-Back-

4.再び、神揚の都で

 巨大な広間に響くのは、白木の盤面に小さな駒が打たれる音だ。
 幾つかの升目に区切られたそれを挟んで座るのは、見上げるような巨躯の男と、それと対照的な細身の男。変わらないのは、盤面に向ける瞳に宿る強い意思の輝きだ。
「……知らん手だな」
 酒杯を軽く傾け、盤面の動きに息を呑むのは巨躯の男。
 この南部では歴史ある遊戯だ。ほとんどの手は覚え、対策も身に付けたと思っていたが……細身の男の繰り出した手は、今までに見聞きした手のいずれとも違う。
「キングアーツの戦棋で使われる手だ」
 誇るように小さく呟き、傍らの机に置かれた菓子を口に運ぶ。
「……美味いな。どこの菓子だ、鳴神」
「キングアーツと神揚の料理の混ぜ合わせだ。そやつが言うには『和』食というらしい」
 漏れた男の呟きに、鳴神は一本取ったかのような笑みを浮かべてみせる。
 神揚宮廷の巨大な広間に響くのは、白木の盤面に打たれる小さな駒の音ばかり。
「……むぅ」
 それを破ったのは、神揚皇帝の小さな呟きだった。
「ふふん。やり直すか?」
「その気はない。暫くは使える駒もないしな」
 短いやり取りの意味を、周囲にいた侍女や護衛の兵たちは理解出来ずにいる。
 神揚戦棋は神揚でも一般的な遊びだ。取った駒はこちらの戦力として再利用出来る。
 確かに鳴神の打った手はかなりの有効手だったが、待った、とやり直しを掛けるほどの致命的な手ではない。皇帝は鳴神から奪った多くの駒を予備戦力として持っていたし、中盤の混乱はこの遊びの山場の一つでもある。
「……その駒を、棄てる気はないか?」
「棄てさせる気にさせてみよ」
 やり取りの意味を理解出来たのは、恐らくこの場では鳴神ただ一人。
「まだまだ楽隠居というわけにはいかんか……」
 打ち進む皇帝に見かけそのままの勇猛な攻めで打ち返しながら、次に会話を切り出したのは鳴神だ。
「……俺との勝負、連中は絡んでいたのか」
 それは、はるかはるか昔の話だ。
 まだ鳴神が王と呼ばれていた頃の話。圧倒的な力をもって彼をねじ伏せた、細身の男と初めて会った時の話である。
「さて。この勝負に勝てば、教えてやってもよい」
 鳴神の知らない新たな戦術を振るいながら、細身の男は静かに微笑むだけだ。


「とりあえず、神揚側は今のところ目立った動きはありませんね」
 そう言って資料の束をまとめたのは、黒豹の足の青年だった。
 メガリ・エクリシアの執務室だ。先日リーティに届けさせた資料についての話し合いを行なっていたのである。
「こちらもだな。しばらくは西部の開拓で忙しいだろうし、南に目を向けるのはまだ先だろう」
 かつての歴史で起こった、キングアーツと神揚本土の暴走。今のところは交易も始まったばかりという事もあってか、互いの国は大人しいままだ。
「鳴神様やタロ君たちも動いてくれていますし、どちらも当面は経済の利に目が行ってくれるでしょう」
 理想は、このまま経済と双方の発展で満足してくれる所なのだが……。
「あまり利益に目が行きすぎて、その先を求められても困りますが……。少なくとも、その間にこちらも色々と動けるというわけですか」
「ええ。その間に滅びの原野に緩衝帯が作れれば、言う事はありませんわね」
 独立自治区や経済特区、公国。呼び名や形態は何でも構わない。プレセアが思い描くのは、キングアーツと神揚という二つの大国の緩衝役を務める、イズミルの新たな姿である。
 もちろんそれを平和裏に成すには、周到な準備と入念な根回しが欠かせない。たった一手を間違えれば、それこそ二つの大国から矛を向けられる存在になってしまうだろう。
「……無茶はするなよ、プレセア」
「当然ですわ」
 車椅子の美女への言葉でその件の話を終わらせて、メガリ・エクリシアの司令官代理は大きなあくびをひとつ。
「……顔色が悪いですよ、環」
「ああ。この所、あまり寝られなくてな」
「何? ヴァルに搾り取られてるの?」
 八達嶺からの客人は、ロッセ一人ではない。彼の補佐役としてリーティと、銀の瞳の鷲翼の少女も同席している。
「環を絞る? 新たな拷問か?」
「姐さん。ヴァルにそういうの、通じないと思う」
「……みたいね。聞いたあたしがバカだったわ」
 露骨に嫌な表情を浮かべている環と真顔で聞いてくるヴァルの様子だけで、二人の間が何一つ進展していない事は理解出来た。
「……環?」
「俺に聞くな!」
「教えてあげれば良いじゃないッスかー」
 混ぜっ返すリーティにも嫌な表情を向けておいて、環は肩をがくりと落とす。
「アーデルベルト君が本国に取られてしまったのですわ。正直、私も最近は寝不足で……」
 遅々として進まない西部の開拓を推進するために、彼に白羽の矢が立ったのだ。メガリ・エクリシアにとっては痛い流出ではあるが、逆にアーデルベルトが西部の開拓を進めてくれれば、本国としてもそちらの開発にさらに力を入れる必要が出てくる。
 そうなれば、こちらの余裕も増えるだろう。
 プレセアの肌の具合は日に日に悪くなる一方だったが、言うほど悪い話というばかりでもない。
「ああ……。こちらは奉が戻ってきてくれましたからね」
「なら、次はククロの体の件か……」
 その言葉に、リーティが机の隅に転がっていたククロを揺り起こす。技術的な話のオブザーバーとして会議に参加していた彼だが、畑違いの話にすっかり寝入ってしまったらしい。
「キングアーツからの被験者二人の経過も順調なようですが、こちらももう少し観察が必要でしょうね」
 ムツキや鳴神の義体化の時に神揚とキングアーツの民の体の差違は調べられていたが、今回はその逆である。殊に脳まで含む完全な再生と情報の移し替えとなると、神揚でもほとんど前例がない。
 僅かなモデルケースとして、珀亜や珀牙の件も参考に上げられていたが……義体ですらない体からの転送に至っては、今回が初めてなのだ。
「そうだなぁ。早くやってみたいなぁ」
 そんなククロがこの実験に挑むのは、もちろん……ただの好奇心からでしかない。


 多くの花の咲き乱れる、神揚様式の庭園で。
「久しいな、コトナ」
 掛けられた低い声に応じるのは、車椅子に体を委ねた小さな娘だった。
「お久しぶりです、ムツキさん。エレも新しい仕事はどうですか?」
「ぼちぼちだな。タロをお頭って呼ぶのは慣れねえけど」
 エレはもともとテストパイロットで、正規の軍人ではない。半年前のあの戦いが終わった後、ホイポイ酒家とイクス商会が共同で立ち上げた事業に加わり、今は飛行鯨の駆り手として各地を飛び回っているのだ。
「キングアーツに神揚の香辛料を運んだり、神揚に重曹を運んだり、半蔵を探したりだな。ああ、今日はタロとプレセアの弟を連れて帝宮ってトコにも寄ってきたぞ」
 少なくとも、退屈だけはしない。
 ソフィアには悪いが、イズミルで周辺の警護だけをして過ごすよりは刺激のある生活と言えるだろう。
「それに、やりてえ事もあるしな……」
「……どうせ空中海賊になりたいとか、ロクな事ではありませんよね?」
「あはは。なれたらお前も呼んでやるよ、コトナ」
 そう言って、エレは車椅子のコトナの体を抱え上げた。
「……にしても、相変わらず酷い格好だな」
 左腕は肩の所で固定されているし、足も似たような物だ。左耳や首にも包帯が巻かれていて、痛々しい事この上ない。
「組織の定着は、治癒術での時間短縮が出来ないそうで。時間だけが薬だそうです」
 それは全て、かつて義体となっていた場所だった。
 キングアーツ人の義体を、人の体に入れ替える治療。かつてムツキや鳴神が行なった義体化手術と逆の事を、今のコトナは行なっているのだ。
「これでもだいぶ減ったんですよ? 部屋も明るくしていいとも言われましたし」
 左目を入れ替えた時は、部位が体に馴染むまで暗い部屋から出してもらえなかったのだ。今もまだ歩く事は出来ないが、車椅子の外出なら許されているし、行動に関してもこれといった制限はない。
「ただ……この体では、もうアームコートには乗れませんけどね。エレの背中は守れないと思いますよ?」
 そして義体を捨てるという事は、アームコートへの接続も出来なくなるという事でもある。
 エレの夢とやらがどこまで本気かは分からないが、少なくとも戦力目当てでコトナを誘ったのであれば、とんだ見当外れとなるだろう。
「いいんだよ、お前がいりゃ。作戦指揮なり料理係なり伽役なり、アームコートに乗るだけが仕事じゃねえって」
「まあ、まだ当分はキングアーツ大使という名の実験動物ですがね」
 大使という名目も、神揚への長期滞在や保護を理由付けるだけのもので、何かしらの権力や業務があるわけではない。仕事と言えば、こうしてキングアーツから来た商人達の話し相手になるのがせいぜいだ。
「その任期が終わった後は軍にも戻れそうにありませんから、再就職先を考えないでもありません。……伽役以外なら」
 けれど、失う事も自身が決めた事。言葉こそ自虐的なものだったが、表情は晴れやかなものである。
「早く包帯、取れるといいな。リフィリアみたいに」
 体重も幾分か軽くなったように感じる小さな身体を車椅子に戻し、エレが視線を向けるのは車椅子の押し手だった。
「そ……そんなに見るな」
 彼女ももう一人のキングアーツ大使として、この大使館でコトナと暮している。キングアーツ人による融合技術の被験者という点も、コトナと変わらない。
「いいじゃねえか。可愛いぞ」
 そんな彼女の頭上に揺れているのは、長い兎の耳である。
 リフィリアがコトナと違うのは、コトナのように義体との入れ替えではなく、単純な機能追加としての融合被験者という点だった。こちらもようやく組織が安定し、包帯が取れたのは先日のことだ。
「可愛い言うな!」
「可愛いですよね。そういえば、アルツビーク大尉のお部屋も可愛いんですよ?」
「日明! 貴様、それ以上口にしたら……!」
 それは、リフィリアの数少ない失態の一つだった。
 コトナは一人では動けないからと油断していたのだが、丁度遊びに来ていた柚那達に連れられて、リフィリアの部屋に立ち入ってきたのだ。
 後の事は、正直思い出したくもない。
「ほう。なら後でお邪魔させてもらおうか。爺さんも行くよな?」
「儂はこれから鳴神や千茅の父上と酒の席……と、これはエレには内緒であったか」
 恐らくは分かって口を滑らせたのだろう。慌てる様子もなく口を手で隠してみせる老爺に、黙っているエレではない。
「ンだよ。鳴神達も来てるんなら呼ぼうぜ? ウチのお頭も呼べば来るだろうし。ここ使って良いだろ、コトナ」
 鳴神が来ているなら、恐らくアーレスや千茅も同行しているだろう。商談に来ているタロも、呼べばいくらでも来るはずだ。
「それはまあ、構いませんが」
 キングアーツ大使館と言っても、現状は名目だけのもの。体がもう少し自由に動くようになればやりたい事も幾つかあるが、それはまだまだ先の話だ。
「よしなら決まり。使いを出したら、リフィリアの部屋ぁ見に行こうぜ! それでいいよな、爺さん」
「ふむ……」
 特に寄る店も決めていない、気楽な集まりである。
 ムツキとしては、別段反対する理由もない。
「よくない!」
 ただ一人、全力でそれを拒否するリフィリアの叫びが、大使館の庭に空しく響き渡っていくのだった。


 そして、もう少しだけ、刻は過ぎる。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai