23.其の望む事 彼方に見えるのは、薄紫の世界の中、切り取られたような青と緑に覆われた世界。 「遅かったか……!」 けれどいつもは穏やかなはずの青を囲むように生まれるのは、虚空より次々と出現する翼を持った人型の姿。緑の中に混じるのは、立ち上る幾条もの黒い煙。 それはまさしく、あの室の中で彼の妹が予言した通りの事態であった。 戦いは、いまだ終わってはいない。 彼女の願いは、いまだ成就してはいない。 (だが、あの不安げな表情は……) 手がかりはそれだけで、漠然とした事しか分からずにいる。けれど彼女と魂の奥底で繋がる珀牙には、目の前で起きている非常事態さえ、ただの予兆に過ぎないと思えてしまうのだ。 「だが……っ!」 いずれにしても、今すべき事は一つだけ。 薄紫の世界の中、珀亜は駆けるコボルトをさらに加速させ、目指す場所へと急ぐのみだ。 青と緑の世界を染めるのは、爆発の赤。 式典会場を、周囲の施設を、森を焼き払う、炎の色。 「そんな……シャトワール、なんで……?」 「言ったでしょう? わたしにも、やりたい事が出来たと」 ジュリアに答えるシャトワールの表情は、先ほどまでと変わらぬ穏やかなもの。けれど爆発の炎の照り返しを受けるそれに、ジュリアはさらなる問いかけを封じられてしまう。 「行くでござるよ」 そんな無毛禿頭の人物を促したのは、シャトワールを連れてきた無貌の人物である。 「……半蔵?」 「拙者も、アディシャヤ殿と同じ考えでござるよ」 沙灯の姿を借りていない半蔵もまた、いつもと変わらぬ……何の特徴も見受けられない、変化に乏しい表情だ。 けれど炎を受けて赤く染まるそれは、ジュリアの胸にぞわりとした違和感と、不安を思い起こさせるもので……。 「同じって……」 少女の問いに、二人からそれ以上の答えはない。 ただ静かに、爆発音に揺れる控え室を出て行くだけだ。 それを見送ったジュリアは、動かない。 動けない。 「半蔵……シャトワール…………」 けれど。 少女は拳を握り、その場でゆっくりと振り返る。 顔を上げたジュリアに浮かぶのは、炎に染まる二人の無貌を見た時のそれではない。 するべき事が。しなければならない事があるのだ。 まだ。 「私……その考えが何か、まだ聞かせてもらってない……」 顔を上げ、少女は再び走り出す。 既に二人の姿はない。 だとすれば、ジュリアが目指すべき先は……。 通信機から響く声に、神獣の体内で目を開けたのは、黒豹の脚を持つ青年である。 「始まりましたか……」 彼が乗るのは、シュヴァリエと呼ばれたミーノースの騎士達ではない。かつて神揚からの逃亡者が乗ってきた、カメレオン型の神獣である。 「……半蔵の情報も、ガセではなかったという事ですな」 彼の傍らには、随伴機となるカメレオンがもう一騎。 「そうですね。では動きますか、バスマル」 思念でそう呟き両手に僅かに力を込めれば、小柄な神獣は薄紫の荒野にゆっくりと立ち上がり……次の瞬間には、その姿を薄紫の中に溶け込ませている。 「あの情報も本当なら、無駄かもしれませんがな」 バスマルの皮肉じみた呟きは、聞こえているのか、いないのか。 「……行きますよ」 ロッセは弱めた思念でそう囁いて、ゆっくりと目の前の琥珀の霧へと足を踏み入れていく。 薄紫の世界をゆっくりと北西に向かうのは、アームコートでも、神獣でもない一団だ。 翼の巨人。 翼を持ち、アームコートなど歯牙にも掛けぬ速さで移動することが出来るはずなのに……それをあえてせず、見せつけるように徒歩での行軍を行なっている。 「相手は五機……一小隊といったところですか」 敵の数は五。アーデルベルトの率いるこちらは一中隊十機。 「うむ。陽動なのは間違いないが……」 そこまでは、戦術の基礎をかじった者なら誰でも分かる状況だ。 「……こちらが噛みつくのを待つ気か」 恐らくは、時間稼ぎなのだろう。翼の巨人達をちらつかせる事でイズミルの戦力を少しでも削ぎ、イズミルから目を離させるための。 だとすれば、相手をした時点で敵の戦術目標は達成されたことになる。 けれど、だからといって放っておくわけにもいかない。恐らく無視を決め込めば、翼の巨人達はその獰猛な翼を広げ、一気にメガリやイズミルを襲うことだろう。 (戦っても負け、放置してもさらに負け……か) 正直、面白い事態ではないが……。 「総員、一気に勝負を付ける。二機ひと組に分かれて、各個撃破せよ。対空装備、怠るなよ!」 さっさと叩き、素早くイズミルに引き返すだけだ。 同じ負けるなら、最小限の損害で負けるに越したことはない。 「まずはひと当てして様子を見る! 突撃!」 |