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3.学初物和洋切衷 (まなびはつものわようせっちゅう)

 裂帛の気合と共に振り抜かれるのは、鋼の刃。
 横殴りの一閃から、軽快な足運びからの二連撃。さらに刺突で前へと進み、歩を進めての大上段。
 流れるような一連の動作の後に吐き出されるのは、長い息だ。
(まだだ……)
 乱れきった呼吸を整えながら、珀亜は心の中でぎりと唇を噛む。
 妹の身体は、クズキリの血統だけあって十分な素質は見てとれた。しかし、まだ伸びしろのほとんどを使い切れていない。
 恐らく限界まで延ばし切れば、兄である珀牙をも凌ぐ使い手に育つかもしれなかったが……その鍛錬に許された時間は、驚くほどに少ないものだ。
 だが、無理な鍛錬は、大切な妹の身体を壊す事にも繋がってしまう。
(……出来る限りの事をするしかないか)
 整った呼吸で下腹に気を溜め込むと、珀亜は再び鋼の刃を構え直す。


 漆塗りの膳に乗っているのは、シャトワールが今まで見た事もない形をした物体だ。
「……これは?」
 食事用の膳の脇に置かれていると言う事は、食べ物ではあるのだろう。何かを練って焼いた物だという事も分かるが、それ以上はどうにも形容のしようがない。
 他の汁や飯との位置関係からすると、デザートのようでもあるが……。
「ワッフルと言う物でござる。ほれ、以前アディシャヤ殿が言っていたのを、街の料理人が再現した物でござるよ」
「……ワッフル。これが……」
 確かに以前、半蔵にはキングアーツの菓子の話をした事がある。半蔵はお菓子の類に目がないらしく、その事をかなり気にしてはいたが……。
「どうでござるか」
「……ああ、うん。わたし達の知っているワッフルとは少し違うけど、美味しいですよ」
 味は、さすがに料理人が作っただけあって悪くない。ただ、噛んだ瞬間パリッと音を立てるワッフルを食べたのは、シャトワールも生まれて初めてだった。
「邪魔するぞ」
 そんなシャトワールの部屋に入ってきたのは、見上げるほどの巨漢である。神揚の人物像に疎いシャトワールでも、見ればすぐに歴戦の将だと分かるほどの威と風を備えた大男だ。
「鏡殿。食事中でござるよ」
「すまんな。少々急ぎだ」
 大男はシャトワール達から少々離れた位置に腰を下ろすと、腰に履いた刀を鞘ごと抜き、右側に置いて足を組む。
 二歩以上の距離を置いて足を組むのも、利き手の側に鞘を置くのも、戦う意思がない事を示す神揚の作法だったはず。だとすれば、男はこちらに害を与える意思はないのだろう。
「なるほど、お主がキングアーツの民か」
 確かに、あの夢の中で見た姿に近い。身体の一部ではなく全身を鋼にしてはいたが、異国のシャトワール達にとってその差はそれほど大きなものではないのだろう。
「この方は、ご存じなのですか?」
 公式には、シャトワールは巨人の中から助け出された哀れな犠牲者という事になっているはずだ。それを、第一声から彼の国の名を口にすると言う事は……。
「キングアーツ王国 南部方面軍メガリ・エクリシア師団 ククロ小隊所属 シャトワール・アディシャヤ軍曹と申します。以後お見知りおきを」
 その問いに頷く半蔵に頷き返し、シャトワールは自らの正式な所属を名乗ってみせる。
「神揚帝国 鏡藩藩主 鳴神・鏡だ。八達嶺のご意見番を任されておる。……礼法を教えたのはお前か? 半蔵」
「知っておいた方が良かろうと思いまして」
 礼儀は交渉における潤滑剤だ。最低限のしてはならない事、すべき事は、文字と同様、早い段階でひととおりシャトワールには伝えてあった。
 幸いキングアーツと神揚では風習自体に大きな違いはないようで、そこは問題にならないようだったが……。
「良い判断だ。……なら、キングアーツの事も色々聞いているか?」
「どういう事でござる?」
「抗戦派の連中がシャトワールから巨人達の情報を引き出せと必死でな。……意味は分かるな?」
 それは間違いなく、ワッフルや文字などという呑気なものではないはずだ。即ち……。
「神揚の総意は、巨人の討伐ですか?」
「有り体に言えば、そうだ」
 巨人の真実を知る者は、万里や鳴神達を筆頭にいまだごく僅か。故に、神揚の軍部の大半は、巨人との戦いと撃滅を望んでいる。
「ならば、わたしに尋問でも?」
「……そう穏便に済めば良いのだがな。とりあえず、俺がその交渉役を引き受けてはおいたから、しばらくは尋問やそれ以上の事はせんつもりだ」
 早々に理解したらしきシャトワールに苦笑を浮かべ、鳴神は用が済んだとばかりに立ち上がる。
「ですが、アディシャヤ殿は万里様の客人。捕虜や虜囚などではござらん。それを……」
「忍びのお前が言うか? 半蔵」
 言われ、半蔵はそれ以上の言葉を紡げない。
「あの戦い以来、向こうとの小競り合いでもさしたる戦果がないからな。そうそうは保たんかもしれん。……覚悟はしておけよ」
 そう言い残し、鳴神はシャトワールに宛がわれた部屋をゆっくりと出て行くのだった。


「……気合入ってますね、クズキリさん」
 そんな珀亜の訓練風景を眺めながら、感心したように呟くのは熊の耳を持った少女である。
「そうだねぇ。まあ……この先たぶん、バタバタするだろうしね」
 この半月、新たな上官に収まった昌が見て来た限り、珀亜はあの夢の記憶は持っていないようだった。
 しかし夢の通りの流れがこの先も続くなら、もうすぐ彼女達の主と異国の王子は出会ってしまうはずだ。そしてその先に待ち受ける、運命も……。
 熱の籠もった訓練はきっとその運命を変える力に……彼女の兄が命を賭して仕えた万里の力になるはずだった。
 そして助けになるべき可能性の種は、もう一人。
「それより、わたしの稽古が難しいって、どういう事ですか?」
 だが、順調な珀亜の鍛錬と違い、こちらは早々に暗礁に乗り上げていた。
「んー。神術の方は問題ないと思うんだけどさ、体術の方は私たちと性質が違うんだよねぇ」
 神術の学習方法は、人によって差違が出る事はあまりない。
 精神の集中と、術式の組み立て。後はそれをどれだけ早く正確に行うかだ。もちろん人によって応用力や術力の限界量の差はあるし、より深い鍛錬を行うならば修行内容にも違いは出てくるが……入門時点では、誰しも同じ訓練法が用いられる。
「性質……」
 だが、体術は違う。
「クマノミドーさん、力で押す方が得意でしょ。私もクズキリさん達も、速さで引っかき回す方だからさ」
 昌達が得意とするのは、素早さを中心に置いた戦い方だ。
 防御よりも回避。力強い一撃よりも、鋭い先制や撹乱、手数を重ねる事に重きを置く。
 そんな彼女達の訓練法は、力を主軸に据える千茅の性質にはそぐわない所か、下手をすればその貴重な特性を殺してしまうかもしれなかった。
「リーさんもそうだよね?」
「力を使わないで相手を仕留める方法だったら、いくらでも教えられると思うんだけどなぁ……」
 本来なら、ミズキ組にもそんな力押しの達人がいたのだ。
 しかし今、彼女は別の任務で八達嶺よりはるか南の海洋都市にいるはずだった。戻ってくるには今しばらくの時間がかかるだろう。
「そうだなぁ……。たぶん爺ちゃんとか鳴神の方が向いてると思うよ」
「えええっ!? 鳴神って、あの旗本の鏡さんですよね!?」
 黄金の竜を操り、戦場に雷の雨を降らせる巨漢の姿を思い出し、千茅は悲鳴に似た声を上げてみせる。
「そんなの無理ですよぅ……」
 いくら何でも新兵と歴戦の旗本では、恐れ多すぎて話にならない。
「じゃあやっぱムツキさんかぁ。教わる気なら、話してあげるよ?」
「あぅぅ……。だったら、お願いします……」
 ムツキともそれほど面識があるわけではないが、昌の元部下なら旗本直々に教わるよりははるかに敷居が低い気がする。
「じゃ、とりあえず今日は神術のお稽古にしようか。だったらまずは……」
 理論の基礎固めなら、書庫だろう。
「あ、おーい。昌ちゃーん」
 そう思った矢先に飛んできたのは、柚那の声だ。
「今から万里様と街に買い物に行くんだけど、一緒に行きましょうよ」
「…………ミズキさん?」
 その問いに、昌の返答はない。
「……昌?」
 ついでに言えば、街のどこに行くかという問いもなかった。
「ミカミさん。神術の基礎理論と訓練って出来る?」
 返ってきたのは、全く別の質問だ。
「そりゃまあ。昌ちゃんと千茅ちゃんと珀亜ちゃんだったら、手取り足取り腰取り教えてあげるわよ」
 一応とは言え、柚那も皇家付きの神術師である。その辺りの事はひととおりは習得済みだ。
「オレは?」
「奉にでも教わったら?」
「……奉だったら、師匠に教わる方がいいなぁ」
 茶化し気味に問うてみれば、男嫌いの娘から返ってきたのはリーティの想像通りの答えだった。
「で、どうするの? 神術なら帰ったら教えてあげるわよ」
「りょうかーい。じゃ、今からみんなでお買い物だね!」
 昌も神術の基礎は学んでいるが、同じ習うならより熟練者からの方が良いに決まっている。
 何より、買い物という言葉の魅力は、少女達にとっては抗いがたいものがあるのだった。

続劇

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