……。
「あーっ! あなた!」
 問いかけようとしたその時、廊下の向こうから響き渡ったのは、力強い娘の声だ。


 力一杯の誰何の声に反射的に逃げ出してしまったのは、辺りを警戒していたが故のこと。それについては、誰もペトラを責める事など出来ないだろう。
「例の少年が逃げたぞ! 追えーっ!」
 娘の脇にいた青年の声に、今までどこにいたのかと思わせるほどの兵達が集まり、ペトラを追いかけてくる。そうなってしまえば、それこそ全力で逃げるしかない。
「え、あ……あれ!? 何で!?」
 加速度的に悪化する事態の中、必死に逃げるペトラの頭を満たすのは混乱の二文字。
 追いかけられていた事もセノーテの不可解な態度も、混乱に拍車を掛ける理由の一つだったが……一番の要因はそこではない。
(今の、間違いなくソフィア様と奉さんだったよね!?)
 見慣れた金髪と、聞き慣れた声。
 廊下の向こうにいた女性は、間違いなくソフィアだった。いま後ろから聞こえてくる男の声は、万里の補佐官を務める奉だろう。
 どちらもペトラを物心付く前から知る相手だ。そんな二人がペトラを他人呼ばわりするはずがない。
「待てーっ!」
 追いかけてくる兵達にも知った顔がいそうな気がしたが、さすがにいちいち確かめる暇はなかった。
 ただ、必死に走っていればそれなりの救いはあるものだ。庭を横切り、本館らしき建物の向こうに見えてきた高めの屋根は……。
「……工廠!」
 間違いない。キングアーツ様式の、トリスアギオン工廠だ。
 喧騒に包まれたそこに飛び込めば、ペトラの目の前に立つのは黒と金に彩られた見慣れた巨体。
「あった、エイコーン!」
 周囲が制止するより早く機体に登り、背中の開閉キーを操作する。自身のアンピトリオンが見当たらないのは少々気になったが、エイコーンならひととおりの駆り方は身に付けていた。
「ハギア・ソピアーに取り付いたぞ! アームコートを出せ!」
「ごめんカズネ、ちょっと借りる!」
 機体の内に滑り込み、起動用のコマンドを叩き込む。打ち込まれたそれを認識し、黒金のトリスアギオンの瞳に明かりが灯る。
「って、なんでハギアを起動出来るのよ、あの子!」
 工廠の位置も何もかもがペトラの記憶にないが、エイコーンがあるという事は、やはりここはマグナ・エクリシアなのだろう。
「はい、そこまでー」
 だが。
「……大人しく投降してくれりゃ、危害は加えないよ」
 背中から差し込むのは、再び開かれたハッチからの光と……それを弾く、鋼の刃の輝きだ。
 首筋にひやりとした感触を受けながら、耳にした声は……。
「リーティ……さん?」
 あの晩ペトラを逃がしてくれた、神揚の将のそれだった。

 ハギア・ソピアーから降りてきたペトラが抵抗する事は、さすがになかった。
 当たり前だ。背後からはリーティの短剣が突き付けられているし、周囲にはイズミル付きの衛兵や神術師が十重二十重に囲んでいる。
 逃げられるとも思えないし、そもそもペトラにも逃げる気など初めからない。
「ソフィア様……」
 そんなペトラの前に立つのは、金の髪を長く伸ばした元気そうな女性である。その容姿は、娘のカズネと瓜二つと言っても過言ではない。
「あたしの名前は知ってるみたいだけど……まず、何から聞けば良いのかしらね?」
 少年に対して何の警戒もしていないように見えるが、それは見かけだけの話だ。彼女が自然体でどんな動きにも即応出来る事は稽古の時に思い知らされていたし、周囲もペトラの挙動を見逃しはしないはず。
「けど、若い……?」
「……なんかいきなり失礼な子ね」
 もともと若く見える女性ではあった。しかしそれにしても、ペトラの記憶にあるソフィアの姿より随分と若く見える。
 それこそカズネの母ではなく、姉と言ったほうがしっくり来るほどに。
「そりゃまあ、一児の母ではあるけど……まだおばさんって歳じゃないわよ?」
 だが、笑う表情や仕草は、確かにペトラの知るソフィアそのものだ。
「で、君は誰なの? イズミルの情報を探りに来た神揚の密偵?」
「……は?」
 だが、流石にその問いには、ペトラもおかしな声を上げるしかなかった。
 廊下にあった姿見で確かめた時も、顔や体におかしな所はなかったはず。服だけはキングアーツの検査衣だったが、その程度で誰か分からなくなるわけがない。
「ちゃんと言葉は通じてる? ……神揚の地方の方言でも使った方がいい?」
「ああ、えっと……分かります。言葉」
 言葉そのものは分かる。
 分かるからこそ変な声を上げてしまうのだ。
「なら結構。質問に正直に答えてくれるなら、こちらは貴方に危害を加えるつもりはない。……改めて問うぞ。名前は?」
 ペトラが分からないのは、ソフィアやリーティだけではないらしい。彼を良く知るはずの奉でさえ、同じ質問を口にする。
「名前って……ペトラに決まってるじゃないですか。ペトラ・永代」
「……はい?」
 度重なる不可解な問いにさすがに機嫌を悪くしたペトラの名乗りに奇妙な声を上げたのは、今度はソフィア達だ。
「だから、ペトラ・永代ですってば。父親はアレクサンド・カセドリコス。母親は万里・ナガシロ。ソフィア様の甥の、ペトラ・永代ですよ」
 そんな事は、目の前の三人ともペトラが生まれた時から知っているはずだ。
「…………奉。あたし、耳おかしくなった?」
「いや、多分大丈夫だと思うが……」
「オレもペトラって聞こえたけど……万里様の言った通りだったね……」
「そりゃそうですよ。そう名乗ったんですから」
 当たり前の事を真っ正面から名乗っても、三人の表情は変わらない。むしろ疑念の色をより濃くしたかのようだ。
「っていうか、奉さんもリーティさんも人が悪いですよ。ソフィア様が無事に見つかったなら、言ってくれれば良いのに……。それとリーティさん、あれからどうなったんですか? アーレスさんは?」
 今は下らない冗談に付き合うより先に、解決する事があるはずだ。
 ソフィアの無事を知ればカズネも安心するだろう。万里も話題に出てきたくらいだから、恐らくアーレスも助かっているはずだ。
 もっともエイコーンはここにあったし、既にカズネもソフィアの事は知っているだろうが……。
「リーティ……?」
 けれど、矢継ぎ早に繰り出されるペトラの問いに、目の前の三人は不思議そうに顔を見合わせるだけ。ペトラがリーティの話題を持ち出る頃には、他の二人の怪訝な視線はリーティのほうへと移っている。
「どうって……。いや、オレこんな奴知らないって!」
 どうやらソフィアと奉は、ペトラの言葉よりもリーティのそれを信じたのだろう。
 ソフィアは小さくため息を吐くと、相も変わらぬ疑念の表情をペトラに向けてみせる。
「悪いけど、冗談にしては笑えないわね。……あれ、見える?」
 そう言って若いソフィアが指差したのは、工廠の外。
 トリスアギオン用の太い道が走る庭に見えたのは、こちらに慌ただしく駆けてくる黒髪の娘だ。そして彼女に続く、ひと抱えほどの包みを大切そうに抱きかかえた兎の耳の娘。
 遠目に見ても、それが誰かをペトラが間違うはずもない。
「母……様? それに、昌さん……」
 そう。
 それは、万里・ナガシロ。
 そして……。
「後ろの女の人にだっこされてる赤ちゃんが、あたし達の知ってるペトラ・永代よ」
「それに、なんでナガシロ家の子供を名乗るなら狐じゃないんだ? それ、どう見ても犬の耳だろ」
 追い打つようなリーティの言葉は、ペトラの耳には届かない。ただソフィアの言葉が、頭の中を駆け巡っているだけだ。


続劇

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