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31.それから・1

 見上げれば、そこに広がるのは煤煙に覆われた灰色の空。
 いつも見慣れた琥珀色の霧でもなく、滅びの原野のおぞましい薄紫の大気とも違う空だ。多少煤っぽくはあるが、慣れてしまえばどうという事もない。
「…………なんだ。真似しおって」
 そんな空を見上げながらぽつりと呟くのは、目元を分厚い布で覆った老人だった。その左腕はかつての大熊の腕ではなく、無骨な鋼の腕へと置き換えられている。
「……別に真似したわけではありません」
 そしてムツキの傍らで呆れたようにぼやくのは、やはり巨躯の壮年の男。その右腕も、所々が竜鱗に覆われた左腕とは対照な、鋼の腕への義体化が施されていた。
 まるで鏡写しのような状況に、鳴神は小さくため息を一つ。
「それにしても、便利なものですな。キングアーツの義体というのは」
 あの激しい戦いから、まだ十日と経っていない。腕を失った数日後には義体化の手術を受け、ほんのわずかなリハビリで今日に至る。
「そうだな。ほんの数日でこれとはな」
 呟き、左腕をゆっくりと上げてみる。
 腕の動きも指の動きも、既にムツキの思い通りだ。さすがに今までの左腕と比べれば大きさに違和感が残る所だが、それもいつしか慣れるだろうし、不便であればもっと大型の義体に置き換える事も出来るという。
「おかげで飯も食えます」
 利き手を失った鳴神も、食事に苦労したのは腕を失った数日だけだ。今となっては元の通り、右手で箸を使う事も出来る。
 武技に使うには少々加減が分からない所もあるが、コトナやエレの話では使いこなすには早くて半月という話だったし、その辺りの高度な事はおいおい進めて行けばいいだろう。
 何より八達嶺からの正式な特使として、この最前線に居続けながら療養も進められる事は大きい。
「ムツキさん、鏡さん。クオリアさんが、今日の訓練するって探してましたよ!」
 そんな二人に掛けられたのは、八達嶺から彼等の見舞いに来ていた千茅の声だ。武技を教わった師匠や兄弟子の怪我とあってか、彼女もちょくちょくメガリ・エクリシアへと顔を出すようになっていた。
「もうそんな時間か」
「さて。ならば行くか。またあの小僧に叱られてしまう」
 義体が絡むと意外と厳しい教官の小言を思い出し、ムツキはゆっくりとその身を起こしてみせるのだった。


 薄紫の荒野を進むのは、赤い角を備えた鋼の騎士だ。
「この辺りにもいないか……」
 センサーの有効範囲は最大に。しかしその視界の中に、目指す姿が映り込む事はない。
 入ってきたのは、大斧を備えた青いアームコートと、黒い装いの小型神獣の二つだけ。
「シュミットバウアー中佐。第三八地区にもそれらしき影、ありませんでした」
「三九地区も同じでござる」
「そうか……。リーティ、そちらからは何か見えんか」
 視線を上空に向ければ、ゆったりと薄紫の空を舞うのは、黒い影。
 かつては厄介極まりなかった空中の敵も、味方となれば有効極まりない空からの監視者となる。
「ないねぇ。全然だよ」
 だが、通信機から戻ってきた返答も、アーデルベルト達の期待に添うような物ではなかった。
「空から見てもダメか。……やはり地道に探すしかないな」
 空の視点でも、地形によっては見落としが出てしまう。その見落としは、地上からの視点で一つ一つ地道に潰して行くしかない。
「中佐」
 やがて合流したのは、赤銅の背甲を備えた機体とそして特に追加武装も施されていない歩兵型のアームコートだ。
「日明達か。そちらはどうだった?」
 芳しくないその反応に、アーデルベルトはため息を一つ。
「天に消えたか、地に潜ったか……でござるな」
 八達嶺から効率よく逃げられる経路として、先日の戦いの前にプレセアがムツキに用意させていた脱出ルートも調査対象に挙がっていたが、そちらにも逃亡者達が潜り込んでいる様子はなかった。
「私達のほうはともかく、飛行型の神獣に乗って逃げたなら南方という可能性は?」
 上空のリーティを見るまでもなく、飛行型神獣の足は速い。殊に敵首謀者のニキは飛行型神獣を使って逃げたと言うし、ひと足先にどこか大きな街に逃げ込んでいるのではないのか。
「色んな所に手配の使いを出してるから、それは大丈夫だろ。それにたぶん、柚那の所から逃げたバスマルも合流してるだろうし……」
 バスマルはニキの名代を任されるほどの関係だ。ニキ失脚の報を受け、即座に自身の身の破滅も悟ったのだろう。
 アーレスを連れて逃げたキララウスのように。
「そんなんでもそこそこ信用あるんだな」
 お互いの間に信頼関係があるかどうかは怪しい所だが、少なくとも合流して逃げるという可能性は高い。逃げたニキも、使える手勢は欲しいだろう。
「なら、もう少し探すか……っと」
 一歩を踏み出そうとした所でバランスを崩したエレの歩兵を支えたのは、コトナの赤銅の腕だ。
「大丈夫ですか? エレ」
「っつーか、やっぱ歩兵型じゃキツいな。イロニアを技研に戻さねえとだし……」
 イロニアはもともと戦闘用ではなく、実験機に若干の改装を施した急造品でしかない。共通化されていないハンドメイドのパーツも多く、メガリ・エクリシアでの完全修復はククロ達でさえ手に余ると言われていた。
 故に今日は、予備機となっていた歩兵型を借りて捜索に出ていたのだが……やはり、いつもの調子は出ない。
「……一度、帝都に戻るかなぁ」



「……蘭衆の市民?」
 ヴァルキュリアに渡された資料は、ほんの二十日ほどで調べたものだとは思えないほどに分厚いものだった。
「ええ。本名が分かった後は早かったわ」
 ざっと眺めていけば、そこに記されているのはヴァルキュリアには一切覚えのない来歴の数々だ。他人の視点で眺めたそれは、あまりにも面白みがなく、平凡で……彼女にとっては最も縁遠い人生に見えた。
 数年前に事故に遭って家族を失い、義体化された所で環に武官として引き取られたのだという。以降の特務少尉としての経歴は、それこそ彼女の記憶にある通りだった。
「……そうか。キングアーツの人間だったのだな、私は」
 自身の記憶にもないものだ。この記録が本当の物だという保証はどこにもないが、疑っていけばそれこそどこまででも疑っていける。
「環との関係は?」
「それは特には……。少なくとも、今のその体になるまでに接点は見つかりませんでしたわ」
 それは手元の資料にも記されている事。
 別添えにしてある環の経歴も、以前プレセアから教わったものと大差なく、やはり蘭衆の貴族として生まれ、士官学校でアレクと出会った後は彼の副官として活動をしていた……という事を詳しく書いただけにしか過ぎなかった。
「思い出せませんの? 昔の事は」
「ああ。夢の中でも、あれより前の事は全くな」
 恐らくはアレクの言っていたとされる、『瑠璃の巻き戻し』に巻き込まれた時の物なのだろう。
 少なくとも沙灯の記憶の中ではそんな場面に居合わせた覚えがない。
「さすがに瑠璃さんの歴史までは調べようがありませんわね」
 向こうの世界にもイクス商会はあるだろうが、そこと渡りを付けるならそれこそクロノス以上の特殊な力が必要になるだろう。そんな超常的な力は神揚にはもちろん、キングアーツにさえ存在しない。
「いや、いい。すまなかった」
 穏やかに微笑むプレセアに、ヴァルキュリアはわずかに言葉を詰まらせ……。
「……ありがとう」
 そう、付け加えるのだった。


続劇

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