11.長い三日目の始まり 東の空を穏やかに朱く染めるのは、山の端から離れたばかりの朝日である。いまだ淡い色の世界の中、その輝きをゆっくりと弾くのは、黒と金の重装甲だ。 「なら、ちょっと行ってくるわ」 その内側から響くのは、厳つい外装とは対照的な、少女の愛らしい声だった。 「はい。ソフィア様もお気を付けて」 「後の事は任せるぞ。プレセア、ヴァルキュリア」 多くのアームコートの行き交うハンガーの中。少女の声と、赤い角を備えた機体からの男の声に穏やかに微笑むのは、車椅子に腰掛けた美女と、その傍らに立つ白い髪の娘である。 出撃する部隊は、大きく分けて二つ。 陽動部隊と、進入部隊。 だが、いかに今回の戦いが死力を尽くした総力戦と言っても、全ての戦力をメガリ・エクリシアから出すわけにはいかない。 プレセアは、そんな本拠地の守りを預かる将の一人であった。 「アーデルベルト君もセタ君も、気を付けてね」 頷く同期の将は、二人。一人は陽動、もう一人は侵入部隊の現場での指揮を任されている。 「……そういえば、ククロ君は?」 そんな三人の様子を眺めながら、ソフィアは気付いたのは守備を任された技術士官がいない事。いつもならこの大騒ぎの中、突出してテンションを上げている姿が……今日は珍しく見当たらない。 「まだお休みですわ。昨日も遅くまで皆様の機体の調整をしてくれていたようですから……」 先日の決戦から、まだほんの三日しか過ぎていない。 その間、破損した機体の修理を行い、決戦のための装備を調え、さらにそれ以外の雑務や外部の調査なども行っていたのだ。 「必要なら起こしてくるが」 「いいよ。寝かせといてあげて」 恐らくこの三日間、ろくに休んではいなかったはず。 今は泥のように眠っているだろう彼が目覚めた時、「全部うまくいったよ」と伝えられるようにしなければ……ヴァルキュリアに微笑みながら、操縦席の中でソフィアはぼんやりそう思う。 「ククロにも、帰ったらちゃんとお礼言わないとね」 穏やかに呟くソフィアの傍らで。 動きを見せないのは、赤い角を備えたアーデルベルトの機体であった。 ただ漠然と立っているわけではない。アームコートの制御システムは、人体の動きを機体に直接反映するもの。何かを考え、それに気を取られていれば……機体の立ち振る舞いも、自然とそんな雰囲気を漂わせるものだ。 「ふふっ。信じるんじゃなかったのかい?」 そんなアーデルベルトに掛けられたのは、セタの穏やかな声である。 「……そうか。そうだな」 アーデルベルトの視線の向こうにあるのは、メガリ・エクリシアの守りを預けられ、いまだハンガーに固定されたままの機体。 赤い獅子の兜を備えた、攻撃型のアームコートであった。 濃密に漂う琥珀色の霧を抜ければ、その先に広がるのは薄紫の大気に覆われた滅びの世界。 有毒の呪いから人々を守る霧の加護がなくなれば、その先で自身を守ってくれるのは、彼女等の乗った神獣の生存器官だけとなる。 「……まさか、こんな事になるとはねぇ」 黒い獅子を模した神獣の中、ぽつりと呟いたのは、白い髪をゆらりと揺らす娘であった。 彼女の乗る黒い獅子が率いるのは、人に似たもの、獣に似たもの、その何物にも見えないもの……人にあらざる、神獣の群れ。メガリ・エクリシアへと向かう使者の、護衛部隊である。 「ミカミ家の先見の術とやら……大したものだな」 薄紫の世界に足を踏み入れてすぐに柚那の脳裏に響いたのは、傍らの白いコボルトから放たれた思念だ。 実際に神獣の口から出た声ではない。思念をそのまま相手へと送り込む、神揚の民なら誰でも使える基本神術だ。 「でしょー? 伊達に秘儀を教わったわけじゃないわよ」 実際の所、ミカミ家に先見の術などというものはない。 いや、もしかしたらあるのかもしれないが、通常の神術もろくに学んでこなかった柚那にそんな奥義が伝えられていようはずもない。 先日ニキに言った事は、実際の所まるきりの出任せであった。 (っていうか、ホントにひと騒ぎあるとはね……) 本当は、柚那自身が侵入者のフリをしてひと騒ぎ起こすはずだったのだ。しかしナガシロ衆や馬廻衆の神獣の様子見や、ガイアースの整備に思ったよりも時間を取られてしまい、昨日は騒ぎを起こす間もなく疲れて眠ってしまっていた。 朝になってからしくじったと表に出れば、謎の侵入者に加えて、ロッセとシャトワールまで行方不明になっており……柚那の言葉を信じていなかったらしきニキは、掌を返したようにバスマルの護衛を柚那に任せると申し出てきたのだ。 「ふむ。……ならば、この先の事とやらも期待しているぞ」 「ま、まかせて……!」 思念の会話は通常の声による会話よりも、より心の色が露わになる。それ故に、嘘や怯えも通常の声よりはっきりと感じ取ることが出来るものだ。 「……しかし、迎撃があると分かっているなら進路を変えればいいのではないか?」 そして、言葉ならば小声でぼそりと呟くだけのひと言も、辺りには普通の声と同じように聞こえてしまう。 「聞こえてるわよ。……予言を上手く使うためには、ある程度は流れに乗ることも必要なの」 「なるほどな」 思念による会話も、少し訓練すれば心に仮面を付けることも難しくない。そうする事でこちらの内心を気取られないようにしながら、柚那は薄紫の荒野に自らの神獣を進ませていく。 「柚那殿」 そんな彼女の背後から飛んできた思念は、先ほどまでのどこか疑心の感じられるそれとは違う、もっともっとまっすぐな想いであった。 「あら、珀亜ちゃん。どうしたの? 見送りに来てくれたの?」 「ええ。……お気を付けて」 「珀亜ちゃんこそ気を付けてね」 大型の黒獅子は、ひと回り近く小さな人に似た神獣に穏やかな声で鳴いてみせる。いつもなら士気の鼓舞や威嚇でのみ放たれるその神獣の鳴き声は、今日は喜んでいるようですらあった。 「かたじけない」 本当ならば、珀亜も柚那の部下として護衛の一員に誘われたのだ。けれど彼女は自らの成すべき事のため、その話を断っていた。 「刀の事のお礼もあるし、帰ったらお姉さんがたくさん遊んであげるからねぇ」 「…………いえ、それは別に」 先ほどまでのまっすぐな意思はどこへやら。白いコボルトのそれに近い嫌がりようで、珀亜からの思念は拒絶と共に戻ってくる。 嫌がられるのも好きのうちというが、思念のそれは感じてあまり嬉しいものでもない。 「行くぞ!」 「はいはい! 分かってるわよ!」 女の子との会話はやっぱり肉声が一番だな、などと思いながら、柚那はガイアースの頭を巡らせるのだった。 |
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