15.復活のヴァイスティーガ 戦場に響き渡ったのは、毛に覆われた肌を平手が叩く、間の抜けた音だ。 「ジ、ジュリア……殿……!?」 頬を張った手は、猫影の肌に埋まったまま。細い機体に不釣り合いな太い指は神獣の頬を掴み、逃げる事を許さない。 「ジュリア殿じゃないわよばかぁっ!」 「ば、ば……!?」 ぷしゅ、という音と共にアームコートの背中から抜け出したのは、小柄な身体。 「私たちがどれだけ心配したか分かってるの!?」 ジュリアは怒りで真っ赤になった顔でシャトー・ラトゥールの不格好な腕を渡り、猫影の背中に乗り込んでくる。 「え、あ、いや……あの」 唐突な超近接戦に呆気にとられたまま、半蔵は逃げる事もジュリアをはね除けることも出来ないまま。 これはまずいと気付いた時には、もう遅い。 「出てきなさいよ!」 猫影の首筋。神獣の出入り口に仁王立ちになった少女は、黒い毛に覆われたそこに向かって力一杯声を放つ。 「ええっと……」 「出てきなさいってば!」 「いや、その……」 今この場を出たら、何をされるか分からない。しかし籠城したままでも、いつか猫影の入口を無理矢理開けられかねない。 そう思った、瞬間だった。 「って、猫影ーっ!? 裏切ったでござるか!!」 固く閉ざされていたはずの神獣の首筋が、音もなくその口を開けたのは。 「あら。猫影の方がよく分かってるじゃない。いい子ね」 ジュリアはそう笑って猫影の背中を軽く撫でると、そのまま神獣の操縦席に身を滑り込ませてくる。 (……恐かったんだな、猫影) もはや傍観者と化していた奉は一方的なやり取りを見ながらそう思ったが、さすがに口に出す勇気はなかった。 「いやちょ、ジュリア殿!?」 いかに半蔵が忍びと言えど、ここまでの近接戦を挑まれては逃げる術もない。 まさに絶体絶命だ。 「っていうか、何よ。全部知ってるでござるーみたいな顔して! あなた、どれだけキングアーツのお菓子食べたと思ってるの?」 「え? そんなもの、この半年で結構……」 少なくともメガリ・エクリシアの店はひととおり制覇したし、プレセアに頼んで王都から運ばれる品もかなりの種類を回してもらった。 それをもとにしたレシピの中には、ホイポイ酒家のメニューとして並んだ物も少なくない。 「残念でしたーっ。あんなもの、キングアーツのお菓子の一割にも足りないわよ。王都にも私の故郷にも、もっともっと、半蔵の知らない美味しい物が山ほどあるんだから! ばーか!」 「むぅ……」 小さく呟く、その頭を抱えたのは……。 「だから……帰ってきてよ。また一緒に、お菓子屋さん巡りしようよ……」 操縦席に滑り込んできた少女の、細い腕だった。 人工皮膚で覆われたそれは、見かけこそ人のそれと変わらなかったが……その硬さは、鋼のそれと変わらぬものだ。 けれど伝わる温もりは、半蔵の身体ではなく、その内側をそっと包む。 「……それとも、ネクロポリスのご飯がそんなにいい?」 「嫌でござる! あんな物を食べて一生を過ごすくらいなら死を選ぶでござる!」 「ならその命、私にちょうだい……?」 答えは、ない。 言葉はなく。 ただ少女の腕を濡らす涙が、それを無言で語っている。 緑色の人型の斬撃を受け止めたのは、機体には不釣り合いなほどに巨大な盾だった。相手の攻撃を逃がすように受け流して……相手の首を根元から両断したのは、脇から振るわれた両刃の剣だ。 もちろんそれは、防御を引き受けたコトナの攻撃ではない。前線から引き返してきた、鷲頭の獅子の一撃である。 「……ありがとうございます、柚那さん」 「大丈夫? コトナちゃん」 通信機に伝わってくる呼吸は短く不規則で、もともと体力面で不安のある彼女の限界が近い事は柚那にも分かる。 「大丈夫ではありませんが、下がれるほどの余裕もありませんし。……ここが踏ん張り所でしょう」 前線の指揮を取っていたアーデルベルトは未だ連絡が付かないまま。別行動を取っていたプレセアも柚那と共に防衛に加わってくれていたが、彼女達を足しても、それまでに失われた戦力の方が多いのだ。 これ以上戦力を失っては、戦線の維持も危うくなる。 「そんなの、アイツにさせとけばいいのよ」 小さく呟いて柚那が見上げれば、そこで戦っているのはかつて敵であったはずの翼の巨人だった。 「……信用出来るんですの? 彼は」 柚那が連れてきた、バスマルである。柚那との一対一の戦いで何かあったらしく、処分の減免を条件にこちらへの協力を申し出てきたのだ。 「また裏切ったら墜とすだけよ」 「ふむ……」 柚那の言葉はコトナに向けたそれとは違い、一片の感情も籠もってはいなかった。 明らかに本気だ。もし再び彼が裏切るような事があれば、地の果てまでも追い詰めて罰を下すだろう。 「……でしたら、すみません。こいつらを退けたら、少し休みます」 攻撃を受け止め、力を掛けずに押し流す。 敵の集団は、あと僅か。 神王の手先は世界樹のあちこちから現れる以上、けっして油断は出来ないが……それでも、次が来るまでにわずかな隙くらいはあるだろう。 「事無きの名を背負う以上、自分で悪いジンクスを作るわけにもいきません……からっ」 次にコトナが受け流した一撃は、体力を削るほどの衝撃も伝わってこない。 相手が手を抜いたわけでは、もちろんない。 コトナが受け止めるよりも先に、相手が味方に倒されたからだ。 「あなたは……?」 それは、コトナの知らない機体だった。 白い虎を模した騎体は神獣のようだが、あちこちから覗く機械部品はアームコートのようでもある。昌の白雪やセタのMK-IIのように、二つの特性を混ぜ合わせた機体なのだろうが……。 「大丈夫か、日明!」 無線機から響いたのは、その場にいた誰もが知っている声だった。 「シュミットバウアー中佐!? しかし、その騎体は……?」 下に落ちた時に乗っていたのは、ごく一般的な歩兵用のアームコートだったはず。それが、どうしてこんな騎体に乗っているのか。 「ヴァイスティーガじゃない。何でそんなもの」 「下層の工廠跡で見つけたんだが……知っているのか、柚那」 「動いてる所を見るのは初めてだけどね。珀亜ちゃんの死んだお兄さんの騎体よ」 アーデルベルト達と同じく、柚那が八達嶺に来たのも彼が死んだ後だ。しかしその残骸は目にしていたし、活躍の噂は幾度となく耳にしている。 「……なるほど。それで、上に行きたがっているのか」 上層にいる珀亜に死んだ兄に近い何かを感じたのだろう。神獣が動物のような意思を持つことは聞いていたから、理由が分かればコネクタを介して伝わってくる感覚も理解出来る。 「上に向かいますの?」 「ここも気になるが、その話を聞いたら行かんわけにもいくまい。……任せていいか?」 コトナの声を聞くだけで、ここでどれだけの激戦が繰り広げられていたかは想像が付く。 しかし、王虎の意思に影響でも受けたか……上に向かわねばならないという気持ちは、アーデルベルトの中で押さえることが出来なくなりつつある。 「仕方ないわね。……なら、これ持って行きなさい。武器が爪だけよりいいでしょ?」 「でしたら、これも。私は予備がありますから」 「すまんな」 そう言って柚那とコトナが差し出してくれたのは、彼女達が使っていた剣と大盾だった。確かに爪よりは、手持ちの武器の方が使い慣れている。 「アーデルベルト君。例の件、今のところ順調ですわ。……全体としては、芳しくありませんけれど」 「……分かった。ロッセ達にも伝えておく」 プレセアの言葉に小さく頷くと、アーデルベルトは改めて上層に向けて走り出す。 そんな白虎の背中を見送りながら。 「例の件?」 「ちょっとした、保険ですわ」 柚那の問いに、プレセアはそう言葉を濁すだけ。 |