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 軍靴を揃え、すいと背を正す。
 放たれた声は、少女の幼さを残しながらも、凜としたものだ。
「キングアーツ南部開拓軍、メガリ・イサイアス第七部隊所属 アヤソフィア・カセドリコス。本日付を以てメガリ・エクリシアへの転属を拝命いたしました」
 まっすぐな視線の先。執務机から立ち上がった相手は、脇に立つ環と同じ、黒い軍服をまとう青年だ。
 こちらは環よりもいくらか年上なのだろう。もはや少年といった面影はどこにもない、凜々しさと力強さを兼ね備えた青年将校である。
「キングアーツ南部開拓軍 メガリ・エクリシア司令官、アレクサンド・カセドリコスだ。貴官の着任を歓迎する」
 敬礼を解けば、その表情に浮かぶのは……柔らかな笑み。
「……待っていたよ、ソフィア」
 髪の色こそ黒と金で異なるものの、穏やかな感情を湛えた瞳はソフィアと同じ碧い色だ。
「久しぶり。アレク兄様」
 やはり敬礼を解いたソフィアも、久しぶりの兄との再会に嬉しそうに微笑んでみせる。
「報告は受けたよ。魔物と戦ったそうだね?」
「楽勝よ」
「補給部隊が無事だったのはお前のおかげだ。おかげで私のライラプスもようやく修復出来る。奮戦に感謝する、ソフィア」
 彼らの本拠地であるこの前線基地は、滅びの原野のただ中にある。北にあるかつての前線基地……メガリ・イサイアスとの補給が絶たれれば、途端に物資不足に悩まされる立場にあるのだ。
 殊に今回の補給は生活物資だけではなく、鋼の騎士達に使う修繕部品や、ソフィアと黒金の騎士のような戦力の補充も含まれていた。
 それが故に、ソフィアの功績は大きい。
「魔物って、初めて戦ったけど……本当に賢いのね。動物みたいなのに、刀を使ってたし。あと、何だか変な炎みたいなのも」
 だが、何気なく呟いたソフィアの言葉に、兄であるアレクはおろか……脇で兄妹の再会を見守っていた環ですらその表情を変えていく。
「もしかして、尻尾が九本ある白い奴か?」
「そうだけど」
 ソフィアが小さく頷けば、兄の司令官は天を仰ぎ、旧友の副官も小さくうめき声を漏らしてみせる。





第1回 後編




「何? 何か問題でもあったの?」
「……僕達は『九本尻尾』って呼んでる。この辺の魔物どものボスだよ」
 言葉もないアレクに代わり、答えたのは環だ。
「……ま、変な鳥みたいなのが降りてきて連れていっちゃったから、結局は追い払うだけだったけどね」
「…………」
 付け加えたひと言には、もはや環ですら言葉もない。
「だから何なのよ、二人とも。あの鳥も特別な魔物なの?」
 机の上にあった水を一杯ずつ飲み干して、ようやく二人も落ち着いたのだろう。
「アイツは『怪鳥』。『九本尻尾』の護衛とか、群れの第二位だって予想を立ててる。……ウチの軍に損害を与えてるツートップさ」
 恐らくは、様子見程度だったのだろう。
 アレクの操るライラプスを始め、メガリ・エクリシアに所属する歴戦の猛者達が何人も苦汁を舐めさせられてきた相手だ。ソフィアの腕が確かなのは事前の報告書で知ってはいたが、本気の攻勢だったなら、果たして無事で済んだかどうか……。
「本当に、無事で良かった」
「二人とも心配性なんだから。そもそも魔物退治のために、あたしが呼ばれたんでしょ?」
 彼らの祖国、キングアーツの領土拡大の中で、人間同士の戦いはあった。
 だが、魔物……滅びの原野に棲まう異形の怪物との遭遇は、このメガリ・エクリシアが初めてなのだ。
 故にその未知なる脅威に対抗するため、後方の開拓基地から、ソフィア達のような手練れが最前線のエクリシアに送り込まれてきたのである。
「それに……あいつら、人間に取り憑いて、人間を食べちゃうんでしょ? ……許せない」
 魔物の骸の中からは、魔物と半ば一体にされた人間の体が出てくるという。
 想像するだけでおぞましいその光景に、ソフィアは鋼の両手を抱き、小さく体を震わせてみせる。
「そういう事だ。ともかく、あの二匹に対抗出来るアームコートの着用者は、お前を含めてそういない。宜しく頼む」
「任せて、兄様!」


 広い寝所に敷かれているのは、少女達には不釣り合いなほどに大きな布団である。
 その上に腰を下ろし、風呂を済ませた万里は小さく呟いた。
「沙灯……」
「なぁに? 万里」
 返ってくる沙灯の声は、後ろから。
 合間合間に聞こえてくる柔らかな音は、万里の髪を梳く沙灯の櫛の音である。
「今日の巨人……強かった」
 沙灯の髪を梳く手は、優しい。毎日の日課であるはずなのに、何度されても気持ちよく、飽きる事もないのは……沙灯の不思議の一つだと、いつも万里はそう思う。
「そうなんだ。……灰色の巨人よりも?」
 それは、先日ようやく退けた巨人の一体だ。
 倒しきれはしなかったが、最近姿を見ない辺り、よほどの痛手を負っているか、あの砦に戻った後に死んでしまったかしたのだろう。
 それなのに……新手、である。
「うん。テウメッサが頑張ってくれたから、何とかなったけど……。あれ、使わなきゃいけないかと思った」
「あれは、テウメッサがもっと使いこなせるまで使っちゃダメだって言われてるでしょ」
 思わず非難じみた声を上げる沙灯だが、口調に手の動きは連動しないかった。幼い頃から体に覚え込ませた所作は、その程度の感情では小揺るぎもしない。
「……お願いだから、無茶しないでよ」
「でも……」
 そんな沙灯の心配を前に、続けて良いものかと一瞬迷うが……穏やかに髪を梳く音は、どこまでも優しくて。
 思わず生まれた少女の心の壁も、あっさりと蕩かせてしまう。
「……これからも」
 だから、背後の少女にだけは、問う事が出来た。
「戦えるのかな。私」
 少女は姫だ。
 そして、この神揚最北の前線基地……八達嶺の長でもある。
 そんな言葉は、本来ならば決して口にしてはならないはずだった。
「何言ってるの、万里」
 返ってきたのは、櫛の音ではなく……ゆっくりと回された、細い腕。
 きゅっと万里を抱きしめてくる、沙灯の腕だ。
「ナガシロの帝の娘でしょ。それに……そんな万里を助けるために、神術師のわたしがいるんだよ」
 湯上がりの少女の体はほんのりと温かくて、良い匂いがした。
 それを嬉しく思いながら……回された手に、万里もそっと自らの手を重ね合わせる。
 やがて、穏やかに目を閉じた、その瞬間。
「……けほ、けほっ!」
 背後から聞こえたのは、咳き込む音の連発だ。
「沙灯! ああもう、沙灯こそ無理しないで……」
 世話役の神術師は、本来あまり体が丈夫なわけではない。
 人の体に精通し、動物の性質を組み込む術……神の如き御技すら日常のものとして扱う神揚の業をもってしても、その体質は癒やしきれるものではなかったのだ。
「ごめん。ありがとう、もう大丈夫だよ」
 成長するに従って体調を崩す事も多くなり、一時は万里の仕えを外れるという話もあったのだが……。彼女の属するヒサ家の神術師という希有な立場と、別離を拒んだ二人の意思のおかげで、今の二人は同じ布団の上にいる。
「……わたしこそごめんね。これじゃ、どっちが世話役か分かんないね」
「沙灯……そんなことない」
 そんな身を押してまで、側にいてくれるのだ。
 弱音など……吐いている場合ではない。
「私には、沙灯がいないとダメなんだ」
「……ありがと。万里」
 抱き返された小さな腕は、柔らかくて……優しい。
「だから、次はわたしも連れていってね」
「うん。沙灯とヒメロパがいれば、あの黒い奴も絶対倒せる。……神揚の民を、あの巨人達の犠牲にはさせないから」
 鋼の巨人達は、内部の部品の一部として人間を取り込むのだという。
 調査目的で回収された巨人の骸の中からは、もはや巨人とも人間ともつかなくなった、無残な有様の人だったモノが発見されるのが常だった。
「任せて。わたしは、万里の一番の味方なんだから」
「……ありがとう、沙灯」
 神揚の民を、そんな目には遭わせはしない。
 そんな決意を胸に……万里は柔らかな温もりを抱いたまま、そっと瞳を閉じるのだった。


 キングアーツで滅びの原野の開拓に使われる前線基地を、メガリという。
 原野の薄紫の空気を浄化するための設備を備え、周辺を平定するための戦力と、開拓に必要な住人が暮すための都市機能を併せ持つ、巨大要塞。
 そんなメガリの中でも大陸最南に位置する、最新の開拓基地 メガリ・エクリシアの石造りの廊下を歩いているのは、金髪の少女と銀髪の青年だった。
「……メイドがいない?」
「募集は掛けたんだけどねー。エクリシアじゃなかなか良い子がいなくってさ」
 メガリの名を冠する街だから、市街地では商人達が軍人相手の商売を行っている。未だ開拓を始められる段階にはないから数こそ少ないが、市民だっている。
 本当に基地機能しかない辺境の前線基地ならいざしいらず……メガリの名を冠するこの街での芳しくないその結果は、メガリの長を補佐する立場の環としてはいささか以上に不本意なものだった。
「別にいいわよ。イサイアスじゃ自分でやってたし」
 だがそんな環の気持ちを知ってか知らずか、ソフィアはさらりと答えてみせる。
「部屋も兵員宿舎でいいからね」
「一応、お姫さまだろ。ソフィア」
 彼女の属するカセドリコス家は、キングアーツの王族の家系だ。それもソフィアは、第一王女。
 上にアレクを含めて四人の兄がいるものの……王位継承権第五位を持つ、一応どころか本物の姫君だ。
「姫だって軍属なら、自分の事くらい自分でするわよ。兄様は奥さんにしてもらってるのかもしれないけど」
「奥さん?」
 首を傾げる環に、逆にソフィアは不思議そうな顔。
「なんか、すごく丸くなってた。……前は、もっと恐いっていうか、キツい感じだった気がしたけど」
 最後に兄と会ったのは、もう何年も前の話だ。まだこのメガリ・エクリシアがなく、ソフィアは士官学校の生徒で、アレクが西方のメガリで司令官補佐をしていた頃だったろうか。
「まあ、メガリの長なんかやってるとなぁ……」
 それそのものが巨大な軍事施設であるメガリは、軍機能だけでなく都市機能も司令官の管轄下に含まれる。そのぶん民間との折衝や雑務も多くなり……自然と、その人間性も鍛えられる事になるのだ。
 故に、それだけで家族が出来たから性格が丸くなった、と論じるのは、王族の姫君としてはあまりにも浅慮に過ぎる。
「あと、指輪」
 それは先程の、執務室での挨拶の時だ。
 兄の左腕……まだ生身の体であるその薬指には、金と銀が絡み合う、小さな二重の指輪がはまっていた。
 その指に指輪をはめる理由は……ソフィアの知る限り、たった一つしかない。
「……女の子だなぁ、ソフィアも」
 浮かべる苦笑は、言外に肯定を秘めたもの。
「ねね、どんな人? まだあたし、会った事ないんだけど」
 最後に兄と会った時は、兄も指輪などはめてはいなかった。
「環なら知ってるでしょ?」
 兄がこのメガリに転属になってからの関係なのだろうか。
 どんな女性なのか。性格、趣味、二人の出会い……気になる事は、山のようにある。
 だがその問いに、環は小さくため息を吐き……ぽつりと、呟いてみせた。
「もうこの世には……ね」
「あ……ごめん」
「俺に謝る事じゃないよ」
「でも、それってもしかして……」
 魔物に。
 そう思いつきはするが、それ以上の問いを興味本位だけで言葉として紡ぐ勇気は……まだ、少女にはないものだ。
「ま、色々あってね」
 そんな悪い空気を振り払うように、銀髪の青年は細い目をさらに細めて笑ってみせる。
「ああ見えてまだ引きずってる所あるからさ。しばらく、その事には触れないであげて」
「うん。分かった」
 もしそうだとしたら……魔物は絶対に許さない。
 そんな想いを胸に秘め、ソフィアは環に小さく頷いてみせるのだった。

続劇

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