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30.大後退の真実

 目の前に広がるのは、歪んだ世界。
 黒大理の如き深い闇と、彼方に浮かぶ逆三角錐の建造物。
 それは遠くにあるようで、すぐ目の前にあるようでもあり。全てを視界に収められるようでもあり、積まれた石の一つさえ視界を覆い尽くすほど大きくも見えて。
「ここ……どこよ!?」
 自らの立ち位置さえ分からなくなりそうになりながら、柚那はそこで叫びを上げた。
 転移の神術は発動すれば、目標となる位置に一瞬で移動する。神獣ごとの転移は初めてだが、仮に失敗しても術を使った八達嶺へ引き戻されるだけのはず。
 間違ってもこんな奇妙な場所に辿り着く事などないのに……。
「ちょっと、あたしはイズミルに行きたいんだってば!」
 もう一度精神を集中させ、狙いをイズミルに定めて解き放つ。
 いつもと同じ白い光が、柚那の視界を一気に染めて……。
 柚那の姿は、そこからすぐに掻き消える。


 ホエキンの客室で俯く少女の金の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「あなた達もわたしの時巡りを受けたなら……万里やソフィアがどうなったか、知ってるでしょ?」
 呟き、そっと取り出したのは、白い左手だ。
 その薬指にはまっているのは、銀色の指輪。
 けれどそれは、指に入る大きさに調整されてこそいたが、所々黒く汚れ、焼けて歪んだものだった。
「それって……まさか……」
「……うん」
 それが意味する所を、分からない二人ではない。
 あの和平会場の惨劇……そしてその後のソフィアと沙灯を襲った悲劇。彼女の指にはまるそれは、彼女がその体験をくぐり抜けてきた事を示すものだったからだ。
「それに、瑠璃の時の話も聞いた?」
「……はい。万里様は強硬派を押さえようとして、沙灯さんと一緒にって……」
 その話をしたアレクも、詳しい事は話してはくれなかった。恐らくは彼自身も、多くの葛藤を抱えているのだろう。
「わたしも覚えてないから、瑠璃の話を聞いただけだけど……酷い有様だったんですって」
 沙灯は淡々と話しているが、自分自身の死に様だ。その境地に至るまで、どれだけの日々を過ごしたのか……二人は想像することも出来ずにいる。
「もう、万里もソフィアも、そんな目に遭わせたくないの」
 自分を忘れてしまった事は寂しいが、仕方ない。
 けれど……。
「沙灯さん……」
「万里に嫌われても、アレク様と会えなくて悲しんでも……それでも、万里が生きててくれる方がずっといいから」
 それが、彼女なりの結論なのだろう。
 だからこそ、彼女は今もアーレス達に手を貸している。
(ハットリさんやアディシャヤさんも、同じ事を考えたのかな……)
 千茅はぼんやりと、朝出て行ったままの二人の事を考えるが、その答えはなかなか出ては来ない。
「でも、どうするの? 会えないようにするって、ここまで来てそう簡単な事じゃないよ?」
 イズミルもあるし、和平交渉も成立目前だ。今日の交渉の場を邪魔した程度でどうにかなるものでもないだろう。
「…………大後退を起こします」
「大後退って、あの?」
 遙か昔、この大陸を二つに分けたという大災厄。
 この薄紫の死の荒野により、隆盛を極めた文明が大幅な後退を余儀なくされたからこそ……その名で呼ばれるのだという。
「その時って、何があったの?」
「今よりももっと進んだ文明が、戦を起こそうとしたの」
「それって、一度目の……」
 一度目の……瑠璃の巻き戻しの時には、キングアーツと神揚の全面戦争が起きたと聞いた。その歴史を正すために、瑠璃はアレク達を巻き戻し、沙灯の巻き戻した世界に繋げたのだと。
「あれよりもっと大きな戦争。それこそ、この大陸全てがなくなってしまうくらいの……」
「……それを止めるために?」
 全てが滅ぶ前に、全てが滅ばない滅びをもたらした、という事なのだろう。
「この北八楼の聖なる岩には、それだけの力があるから」
 けれど、そんな沙灯の言葉に生まれるのは、新たな疑問だ。
「もしそれで大後退を起こしたら、イズミルや八達嶺は……どうなっちゃうの?」
 新たな滅びの原野に飲み込まれてしまうのか。
 だとすれば、この地に今住まう者達は、どうなってしまうのか……。
「…………」
 千茅の問いに、沙灯は答えないままだ。
「お二人の無事は……保証は出来ないけど、大丈夫なように努力します。戦いが終わったら、キングアーツでも神揚でも、好きな所で開放出来るようにも掛け合ってみます」
「その気持ちはまあありがたいんだけどさ……。沙灯さん達って、何でそんなにホエキンが必要なの?」
 話の中で、彼女たちの目指す所は何となく見えてきた。
 けれどその中に、彼のホエキンはどこにも絡んでこない。今回の作戦決行の発端に必要だった事は理解出来るが、貴重な戦闘要員だろう沙灯を見張りに置いてまで、いまだに占拠しておく必要はあるのだろうか。
「はい。ロストアークが積み込めるものなら、積み込みたいですし……」
 そして、次に口にされた言葉に、二人は耳を疑った。
「何よりこの船には……ロッセさんのクロノスが積まれていますから」
 その問いの真意を確かめる間もなく、沙灯はタロの縄を解き、傍らの千茅に短剣を突き付ける。
「時間です。……アークの影響の及ばない、霧の中までこれを飛ばして下さい」


 銃撃と斬撃。
 並ぶ盾での防御に、斧と槍のカウンター。
 周囲のアームコートと神獣の混成部隊の連携も加え、イズミル前の戦いはより一層の激しさを増している。
(これが……珀亜の言っていた、いまだ残る危機ということか)
 エレの銃撃で堕とされた敵を的確に倒して周りながら、珀亜は独り言ちてみせる。
 相変わらず、交わす刃に戦いの意思は感じられない。その刃は空っぽで、仕込まれた事をただ従順にこなすだけの素振りしか受け取る事は出来なかった。
 故に、破るのは容易い。
 いかに力があろうとも。いかに装甲が厚かろうとも。
「…………っ!?」
 だが、次に交えた翼の巨人のそれは、今までとは全く違うものだった。
「どうしました、クズキリさん」
 後方でリフィリアと共に敵の攻撃を受け止めていたコトナの声に、近寄らぬようにと空いた左手で合図を投げる。
 帝都に帰る前に数度行なった演習で学んだ、ハンドサインというものだ。きっとコトナにも通じるだろう。
「エレ、アルツビーク大尉! 向こうの敵は要注意です。珀亜が近寄るなと……」
 通信機から聞こえてきたコトナからの解答に、通じていたと安堵を一つ。
「どういう事だ!」
「……彼奴には人が乗っております!」
 叫ぶが、その間も目の前の敵からは目を離さない。
 いや、離す事が出来ない。
「それも……とんでもない手練れが……」
 まさにそれは、虎の覇気。
 先ほどまで戦っていた死人の如き翼の巨人達とは違う……戦意と殺意に満ちた刃を、珀亜は正面から受け止めた。


続劇

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