18.グレイト・エスケープ 光を吸い込むような黒大理の天井は、果てなく空が続くのか、それともただの闇なのかすら見分けが付かない。 「キリがないっ! こいつらどんだけいるの!」 その天井に限りなく近い場所で悲鳴に似た声を上げながら、近寄ってくるシュヴァリエを叩き落とすのは昌である。 「早く万里達を探しに行きたいのにーっ!」 飛行形態に変形したセタのMK-IIに掴まって、無理矢理敵陣に切り込んだまでは良かったのだが……。 良かったのは、壁の中程に大きく口を開けていた通路に騎体ごと飛び込んだ所まで。奥の探索のために騎体を降りようとすれば、背後からシュヴァリエが近寄ってくるのだ。 「昌さん。確かこいつら、無人兵器なんだよね?」 「そうだって話だけど……………セタ!?」 その言葉と共に白雪の脇から伸びてきたのは、先ほど空間を歪ませる一撃を放った、長大な砲身である。 「……なら、灼き尽くしてもいいよね」 「ちょっと……っ!」 昌が騎体を退避させるのと、砲口がはるか彼方まで一直線に伸びる光条を放ったのはほぼ同時。 「加減するから大丈夫」 それは、セタからすれば加減だったのだろう。 事実光の槍は空間を歪める事もなく、ただ迫り来ていたシュヴァリエ達を軒並み焼き払うだけで済んでいたのだから。 「で、ついでに……こう」 そのまま砲身を軽く上に向ければ、黒大理の壁が一瞬真っ赤に輝いて、崩れたそれが通路を塞いでしまったではないか。 「……って、どうするのよ! 通路塞いじゃって!」 「後でもう一発撃って吹き飛ばすから大丈夫だよ。さ、行こう」 それで本当に大丈夫なのか。 というか、セタはまだ一部の怒りも治まってはいないのではないか。 昌はいつもと変わらぬ口調の彼に薄ら寒い物を感じながら、自身の神獣から黒大理の床へと降り立つのだった。 黒大理の小さな部屋が揺れたのは、鳴神が何度目かの雷光を放ち、セタがランチャーで通路の天井を崩したのとほぼ同じ頃である。 「今の揺れって……」 大した物もない個室でそれでも千茅が言葉を放ったのは、珍しくその場に来客があったからだ。 彼女の部屋に昼食を運んできた、バスマルである。 「ロッセ殿が、今日辺りに襲撃があるだろうと仰っていたが……まさか、本当に来たというのか」 それは、まるきりの油断だったのだろう。 目の前にいるのは、ただの新入りの足軽だと。ここに来てからもさして目立つ所のない、万里の側仕えのようなものだと……。 油断していたからこその、不用意な言葉だったのだ。 「そうなんですね……」 彼の背に向け、ごく普通の調子で彼女は適当な相槌を返してみせる。 口はごく普通に。 ただしその両手は……。 「え……」 振り返ったときにはもう遅い。 「いやおま……っ!? それ、作り付けの……何でってかどうやっ……!?」 「ごめんなさーいっ!」 バスマルがそれを言い終わるよりも早く、壁に何らかの方法で固定されていたはずの棚が、熊の力で振り下ろされて……。 「……さて。まずは万里さま達をお助けしないとだけど……」 バスマルとしては、一瞬で済む用事のはずだったのだろう。もちろん部屋に鍵など掛けているはずもなく、千茅は悠々と部屋を後にする事が出来た。 悪人とも思い切れない彼には悪かったとも思うが、それでも千茅も一廉の武人。万里を助けるためには、心を鬼にすることだってあるのだ。 「……あれ。ネクロポリスの中って、こんなに複雑な道だったっけ……?」 何度か食事のために連れ出された時は、もっとまっすぐな通路のように思えたが……彼女の目前に延びる今の通路は複雑に曲がり、見た事もない様相を呈している。 「……まあ、いいか。とにかく進めば何とかなるよね」 大の男をぶちのめした棚を武器代わりに、千茅は様相の変わってしまった通路をぱたぱたと走り始めた。 それとほぼ同刻。 「この揺れは……」 万里の部屋にいたシャトワールが思い出すのは、ロッセ達が言っていた言葉。ただバスマルよりも少しだけ先見の明があったのは、その事象が何であるか、口に出さない所だった。 「少し様子を見てきます。……沙灯さん」 「はい?」 同じく監視の名目で万里の部屋を訪れていた沙灯を呼び、シャトワールは静かに立ち上がる。 「後の事は、お願いしても構いませんか?」 そして、小さく頷く沙灯にそっと手渡したのは……。 「あ……シャトワールさん……?」 「これは、半蔵さんからです」 手の中に収まるほどの、卵に似た物体であった。卵の頂に当たる部分にボタンが付いている以外は、特に仕掛けらしいものはない。 「これ……アリアドネのマーカー……?」 それは、転移装置を使って呼び出される、大型シュヴァリエの召喚装置だった。今はゲートが動作を止めているため、ボタンを押しても何も起こらないはずだったが……。 「無事に迷宮を脱出出来るお守りだそうです。万里様に渡してあげてください。……頼みましたよ」 「……ありがとうございます。シャトワールさん」 そう言い残して部屋を去るシャトワールに小さく感謝の言葉を漏らし、鷲翼の少女はこちらを見ていた黒髪の娘へと向き直る。 「沙灯……?」 「あの……万里、さま……?」 「万里でいいわよ。……それに、ごめんなさい」 首を傾げる少女に呟いたのは、小さな謝罪の言葉だった。 「貴女のこと、忘れていて」 今の万里に、かつての沙灯に関する記憶はない。けれど彼女の話はアレク達からも聞いていたし、このネクロポリスに来てからの付き合いもある。 決して打ち解けているとは言えないが……それでも、悪い娘でない事くらいは理解出来た。 「あ、それは……わたしの術のせいだから……気にしないで、いい……よ」 「それでね、貴女にこれを……」 そう言いながら、枕元からこっそりと取り出したのは、小さな紙の袋だった。 「え……これって……」 促されるがままに中身を取り出せば、入っていたのは片手に乗るほどの大きさの、肉入りの饅頭である。 「私と貴女の思い出の料理だって、タロが教えてくれたの」 既に表皮は水気を吸って、冷え切ってもいたけれど。 それは……まぎれもなく、かつて清浄の地の湖のほとり、ソフィアを加えた三人で食べたものと同じ品だった。 「本当は私が覚えていれば良かったのだけれど……」 歴史を繰り返せなかった万里は、その事ももちろん覚えてはいない。 けれど、清浄の地の岸辺で食べる料理が美味しいことは分かる。 目の前の少女の金の瞳に浮かぶ、大粒の涙の意味も。 「本当にごめんなさい。……貴女にとって、とても大事な思い出だったのね」 「……万里」 俯いた視界に入るのは、両手の中指に嵌められた細い指輪。 それは、キングアーツに伝わる風習。二つ揃えば心を落ち着かせる効果があるという、おまじない。 指輪に力を込めるように手を握りしめ、鷲翼の少女は涙に濡れた顔を上げて……。 「……だったら…………っ」 噛み構えての斬撃に崩れ落ちたのは、翼の巨人。その打ち倒された同胞を文字通り踏み越えて新手の巨人が現れたのは、戦友の屍を乗り越えて……などという感情があるからではなく、ただ眼前の敵に隙があったからというだけにしか過ぎない。 無論その隙は、生んでも構わない隙だ。 「すまんな、エレ」 事実、新手の巨人は後方からの銃撃に吹き飛ばされ、奉に一撃を加える事もなく動きを停止していたのだから。 「そりゃいいけどよ……この広間ってどのくらいの広さがあんだ!?」 瑠璃の話から、広いとは聞いていた。 けれど、ホエキンを駐機する事はおろか、雷帝やそれ以外のアームコート達が存分に暴れてもまだ果てが見えないほどの大きさがある。 「分からんが、ちょっとした市街地くらいの広さはあるように見えるな」 「瑠璃に聞いてたより随分と広いな……」 内部には構造を支える柱もないようだし、一体どうなっているのか想像も付かない。 「アームコート部隊の一部は予定通り、動いていないバルミュラを鹵獲! 回収して後方に運びなさい!」 そんな閉鎖空間の戦場に響き渡るのは、雷帝の放つ衝撃と、その合間を縫ってかかるプレセアの指示である。 「……しっかりしてら。さすが商人」 鹵獲した機体は研究材料にするなり、解体して動力炉を取り出すなりするのだろう。使える動力炉が手に入ったなら、エレの電磁砲もセタのランチャーも、もっと有効に使う事が出来る。 「エレ、奉! 聞こえるか!」 そんな中、彼女たちを名指しで呼びつけたのは、この救出作戦の総指揮官の声だった。 「おうよ。どした、王子さん」 「ホエキンを制圧したリフィリア達から、タロを救出したという連絡があった。これからタロの案内で万里とソフィアを救出に向かう。同行を頼む」 「そりゃ構わねえけど、アタシらより昌やセタに言ってやれよ」 昌とセタは、姫達の救出を最も望んでいた二人だ。もちろんエレも彼女たちを助ける気持ちは人一倍だが、この二人にはいくら何でも敵わないだろう。 むしろ、連絡しなかった事を恨まれてしまうのではないかとさえ思えるほどだ。 「……先行したきり、連絡が付かんのだ。リフィリアや柚那にも思念通信を頼んだが、昌も捕まらんらしい」 あの二人の事だから、先行して返り討ちに遭ったなどとは考えにくい。恐らくは電波や思念の届かない深部まで行ってしまったのだろう。 「ったく。間の悪い二人だねぇ。奉も行くだろ」 「言われるまでもない」 二人は周囲の兵に巨人の迎撃を任せ、後方のホエキンのもとまで機体を走らせていく。 黒大理の曲がりくねった細い廊下を抜ければ、そこにいたのはネクロポリスに集う数少ない人間の将であった。 「こんな所にいた……状況はどうなっています? 半蔵さん」 「拙者も正直、迷っているだけでござるよ。……万里様は?」 半ばまでは平然と。そして後半からは、一気に声色が落ちる。 「沙灯に監視をお願いしてきました。……あれも、渡しておきましたよ」 「……かたじけない」 この先は、彼女の選択に任せるべき所だろう。本来ならば半蔵が何とかしたい所でもあったが……半蔵よりもすべき立ち位置にいるのは、今まで報われない戦いに身を投じてきた、彼女であるはずだった。 ただ、この複雑化したネクロポリスを無事に抜けられるかどうかは、神のみぞ知るといった所だったけれど。 「お前ら!」 やがて曲がりくねった道から姿を見せたのは、他の将達だ。 「この道、どうなっているんですか? アーレスさん、キララウスさん」 「神王が居住区の閉鎖されてた道を全部解放したそうだ。道の位置も色々変わってるらしいから、これでしばらくは時間も稼げるだろ」 もともとネクロポリスの通路は、彼らに必要な最低限の場所しか開放されてはいなかったのだ。それ以外の不要な居住区の通路まで開放された事で、単純な通路だけだったその地は複雑な迷宮と化し、侵入者の行く手を阻んでくれる事だろう。 「これが地図だ。自分の今いる場所が映るようになってる」 そしてキララウスが二人に渡してくれたのは、細い腕輪だった。 腕に嵌めてボタンを押せば、手元に板のような物が浮かび上がり、そこに複雑な迷路が映し出される。 「なんとまあ、便利な物でござるな……。これは他の皆様は?」 「前からここにいる連中は持ってるらしい。あと持ってないのは……ニキはもう出たから、バスマルくらいか」 ならば、沙灯も大丈夫という事だ。少なくとも地形が大幅に変わった件については、彼女には障害とはならないだろう。 「とりあえずお前らもシュヴァリエで迎撃に出ろ。ロッセが指揮してるが、連中あの鯨の辺りまで制圧してきてて、苦戦してるらしい」 「分かりました。この人数での歩兵戦は無理ですからね……シュヴァリエ戦に持ち込むのが一番でしょう」 侵入者達の目当ては間違いなく万里達だろう。 だが、通路での戦闘になれば手勢の少ないこちらが圧倒的に不利だ。ここはバルミュラの数に物を言わせて、敵の橋頭堡そのものを落とす方がまともな戦いになるだろう。 救出部隊が王女達の回収に時間を取られれば、それだけバルミュラの数で押せる時間も長くなる。 「して、ファーレンハイト殿は?」 「俺はソフィアの部屋に行ってくる」 三人にそう言い残し、アーレスは通路の奥へと走り出す。 「……アイツだけは、俺の手で何とかしないと気が済まねえからな」 |