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6.もう一つの戦場

 屋根の半分が失われた建物に響き渡るのは、鋼同士の打ち合う音と、殺気じみた怒号であった。
 戦場ではない。
 正確に言えば、戦場ではあるが、武器を打ち合わせる戦場ではなかった。
「この辺りは無事だったのか」
 武装の補給を受ける自らの機体を見上げながら、エレが声を掛けたのは腕の中の少女に向けて。
「ええ。工廠区画も半分以上は下の層に呑み込まれたようですが、この辺りはクオリア中尉の意思が及んでいるそうで」
 世界樹の急激な成長に巻き込まれて、居住区や飛行鯨の発着場はそのほとんどが失われていた。兵や非戦闘員の逃げ込んだ本営とそこに隣接する工廠の一部が無事だったのは、神王の意思で行なわれた世界樹の発現にククロがギリギリの所で干渉したからだという。
「まあ、コトナちゃんが無事で良かったわよ」
 そして、その場にはもう一人。
 エレの抱きかかえたコトナの手を取る、柚那である。
「……柚那は沙灯とイチャイチャしてるんじゃなかったのかよ」
 ここに来る前に結んだ協定では、そういう約束だったはずだ。しかしここに着いてから、柚那はコトナから離れようとしない。
「だって瑠璃ちゃんが用があるって言うからさー。あたしとしては姉妹丼も大歓迎だけど、姉妹の時間も必要でしょ?」
「……姉妹丼?」
 丼とは、確か神揚の食器の一種のはず。それと姉妹という単語がどう結びつくのか、コトナには想像が付かない。
 家族用の食器のようなものだろうか。
「コトナちゃんは後でゆっくり教えてあげる」
「ンだよ。アタシにも教えてくれよ」
「やぁよ。年上なんて」
 そんないつもと変わらぬ話をしていると、エレの元にやってきたのは手のひらに乗るほどの人形だった。
「エレ。動力炉の装填、終わったよ。これで電磁砲も使えるよ!」
 誇らしげに指差す人形の先を見れば、不格好なアームコートの背部には大型のユニットが組み付けられていた。フレームは急造といった作りだが、そこから伸びるケーブルは背中の折り畳まれた砲の根元に繋がっている。
「良い仕事すんなぁ、ククロ。ちっこいくせに」
 人としての身体は世界樹の上層にあるらしいが、意識を繋げたこの身体も、以前と変わらぬ……いや、小さい分それ以上の働きを見せていた。
「まあ実際に作業するのはナーガだしねー。ってか、こっちの方が細かい作業と分業出来て便利かも」
 そんな小さなククロの声に応じてこちらに顔を向けるのは、彼のまとっていたアームコートである。今はそちらにも意識を繋げ、作業するには非力すぎるククロのもう一つの体となっているのだ。
「ガーディアンは装備の点検と関節の調整はしといたよ」
「ありがとうございます。……ハギア・ソピアーはどうなっていますか?」
「んー。ブラスターは脱出の時に無理させたから、一度オーバーホールしないと厳しいと思う。他は大丈夫だけど」
 ブラスターはハギア・ソピアーの切り札の一つ。それがなければ、ハギア・ソピアーは近接特化の重騎士としての役割しか期待出来ないという事だ。
「まあ、姫さんはアレ嫌いみてえだから、こっちでフォローすりゃ何とかなるだろ。……で、お前はどうなんだよ、ククロ」
 けれど、今の問題はソフィアではない。
 ククロ自身だ。
「そうだなぁ。今んところ、一進一退って所かなー」
 小さなククロと、ナーガと、そしてもう一つ。
 どことも知れぬ世界で神王と戦っているというククロの事だ。ククロの核……魂とでも言うべきそのククロは、アークを使って大後退を起こそうとする神王から、大後退発動の鍵を守って戦っているのだという。
「それじゃオレ、アエローとMK-IIの様子も見に行かなきゃいけないから」
「おう。頼むぞー」
 世界の内と工廠。二面の戦いを並行して行なう事が一体どういう事なのか、エレにはよく分からない。ただ、ククロがその双方を楽しんで臨んでいる事だけは分かったから、あえて止めようとは思わなかった。
「元気ねぇ。……はい、終わったわよ」
 そんなククロを見送って、柚那はコトナの手を離す。
「ありがとうございます、柚那。少し楽になりました」
 どうやらコトナに治癒の術を掛けていたらしい。エレが抱き上げるまではわずかに青味がかっていた顔も、今は赤味を取り戻している。
 それを知っていたからこそ、エレも少々言い合いをする程度で、柚那を無理には引きはがさなかったのだ。
「みんなで頑張って生き残らなきゃいけないしね。あ!」
 治癒を終えてもコトナの側から離れようとしなかった柚那が立ち上がったのは、半分を失った工廠の裂け目から双子の少女が顔を覗かせたから。
「沙灯ちゃん、瑠璃ちゃん! お姉さんとイイコトしましょー!」
「ブレねぇなぁ。あいつ」
 元気よく手を振りながら駆け寄る柚那の背中に、エレは小さく苦笑を一つ。
「……エレも相当だと思いますよ」
 そんな彼女の腕の中で、コトナも穏やかに微笑んでみせるのだった。


「まあ……別にいいんじゃないか?」
 屋外に開かれた臨時食堂でそう口にしたのは、周囲の掃討戦から戻ってきたキングアーツの第二王子である。
「よろしいんですか!?」
 食事や装備、今後の作戦についてではない。
 リフィリアが聞いたのは、先程のタロの告白の是非についてであった。
「……正直何も言えんよ。私は」
 アレクはどこかばつが悪そうに呟き、ちらりと視線を向ければ……それを受けた万里も顔を赤らめ、そのまま俯いてしまう。
「あの、ですが家柄とか、そういうものは……?」
 アレクと万里は両国の王族の血を受け継ぐ者達だ。その婚姻には本人達の望む望まざるに関わらず、和平の象徴や、政略結婚という意味合いが付いて回る。
 けれどタロは一介の商売人でしかなく、王族と釣り合うような身分の者では決してない。
「神揚はそういうのは気にするのか? 昌」
「まあ、するって言えばするけど……。抜け道は色々あるしねぇ」
 昌が知っているだけでも、貴族や武家が優秀な市井の民を養子として迎える話は片手では足りないし、そこから縁談に流れる例も同じくらいある。
 そんな出自の者が王族と結びつくロマンスも、過去の歴史を紐解けばいくらでも出てくるだろう。
「じゃあ昌さん、オイラ養子にしてよ」
「なんで私にこんなでかい子供が出来なきゃいけないのよ。せめて弟で勘弁してよ……」
「じゃあ万里様?」
「だからなんで王家に格上げになるの!」
 そもそも万里の歳も昌と大して変わらないのだ。流石の万里も、その話には微妙な表情を浮かべている。
「いいじゃない。家柄を越えた恋なんて素敵!」
「ですよねー!」
「うんうん。私も応援するよ、タロ」
 無責任にはやし立てるジュリア達にため息を一つ吐き、リフィリアも小さく首を振るだけだ。
「ありがとー! みんなには、これもご馳走しちゃう!」
「……まあ、結局はソフィア次第じゃないか? この状況で帝国貴族との婚姻って話なら、陛下も王子連中も特に文句は言わんだろう」
 そんな中でただ一人、常識的な判断を口にしたのは、やはり食事に来ていた環だった。
「そうだった! どうなの? ソフィアは」
「んー」
 ジュリアの問いに、ソフィアはフォークをくわえたまましばらく唸っていたものの……。
「……分かんない」
 ようやく口にしたのは、そんな間の抜けたひと言だった。
「分かんないって……」
「万里や私にでっかい子供が出来るかどうかの問題なんだけど……」
「だってそういうの、考えた事ないし。恋愛とか、良く分かんないし……」
 タロに面と向かって言われはしたが、正直なんの実感も沸いてこないのだ。そもそも王族の姫君たるソフィアにこんな場で求婚してくる相手自体、タロが初めてなのである。
「え、ちょっとソフィア。私とアレクの時は散々焚き付けたくせに……!?」
「だってあれは、万里と兄様はお似合いだって思ったからで……」
 アレクと万里が一緒にいる所は、想像が出来た。
 しかしタロと自分が一緒にいる所と言えば、ホイポイ酒家でご飯を食べている場面しか思い浮かばない。
「別にいいよ。ダメってわけじゃないんだろ?」
「うん。別にタロの事、嫌いってワケじゃないし。……とりあえず、保留で良い?」
「もちろん! これからオイラ、頑張ってアヤさんに相応しい男になるからね! いいですよね、アレク様」
「ははは。頑張れ」
 恋愛経験値の欠片もない姫君の様子に呆れる一同を前に、アレクも穏やかに笑っているだけだったが……。
「だが……アレクより面倒な相手がいるんじゃないか? まだ」
 辺りの温度が一気に下がったのは、ヴァルキュリアのそのひと言があったからだ。
「あ…………」
 アレクは笑って済ませたが、果たして彼はどういう反応を示すのか。
「面倒な相手って?」
「まあ、あれは恋愛感情ではないだろう。どう見ても」
「そのぶんタチが悪いって可能性もあるぜ。オレを倒せ的な感じで……」
 先日のソフィア誘拐の件での荒れた様子を見ているだけに、名前を出す事に関しては、誰もが口をはばかってしまう。
「……いいなぁ」
 そんな穏やかな光景に、赤い髪の少女は小さく本音を漏らす。
 リフィリアとしても、当然だがそれを祝福し、応援したい気持ちはあるのだ。しかし、彼らの間に立ちはだかる壁は余りにも高く、また多い。
「ま……まあ、越え甲斐があるよ」
「ねえ、誰よ。それー」
 けれど、それさえ糧として壁に挑み、越えようとする様は、余りにも眩しく見えるもので……。
「どうした、リフィリア」
「や、いや……何でもない」
 それを傍らのヴァルキュリアに問われ、リフィリアは慌てて発言を誤魔化してみせる。
「いいわよねぇ……」
「わ、私はそんなこと言ってないぞ!?」
「ん? どうかしたの? リファ」
 どうやらジュリアもリフィリアの言葉を聞いたわけではなく、純粋にそう思っただけなのだろう。首を傾げるジュリアにため息を吐き、それ以上は何も言わないようにと改めて意識をそちらに集中させる。
(……姉さん)
 実際、ジュリアはリフィリアの言葉を聞いているわけではなかった。
 考えていたのは、かつて彼女に手紙を遺した、姉の事。
 彼女の手紙には、神獣……当時は魔物と認識されていた騎体の中には、神々しい何かがいるのだと記されていた。
(神獣の中にいたのは、やっぱり神様なんかじゃなかったよ……)
 けれど、そこにいたのは神などではなかったのだ。
「だから、誰なのよ。みんな知ってるんでしょ!」
「あはは。秘密だよ、アヤさん」
 それは…………。
(だから……)
 そして……。


 工廠に響いたくしゃみに、青年の肩からずり落ちたククロは慌てて自身の体勢を立て直した。
「風邪かい? セタ」
「さあ? ひいた事がないから、何とも……」
 体調管理にさして気を配った覚えはないが、身体を冷やして体調を崩した覚えは一度もない。恐らくは施された義体化や風の民としての生活が由来しているのだろう。
「これと、これも頼んで良いかな?」
 そんなセタが指差すのは、工廠の隅に積み上げられていた装備の数々である。本営の防衛戦の合間、世界樹の成長に巻き込まれて散り散りになっていた装備品の類を回収したものだ。
「へええ。意外といい趣味してるじゃない、セタ!」
「バスターランチャーだけだと心許ないからね」
 工廠に残された動力炉に交換する事で、焼き切れたバスターランチャーは再び使えるようになっていた。しかしそれも、エレの電磁砲のように連発出来るような性質の物ではない。
 最前線で動力炉を弾倉のように手軽に交換出来るならまだしも、それが出来ない以上、ランチャーの間を保たせるための装備も必要となる。
「いいよ。任せといて!」
 小さなククロは軽くそう答えると、ナーガを呼び寄せて早速作業を開始する。
「瑠璃」
 そんな光景を眺めていた瑠璃に掛けられたのは、黒豹の足を持つ青年の声だった。
「アエローの検査、終わりましたわ。搭乗者に害を及ぼすような仕掛けや術は、確認出来ませんでした」
 運ぶ前にも簡単な調査はしておいたが、万が一の自体が起きてはたまらない。ネクロポリスからの脱出用にアエローを準備した張本人であるロッセにも協力してもらい、改めての調査を行なっていたのだ。
「ありがとう。なら、次の戦いからはこの子で出るわ」
 脱出に使った兵やミーノース側の罠という可能性もゼロではなかったが、あのタイミングで何か仕込める時間など知れている。こちらも戦力が足りない以上、戦力になりそうな物は何であれ活用するしかない。
「…………」
「何?」
「…………別に」
 瑠璃は黙ったままだったプレセアに首を傾げるが、仮面の美女はそう言ったきり顔を逸らすだけ。
「瑠璃、出るぞ」
「分かったわ! なら、行ってくるわね。プレセア、ロッセ」
 周囲の掃討戦も、まだ終わってはいない。工廠に舞い降りてきた黄金の竜と入れ替わりに出撃するエレの声に大きく手を振り返して、瑠璃は調整を終えたばかりのアエローに飛び乗った。
「ロッセ。ちょっといいか?」
 黄金竜の隙間から青い空へと抜けていく半人半鳥を見送ったロッセが振り返れば、そこにいたのは彼の同僚……奉である。
「ええ。アーデルベルトの件ですね?」
 奉の向こうには、小さなククロを肩に乗せたキングアーツの武官の姿もあった。先程までククロはセタのMK-IIの作業を引き受けていたはずだが、今はそちらはナーガに任せているらしい。
 ロッセが奉と共にそちらに行ってしまえば、場に残されたのは……車椅子の、美女一人。
「……納得いかんという顔だな」
 低い男の声に、彼方を見ていた視線を戻す。
「顔色が窺えるほど顔は出していないつもりですけれど?」
 プレセアの顔の大半は、カメラアイの付いた鋼の仮面に覆われている。それは見えぬ瞳を隠す意味合いだけでなく、交渉相手に表情を悟られぬ役割も持つ。
 僅かに覗く口元はそれを読まれないよう注意を払っているし、その効果は今までの幾度もの交渉で実証済みのはず……なのに。
「あれらも犠牲者なのだ。ヒサ家のな」
 視界の彼方……激戦の中に消えていく半人半鳥の翼を見遣り、その戦場から戻ってきたばかりの鳴神はため息を一つ。
「神術は、心の力です」
「心の……」
 繰り返すプレセアに頷くのは、鳴神のもとにやってきた珀亜だった。
「誰かを想えば、より強い力が使え申す。……己よりも皆、皆よりも一人……」
 その想いが絞られれば絞られるほど。
 想いが強くなればなるほど、解き放たれる力は強く、大きくなる。
 それこそ、自らの体を依り代として死した者さえ引き戻すほどに。
(だとすれば、彼奴も……)
 プレセアへの言葉を紡ぎながらも珀亜が想うのは、自らの事。自らの本当の体に魂を宿す、神王を名乗る仮面の男の事だ。
 自身の身体に執着はない。
 けれど、今の仮の宿りは何があっても妹に返さねばならぬ。それがいつか、彼女……いや、彼にもおぼろげながらに見えて来つつあった。
「先に食事に行っておれ、珀亜。俺の分も残しておくよう、タロに言い含めておけよ」
 鳴神の言外の意味を悟ったのだろう。珀亜は小さく頷くと、そのまま場を後にする。


続劇

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