13.世界樹の迷宮 目の前にあるのは、巨大な枝。 そこからゆっくりとソフィア達の前に降りてきたのは、頭上高くに伸びる枝と融合していた翼の巨人だった。 開かれた操縦席の内に覗く、精悍な顔立ちをした青年こそが……。 「……神王」 ネクロポリスの長にして、大後退の発現を望む者。 アーレスやシャトワール達を内に取り込み、ククロからアークの全てを奪おうとしている、ヒサ家の妄執の結晶体。 「どうする、姫様」 セタの問いに、ソフィアは沈黙を守ったまま。 彼の技量は、珀亜やアーデルベルト達から聞いていた。純粋な剣技においても大型機戦においても、並の腕ではないという。 「先にククロの体を探そうと思ったのに、なかなか予定通りには行かないわね……」 さらに上空には、いまだ世界樹の尖兵……無数の緑色の鳥型が留まったままだ。それらも神王の指示を受ければ、彼女達三人を引き裂こうと殺到する事だろう。 「見逃しては、くれないわよね?」 枝から降りてきた神王は、ソフィアの問いに応えない。 ただ無言で、腰の刀を引き抜くだけだ。 「……問答無用か」 相対するのは、ソフィア達たった三人。 絶対に負けられない戦いで、果たしてその戦力が足りるのかどうか。 さらに言えば……。 「……お命じいただければ、自分が」 戦いの意思をいまだ露わにしないソフィアに掛けられたのは、リフィリアの言葉だった。 「でも、あいつを倒したら……」 言いたいことは分かる。 ソフィアが、彼女の知る全てを救おうとしている事も。 「……止めなければこの世界が滅びます」 けれど、一度目の大後退は大陸の大半を薄紫の世界に変えた。そこから数百年の時を掛け、北方の国々は浄化の技術を再発見し、少しずつ世界を浄化してここまでやってきたのだ。 ここで迷えば、全ては滅ぶ。 目の前のものも、目の前にはない全ても。 二度目の大後退が、一度目のそれと同じ規模で済むかどうかさえ分からないのだ。 「恨むなら、私をお恨みください」 武人の家に生まれたリフィリアには、戦う事しか出来ない。 だが、戦う事は……出来る。 例えその戦いでヒサの二人を失い、ソフィア達の恨みを買おうとも、ソフィアを含めた多くのものを勝ち取る事は出来るのだ。 「それが、アルツビークの役目です」 故に。 「……ううん」 だからこそ。 「私がやる」 一歩を踏み出したのは、ソフィアだった。 「沙灯と瑠璃がくれたチャンスだもの」 黒金の盾を掲げ、背中の片手半を引き抜き、構える。 その左右を固めるのは、紅と蒼、二つの機体。 「だからごめんね! 瑠璃! 沙灯!」 セタの火器の一斉掃射を鏑矢代わりに、最後の戦いは、始まった。 「それでいいのよ。ソフィア」 辺りに響いた強い強い思念にぽつりと呟いたのは、どこか満足そうな鷲翼の少女だ。 「瑠璃……」 「もともとネクロポリスの力で生き延びていただけだもの。……ロッセとも、ちゃんとお別れが言えたしね」 傍らを翔ぶ瑠璃色の翼に小さく思念で囁きかけ、瑠璃色の指輪のはまった指先で銀の瞳の涙を拭う。 「ま、リーティは覚えてないだろうけどさ」 「姐さん……」 いかに彼女が良く知る相手でも、それはかつての世界の話。随伴する黒い翼の駆り手は、姿形は同じでも、彼女の知らない別の少年なのだ。 「それよりリーティ。あんたの作戦、ちゃんと大丈夫なんでしょうね?」 世界樹の外側から頂上に向かうルートを選んだ彼女達が連れているのは、味方だけではない。三つの飛行騎体を追うのは、緑色の鳥型と翼の巨人……飛行型シュヴァリエの軍勢である。 もともと飛行型神獣は機動力に特化した構造で、攻撃力に乏しい。神術弾や爪などで戦えないわけではないが、本来は偵察や情報収集、伝令に使われる騎体だ。 「考えたのはオレじゃなくてヴァルだけどね」 本来は地上での運用を前提とした作戦のようだったが、そこからアイデアを拝借し、ロッセにまとめて貰ったのである。 「環の嫁か……。けど、そいつはこの作戦知らないんでしょ? ホントに何とかなるんでしょうね」 ただその作戦唯一最大の問題は、作戦の中枢となる相手が作戦そのものを知らないという一点だった。 既に先の見えた瑠璃だけが危ない目に遭うならまだしも、こんな作戦とも呼べない無茶にロッセとリーティを巻き込むというのは、瑠璃としては大いに不満だったのだが……。 「大丈夫でしょう」 ロッセは、パートナーの疑念をあっさりと否定してみせる。 「そうそう。思念が使えなくても、美味しい所は気が付いたら持って行ってる人だから」 新しい機体のテストに付き合った時も、イズミルでの生活でもそうだった。気が付いたら彼らの欲しい場所に居て、予定されたかのような行動を取ってくれるのだ。 そいつは。 「……そいつまで巻き戻した覚えはないわよ?」 仮に巻き戻したとしても、その都度歴史は変わるもの。そんな細かい所まで先読み出来るのは……恐らくは天性の才能や、特別な力といったものなのだろう。 「まあいいわ。なら、もうひと息引っ張るわよ!」 「了解! 鳴神のぶんまでこっちで働かないとね!」 空での戦いを離脱した黄金竜は、間違いなく別のどこかでもっと激しい戦いに身を置いているはずだ。 リーティも共に翔ぶ二人に負けないよう、騎体をさらに加速させる。 「見えました。あの爆発の所です!」 そこは、先程響いた強い強い思念の源。 狼煙のように煙を上げるその場所に、天翔る三騎は敵の群れを引き連れ、一直線に翔んでいく。 打ち合わされるのは、刃と刃。 九尾の黒狐の叩き付ける大太刀と、小柄な神獣の構える短刀だ。 「なぜ万里を裏切った、半蔵!」 九尾の黒狐の姿は、四つ足からいつしか二つ足へ。 噛み構えた刃も、手の形に転じた前脚に握られている。 「それを聞いて、どうするつもりでござる?」 けれどより攻撃性を増したその姿にも、半蔵の駆る騎体は捉える事が出来ないままだ。 「……どうもしない」 ある時は躱し、ある時は受け流し、手応えがあったと感じれば、その姿は既に背後へと移っている。変幻自在な動きの前には、奉の神術も、切り込む術も追いつかない。 「ただ……俺が納得出来ないだけだ!」 ヒトガタ変化の代償。騎体の構造を組み替えた痛みに顔をしかめながら、奉はそれをねじ伏せるように強い言葉を放ってみせる。 「ロッセは瑠璃のためだと言った! お前は誰のためにミーノースに付いた!」 斬撃の向こう。相手が跳び去るだろう位置に灯したのは、神獣をも燃やす青い焔。 けれど神術が形を成した時には、半蔵の姿は既にその向こうにある。 「半蔵!」 「拙者も忍び。幾度もの変節など、望む所ではござらん」 ゆらりと燃える炎の中に浮かぶかの如く。 半蔵が答えたのは、そのひと言だ。 故に戦う。 故に道を塞ぐ。 故に……刃を、構える。 「……曲げたのか?」 炎を挟んで相対する九尾から放たれたのは、斬撃ではない、そんな問いだった。 「曲げたなら、どうしてアレク達を先に行かせた」 半蔵は忍び。直接刃を合わせる事よりも、隠密や陽動、時間稼ぎを得手とする。 本気になれば、奉たちがいかに刃を振るい、矢を射かけたとしても、アレク達を進ませることはなかったはずだ。 けれどこの場にいるのは、奉を含めてたった二人。 どちらも足止めされたからではない。目の前の半蔵と相対するため、自らの意思で残っただけだ。 「たった一人でシュミットバウアー隊を抑えた万里の忍びはどこに行った? 半蔵・ハットリ」 今の忍びは、誰一人として足止めをしていない。 その問いにも、半蔵は黙して答えないまま。 「半蔵…………」 そんな半蔵に歩み寄ったのは、相対していた奉ではなかった。 ずっと戦いを見守っていた、もう一騎。 柔らかなラインをもつ、銀色のアームコート。 予備の武装が詰め込まれていた巨大な棺も、手持ちの弓も既にその手にはない。両手に一切の武器を持たぬまま、静かに半蔵へと近寄っていく。 「ジュリア……殿?」 半蔵としても、その機体の思惑が見て取れぬまま。 彼我の距離は弓矢の距離から槍の距離へ。 太刀の間合を過ぎて、短刀の間合でも立ち止まらず。 止まったのは、目と鼻の先。 「…………ばかぁっ!」 半蔵を捉えた最初の一撃は。 大きく開かれた、平手の一撃だった。 世界樹の根元……そこからさらに幾つかの層を抜けた果て。血まみれの老爺の身体が転がるのは、そんな地の底のさらに底であった。 「…………ちっ。年寄りを労るという事を知らんのか、彼奴め」 伏兵として隠されていたバルミュラの拳は、何とか避けた。しかし、ムツキ達の足元は根の絡み合って生まれた空洞でも出来ていたのだろう。振り下ろされた拳は天井を砕き、ムツキを崩壊の中へと容赦なく巻き込んでいたのだ。 (土竜が地の底で最期を迎えるか……。笑えんな) かつて、やはり似たような事があった。 その時は同じく巻き込まれたキングアーツの将校や、助けに来たソフィア達がいたが……神王との最終決戦を迎えた今、そんな助けは流石に望み薄だろう。 だが。 「……なるほど。ここにあったのか」 小さく呟き、身じろぎを一つ。 彼らの足元に広がっていた空洞は、どうやら偶然に出来たものではないらしい。 明確な目的を持って、作られた空間。 そしてそれこそが、ムツキの探し求めていた場所だった。 「後は、これを繋ぐだけか」 義体とアームコートを接続するためには、義体のコネクタを用いる。ここに来る前に聞いたコトナの話を思い出しながら、ムツキが懐から取り出したのは一本のケーブルだ。 「……覆いを外す手間が省けたの」 バルミュラの攻撃からの盾代わりにした左腕はひしゃげ、既に原型を留めていない。痛覚遮断のおかげで痛みを感じない事に感謝しながら、ムツキは露わになったコネクタ部分にケーブルを差し込んでいく。 「これでよし……と」 かちりと僅かな手応えがあったのを確かめて。ケーブルの反対側を繋いだのは、壁の一角から覗く石盤らしきもの一部だった。 アーク。 世界樹が石盤から今の姿に転じた時の欠片の一つである。 砂浜で砂粒ほどの宝石を探すような途方もない作業だったが、どうやら死に際に運が味方してくれたらしい。 老爺はアークにケーブルを繋ぎ終えるとごろりと身体を横たえ……ぼんやりと向けた頭上に見えたのは、青い空。 「あれは……」 逆光の中、ゆっくりと舞い上がる翼の巨人と。 巨人に抱えられた、人型の物体。 「あれは……そうか。彼奴め、あちらが狙いだったか」 恐らく最上層では万里達が。そしてククロの戦いも、大詰めを迎えているはずだった。 シャトワールが早いか。 それとも、ムツキの一手が間に合うか。 「行くぞ」 老爺は小さく呟き、残された力で意識を集中させる。 |