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22.Mad Tea Party

 煙に包まれた通路を抜けて、足音を追って走り続ければ……。
「半蔵…………」
 その先にあったのは、特徴に乏しい顔をした元神揚のお庭番の姿だった。
「イノセント殿でござるか。……お?」
 振り向き、殺気があらば腰の刃も抜こうと構えていた半蔵に伸ばされたのは、細い腕。それはゆるりと半蔵の首に巻き付けられて……そのまま、きゅ、と抱き寄せられる。
「無事で、良かった……」
「イ、イノセント殿……!?」
「二人の事、すごく心配してたんだよ……。どうして、ミーノースなんかに……」
 調印式の場面では、二人が敵方に回った理由を確かめる事も出来なかった。だからこそジュリアは、この戦いでその真意を確かめておきたかったのだ。
「……万里様やアレク殿達のやり方は、大河に一滴の雫を垂らすようなもの。それではいずれ、より大きな流れに呑まれてしまうだけでござる」
 いかに万里達が平和の意思を持とうとも、神揚やキングアーツの一端でしかない以上、国の総意には敵わない。本国側が彼女たちを無視して動き出せば、彼女たちの力などあっさりとその奔流に呑み込まれてしまうだろう。
「それが……瑠璃の言ってた、世界の滅ぶ戦争ってこと?」
「左様。ならば、引導は早く確実に渡した方が良い」
 それは、神揚帝国という巨大な魔物の暗部でずっと過ごしてきた半蔵にとっては、いつもと同じごく自然な流れとさえ言えた。
「それは……おかしいよ」
 小さく頷く半蔵の言葉を、ジュリアは柔らかく否定する。
「半蔵は、キングアーツのお菓子……好き?」
「拙者に嫌いな甘味などござらんよ」
 半蔵とて、本来であれば平和が良いに決まっている。平和な世の中で二つの国を股に掛けて甘味巡りが出来れば、それはどれだけ幸せなことか……。
「お菓子ってね、とっても不思議なんだよ」
 だがそんな甘味好きの半蔵でも、ジュリアの言葉の意味が分からず、不思議そうに首を傾げてみせる。
「きっちり分量通りに計って作らないと、絶対に成功しないんだ。……練習の時に、それでたくさん失敗しちゃった」
 小麦粉が多くても、砂糖が多くてもダメなのだ。スポンジは膨らまないし、クッキーは固くなってしまう。
「それってさ。大河の一滴でも、世界が変わる可能性があるって事じゃないのかな?」
「それは……」
 乱暴な例えだとは思う。
 けれどそれは、半蔵の出した大河の例えも同じ事だ。
「私に出来る事って、何かないかな? 半蔵やシャトワールのためだったら、私……何でもできるよ」
 鋼の。けれど柔らかく感じる、少女の腕の中。
「…………そうでござるな。だとしたら……」
 半蔵は目の前の彼女の耳元に、そっと囁いて……。


 叩き付けられた刃は大きく宙を切り裂いて、黒大理の床に甲高い音を立てて弾き返された。
 対人戦であろうとも、繰り出される刃に一切の迷いはない。いや、相手を直接目にしているからこそ、アーレスに生まれる殺気はより強く、激しく燃えさかる。
「……ちっ。うぜえ!」
 ただその苛立ちをより強くするのは、目の前の青年……の脇に立つ、エレの存在だ。
「テメェ、男がこんなちっこい事に命なんて賭けてんじゃねえよ!」
 アレクの義体化していない左腕。斬撃さえ受け止められるであろう右手とは違う柔らかなそこは、間違いなく彼の弱点だろうと踏んでいたのだが……。エレはその弱点を守るように、そしてアーレスの攻撃をより確実にいなすように、常に的確なポジションを確保し続けているのだ。
「うるせえ! テメェにオレの気持ちが分かるかよ!」
 エレとアレクの攻撃をバックステップで躱しつつ、アーレスはそれでも戦う意思を収めない。
「そんなちっせえタマの中身なんざ興味ねえよ!」
 だが気付けば、振り抜かれた長く太い脚が、アーレスの視界の外から鞭のようにしなり込んでくる。アームコート戦でもかなりの強者という印象のある彼女だったが、どうやらそれは肉弾戦でも変わらないらしい。
「っていうかなぁ、男なら……」
 繰り出された脚を受けるだけでなく叩き切ろうと。力任せに振り上げられたアーレスの剣の腹を、分厚い靴底で力一杯踏み抜きながら。
「国がねえなら、自分で国興すくらいの根性見せてみろって言ってんだよ!」
 気付けば、アーレスの顎下に迫るのは蹴り脚と入れ替わりに放たれた軸足からの一撃だ。
「ちぃぃぃいっ!」
 背中に抜けたぞくりという寒気に従って、アーレスはまたもや大きくバックステップ。
 反応がもう一瞬遅れていたなら、義体の膂力で顎を蹴り抜かれて、そのまま終わっていただろう。
(けど、ここまで下がりゃ……)
 アーレスとて、一対二の不利は承知の上。そしてバックステップで相手との距離をとり続けていた事も、策の一つ。
 彼が二人を誘導するように下がってきた先は、居住区に隣接する深部にある、広間の一角であった。
「神王!」
 しかし、先ほどはいたはずの白い仮面の人物が、今はどこにも見当たらない。
(…………いない…………っ!?)
 神王ほどの剣の達人と組めば、眼前の二人とも互角以上に戦えると思ったのに……。
「アーレス・ファーレンハイト!」
 だが、味方どころか別の通路から姿を見せた相手に、アーレスは息を呑むしかなかった。
「あれ、エレに……アレク様?」
 神揚人らしき白い猫の耳を付けた女と、ソフィアの副官である。
 ソフィアの副官も単体なら大した相手ではないが、エレやアレクと組まれれば厄介だし、神揚人は大した武器も持っていない所を見ると、術士なのだろう。
「お前らどした。迷子か?」
「いや、シャトワールとキララウスを追って来たんだが……」
(シャトワールにキララウスだと……? なんであいつら、神王の間になんて……)
 そこで思い至るのは、たった一つの解答だ。
「………まさかあいつら!」
 恐らく考えたのはシャトワールだろう。
 だとすれば……!
「あ、おいっ! アーレス!」
 エレ達の包囲を振り切り、アーレスは全速でその場を後にするのだった。


 迫り来る翼の巨人を切り裂くのは、ほとんど片腕で振り抜かれた漆黒の大鎌だ。
 ほとんど、という但し書きが付くのは、巨大な棺桶を引き受けた左腕も大鎌の支え程度には使っているからである。
「ヴァル殿。その秘密兵器とやらの出番はまだですか!」
 既に作戦の残り時間は半分を切っていた。その割には、秘密兵器の棺桶はいまだラーズグリズの背中に担がれたままである。
「まだだ。そちらこそもう息が上がったか」
「まさか。……鳴神殿がニキを倒す前に此奴らを全て退けねば、私たちが叱られてしまいましょう」
 幸か不幸か、まだ二人の戦いは続いているようだった。そのぶん他のバルミュラ達の迎撃に手が足りず、珀亜達の負担が増えていたが……いずれにしても、珀亜達としては目の前に現れた敵を端から倒すだけだ。
「……あれは」
 そんな彼女たちの眼前に現れたのは、新たな翼の巨人であった。
 数は三体。ぱっと見た限りでは、他のバルミュラ達と何ら変わりないように見える。
「ヴァル殿。……あの中央のバルミュラ、私に任せてはいただけませんか?」
 だが、ヴァルキュリアの操縦席に届く珀亜の声は、どこか硬さを帯びたものだ。
「……どうした」
 彼女の口調は、この戦いの最中でだいぶ緊張もほぐれてきたと思っていたのだが……それが、いつの間にか元に戻っている。
「あの剣気……恐らくは、私に因縁のある相手です」
 ヴァルキュリアはキングアーツ人の例に漏れず、殺気や気配というものにそれほど敏感ではないが、目の前の少女はそれを鋭敏に感じ取っているのか。
「……なら、左右は引き受ける。死ぬなよ」
 だとすれば、周囲の二機は中央の護衛機だろう。中央がそれなりの相手なら、左右も有人機……それも相応の実力者であるに違いない。


 黒大理の廊下を進みながら、奉達はソフィアの話を聞いていた。
「……そうか。やはり半蔵は、色々便宜を図ってくれたのか」
 どうやら奉達の想定通り、半蔵は完全に寝返ったわけではないらしい。
「うん。それに、シャトワールもね」
「……まあ、半蔵が色々しなけりゃ、もっと丸く収まってたんだけどね」
 少なくとも、ホエキンが敵に囚われる事も、その流れからソフィア達が囚われる事もなかった……かもしれない。
「言わないでやれよ。……色々、思う所があったんだろ」
 恐らくは正体不明の敵の内情を探るため、潜り込んだのだろう。こちらに何も告げずに去ったのは、敵を欺くにはまず味方から……と思ったのだろうが、正直水臭いという想いもある。
「そうだよ、タロ」
「うぅ……アヤさんがそう言うなら」
 ソフィアに短く言われ、タロもため息を一つ。
 そのまま角を曲がった所で、向こうから走ってくる一団に気が付いた。
「姫様!」
「セタ!」
 セタと共に空中から先行で突入した昌達と……。
「万里、無事だったか! それに……」
「沙灯は今は味方だよ。脱出するまでは、力を貸してくれる事になったんだ」
 金色の瞳の少女は、奉の視線に小さくぺこりと頭を下げてみせる。
「奉も無事で何よりです。それに、ソフィア達も……」
「千茅が助けてくれたんだよ」
「そう……。上手く部屋を脱出出来たのですね、千茅」
「何とか、ですけど……」
 万里の久しぶりに見る穏やかな笑顔に、千茅も嬉しそうな笑顔を浮かべてみせた。
「なら、もうここには用済みかな?」
 セタ達の目的は、捕虜となった四人の確保にある。それが達成された以上、この真っ暗な迷宮に留まっている理由はどこにもない。
「ううん。兄様たちが、いまアーレスと戦ってるの。応援に戻らなきゃ……」
 だが、ソフィアのその言葉に静かに首を振ったのは、奉だった。
「このまま一度戻った方が良いだろう」
「アレクを見捨てる気ですか!?」
「違う。万里様たちが逃げ切らないと、アレク殿達も引き際を見極められないって事だ」
 あくまでもこの作戦の第一目的は、人質の救出にある。
 施設の調査や破壊、敵戦力の撃破の優先順位は、第一目的に比べればオマケのような物でしかない。
「その地図で、アーレス達の居場所が分かるなら話は別だが……」
 沙灯が手元に出していた地図はこの周辺の物のようだったが、奉の問いに沙灯は首を横に振るだけだ。
 アームコートや神獣に載せられた、周囲の状況を示す表示板に近い構造のようだったが、味方の現在位置まで表示する機能はないらしい。
「で、どうやって戻るの?」
「もう少し行けば、僕達が入って来た広間の通路があるから。そこまで戻れば、MK-IIと昌さんの神獣があるよ」
 ランチャーもそろそろ使えるようになっている頃だろう。それを使って崩れた壁を貫けば、広間まではすぐそこだ。
「なら、そこまで退くか……」
 大幅に数を増やした一同は、沙灯の誘導で再び移動を開始する。


続劇

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