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14.夢破れ、夜は明けて

 楽しげなメロディに場が一層の盛り上がりを見せる中で、そこにも奇妙な沈黙が降りていた。
 怨嗟というわけではない。
 そこには、恨みも辛みもあるわけではなかった。
 あるのはただ……。
(どうして、こうなったんだろう)
 困惑という、二文字だけ。
「隣、構わんか?」
 そんなヴァルキュリアの傍らに腰を下ろしたのは、本来彼女が席に招きたいと思っていた人物だった。
「アレク……」
「今日の集まりは貴公の提案らしいな。……礼を言う」
 アレクもそれなりに酒が入っているのだろう。その頬は、妹姫ほどではないにせよ、いつもよりも僅かに赤みが差している。
「私は何もしていない。場を整えたのは環やエレ達だ」
 そしてヴァルキュリアは、それきり沈黙を守ってしまう。
 時折アレクの方に何か言いたげな視線を向けるあたり、いつものように無視を決め込みたいわけではないようだが……。
「……どうした」
「……酌の仕方が分からん」
「ははは。ソフィアでも、酒を呑む時は酌くらいするぞ。……酒は呑まんか?」
 傍らに置かれていた酒瓶を取り、空になっていたヴァルキュリアのグラスに注いでやる。
「前にエレに勧められたが、断った」
 この手の集まりには顔を出さなかったから、そもそも酒を勧められた記憶自体がない。記憶を失うより前は呑んでいたのかもしれないが、今の実感がないならそれこそどうでもいい事だ。
「そうか。なら、まあ呑め」
 言われるがままに口を付け……そのまま、動きを止める。
「……口に合わんか」
「味覚は遮断してある」
「こういう時は嘘でも美味いと言うものだ」
 苦笑交じりに呟くそのひと言に、ヴァルキュリアからの答えはない。
 今度こそ機嫌を損ねたか、と思う青年だが……。
「……お前は、戦いにはもう出るな」
 傍らの娘が呟いたのは、彼の思いとは全く別の言葉だった。
「……次の戦で、私が万里に殺される話か?」
「知っているなら……!」
 その事実を知ってなお、この男は戦場に立とうというのか。
 環に、あの非情な選択をさせ……壊そうというのか。
「私は私の知っている未来で、ソフィアを万里の手に掛けさせてしまった。……それだけは、どんな事をしてでも防がねばならん」
「何……」
 アレクの知る未来がそんな道筋を辿るのだとしたら、アレクの不自然な行動の幾つかは説明が付いた。そして……。
「なら、お前は……本当にあの二人の事を……」
「二人とも覚えてはいないがね。……あの神術の制約は知っているだろう?」
 術を掛けられた者だけが、記憶を持って時を巻き戻される。
「なら、万里は……」
 ソフィアは妹だから、兄妹の親愛は変わらないだろう。
 けれど、初対面となる万里は……。
「私と、同じ……」
 記憶が、ない。
 ヴァルキュリアには記憶を失ったという自覚があり、万里にはその一切がないという違いはあったが……その事実は変わらない。
「本当ならこれも、彼女のために作らせた物なのだがな」
 呟き、かざして見せたのは、彼の生身の左手だ。
 その薬指に嵌められているのは、金と銀、重なり合った意匠のひと組の指輪。
 ヴァルキュリアが知る記憶の中では、彼が死した後、万里とソフィア……そして最後には沙灯へと受け継がれていった、二つの指輪だ。
「挫けそうになる度に、見て気持ちを奮い立たせている」
「……渡せるといいな」
 その言葉は、思わず口から零れたものだ。
「もう少しだとは思うのだがね。……記憶を失った相手に二度目のアプローチというのは、なかなか気を遣う」
 彼の知る少女と同じように接するわけにはいかないし、かといって出会った頃の感覚や振る舞いなど、なかなか思い出せるものではない。
 記憶をなくしているなどと言えば、途端に変人扱いされてしまうだろう。
「……だが、その後は」
「死ぬと分かっているなら、対応の仕方はいくらでもある。……次の席では、酌の仕方くらい覚えておけよ?」
 流石に喋りすぎたと思ったのだろう。アレクは穏やかに微笑むと、静かに席を立ち上がる。
「なら……その時はお前も全て話せ」
 ああ、と小さく答えを寄越し、メガリ・エクリシアの若き司令官はヴァルキュリアのもとを去っていった。
 そして。
「……どしたんだ? ヴァル。随分へこんでるみたいじゃねえか」
 アレクと入れ替わるようにして現れたエレが見たのは、珍しくテーブルに伏せっている白い髪の少女の姿だった。
「……酒の呑み方を教えてくれ、エレ」
 そんなヴァルキュリアが口にしたのは、さらに珍しい言葉である。
「アタシに頼むたぁ良い度胸してるじゃねえか。いいぜ、いくらでも付き合ってやんよ」
 もちろんそんな誘いを断る彼女ではない。下げていたラムの栓を抜き、ヴァルキュリアのグラスに並々と注いでやるのだった。

 翌朝のアームコート工廠は、見て分かるほどに人の数を減じていた。
 本来ならばそれは明らかに厳罰ものであったが、その厳罰を下す側も大半が伏せっているため、実質無礼講が引き継がれているようなものである。
「進んでいますわね」
 そんな中でも元気一杯なのは、酒をほとんど呑まなかったククロだ。
「ああ、プレセア。見ての通りだよ」
 プレセアの目の前にあるのは、外装を外され、内部構造の大半までが解体されたハギア・ソピアーの姿である。
「……これが、例の?」
 そして兜を外され、床へと置かれた頭部ユニットの奥深くに見える、それこそが……。
 かつて彼女達の見た夢の結末。
 壊れた環によって封印を暴かれ、無惨な姿となったソフィアの頭を消し飛ばした、光の槍の発生装置だ。
「まだ封印されてるけどね。何かあってもいいように、姫様の声でないと起動しないようにしておいたよ」
 アームコートの起動は、登録された着用者が機体に接続される事で行われる事がほとんどだ。いわば着用者自身がイグニッションキーとなるわけだが、その仕掛けを応用すれば、ブラスターの起動に制限を掛ける事はさして難しい作業ではなかった。
「…………壊せ」
 だが、そんな二人に掛けられたのは、地の底から響くような呻き声。
 もっとも、実際に地獄からの声でも、ましてやハギア・ソピアーに殺された怨霊達の声でもない。
「ヴァル、大丈夫?」
 それは、いまだ足元の覚束ぬヴァルキュリアであった。
「大声を出すな。……酒というのはこんなの響くのか」
「二日酔いですわね」
 典型的すぎるほどに典型的な、二日酔いの症状である。
「エレにはめられた……くそ……っ」
 ヴァルキュリアが目覚めたのは、食堂の一角での事だ。朝食を食べていたリフィリアから水をもらいはしたが、頭の奥の妙な痛みは収まらないままだ。
「いきなりエレちゃんなんかに相手してもらうからですわ」
 入門編ならプレセアか、セタやアーデルベルト辺りに付き合って貰えば良かったのに、よりにもよってエレである。
 もともとの酒量が多い所に、狙って潰そうとしてくるのだから余計タチが悪い。
「それより……そのブラスターとやら、壊すわけにはいかんのか」
「それを壊すなんてとんでもない!」
 思わず叫んだククロに、ヴァルキュリアは思わず頭を抱える。
「………だから大声はやめろと」
 未だ、ククロの声が響いているようにすら感じられる。いつもなら簡単に遮断出来る各種の感覚が、今日ばかりは思ったように働かない。
「ああ、ごめんごめん。とにかく、これはとっても貴重な物なの。だから壊すのは絶対ダメ」
 既に生産技術はおろか、理論さえ失われて久しい古代の遺産なのだ。ククロたち技術者にとっては、宝石すら足元にも及ばぬほどの価値がある。
「それと、例の盾はどうなった」
 それは、ヴァルキュリアが生命維持装置と同じく、ククロに指示したもう一つの『保険』であった。
「一応、頼めそうな筋は見つけましたけれど……現状、稼働しているブラスターがありませんから、どの程度の強度が必要になるか分からないそうですわ」
 ヴァルキュリアの注文は『ブラスターを防げる盾』であったが、耐久試験をしようにも肝心のそれは封印されている状態だ。
 とりあえず完成し次第、試作品が持ち込まれる予定にはなっていたが……本当に効果があるかは、ブラスターを受けてみて、という話になるらしい。
「これの封印を解くってワケにもいかないし……」
「大変よ!」
 ぼやくククロに被るように飛び込んできたのは、工廠を揺るがすジュリアの声だ。
「…………大声……!」
 けれど、頭を抑えてうずくまるヴァルキュリアも、彼女の報告を受けては流石にそれどころではなくなっていた。
「いま偵察部隊から連絡があって、敵の大部隊がこっちに向かってるって!」
「何ですって!?」
「ちょっと。予定より随分早くない?」
 敵の本格的な攻撃は、アレクが万里に告白を終えてからの事だったはず。
 ジュリアの話を聞く限り、二人の恋の進展はゆっくりではあったが……一同の知る夢から比べても、それほど遅れているわけではなかった。
 もちろん、件の告白の日は、まだまだ先の事だったはず。
「……せっかちは嫌われる元ですのに」
 けれど、ぼやいていても仕方がない。
 ジュリアの情報はあちこちから広まっているのだろう。宴の翌日の気怠い空気に包まれていた工廠にも、いつもの喧噪が急速に戻り始めている。
「ヴァルちゃん。良かったら、これを」
 そしてプレセアが車椅子から取り出し、ヴァルキュリアに差し出したのは手に乗るほどの小さな包みだった。
「何だ?」
「アルコールの分解薬ですわ。二日酔いにも効きますわよ」
「そんな便利な物があるのなら…………ぐぅ」
 自らの出した大声にやられたのだろう。うずくまるヴァルキュリアの背をそっと撫でてやりながら、プレセアは既に作業を始めている少年の名を呼んでみせる。
「分かってる。問題のある箇所がないか確かめながら、急いで組み立てるよ」
 すぐにソフィアも来るだろう。この先の運命がどうなるにせよ……まずはこの場を乗り切る事が必要になるはずだ。
「故障してる所なんかないよね……ハギア」
 静かに呟き、ククロはバラバラになったアームコートを再び鋼の騎士へと戻す作業に集中する。

続劇

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