24.境界崩壊 ネクロポリス橋頭堡の最後衛。 大型通信機を備え、仮設指揮所を兼ねたスレイプニルに飛び込んでくる報告は、必ずしも芳しいものばかりではない。 「……イクス准将、敵部隊に有人型のシュヴァリエが参戦! ヴァルキュリア殿、珀亜殿が迎撃に当たっていますが、いずれも苦戦中!」 「他の部隊は!」 ネクロポリス側も総力戦という事だろう。主力を本命の救出作戦に割いている以上、鳴神がニキに押さえられているだけでも厳しいのに……そこにさらに追加で有人機が来られては、それどころの騒ぎではなかった。 「右翼の鏡衆、左翼のアレク隊、いずれも敵の数が多く、互角と言った所です。中には姿を消せる神獣も混じっている様子」 しかも、まだホーオンの残りまでいるらしい。念のための対策は取っていたが、被害がゼロというわけにはいかないだろう。 「……バルミュラとやらは一体どれだけいるのですか」 前回の戦いでも、バルミュラの大半は上空に待機するだけで、実際の戦闘に使われた数は知れていた。アーデルベルトはその事から、投入出来るバルミュラの数には上限があるだろうと言っていたが……。 今回の戦いでも戦力の逐次投入が行なわれていたが、その総数は前回のそれとは比べものにならない。何とか陣形を整えてはいるが、これ以上の戦力で一斉に来られれば、耐えきる事は難しいだろう。 だが……。 (投入出来ないのか、しないだけなのか) 本気でこちらを殲滅する気なら、持てるバルミュラ全てで仕掛ければいいはずなのに、ロッセはそれをしてこない。 先日ジュリアと柚那がこの空間に忍び込んだ時には、二人の十倍以上のバルミュラを出してきたと聞いていたが、そういった数で押し切る事もしてくる様子がないのだ。 (……まだ何らかの、罠があるのか) 堀の内側まで攻め込まれて今更をという気はするが、こればかりは敵指揮官に直接聞いてみないと分からない。 「……イクス准将?」 部下の声に、離れ掛けていた思考を慌てて元へと引き戻す。 「……大丈夫です。潜入部隊からの報告は」 「情報収集部隊は順次戻ってきていますが、無機質な宿舎のような一角があるだけで、住民はおろか、市街地や工場などに相当する設備は見つからないとの事。事前の情報通りです」 「まさに死者の都ですわね。……けれど、船のような構造だとしても、倉庫くらいはあるはずですけれど……」 よほど巧妙に通路を隠してあるのか、プレセア達には及びも付かない移動手段があるのか。いずれにしても、この短い作戦時間で全てを調べ尽くすのは不可能だろう。 「電波や思念通信の状態も悪く、姫様たちが見つかった報告もいまだ……」 もともと電波通信は、今回のような障害物の多い場所では大して役に立たない。だからこそ行動可能な時間を決め、作戦の限界時刻も設定しておいたのだが……。 背後に開いたままのゲートも、少しずつではあるがその形状が不安定になりつつある。 セタと柚那がいればゲートは開けるし、最悪こちらのゲートを鹵獲するという手もあるだろうが、どちらも確実な策ではない。 (間に合わなければ、置いていくしかありませんわね……) 既に全軍にその旨は伝えてある。 最悪の事態を前にしては、どこかでその決断もしなければならないだろう。 「プレセア!」 「姫様!? ご無事でしたか!」 そんな中でプレセアの通信機に飛び込んできたのは、待ちわびていた元気一杯の声だった。 「いまセタ達と合流したわ! 万里や千茅、タロと沙灯も一緒よ。心配掛けてごめんなさい!」 「構いません。それより、そのまま通信を全域に! 敵の数が多く、兵達が疲弊気味です」 「分かった! 万里!」 プレセアの言葉ですべき事を解したのだろう。ソフィアがもう一人の姫君を呼ぶ間に、プレセアは小さく息を吐いてみせる。 「プレセア、悪いが」 「分かっていますわ。ラススヴィエートの出撃準備も、整えておきます」 「頼む!」 奉たちがホエキンに置いている神獣達が戦力として加わったなら、撤退までの戦線の維持にもかなり余裕が出てくる。 「これで、まずはひと息……」 作戦終了時刻まで、あと四半刻ほど。作戦が無事に終わったというにはまだ早いが、それでも大きな山は越えた。 後は確実に兵を撤収させて、ゲートを塞いで……。 「准将! ヴァルキュリア殿から、敵の有人機に抜かれたと連絡が………っ!」 そう思った瞬間に兵から飛び込んできた報告は、わずかに抜いた肩の力を再び入れるのに十分過ぎるもの。 「左翼に有人機らしき飛行型の騎体を二機確認! 左翼を振り切って、こちらに突撃してきます!」 「敵の飛行型神獣!?」 追加の報告に、浮かぶのは疑問の念だ。 事情は分からないが、沙灯はソフィア達と一緒にいる。瑠璃もまだイズミルにいるはずだ。 だとすれば、飛行型神獣に乗るような人物など……! 「…………なっ!」 その瞬間、プレセアの乗る大蜘蛛を揺らすのは、正面から突っ込んできたバルミュラの一撃であった。 黄金竜を揺らすのは、翼の巨人の一撃だ。 「……なかなかやるではないか!」 既に二十合……いや、三十合は交わしただろうか。 雷撃を躱し、爪の一撃を受け流して、いまだニキのバルミュラは健在なままだ。 「伊達に騎体を強化したわけではない!」 とはいえ、決して無傷というわけではない。 胸部の装甲は吹き飛んで中のニキの姿は見えているし、片足も折れて機動は翼に頼るだけだ。 だがそれでも、纏う剣気は一部も揺るがないまま。 (……惜しいな) その武人を前にして鳴神が思うのは、そのひと言でしかない。 道を分かつことなく、轡を並べたままであれば、共に楽しい日々を送ることも出来ただろうに……。 だが、それも既に過ぎたことだ。 時は巻き戻らないし、巻き戻す気もない。 「征くぞ!」 それがニキの選択であり。 「応!」 鳴神の選択でもあったからだ。 雄、と双方の叫びが黒大理の広間を震わせ、空中を舞う二つの影がぶつかり合った。 「トドメだ! 鏡の黄金竜よ!」 必勝の一手を取ったのは、竜よりもはるかに小柄な翼の巨人。竜の背中に回り込み、全力で突き込んだ刃が黄金の鱗を貫き、その分厚い筋肉を切り裂いていく。 背中……それも首の付け根は、雷帝の数少ない死角と言っても良い。長い首も回り込めないし、爪や尻尾も届かない。全身を雷に包めば防御くらいは出来るだろうが、もはやそれで退く相手ではないのは明らかだった。 「その言葉、全て貴様に返すぞ!」 だからこそ、鳴神はその姿を見せた。 不安定な空中で雷帝の背中から抜け出し、大きく振りかぶるのは……右腕だ。 「が…………ッ」 肉を切らせて、骨を断つ。 そのままの勢いで射出された鋼の右腕が、装甲を失い露わになったバルミュラの胸元に叩き込まれ、その奥で操縦桿を握っていたニキの身体を押し潰す。 「……貴様らとの戦いを預かっておいた右腕だ。返すにはちょうど良い頃合であろう」 ぐらりと鋼の身体が傾ぎ、竜の背に乗っていた巨体はゆっくりと地上へと落ちていく。とどめとばかりに放たれた竜の顎門からの雷は、打ち込まれた右腕に吸い寄せられるように降り注いで……。 「ああ。貴様は俺の腕が飛ばされた事、知らんのだったか?」 相対した騎体の爆発を見届けて、片腕を失った鳴神は雷帝の中へと戻っていく。 まだ戦いは終わっていない。 鳴神の果たすべき役割も、残っているのだから。 揺れる機体の中で叫んでも、もはや手遅れだった。 「その者達を通してはなりませんッ!」 非常用のゲート爆破スイッチに伸ばす手も、上下に揺れる振動の中では確実な操作は望めない。万が一の誤動作を防ぐため、普段の思考制御から切り離していた事が災いした。 「……………っ!?」 揺れるスレイプニルの中、見えぬ視界に飛び込んできたのは、ゲートに身を躍らせる翼の巨人と……それに続く、半人半鳥の二つの騎体。 そして続くのは、ゲートを包む爆発だ。 「ゲートが……」 プレセアの設置していた爆薬よりも、その爆発ははるかに強い。規格外に大きなスレイプニルさえ揺らすほどの衝撃に、不安定だった空間はさらに揺らぎ、異界を繋ぎ合わせる黒い穴は風を受けた蝋燭のように揺らめいて……。 「プレセア! 大丈夫!?」 やがてプレセアの耳に届くのは、上空から降りてきたソフィアからの声だった。 「私は大丈夫ですけれど……ゲートが…………」 「ゲート……? そんな物ないけど……」 ようやく立ち上がったプレセアの前にあるのは、黒大理の世界では数少ない、白い石造りの柱……だったものだ。 「それがなかったら、どうなるのですか?」 こちらが開いたゲートは空間に開いた穴だけの存在だ。瓦礫など残すはずもない。 だとすれば、いま目の前にある瓦礫は、プレセア達がゲートを重ねるようにしていた、ネクロポリス本来の……。 (……自分たちの使うゲートまで破壊した……? 神王一味は、ネクロポリスを捨てるとでもいうつもりですの……?) ゲートは開けず、敵のゲートを鹵獲する事も出来ないという事だ。 (だとすれば……) 思わず浮かんだその考えに、プレセアは小さくその身を震わせる。 |