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転章1.もう少しだけ、続く世界

 薄紫の空の上。
 ゆっくりと空を駆けるのは、翼に金の色を混じり合わせた大烏。
 その脇をまっすぐに駆け抜けていくのは、一条の閃光だ。
 鳥ではない。
 烏を模したマヴァとも違う、直線的な意匠に覆われたそれは、体の大半を金属部品で構成された完全なる人工物。
 その操縦席の内。全身に制御用のケーブルに繋ぎ、静かに瞳を閉じているのは、栗色の髪の青年……セタ・ウィンズであった。
「こちらガルバインMK−II、セタ・ウィンズ。ククロ君、聞こえるかい?」
 瞳は閉じたまま、開く気配はない。
 機体を揺らす風が、切り裂く大気が、機体各所に備えられたセンサーを通じて彼の全身に世界の有り様を教えてくれる。閉じた瞳の奥に広がる本当の空を、セタは機体を自らの体へと変え、駆け抜けていく。
「聞こえるよー。調子はどうだい?」
 そんな世界に響くのは、地上からのククロの声だ。
「少しバランスが悪いかな」
「まだ武装も付いてないしねー。最後に可変機構を試してもらって良いかい? リーティ、用意して!」
「了解。何かあったらまかせといて!」
 通信機から混じったのは、少し後ろを翔ぶリーティの声だ。
 今の八達嶺の神獣にはほとんどの騎体に通信機が備え付けられており、アームコートとも問題なく連絡が取れるようになっていた。以前のように、意思の疎通に頭を悩ませる事など遠い過去の話である。
「…………行くよ!」
 セタの呟きと共に、ガルバインMK−IIと呼ばれた機体の外装が大きく割れる。幾つかの部品がスライドし、その配置を変えれば……現れた人型のアームコートは、その身をぐらりと傾がせて。
「っと、危ないっ!」
 慌てて宙を駆けたリーティの大烏が、失速したセタの機体の肩を引っ掴んだ。
 大きく翼を羽ばたかせ、倍以上に増えた自身のバランスを必死に取っていく。
「……助かったよ、リーティ君」
 既に先ほどまで感じていたような、空を自在に駆ける感覚はない。足元に広がる緑のオアシスをぼんやりと見下ろしながら、セタは小さく息を吐いた。
「まだ可変機構は一考の余地ありだねぇ。じゃ、イズミルに戻ってきて」
「分かった。リーティ君、このまま地上までいいかな?」
「あーあ。オレ、お腹空いちゃったなぁ」
 薄紫の荒野の中にある、緑色の清浄の地。
 切り開かれたその一角から細い炊事の煙が登っているのを眺めながら、セタは思わず苦笑い。
「イズミルのホイポイ酒家なら今から行くけど……?」
「へへっ。交渉成立だね!」
 セタのその言葉に巨人をぶら下げた大烏は大きく羽ばたきをひとつして、ゆっくりと地上へと滑り降りていく。


「…………魔物の目撃報告?」
 座り慣れた執務机でアレクが口にしたのは、向かいに立つヴァルキュリアの報告を受けたからだ。
「ああ。この所、メガリとイズミルの双方で、そういった報告が増えている」
 それは、メガリ・エクリシアの建設時にもあった話だった。その時は神揚の神獣を伝説の怪物群と見間違え、結局あの戦いに続いてしまったわけだが……。
「……また神獣を見間違えたのではありませんの?」
 隅の机で資料をまとめていたプレセアの言葉に、ヴァルキュリアは小さく首を振る。
「兵達の報告だから、それはない。いまさら神獣を見間違える事もないだろうし、八達嶺の神獣には通信機が乗っている」
 通信機の使い方は八達嶺の駆り手全員が学んでいたし、キングアーツ側の兵達にもいまさら神獣を魔物と見間違えるような新兵などいない。
 席を立ったアレクが寄った窓の下。
 メガリ・エクリシアの中庭でも、研修に来た神獣とこちらのアームコートが手合わせを行っている最中だ。今では神獣も、その程度はメガリ・エクリシアに溶け込んだ存在となっている。
「目撃事例は鳥に似た魔物と、人型か……半年前にニキが乗って逃げたのは、テルクシエペイアだったな」
 あの戦い……八達嶺を取り戻した短くも激しい三日間から、既に半年が過ぎていた。
 八達嶺とメガリ・エクリシア、双方のクーデターの首謀者達は変わらず行方不明のままだったが、それでもこうして二つの地は休戦の時を穏やかに過ごし、和平の調印を待ちわびている。
「面白くありませんわね。もうすぐ調印式も近いというのに」
 そしてその調印式まで、あとわずか。
 故にその噂は、どこか不気味で、誰しもが不安に感じる物だった。
 あの夢の中で起きた、スミルナの森での悲劇……双方の副官の裏切りによる調印式の惨劇は、誰の胸にもやるせない事件の一つとしていまだ刻み込まれている。
 今度もまた、調印式で何か起こるのではないか。
 その不安は、誰もが思いつつも、口に出せない事の一つだった。
「……いや、俺は万里を斬ったりしねえからな?」
 辺りの何となくの視線を感じたのだろう。今は副官席に戻っている環は、苦笑いを浮かべるだけだ。
 アレクも無事だし、紆余曲折はあったにせよ概ねの事が上手く進んでいる。環にとっても、余計な混乱を起こす必要など、どこにもないのだ。
「そうだな。プレセア、環、念のために調査班を組織してくれ。万里にも向こうから人が出してもらえないか聞いてみよう」
 環とプレセアは了承の意を返し、ヴァルキュリアも小さく頷いてみせる。


 目覚めた彼が目にした天井は、彼の記憶にはない景色だった。
 黒い。
 大理石の如く、アームコートの装甲の如く。
 冷たく固い、透き通った黒。
「…………」
 身体は重い。どこか靄の掛かったような、はっきりとしない頭のまま身体を起こせば……近くの席で書物らしき物を広げていた男がこちらに顔を向け、驚いたような顔をしてみせた。
「……キララウス」
 それは、顔の半分を義体化させた男。
 彼の戦友の一人であり、あのクーデターが失敗した時、共にメガリ・エクリシアを脱出した男だ。
「起きたかアーレス。気分はどうだ?」
「ここは……どこだ?」
 少しずつ記憶が戻ってくる。
 そうだ。
 あのクーデターに失敗し、キララウスと共に脱出して。満身創痍のアーレスはスミルナに着いた所で気を失ったのだ。
「ネクロポリスというらしい」
 ネクロポリス。
 わずかに覚えていた旧い言葉に照らし合わせれば……死者の都とでも言うべき意味だったはず。
「……死んだのか、俺は」
「いいえ」
 その呟きを否定したのは、キララウスではない。
 狒々に似た顔を持つその男は……!
「貴様……!」
 それは明らかに、動物の性質を持つ相手だった。敵対すべき、神揚帝国の出身者である。
 だが、激昂するアーレスとは対照的に、キララウスはそんな彼を穏やかになだめてきた。
「ああ、待て待て。こいつは敵じゃない。半年ほど話したが、見てくれほど悪い奴じゃないぞ」
「半年……? 俺は半年も寝てたのか!?」
「貴公は内臓も壊されていて、生きているのも不思議な状態だったのだぞ?」
 破壊された臓器を正常な状態に戻すのに数ヶ月。さらに衰えた身体と損傷した義体を修復するまでにもう少し。
「今の身体は、恐らく気を失った時のまま」
 少し怠さが残っているのは、長く眠りすぎていたからだ。それが過ぎれば、身体は完全に元通りとなる。
「ああ、名乗りがまだでしたな。我輩は、ニキ・テンゲル。かつて八達嶺に所属し、今は貴公ら同様、このネクロポリスに拾われている身」
 黒大理石の澄んだ床を猿の尻尾でぴしりと打って、ニキと名乗った男は恭しく一礼をしてみせた。
「向こうのクーデターの長だった奴らしい」
「……追い落とされましたがな。腰抜けの和平派どもに」
 わずかな手勢と合流出来た所までは良かったが、良かったのはそこまでだ。概ねアーレス達と似たような道筋を辿り、今は同じようにここにいる。
「お前が敵じゃない事は分かったが……俺はどうしてこんな所に?」
 今の疑問はそれだ。
 アーレスが気を失ったスミルナには、人は住んでいなかったはず。そこからこのネクロポリスとやらに移されるまでの経過が分からない。
「覚えてないか? お前が気を失う直前に、女が出てきただろ。そいつに連れて来られたんだよ」
 言われて見れば、そんな記憶もある。
 鳶色の髪に、金の瞳。背中に鷲の翼を備えたその娘は……。
「……沙灯って奴か」
 それがあの夢の中で見た娘の名だと気付いたのは、口にした後の事だ。しかしキララウスはそれを彼女が名乗った後に気を失ったと思ったのだろう、小さく頷いてみせるだけ。
「ああ。双子らしいから、どっちが沙灯かはよく分からんがな。後は他にも何人かいるが、そっちは後で紹介しよう」
 だが、沙灯はあの夢の中で消えたはず。
 それとも同じ名・同じ姿を持つ偽物でもいるというのか。
 分からない。
 分からない事だらけだ。
「とりあえず、見た方が早いだろう。……付いてくるといい」
 そんなアーレスの表情に気付いたのだろう。キララウスはその場を立ち上がり、黒大理石の部屋をゆっくりと出て行くのだった。

続劇

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