転章2.Me Know's 「巨人の目撃報告……?」 白木造りの政務の間で万里が口にしたのは、半蔵からの報告だった。 「八達嶺周辺とイズミルの双方で、巨人を見かけたという報告が挙がっているのでござる」 それは、八達嶺の建設時にもあった話だった。その時はキングアーツのアームコートを古より伝わる巨人だと見間違え、結局あの戦いに続いてしまったわけだが……。 「それは俺も聞いてるが……アームコートじゃないのか?」 奉の言葉に、半蔵は首を静かに振ってみせる。 「キングアーツの通信機で呼びかけても、何の反応もなかったそうでござる。それにアームコートが近付けば、通信機はざあざあと音を出すでござろう? それもなかったそうでござるよ」 何らかの非常時にも対応するため、アームコートの運用中に通信機を止める事はほとんどない。そのため、近くに別の通信機があれば通信機は無音を拾い、それなりのノイズを流してくる。 それがなかったという事は、隠密の任務で通信機を切る必要があったか……もしくは、通信機の乗っていない機体だったか。 「そういえば、メガリを占領したアーレスって奴も行方不明のままなんだっけ」 後に聞いた話だが、八達嶺の奪還作戦の間、メガリ・エクリシアもキングアーツ側の抗戦派の手によって陥落寸前まで追いやられていたらしい。事件そのものは何となかったが、その主犯格の人物はいまだ行方不明なのだと聞いていた。 アームコートは動力の補給がなくては数日しか保たないから、恐らくは既に行き倒れているだろうと言われていたが……。 「それもありますし、メガリでも神獣とは違う魔物の目撃があるそうです。アレクは調査班を合同で組織したいと」 それについては奉も半蔵も何の異存もない。 面倒事は早く解決するに限るし、何よりも……。 「アレクとの婚約発表も近いしな。平和に越した事はない」 「そ……それは関係ないでしょう!」 ニヤリと微笑む奉に、万里は耳まで真っ赤に染めて言葉を返す。 「別に恥ずかしがる事もござりますまい。めでたい事でござる」 「だよなぁ」 「あうぅ……みんなにそう言われてばかりで、どうしたらいいのか……」 顔も耳も、細い首筋まで紅く染まっている。もはや万里は俯いて、口の中でもごもごと言葉を捏ね回すだけだ。 「まあいいや。調査班は適当に選んどこう」 「……お願いします」 ようやく平和がやってくるのだ。 これ以上の混乱は、もう来て欲しくなどない。 黒大理の部屋を後にすれば、続いているのは長い長い廊下だった。 その周囲を覆うのも、鏡のように磨かれ、透き通った黒大理だ。だが本物の大理石などではないのは、アーレスが靴の裏で蹴り付けても傷一つ付かない事からも明らかだった。 大理石に似せた、はるかに固い何かで作られているのだろう。 「本当に何もないな。辛気くせえ場所だぜ」 まっすぐな廊下の左右には何もない。所々の継ぎ目のような物が基準となって、彼等がちゃんと進んでいる事は教えてくれたが、それだけだ。 「俺達もここ以外は入らせてもらえないからな……」 やがて、どれほど歩いただろうか。 永遠に続くかと思われた黒い通路を抜けた先には、巨大な空間が広がっていた。 そこに並ぶのは、人型の巨人達。 「これは……アームコートか? それとも、神獣……?」 黒く磨かれた金属装甲に、その間から覗く有機的な部品群。見ようによっては生体部品を備えたアームコートとも、金属部品を埋め込まれた神獣とも取れるだろう。 「どちらでもありませんよ。『シュヴァリエ・デ・クラック』と言います」 黒大理の広間に響くのは、静かな声。 シュヴァリエと呼ばれた巨人の影から姿を見せたのは、黒豹の脚を持つ青年であった。 「テメェ。確か、ロッセ……」 アーレスに直接の面識はない。けれど、夢の中で万里を支え、怒りと共にソフィアの首を刎ね、最後の決戦の引き金を引いた人物だという事は知っていた。 「近寄らない方がいいですよ。シュヴァリエは自らの意思で動きます。貴方を味方と認識しない内は、踏み潰してしまうかもしれません」 ロッセがその足元にいて平気なのは、シュヴァリエが彼を味方と認識しているからなのだろう。 という事は、ロッセに敵対した動きを取った場合……目の前の巨人達がどう動くかは、想像に難くない。 「……で、何なんだここは」 今は戦うべき時ではない。情報を集める時だと理解して、アーレスは本質的な問いを放った。 「ここは王家の谷。ネクロポリスとも呼ばれる、我々ミーノースの拠り所ですよ」 「……そのミーノースとやらが、俺に何をさせたい」 助けたという事は、何らかの意味があるのだろう。数日の食事の世話くらいならともかく、ただの親切で瀕死のアーレスを再生させ、キララウス達を半年も養うような者はまずいない。 「我々ミーノースは、これからイズミルを攻略します。指揮は小官が取りますが、あなたにはシュヴァリエ達を率いる将となって頂きたい」 「イズミル?」 また知らない名だ。 「あなた方がスミルナ・エクリシアと呼んでいた場所ですよ。この半年で、神揚とキングアーツの共同管理地帯となっています」 「ってことは、和平は成立したのか……?」 半年前の八達嶺での戦いは、和平の方向を決定付けるものだった。その戦いが成功したということは、事態は彼等の思い通りに……そして、アーレスの望まぬ方向に進んだのだろうか。 「概ね。もうすぐ正式な和平の調印が行われる予定です」 その式典は、二つの勢力の因縁の地、イズミルで行われるという。恐らく襲撃も、そのタイミングで仕掛ける事になるだろう。 「……嫌だと言ったら?」 「あなたの機体の整備と補給は終わっています。どこへなりと出て行って頂いて結構」 「……何?」 それは、アーレスにとっては予想外の返答だった。 拒絶の意思を示せば、恐らくは強制的に加勢を命じるか、拘束されるくらいに思っていたのだが……。 「ここを出ればすぐにイズミルに着きますし、北に向かえばメガリやキングアーツ領にも入れるでしょう。その時は貴方は二度とこの王家の谷に入れなくなるだけですが、それはまあ問題ないでしょう?」 茫然としたアーレスの表情を気にする様子もなく、ロッセは淡々と言葉を紡ぐだけだ。 「将に関しては、キララウスとニキ達でひとまずは何とかなりますからね。治療費については……まあ、この二人の身柄で差し引きという事にしておきます」 ちらりと傍らの二人を見れば、彼等は将としてこの黒い巨人達を率いて戦うつもりなのだろう。小さく頷くキララウスの様子に、アーレスは舌打ちを一つ。 「すぐに答えなくても結構です。時間はそうありませんが、しっかりと考えて結論を聞かせて下さい」 アーレスが言い返そうとして男の方を向けば、既にその姿はどこへともなく消えている。 頭上に広がるのは、青い空。 神揚の琥珀色の空とも、キングアーツの煤煙混じりの空とも……もちろん呪われた薄紫の空とも違う、真っ青な空だ。 「こんにちはー」 そんな空の下から少女達が天幕をくぐれば、鼻をくすぐるのは香ばしく焼かれた肉の匂い。 「いらっしゃい! アヤさん、ジュリアちゃん!」 迎えたのは、八達嶺からやってきた料理人の少年だ。 「お腹空いたー。タロ、何か適当にちょうだい」 「まかせといて!」 カウンターに着いた少女達に元気よく答え、タロは楽しそうに鍋を振り始める。 屋台の席に腰掛けているのは、身体の各所を義体に置き換えた者達と、動物の部位を備えた者達が半々ほど。中にはキングアーツと神揚の者が相席し、昼間から酒を酌み交わしているテーブルもある。 ほんの半年ほど前には想像も付かない光景だったが、今のこの地では何ら珍しくない光景だった。 「聖なる岩……アークだっけ? 調査は進んでるかい?」 突き出し代わりに軽い炒め物を出しながら、タロが問うのは今のイズミル最大の話題。 ようやく発見された、この清浄の地の浄化装置についてだ。 「あたし達は監督してるだけだからねぇ。アークの事は専門外だし、ククロとかの方が詳しいんじゃないかな?」 どうやら他の清浄の地の浄化装置とはひと味違うモノらしいとククロが喜んでいた気もするが、それ以上の事はさっぱりだ。延々と技術的な話を聞かされもしたが、結局適当に相づちを打つ事しかしていない。 もちろん、その内容は一割ほども理解出来ていなかった。 「けど、スミルナ……あ、今はイズミルだっけ。こんな所にお店出すなんて、すごいわよね。タロ」 現在のイズミルは、キングアーツと神揚の共同調査隊が、アークなどの遺構調査を目的に駐留しているだけだ。本来なら民間人の立ち入りは禁止されているはずなのだが……。 何故かそんな地に、ホイポイ酒家は堂々と天幕を広げていた。 「こうやって来てくれるお客さんがいるなら、そりゃお店だって出すさ」 実際は万里や鳴神に拝み倒して、半ば強引に出させてもらったのだ。強引とは言え神揚側の調査隊員で反対する者は誰もおらず、キングアーツ側のソフィア達も反対する理由が特になかったため、こうしてタロは店を出してひと月ほどが過ぎた今も、呑気に鍋を振っている。 「ま、いいんじゃない。おかげで八達嶺まで行かなくてもタロのご飯食べられるんだし」 アークの話題は彼女達には向いていないと踏んだのだろう。タロは鍋を振りつつしばし考え……。 「そうだ。もうすぐ万里様とアレク様の婚約式典なんだろ?」 選んだ話題は、もう一つのド定番。 目前に控えたキングアーツと神揚の和平の調印と、万里とアレクの婚約についてだ。 「そうなんだよ! あたし、すっごく嬉しくてさー」 同時に行われるそれは、ソフィアとしても待ちに待ったものだった。あの夢の話でアレクやソフィアを手に掛けたと聞いた万里はしばらく遠慮がちになっていたが……結局アレクの想いに応じる形で、万里も彼を受け入れたのだ。 「………今度こそ、上手く行くよね?」 呟くジュリアに、タロは笑顔で頷いてみせる。 「そりゃそうだよ。もう悪い奴なんかいないだろ?」 「だよね……?」 アレクや環はキングアーツ側が侵略の手を伸ばさないよう、交渉以外にも様々な事に細心の注意を払っているようだった。 「兄様と万里が結婚すれば、何の問題もないでしょ。あたしも環も手伝うし、神揚でも奉や昌がいるし。ジュリアも手伝ってくれるでしょ?」 「当たり前じゃない!」 少なくとも、今の体制が続く限りは二国間に戦が起きる事はないはずだ。それはこの先、二国の同盟と二人の婚姻が結ばれれば、より強固な物となるだろう。 「へいおまち!」 「それじゃ、いただきまーす!」 二人の少女は顔を見合わせると、目の前に出されたタロ特製のキングアーツ料理に嬉しそうに箸を伸ばすのだった。 |