辺りに響くのは、風の通る音。
草のそよぐ音、木々のざわめく音。
そのいずれも、薄紫の滅びの原野では聞こえるはずのない音だ。
小さく息を吐き、両目を覆う厚い布をそっと外す。
音だけから構築された世界から切り替わるのは、二つの月明かりの照らす緑の世界。
森の中、である。
もちろん彼のよく知る神揚の森ではない。齢を重ねた彼すら及ばぬはるかはるか昔に南北に分かたれた世界。さらにそこからも取り残された、薄紫の世界に残るオアシスの森。
「見えておるか、リーティ」
口に出した言葉はそれと同時に意思へと変わり、ごく近い上空を警戒しているであろう戦友へと届く。
見えるほどの距離であれば、片方の神獣の力だけで思考をやり取りする事は難しくない。
「こんな夜遅くに、誰もいないと思うけどね。爺ちゃんも昼間来た方が、モノが見えやすかったんじゃないの?」
「儂にはこのくらいの明かりで丁度良いわ」
呟き、周囲に浮かぶのは仄かな炎。
夜目の利く年の離れた戦友と同様、老爺にとっても夜の暗さはさして障害にはならない。むしろ単身で森の調査を始めた彼の身を隠す、盾や外套となってくれるはずだった。
(ここでの悲劇……繰り返させてはならんからな)
「……爺ちゃん。思念に乗ってる」
言われ、小さく肩をすくめてみせる。
その仕草は上空の少年には見えなくとも、仕草を生んだ時の感情は伝わっているはずだ。
「やっぱり爺ちゃんも、あの夢……見てたんだな」
リーティの言葉に、黙々と調査を始めた老爺は言葉を返さない。
もちろん少年も、答えがあるなど期待してはいない。
する気もない。
既に先程の仕草に込められた感情に、その全ての答えは含まれていたのだから。

第2話 『いまひとたびの出会い』
−神揚編−
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