2.auto / tey-to 屋根に開いた窓から見えるのは、煤煙に烟る灰色の空。 その彼方にぼんやりと薄紫の色が見えないのは、街の外が生ある者全てを拒む滅びの原野ではなく、ただの青い空だからだ。 王都グランアーツ。 それが、彼が滞在している場所の名。 「ああ。アーレスとキララウスは軍籍剥奪。本部から正式に追討命令が出た」 閉じた瞳の内側に感じられるのは、全身を繋ぐ制御ケーブルから流れ込んでくる視覚情報だ。 アームコートの中に、制御用のレバーやスイッチの類は存在しない。制御の全ては機体と身体を繋ぐケーブルによって行なわれるため、そもそも必要とされないのだ。 「率いていた部隊も、アレク王子の働きで不問にはなったが……先日付で解体だ」 簡単な事後処理くらいは彼もアレクの代理で行いはしたが、その程度である。後の事は、王都の人事部の仕事になるだろう。 「仕事人間だなぁ……。そんなんじゃ、中佐さんも奥さんとしっぽりやる暇もねぇな」 機体の頭を動かし、視界を上方から下方へと。 その中に映り込んできたのは、人間にしては大柄な女性だった。装甲を外された脚部にもたれかかり、アームコートのカメラと視線を合わせるようにこちらを見上げている。 「子供に振り回されて、家でもそれどころではないよ」 僅かに機体が揺れたのは、苦笑いに代わるもの。人間の手足の延長として……意思に従って動くアームコートだからこそ、細かな身体の反応も機体の動きとしてフィードバックされてしまう。 「ンだぁ? そんな事してっと、嫁さんに浮気されちまうぞ」 「…………それはないだろう。ソイニンヴァーラでもあるまいし」 そう言いながらも再び僅かに揺れた機体に、足元から聞こえてきたのはエレの大爆笑だ。 「そんなビビんなくてもいいって。もう何日か休暇も残ってんだろ? 景色の良い所にでも出掛けて、ついでに三人目でも仕込んでやりゃ、奥さんも満足してくれるって!」 「……そちらはどうだ」 これ以上は何を話しても藪蛇にしかならない。エレが戻ってきていると知らずに、機体の調整の様子見に来た事を少々後悔しながら……アーデルベルトは話の中心を相手へと変えてみせる。 「ぼちぼちだよ。MK-IIの引き渡しは終わったけど、イロニアの量産計画にももうちょっと付き合う羽目になっちまったしな。コトナの顔見るのもまだ先になるなぁ」 少し前にセタに引き渡された、新型機の事だ。長らく御蔵入りになっていた機体だったが、神揚の神獣技術のノウハウを加える事で、ようやく日の目を見る事が出来たのである。 もちろん今アーデルベルトが乗っている機体にも、この半年で蓄積されたノウハウの幾つかが反映されているはずだった。 「そちらこそ欲求不満なんじゃないか?」 「王都の娼館も悪かないぜ?」 ようやく反撃のチャンスと放たれた言葉を真っ正面に打ち返されて、アーデルベルトはそれ以上の言葉を紡げない。 「何だったら今度一緒に行くか?」 人の多さは、そのまま街の賑わいに直結する。メガリ・エクリシアにも娼館のひとつやふたつないわけではないが、やはり王都の華やかな歓楽街と比べれば天と地ほどの差があった。 「必要ない。……こんなものか」 本来は調整中の機体に、無理を言って乗せてもらったのだ。最低限の動作チェックではあるが、違和感を感じる事はなかったし、このまま仕上げてもらえれば大丈夫だろう。 「後はやっとくよ」 「それでだな……」 最後にアーデルベルトが視線を向けたのは、隣の区画で整備を受けている彼の隊の所属機へと。 「あれは、何だ。新型の通信アンテナか何かか?」 整備するぶんには問題ない。けれどその機体の頭部に、小さな赤い角が増えている。 「知らねえのか? 王都で流行ってる漫画本。……赤い角付けて、三倍早くなるって奴」 言われても、全く思い浮かばない。子供はまだ漫画本を読む歳ではないし、彼自身もその手の本はさして興味がない。 「……まあ、戦意向上になるならいいか」 害のあるものではないと考えて、それ以上の詮索はやめておく。 「じゃあな。お疲れさん」 疲れの大半は誰のせいだ……。 そう思いながら、アーデルベルトはアームコートとの接続を解除するのだった。 「えーっ。珀亜ちゃん、まだ戻れないの!?」 青い空に響くのは、若い娘の少し高い声。 だが、別れを前に声を上げるのは、別段彼女たちに限ったわけではない。辺りの作業員も慣れた様子で、黙々と作業を続けている。 「ああ。もうしばらく、こちらに滞在する予定だ」 娘の言葉に小さく頷くのは、白い虎の耳を備えた少女であった。神職の装束に似た装いは、琥珀の霧に覆われた彼の地にいた頃と変わらぬものだ。 凜としたその装いは、琥珀の霧よりも青い空の方が良く映えるのだと思いながら、娘はつまらなそうに唇を尖らせる。 「だったらあたしも残ろうかなぁ……」 けれどそんなぼやきを止めたのは、彼女の隣にいた熊の耳をした娘であった。 「ダメですよ、ミカミさん。向こうのお仕事も溜まってるって、こないだタロさんが来た時に言ってたじゃないですか」 そのタロは、今日はここにはいない。 八達嶺とイズミル。そして、メガリ・エクリシア。 商売や交易の手を今まで届かなかった場所へと広げ、帝都まで戻ってくる事はこの半年でめっきり減った。その代わり、彼の巨大鯨よりも少し小型の飛行鯨たちが、帝都と八達嶺を繋ぐ新たな輸送手段として投入されている。 これから彼女たちが乗り込むのも、戻ってきたときと同じ小型の飛行鯨なのだ。 「うぅぅ……仕方ないか。こっちにいてもお姉ちゃんとあの旦那のイチャイチャ見せられるだけだしなぁ……」 「ひゃぁあっ!?」 小さくぼやき、反撃とばかりに熊耳の娘を抱き寄せる。 「まあ、千茅ちゃんもいるし、戻ったらコトナちゃんとかジュリアちゃんもいるし、それで我慢しよう」 腕の内からは、力ない反撃が来るだけだ。そんな千茅に容赦なく頬を寄せながら、柚那が気が付いたのは、別の事。 「そういえば千茅ちゃんはどうだったの? 実家に帰ってたんでしょ?」 三人の休暇の目的は、いずれも実家への帰省である。 だがその帰省の中で、暇を持て余した柚那の遊びの誘いを千茅が断る事は一度としてなかったのだ。 もともと押しの弱い性格という事もあるのだろうし、柚那も誘えば喜んでくれる千茅の様子に悪い気分はしなかったから、その時はさして気にしなかったのだが……。今思えば、珀亜のように家の用事を優先し、十誘った内の三ほどしか相手をしない方が当たり前ではないのだろうか。 「ええ……。まあ」 その問いに、腕の中の抵抗はもう少しだけ弱くなり……。 「おうい、出港するぞお!」 三人の間に生まれた微妙な沈黙を破るように掛けられたのは、飛行鯨からの男の声だった。 今回の人間の客は柚那と千茅の二人だけ。 軍の荷物に紛れての、空の旅だ。 「それじゃ、行きますね!」 「珀亜ちゃんもすぐ来てね」 手を振って去って行く二人に向けて、珀亜は深く深く頭を下げた。 「ああ。……向こうの皆にもよろしく」 それが恐らく、最後の挨拶になるだろうと……分かっていたから。 |