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5.王の剣と姫君の翼

 見上げれば、広がるのは一面の空。
 イズミルの森の緑も、世界樹の異形の緑も、ここで見上げる空にはその一切が視界に入らない。
「連中は中層の本営に辿り着いたようです。陛下」
 そのイズミルで最も高い場所……世界樹の頂で報を告げたのは、無毛禿頭の人物だ。
 けれどシャトワールの報告にも、目の前の人物は何の答えも返さない。
 目の前で大きく伸び上がった世界樹の枝、その中ほどに彫りかけの彫像の如く削り出されたバルミュラの胸部。神王はその身を露わになった操縦席に半ば埋もれるように融合させたまま……視線を僅かに動かしただけだ。
 それは人なのか。
 それとも、既に人を捨てた身なのか。シャトワールの背後に立つバスマルには、その判断など付きはしない。
「で、次はどうするんだ? 半蔵の策で良いのか」
 もはや、判断する段階ではないのだ。
 ついて行くしか、道はないのだから。
 たった一枝天に伸びる、神王の融合した世界樹の枝のように。
「お二人はそれでお願いします。よろしいですか? 半蔵さん」
「委細承知」
 バスマルの傍らにいた半蔵も言葉短く、頷くだけ。
 世界樹の枝の一部となった神王をちらりと見れば、向こうもそれに気付いたのだろう。視線を半蔵に向けてくる。
(……珀牙殿)
 既に神王の仮面は失われ、精悍な青年の顔が露わになっていた。しかしそこからは彼が生きていた頃の闊達な表情は失われ、ただ人形のように瞳を動かすだけでしかない。
「お前はどうする、シャトワール」
「わたしも出ます。もう少し陛下とお話がありますが……」
 いずれにしても別行動なのだろう。だとすれば、バスマルにとってはそれ以上の用事は無い。
「バルミュラ!」
 天にそう声を放てば、近衛として控えていた翼の巨人の一体が音もなく降下してくる。
「では、拙者も出るでござる」
 半蔵は相変わらず、神獣のままで良いらしい。ネクロポリスで使えるようにしていた大蜘蛛があれば、また別の策も立てられたのだろうが……転移機能の全てが失われた今、ない物をねだっても仕方ない。
「頼みます」
「……楽しそうでござるな、アディシャヤ殿」
 見送るシャトワールに向けられたのは、シャトワール本人も予想だにしていない言葉だった。
「そう見えますか?」
 もちろんシャトワールにそんな自覚はない。キングアーツにいた頃から表情は少なく、感情の起伏も少ないと言われてきたのだ。
 その自分がなぜ、この局面でそんな事を言われるのか。
「どこかに鏡があれば探して参ろう。……では、御免」
 シャトワールの問いに答える事もないまま、黒い小柄な神獣はその場から音もなく姿を消すのだった。


 世界樹の構造は、樹と言うよりも塔に近い。
 アームコート数十機をしても囲みきれない外周を持ち、内部も空洞や梁状の構造に満たされて階層上の構造を備えている。
 天然の迷宮と化したそこを中腹まで登り切れば、目の前に広がっているのは見慣れたイズミルの本営だ。
「やっと着いたー!」
 そして、ムツキの地図に従って世界樹の中腹までを踏破したソフィア達を迎えたのは、空っぽになった腹に染み入るような良い匂いだった。
「いらっしゃい、アヤさん、みんな! ……他のみんなは?」
 本営の奥。平らになった一角で鍋を振るっているのは、当然ながらタロである。周囲に積み上げられた物資は、ホエキンに乗せたままになっていた食材だろう。
 だが、簡易食堂にやってきたのは、ソフィアや万里に加えてごく数名でしかない。それは、地上班として出立した者達の半分にも満たない数だ。
「兄様達はアーデルベルト達の援護で、まだ外にいるわ。プレセアは工廠に人と荷物を搬入してる」
 イズミルの外壁側ではなく内側にも緑の異形の侵攻は進んでいるし、大後退までのリミットはククロがどれだけ耐え凌げるかに懸かっている。様々な事を並行して効率よく進め、一刻も早く神王との決着をつけなければならない。
 中継地点に辿り着いたからといって、全員が休んでいるわけにはいかないのだ。
「ならしっかり食べて、元気付けていってよ。オイラ、じゃんじゃん作るからさ!」
 ホエキンに載っていた荷物の大半は、イズミルの式典で使うはずだった食料だ。ネクロポリスで多少使ってしまったが、数名の食事分で使った分など微々たるものでしかない。
 非戦闘員を乗せるためには荷物は置いていくしかないし、ならばここで有効活用するのが一番だ。
「あ、あの……万里」
 そんな中。
 万里に箸と皿を差し出したのは、タロ達と一足先に本営に辿り着いていた、鷲翼の少女だった。
「……ありがとう、沙灯」
「あなた達もどうぞ」
 そして沙灯の傍らにいたのは、彼女と同じ翼を持った少女だ。
「あなたが瑠璃?」
「姫様がたは、たぶん初めましてよね。ミーノースのご飯は美味しかった?」
「軍の野戦缶詰でもあれよりはマシね。タロがいなかったら、きっと一人で反乱起こしてたわ」
 呆れたようなソフィアの言葉に、少女はくすくすと笑って細い腕を差し出してみせる。
「気が合いそうね。よろしく、万里、ソフィア」
「……話には聞いていたけど、本当に沙灯とそっくりなのね」
 こちらを見据える銀の瞳は、どこか気弱な雰囲気を漂わせる沙灯の金の瞳と対極的な様子を見せていたが……それさえ除けばまさに瓜二つ。
「双子だしね。……それじゃ、また後で」
「あ、私も……」
 卓の隅に使い終わった食器を重ね、挨拶を終えた瑠璃はするりとその場を後にした。そんな彼女を追いかけるように、沙灯もまた、世界樹に巻き込まれて半壊した建物へと歩き出す。
「もう行っちゃうの? もっとお話しましょうよ」
「アエローが見つかったんでしょ? 使えるようなら、あたしも空の戦力になるからさ」
 先程までは工廠に保管されていた歩兵用の神獣を使っていたが、やはり彼女は空の戦士なのだ。空中戦力はイズミルの戦力でも貴重だし、それが活用出来るなら越した事はない。
「そっか……沙灯も?」
「うん……。また、後で」
 万里の言葉に言いにくそうに返し、沙灯もその場を後にする。
「難しいね、沙灯」
「……仕方ないよ。私も正直、どう話したら良いのか、良く分からないし……」
 仲良くなりたいという想いはもちろんある。けれど、彼女のしてくれた事に対する万里の記憶は、昌達から聞いた又聞きのものでしかない。
 しかし、沙灯は万里の事を万里以上に知っている一面があって……それ故に、互いの距離感が掴めずにいる。
「まあ、今はくよくよしても仕方ないよ。ほらご飯ご飯!」
 沈み掛けた万里を引き上げるように、昌はひときわ元気な声を上げてみせた。
「タロさん、甘いものもあるでしょ?」
「もちろん! ネクロポリスにいる間に考えた新作も、もうすぐ焼き上がるよ!」
「さっすがー! 久しぶりのタロさんの料理、楽しみぃ」
 けれどその距離感は、時間が解決してくれるだろう。
 そしてそれは、この戦いを無事に終わらせた先にしかないのだ。
「え? 久しぶり……?」
「……千茅さん達はオイラと一緒にずーっと捕まってただろ?」
 思わず首を傾げた千茅の言葉に、笑いが弾ける。
「タロも色々巻き込んで悪かったわね」
 そんな一同を改めて見回しながら、卓の上から料理を取るのはソフィアだった。
 タロは神揚の武人ではない。軍の住環境改善の一環として出入りを許してはいたが、本来はただの民間人でしかないのだ。
「全然。それに、アヤさんが言ったんだよ? 信頼を取り戻したいなら、十倍働けって」
「あの時はそう言ったけど……」
 だが、ネクロポリスの一件に巻き込み、挙げ句の果てにはこんな戦場のど真ん中にまで連れてきている。
 確かに非常時のホエキンの徴用は、イズミルへの出入りを許す条件の一つではあったはずだが……それでもキングアーツ軍人としては、民間人を戦力として数える事に恥じ入るばかりでしかない。
「オイラ、もっともっと頑張るからね。アヤさんのために!」
「そう。ありがとう」
 だがそんなソフィアの言葉に、タロはあからさまに不満そうな顔をしてみせる。
「……反応薄いなぁ。一応告白したつもりなんだよ?」
「……へ?」
 その言葉の意味を、ソフィアは一瞬理解出来なかった。
「え、タロさん……それって……」
 むしろ反応したのは、彼女達の周りにいた昌や千茅達である。
「本気だからね。オイラ頑張ってひと旗揚げて、アヤさんには奥さんになってもらうつもりだから!」


続劇

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