4.十三時間の滅び 絶叫に似た叫びと共に黒大理の天井を赤く照らすのは、手の先で放たれた真っ赤な炎だった。 「飯なんか二、三日食わなくても死にゃしねえよ! バカか!」 放たれた神術の炎を防御術で弾きながら、狒々に似た顔を持つ男は思わず苦笑いをしてみせる。 「集中が乱れているぞ、アーレス。お主もいつもあの飯は不味いと言うておったであろう」 神術を学びたいと言うから教えてみれば、飲み込みはそう悪くない。付け焼き刃の術だから一撃必殺とまではいかないだろうが、ちょっとした目くらましくらいにはなるだろう。 「……くそっ」 二人の王女を捕虜にした所までは良かったが、それから先が面白くない。黒豹の足の軍師はイライラした様子でろくにこちらに顔を出さないし、ネクロポリスの主とやらも一度姿を見せたきり、後はどこに行ったかさえ分からないまま。 その上、捕虜からの要求で半蔵達が安請け合いしたのは……。 「……だからって捕虜に作らせるか普通。許可出来るわけねえだろうが」 「もう始めておるらしいがな」 そう言ってちらりと広間の隅に目をやれば、ちょうど巨大な海獣を模した神獣からは細い炊事の煙が登っている所だった。 「テメェは止めなかったのかよ! ニキ」 「止める理由もないしな」 顔を真っ赤にして歩き出すアーレスの前に防御壁を作り出し、ニキはさらりとそう嘯いてみせる。 「この死者の都で、どう逃げるというのだ?」 確かにそうだ。 そうではあるのだ。 ゲートが使えない以上、外界とは物理的に遮断されているし、いまだアーレス達も居住区の一角とこの広間以外に通じる道は知らされずにいる。 袋のネズミのこの世界で、逃げる場所などどこにもない。 そうではあるのだが…………! 「……ちっ」 アーレスは苛立たしげに舌打ちを一つして、より大きな炎を生み出すために精神を集中させ始める。 「……六刻半とは、そういう意味か」 夜の空を見上げながら奉が呟いたのは、そんなひと言だ。 エレの乱入でうやむやになってしまった昼間の問い。その答えが告げられたのは、瑠璃の話を総括するための席に顔を出したアレクからだった。 「全てを話すんじゃなかったのか? アレク殿」 「すまんな、奉」 奉の向けるどこか冷ややかな視線に、アレクは小さくそう呟いてみせる。 「……いえ、正しいと思います。この数字を知っていれば、正直ここまでお互いが歩み寄る事は難しかったかと」 「俺も日明の意見に賛成だな。アルツビークはどう思う」 「ですが……六刻半、ですよね。にわかには信じがたい数字ですが……」 それは、コトナだけではない。長年キングアーツの軍務に携わってきた者達にとっても、あまりにも現実味のない話だった。 ほんの半日の時を過ごす間に……かつて聞いた歴史の中では、それほどの事が行なわれていたのかと。 「可能なのですか? 鳴神殿」 「……試した事がない故、何とも言えんな」 百戦錬磨の鳴神でさえ、そこまでの戦い方をした事はない。あくまでも仮定に仮定を重ねた話である。 「だが今は、出来るかどうかの話よりも、すべき事を話し合おうではないか」 仮にその数字が正しくとも、実現の機会を作らなければいいのだ。だとすればそれも恐るべき数字ではなく、ただの笑い話となるだろう。 「いずれにしても、向こうは四、五日は動けんらしいからな。向こうの状況もある程度は分かったし、こちらが動けるなら、先手を取った方が良いだろう」 瑠璃の話を聞いた所では、ネクロポリスは巨大な広間と、そこから細い通路で繋がる幾つかの居住区、という構造をしているらしかった。ゲートと呼ばれる別空間に繋がる門以外に出入り口を持たないそれは、街と言うより船の中といった印象が強い。 「プレセアは補給物資は三日で整うと言っていたが……」 車椅子の仮面の美女は、今も補充物資やイズミルの再建資材の調達に忙殺されているはずだった。 だからこそ、この会議にも出席していないのだ。 「ランチャーが撃てるなら、ゲートってのも開けるんだろ。それが出来るなら、さっさと仕掛けちまおうぜ」 「……テストもせずにか? 無謀すぎる」 空間に負荷を掛ける事でゲートを開く方法は、あくまでも理論上の物でしかない。そんな状況でゲートを作戦の根幹に置くのは、いくらなんでもリスクが高すぎる。 「じゃあリフィリアは姫さんを取り返さなくていいのかよ」 「そうは言っていないが……」 考えとしては、むしろリフィリアもエレに近い。しかし、かといって無闇に突撃すればいいというものでもないはずだ。 「試しに穴空けて敵に気付かれるよかマシだろ。それじゃ、奇襲の意味がねえ。なあ、中佐さん」 「……ククロや技術班次第だ。会議が終わったら話しに行ってみる」 テストパイロットという自身の出自さえ平然と否定してみせるエレに少々渋い顔をしつつ、アーデルベルトは小さく息を一つ。 今もククロ達は被害を免れた工廠の一角で、プレセア以上に山積みにされた作業に忙殺されている。ランチャーの作業に関してもよほど順調に進みでもしない限り、エレの言う通りテストなしで本番に挑む事になるだろう。 「奪還作戦はともかく、正直あまり得策とも思えませんね……」 アーデルベルトとしても、コトナの意見に賛成だった。 確実な手段を用いて、確実な戦果を挙げる。 それがベストのはず……なのだが。 「得策じゃないのは分かってるよ。けど、黙ってて向こうが攻めてくるのを待ってても、万里やソフィアは帰ってこない」 相手が使って来たのは、こちらの予想を超える力。 それに抗するには、技術も時間も足りなさすぎる。それでも戦わなければならないなら、多少の無理はあえて押し通すべきだろう。 「それに、メガリやイズミルの戦力もあんまり残ってないしな。神王の狙う大後退も、下手したら止められないかもしれん。……ヴァル、資料取ってくれ」 「分かった」 とはいえ、わざわざ資料を出されるまでもない。 先日の戦いでの被害は甚大な物で、いまだその傷跡は深く刻み込まれている。それは、メガリの副官の腕が修復されたばかりだったり、この時間になっても外の作業の音がやまなかったりする事からも明らかだった。 「神王か……。ミーノースの親玉……ヒサ家のご先祖さまとか言う奴だな」 その正体も、謎のまま。 ヒサ家の祖先らしいという話こそ瑠璃に聞きはしたが、分かっているのはそれだけだ。 「アレク殿や環も知らないのか?」 「分からん。我々の巡りでは姿を見せなかった相手だ」 「ふむ……」 古の書物には、敵を知り、己を知れば百選危うからず……とある。 だとすれば。 敵を知れぬ戦いは、果たしてどうなってしまうのか。 |