20.おわりのはじまり 「嫌だ!」 青い空に響き渡るのは、そんなヴァルキュリアの絶叫だった。 「……何の騒ぎだ」 「ああ、アーデルベルト君。ヴァルちゃんったら、ひどいんですのよ」 何があったのかとアーデルベルトが駆けつけてみれば、珍しくヴァルキュリアと揉めているのはプレセアである。普段はそれなりに仲も良く、一緒にいる事が多いと思っていたのだが……。 「これを着てくれって言ってるだけですのに……」 やはり不満顔でプレセアが胸元に抱いていたのは、一着の服だった。ほら、とアーデルベルトにも見やすいように車椅子の上で広げてみせれば、それは落ち着いた色合いのアフタヌーンドレスである。 「私は軍部の人間だ。果たすべき任務がある以上、この服で……」 どうやら式典に出るのに、衣装をどうするかで揉めていたらしい。 「どうかしたの?」 「その格好は……?」 アーデルベルトと同じように顔を見せたソフィアがまとうのは、当然のようにドレスであった。 「あたし、イズミルの代表で式に出なきゃいけないもの」 ソフィアの根本の所属はキングアーツだが、イズミルの管理を任されているという点で、若干中立寄りの立場でもある。 「大丈夫よ。何かあっても邪魔にならないように、裾は短めのをジュリアと選んだから」 もともと王族出身でこういった場にも慣れているのだろう。ドレス姿には何の違和感もない。 「ジュリアも着ているのか……」 ジュリアも式に参列するとは聞いていたが、それまでは会場の警備役も兼ねていたはず。まさか、ドレス姿で警備を行なっているのか……。 「そうですわ。ですから、ヴァルちゃんも……」 軍人とは言え限りなく非戦闘員に近いプレセアも、車椅子の上でもちろんドレスをまとっている。今までに出てきた女性陣は全員ドレスだから、これではヴァルキュリアの一人負けだ。 「だが、アームコートに乗る時はどうするんだ」 ヴァルキュリアが気にしているのはその点である。 翼の巨人達にアーレスやロッセが絡んでいる以上、何らかのちょっかいを出してくる事は想定されていた。故に各国の代表数名が集まっての小さな式典でありながら、その警備の規模はメガリと八達嶺、イズミルの戦力の大半を動員したものとなっている。 「そっちにはリフィリアやコトナ達が控えてくれてるから平気よ。八達嶺からも昌達が出てくれてるみたいだし」 会場警備は、イズミル大隊からも、リフィリア小隊が専任で当たってくれていた。ソフィアとしては大隊全員に式典に出て欲しかったのだが、会場警備の役割もある以上、そういうわけにもいかない。 困っていた所で、リフィリアが理由も聞かずに率先して引き受けてくれたのである。 「それに、軍用のドレスだから大丈夫だよ。ヴァルも着なよ」 確かにアームコートに乗る時にドレスは邪魔になるが、その工夫はちゃんとされたものだ。スカートの長すぎる部分や飾りなどは、実は簡単に取り外せるようになっている。 「そうですわ。何より、環君の隣にその格好で立つつもりですの?」 「ぐ…………」 式典は二国の間での公式の行事だ。いくらそれを気にしないメンバーがほとんどとはいえ、公の場である事は間違いない。 内心気にしている所を突かれて、ヴァルキュリアはそれ以上プレセアに抗う事が出来ずにいる。 イズミルの空の下。 ふらりと姿を現した人物に、ジュリアはその目を疑うしかなかった。 禿頭無毛の姿。表情の薄いそいつの名は……。 「…………シャト……ワール?」 「久しぶりです。ジュリ…ア……?」 その言葉は、最後までは紡げない。 「シャトワール……っ!」 ドレス姿のジュリアが駆け寄り、そのまま力一杯抱きしめられていたからだ。 「どうしてたの、今まで! たくさん……たくさん心配したんだから!」 シャトワールは、ジュリアがこの戦場で喪った初めての親しい友だった。一度は助からないだろうと諦め、八達嶺で生きている事に希望を見いだし、再び行方不明になったと聞かされたのが……半年前。 「すみません。心配を掛けましたね」 どうしたら良いのか分からず、ぼんやりとしている所に掛けられたのは、脇からの声だ。 「つい昨日、八達嶺の地下で見つかったのでござる」 半蔵である。 「八達嶺で……?」 半年前までは、確かにシャトワールは八達嶺にいた。けれど行方不明になった直後、万里達の指示でロッセ達と合わせて厳重な捜索が行なわれたはずだ。 それが今頃になって見つかったとしたら、果たして目の前の人物はどこにいたのか。 「私もよく覚えていないんです。ただ、目が覚めたらお屋形に寝かされていて……」 「いいわよ、何でも。こうやって無事に帰ってきてくれたんだから」 そう。 ジュリアにとっては、それで十分なのだ。 もう無理だろうと半ば以上に諦めていた相手が、こうして会話の出来る距離にいてくれるのだから。 「そうだ。万里様やアレク様には報告したの?」 ひとしきり喜んでおいて、思い至るのはそこだった。 ジュリアが警備していたのは、会場の入口に当たる場所だ。万里やアレク達のいる控え室は、ここからさらに奥にある。 「来たばかりでござるからな。今からでござる。万里様はどちらに?」 「万里様なら控え室にいるわよ。案内してあげる!」 入口の警備を他の兵に任せると、ジュリアはシャトワールの手を取って嬉しそうに歩き始めるのだった。 イズミルの一角。 式典会場の東側に用意されているのは、神揚側の控えの間だ。控え室とはいえ、本営官舎の一角に取られただけのスペースである。 式典そのものは重要だが、全体としては内容に似合わぬ簡素なものだ。それは、神揚とキングアーツ、双方の代表の意思でもあった。 「………千茅がいない?」 「うん。宿舎にもいなくて……」 そんな控えの間で困ったような昌の言葉に応じたのは、式典の装いを整えた万里である。 もちろん神揚側の代表だけあって、キングアーツ様式のドレスではない。シンプルな小袖に、金糸銀糸で縫い取りのされた打掛を羽織る、神揚の正装だ。 「八達嶺にまだ残ってるのかとも思ったけど、柚那に確認したら……」 「ええ。こっちにもいないのよね」 予定では、昨日のうちにイズミル入りしているはずだった。打ち合わせの確認などはとうに済んでいたから、昨日は特に気にしなかったが……さすがに当日の朝に見ないのは問題である。 「……で、柚那は何でこんな所にいるのだ」 鳴神が不機嫌に呟くのも無理はない。 柚那はムツキと共に、八達嶺の後詰め担当だったはずだ。この時間にイズミルにいて良いはずがない。 「分かってるわよ。千茅ちゃんが心配だったから来ただけでしょ。万里様の正装も見たし、もう帰るわよ」 鳴神の雷に小さく肩をすくめ、まさに猫の如く飄々とした様子で立ち上がった。 「けど、千茅ちゃんだったらメガリの控え室じゃないの? アレク様のお祝いに行ってるとか」 「いいから戻れ!」 改めて落ちた鳴神の雷に小さく舌を一つ出し、柚那は今度こそその場を後にする。 「まあ、ありえない話じゃないけど……」 アレクが八達嶺に囚われていた頃は、彼の世話役を務めていた彼女だ。式典のお祝いにと顔を出している可能性もある。 「そうかなぁ……? まあ、それならいいんだけど」 仮にそうだとすれば、誘ってくれないのも水臭い、という思いが先に立つ。 昌もアレクの顔くらい見に行っておきたかったのだ。なにせ、大切な妹分をかっさらう男である。釘の一つも刺しておいたところでバチは当たらないだろう。 「……我々に無断で持ち場を離れる娘でもあるまい」 「そうなんだよねぇ……」 だが、実際の所は鳴神の言う通りだ。 どちらかといえば、千茅はアレクを祝福に行きたい気持ちを押し殺して、持ち場にしがみ付いているような娘である。柚那くらいの要領の良さが彼女にも身に付いたのだとしたら、むしろ万里や昌としては喜ばしい所なのだが……。 「どこに行っちゃったんだろ……」 沸き立つ嫌な予感を隠しきる事も出来ず、昌は静かにそう呟くだけだ。 |