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18.見上げる空、広がる闇

「…………ぐぅっ!?」
 鈍い声が響いたのは、闇の中。咳き込む音が何度か続き、荒い息はやがて平常な物へと治まっていく。
「爺ちゃん……大丈夫か!」
 聞き慣れた声に、そこが未だ彼の生きる世界である事を理解する。
 全身は重く、左腕の感覚も本来の物に戻っていた。目元を覆う破れかけた布から覗く顔は、二つ。
「……リーティと……瑠璃か。ここは……?」
 どうやら、たった今まで戦っていた世界ではないらしい。
「世界樹の底だよ。ククロから爺ちゃんがマズいみたいって聞いて、助けに来たんだ」
 確か、小さなククロは上層部の探索に同行していたはず。
 通信機の使えない空間でも彼の意思は全ての分身に届いていたのだろう。そしてムツキがアークに干渉した場所や状況を辿り、リーティ達に救援を求めたに違いない。
「上にエイジモールがいなかったら、こんな所分かんなかったけどね……」
 自身の目的を果たしたシャトワールは、彼だけでなく、彼の神獣も見逃したらしい。
 いかに経験が多いとは言え、神獣の自律行動にも限界はある。ムツキの状況が分からない以上、エイジモールだけで救助の判断を下す事は出来ない。だからこそ土竜型の神獣はその場に留まり、リーティたち救援の目印になる事を選んだのだろう。
「やれやれ。だから放っておけと言うたのに」
「そんなわけ出来るわけないだろ。もうちょっと長生きしなよ、爺ちゃん」
「……けど、何があったの?」
 手元に灯った治癒の明かりを消し、瑠璃は小さく息を吐く。
 金属の腕は原型を留めておらず、他の生身の部分もボロボロだ。もう少し処置が遅れていれば、それこそ本当に手遅れになっていただろう。
「翼の騎士を連れたシャトワールと鉢合わせしてな。少々やり合ってから、そこのアークのコネクタを見つけて、ククロの手助けをしておった」
 本来の年齢に戻った体は重くこそあったが、瑠璃の治癒術のおかげか、痛みはいくらか和らいでいた。これなら、もう少しは動けるだろう。
「爺ちゃん、時々すごい無茶するよね」
「死人の野暮で世界を消されてたまるか。死んだなら大人しく墓で眠っていれば良いのだ」
 戦い、拳を交わしている間、神王はひと言も喋らなかった。無駄だと分かった言葉も尽してはみたが、それも聞こえていたのかそうでないのか分からない。
 振る舞い、戦いぶり、打ち込む決意。刃を交えれば相手の気持ちはある程度理解出来るものだが……あの戦いで、ムツキは果たして何を感じ、伝える事が出来たのか。
「だが、その神王が消えたと思ったら、代わりに世界が真っ黒になってな……。そのまま、こちら側に弾き飛ばされた」
 呆れたようなリーティの言葉を無視し、ムツキはそこで言葉を切る。
「ククロはどうなった?」
 世界を黒く塗り潰したのは、神王の干渉した黒い空とは違う、それよりさらに強く激しい意思だった。まるで世界を灼き尽くそうとでもするかのような、生々しい人の意思を宿すものだ。
 動くようになった手で先程のコネクタにケーブルを繋げてみるが……どこかが故障してしまったのか、それとも石盤側の問題か、先程のような繋がる感覚は伝わってこない。
「……分かんない。上とも連絡は付かないし……何だか、嫌な予感がビリビリするよ」
 彼も異変を本能的に感じているのだろう。
 幼い頃から戦場や闇の中にも身を置いてきた少年は、不安そうに小さく覗く空を見上げてみせる。


 ようやく最上層まで辿り着いた鳴神が目にしたのは、二つの戦局だった。
「どうしたことだ、これは!」
 最上層では、神王との戦いが繰り広げられているのではなかったのか。
 上層に辿り着いた面々が戦っているのは、燃え上がるたてがみを備えた獅子に似た巨大な異形と、黒い炎に包まれた三頭の人型。どちらも、鳴神の知る敵の姿ではない。
「鳴神、エレ!」
「……アーレスがアークの力を乗っ取って暴走してるんだよ!」
 言われてみれば、確かに大獅子の異形には、あの赤い兜の面影がある。
「要するに、あのバカを止めりゃいいって事か!」
 呟き、黄金の竜の背から飛び降りたのは紺色のアームコートだ。太い枝に降り立つなり両腕の換装された銃身を構え、容赦ない狙撃を開始する。
「……随分と人の格好を捨てたもんだな、童貞!」
「エレぇぇぇぇぇぇっ!」
 螺旋を描く銃弾は炎のたてがみに遮られたようだが、攻撃の意思は感じたのだろう。炎の獅子はようやく僅かに動くようになったバルミュラを弾き飛ばし、エレの枝めがけて一直線に突撃を開始する。
「兄様!」
「二人は下がっていろ。拾った命、捨てるものでもない!」
「……くっ」
 体を取り戻したばかりで、まだ本調子ではないのだ。バルミュラやコボルトの制御は体が覚えているようだったが、無理な力を行使した代償は、それぞれ体にいまだ残されたまま。
「そういうこと。二人の事情も、まだ聞いてないしね! 行くわよ、兄様、リファ!」
 獅子の尾に繋がって伸びるケーブルは、以前の神王と同じくアームコートの斬撃を徹さない。
 ならば、叩くのは本体だ。
「はっ!」
 珀牙の事は妹に任せ、キングアーツの妹姫は機体の全速を振り絞る。
「テメェ、国くらい建ててみせろなんて言ったよなぁ!」
 だがソフィアの斬撃を受けてなお、機体はすぐに修復を始め、ダメージを負った様子はない。
「建ててやるさ! この力でな!」
 背中の推進器の咆哮と共に地を蹴り、大きく開いた顎門が狙うのは、真正面に銃口を構えたエレの姿。
 それを前に、エレは動かない。
 動けないのではない。
 動かないのだ。
「エレさんっ!」
 眼前に迫る攻撃を受け止め、力任せに押し返したのは、大型の盾を手にした重装の神獣。
「……テメェっ!」
 燃えさかる顎に力を込めるが、赤銅色に塗られたその盾は砕けない。通常のアームコートの装甲板程度なら、容易く食い千切るはずなのに……!
「……負けませんっ!」
 アーレスの一撃を受け止めた千茅がちらりと見るのは、背後に姿を見せた白虎の神獣。アーデルベルトを通じてコトナから託された大盾は、通常の何倍にも強化された神術合金製だ。
「きゃあぁっ!」
 砕けぬそれを力任せに振り払われて、重装のオークは宙を舞う。
 けれどそれで、十分だった。
 エレは守った。
 時間も稼いだ。
「そういうのは、力なんて言わねえんだよ! セタぁ!」
 赤獅子の眼前にあるのは、螺旋を描く長銃ではない。
 出力を全開にした砲、二つ。
「ああ!」
 最大出力の電磁砲が炎の獅子を打ち据えて。
 一瞬遅れて放たれた光の槍が、その炎を光の中に押し流していく。


 淀んだ空からゆっくりと降りてきたのは、黒い光を纏う、三頭を備えた人型の神獣であった。
「シャトワールさん……」
「……沙灯!」
 昌の言葉に頷くと、沙灯は大きく翼を打って一気に上空へ。リーティ達によって敵の一掃された空だ。彼女を邪魔する物は何もない。
 そこから鋭く方向を変え、力強くダイブする。
 それと同時に迫るのは、短刀を構えた白い兎の神獣だ。キングアーツの技術でさらに強化された脚力を武器に、上と下、二人同時に攻撃を叩き込む。
「万里!」
 二人ではない。
 それに重ねて放たれたのは、九尾の白狐の斬撃だ。どれもフェイントではない。三つが三つとも、相手を倒す必殺の意思を込めて放たれた一撃だ。
 しかし。
「……っ!」
 目が、合った。
 一人ではない。
 攻撃を仕掛けた、三人同時。
 クロノスの備えた三つの頭が別々に動き、三人の動きを同時に把握する。ほんの僅かな動きのズレを突き、針の穴を通すかのような鋭い身のこなしで避け、躱し、彼女達の攻撃を切り払ってみせる。
「こいつ、強い……っ!」
 流石に三体同時にカウンターという訳にはいかなかったのだろう。攻撃を弾かれると同時にその場を一気に離脱して、昌は短く息を吐く。
「ええ……。ですが、止めなければなりません」
 その決心が揺るがぬうちに。
 一度は定めた決意だが、こうして共に戦えば、気持ちは再び揺らいでしまう。
 揺らげば鈍る。
 鈍れば負ける。
 負ければ、全てが無駄になってしまうのだ。
「万里様!」
 刃を構え、駆ける万里に音もなく並んだのは、黒い猫の意匠を備えた小柄な神獣だった。
「ハットリさん! あんた、何今ごろ……っ!」
「話は後です。……行きますよ!」
 並んだという事は、こちらと戦う気はないのだろう。
 こちらと戦う気ではなく、共に戦う気があるという証だ。
「御意!」
 上空に舞い上がった沙灯に合わせるように、半蔵は素早く印を結ぶ。煙の中から現れたのは、万里と同じ九尾の白狐。
「ったくもう。後で全部、聞かせてもらうからねっ!」
 既に昌にも、併走するどちらが本物の万里か分からない。二頭の白狐は同時に頷き、両手に引き抜いた白鞘の刃を同時に構え、斬りかかる。
「ロッセ! ……シャトワールの奴、神獣も動かせるのか?」
 そんな半蔵に少し遅れて戦場に辿り着いたのは、奉の駆る黒い九尾だ。ラススヴィエートも機動力に秀でた神獣ではあるが、さすがに半蔵のそれほどは迅くない。
「……神王の力でしょう。それより、この音……」
 半蔵を加えた四体同時攻撃さえ捌く三頭の神獣から響くのは、聞く者を不安にするような低い音。それが何か、奉ももちろん気付いていた。
「ああ……。三度目を起こすつもりか、あいつ……!」
 クロノスに秘められた、真の力。
 ヒサ家の禁呪たる時巡りの術。辺りに響くのは、それを再現する神術機関の駆動音だ。
「シャトワール……!」
 神獣から遅れる事わずか。ようやく戦場に辿り着いた銀のアームコートの娘も、その光景に静かに息を呑むだけだ。


続劇

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