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23.長中将崩誰二人 (おさちゅうじょうくずれたれふたり)

 目覚めたのは、夢の中だけで見た景色。
 白木の天井と、植物性の床材に直接敷かれた布の布団。
「ここは……」
 それは、夢の中のあの戦いで焼け落ちる以前の……。
「あ、お目覚めですかっ!」
 掛けられた声に無言でそちらを見遣れば、そこにいたのはスミルナ・エクリシアで幾度も見かけた娘であった。
 彼の地では常に帽子で頭を隠していたが、今日はそれを被る事もなく、小さな熊の耳が頭上にひょこりと覗いている。
 無論、その姿を彼が驚く事はない。
「千茅……。という事は、やはりここは八達嶺か」
「はい」
「……万里は無事か?」
 その問いにも、千茅は小さく頷いてみせる。
「アレク様はお怪我をなさいましたが、それ以外は皆さんご無事です。……多分、ソフィア様も」
 ソフィアの駆る黒金の騎士をあの戦場で見かけた者は、千茅の知る中では一人としていなかった。
 あれだけの強者が戦場にいれば、どこかから情報は入ってくるはず。それがなかったという事は、おそらくはアレクの望み通り、彼女が戦場に出る事はなかったのだろう。
「そうか。ひとまず、万里にソフィアや私を殺させずに済んだのだな。……どうかしたか?」
 そう独り言ちるアレクを、千茅はじっと見ているだけだ。
 その視線に気付き、アレクは軽く首を傾げてみせる。
「いえ。アレク様は、お二人の方を見ていらっしゃらないように……見えていましたから」
 それは、あの湖で会った時からずっと気になっていた事だった。
 アレクはいつも穏やかで優しかったが、その瞳は目の前の千茅達はおろか、万里や、ソフィアさえも見てはいないように見えた。彼が見ているのは、それよりもずっと遠くにいる……。
「……す、すみませんっ! わたしみたいなのが、言い過ぎでした」
 そこまで言って自身の発言の意味に気付いたのだろう。千茅は慌てて頭を下げ、ごにょごにょと謝罪の言葉を幾度も口にしてみせる。
「いや……。……確かに、見ていなかったかもしれん。この世界の万里は、間違いなく彼女なのにな」
 呟き、視線を向けるのは、いまだ人の身を保つ左手だ。
 そこには今も、金と銀……絡み合う、ひと組の指輪が嵌められている。
「それじゃ、万里様をお呼びしてきますね!」
 辞して去る小さな背中に、アレクは小さく「ありがとう」と呟いてみせるのだった。

 アレクの前に静かに腰を下ろすのは、万里と幾人かの部下達だ。
「神揚帝国 八達嶺総大将 万里・ナガシロと申します」
「キングアーツ王国 南部方面軍メガリ・エクリシア師団司令官 アレクサンド・カセドリコス中将だ」
 互いに上げるのは、清浄の地で口にした通称ではない。
 本来彼らが所属する組織の、正式な名乗り上げだ。
「助けていただいて、感謝する。万里」
 そして改めて口にするのは、いつもの穏やかな青年の言葉。
「……無事で良かったです。アレクさん」
「もう。万里も心配してたんだから、もっと喜べば良いのにー」
「そうだよ。抱きついて泣くくらいしてもいいんだよ?」
「も、もぅ……。柚那も、昌まで……!」
 そんな二人の間を囃すのは、万里の傍らにいた少女達だ。彼女達の関係は清浄の地でも、この八達嶺でも、さして変わらないらしい。
「アレク」
 そして、変わらないのはもう一人。
「……奉か。戦況はどうなった」
「お前が倒れた事で、こちらはお前を救うために撤退した。……痛み分けという所だ」
 どうやらアレクが倒れた後、メガリ・エクリシアは総攻撃を受けずに済んだらしい。
「……面倒を掛ける」
 アレク一人が倒れたくらいで瓦解するような組織にはしていないつもりだったが、それが真価を発揮する事態にならなかった事に、アレクは軽く安堵のため息を吐く。
 だがそれは、恐らくは寄せ手側の万里達にとって、極めて面倒な事態になった事も意味しているはずだった。
「それでアレク。お前はこの先、戦いをどうしたい?」
「止めねばならん」
 奉の問いに、答える言葉はたった一言。
「今頃メガリ・エクリシアでは、私はまた死んだ事になっているだろうしな……。私が無事に帰還して、神揚が敵ではない事を示せば、ひとまず騒ぎは収まるだろう」
 市井の人気はソフィアほどでないにせよ、少なくともその死が歓迎されるほどではない……という程度の自負はある。
 彼の知るソフィアが死んだ時ほどではなくとも、仇を討とうという動きは市民の間に起きるだろう。その流れに軍まで押し流されてしまえば、その先に待つのは再びの決戦だ。
「英雄の凱旋か?」
 彼が死んだ時の事を、奉はあの夢の中で既に知っている。
 本当に彼が死んだと認識されていれば、メガリ・エクリシアは彼が言う以上のうねりとなって八達嶺に牙を剥くだろう。
 それだけは、奉達としても絶対に避けねばならない所だった。
「恥ずかしいパフォーマンスだが、戦になるよりはマシだろうさ。……ライラプスは?」
「背中を切られて、ボロボロよ。ここまでは中の空気が出る仕掛けと、奉の神術で何とかなったけど……」
 柚那達が何とか八達嶺に辿り着いた頃にはその仕掛けも停止しており、奉の結界も城内に入ってすぐに消えてしまった。
 彼が命拾いをしたのは、まさに紙一重の所だったのだ。
「ククロ達が仕込んでいたあれか。……奉にも感謝せねばならんな」
 だが件の仕掛けは、ボンベに空気を詰め直さなければもう使えないはず。そんな設備がこの神揚にあるはずもないから、次はククロの仕掛けには頼れない事になる。
「感謝はいいが、俺の結界だけでは、ここから砦まではとても保たんぞ」
 ただでさえ消耗の多い術なのだ。例え保ったとしても、その後は奉の動きが取れなくなる。
 何かの時の為にと覚えた術で、確かに役には立ったが……皆が最終手段としてしか覚えない事にもそれなりの理由があるのだと、今回の一件で改めて思い知る。
「じゃ、シャトワールに直してもらったら?」
「そうか。シャトワールがいるのだったな……今は?」
 だが、シャトワールはアレクにとっても知らない間柄ではない。万里達が色々取り計らってくれるなら、顔の一つも見せるだろう。
 それをしないと言う事は……それが、出来ないという事だ。
「それが……ちょっと面倒な事になっててね……」
 どこか言いにくそうな昌の様子からして、どうやらアレクの予想は悪い方向で当たっているようだった。


 神獣厩舎の入口で、その入場を止められたのは、いまだ軍装を解かずにいた小柄な娘である。
「厩舎に入れない? どういう事だ」
 入口の兵は、それなりに見知った顔だ。けれどその男も困り顔で、珀亜に肩をすくめてみせるだけ。
「俺も知らねえよ。ただ、上から馬廻衆とナガシロ衆は厩舎に入れるなってお達しでよ」
「むぅ……」
 八達嶺で戦う兵なら、神獣に乗れる事は兵としての最低条件だ。その神獣厩舎への出入りを禁じられるとは……果たしてそんな指示を出した上とは、一体誰の事なのか。
「どうしましたか、珀亜」
 そんな彼女に声を掛けたのは、神獣厩舎から出ようとしていた黒豹の脚を持つ青年である。
「ロマ殿か。馬廻衆とナガシロ衆の厩舎への立ち入りが禁止されたそうなのだが……」
「……そうですか。随分早かったですね」
 その指示に心当たりがあるのだろう。
「少し、付いてきてもらえますか?」
 ロッセは厩舎を素知らぬ顔で後にすると、そのまま珀亜に付いてくるよう促してみせる。
「何だ?」
「一つ、お使いを頼みたいのですよ」


「ふむ……。ならば、シャトワールには頼れそうにないな」
 奉の話を聞き終えて、アレクは小さくため息を一つ。
 シャトワールが抗戦派と呼ばれる別派閥に捕まっているなら、ライラプスの修復は難しいだろう。仮に彼の機体でライラプスの修理を行うにしても、肝心のアレクにはアームコートの修復技術がない。
「かといって、神獣に同乗して戻るのも面倒が増えるか」
 恐らくキングアーツは神獣に対して厳戒態勢を敷いているはずだ。そんな所に神獣で近寄れば、何が起こるかなど……あまり想像したいものではなかった。
「であれば、まずアレク殿が無事な事を向こうに伝えてはいかがでござろう。出来れば、こちらに戦う意思がない事も伝えとうござる」
「それは助かるが……」
 だが、口を開いた半蔵が見据えるのは、眼前のアレクではない。
 その傍らにいた……万里である。
「万里様。ご決断を」
 以前、半蔵は万里にメガリ・エクリシアへの密使を申し出た事があった。あの時は理由を付けて保留にされたが……今回の重要度は以前の比ではない。
「半蔵。以前よりも危険な任務になってしまいましたが……」
 やがて、たっぷりの時間を掛けて万里が口にしたのは、そんな言葉だ。
「主の御為であればこれしきの事、物の数ではございませぬ」
「では……頼みます」
「御意!」
 そう答えた時には、既に半蔵の姿はない。
 一分一秒を惜しむ今、その素早さは万里にとってかけがえのない物であった。
「それと……アレク。一つ聞きたい」
「何だ?」
「お前とロッセは、どんな世界を見て来た」
「トウカギさん……!」
 奉のあまりに直線的な質問に、声を上げたのは昌である。
 この席には万里もいるのだ。この先の事を話して、万里がそれを気にでもしたら……。
「もう万里も知っておいた方が良い。これ以上は誤魔化しようもない」
「……聞かせて下さい」
 奉の言葉に、万里も小さく頷いてみせる。
 彼らが万里に隠し事をしていたのは、万里も薄々は感付いていた。黙っておく事にも意味があるのだろうと思って気付かぬ振りはしていたが、どうやら事態は万里の想像以上に切迫しているらしい。
「……そうだな。お前達がどこまで行ったのかは分からんが……和平が成った後の事も知っておくべきだな」
 だが、アレクのそれは奉達にとって予想外のひと言だった。
「和平が……成った後?」
 万里がソフィアを誤って殺し、その先に戦乱が待ち受けていたのではないのか。
「和平が成立したなら、みんな平和でめでたしめでたしじゃないの?」
 その和平が成らなかったからこそ、世界は瑠璃の手で巻き戻しを受けたのではなかったのか。
「……ソフィアは確かに先の戦いで死んだが、私と万里がいれば和平条約の締結は難しい事ではなかった。だが、お互いの国では見解の相違が多くてな……」
「失礼する!」
 アレクが言葉を続けようとした所に響き渡ったのは、そんな声だった。

続劇

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