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9.朧月花之絵合 (おぼろづきはなのえあわせ)

 琥珀色の霧を通して降り注ぐのは、朧月の柔らかな光。
 その下に漂うのは、様々な料理の良い匂いと、穏やかな喧噪である。
「へぇ……。タロさんがあの大きい神獣を操ってるんだ?」
 八達嶺、城内の庭園を賑わしているのは、幾つもの屋台と、兵達の祝杯の声だ。物資の到着とやってきた新兵達の歓迎を兼ねて、祝いの席が設けられているのだ。
 その屋台の一つで元気よく鉄製の大鍋を振っているのは、あの巨大鯨を操ってきたタロである。
「そだよ。はい、お姉ちゃん可愛いからオマケしてあげる」
 細い目をさらに細くした愛想の良い表情を浮かべ、タロは千茅の皿に炒めあげられたばかりの炒飯をよそってやる。
「やだ、可愛いなんて………。それだったら、クズキリさんの方が可愛いでしょ」
「いや、そういうのは……」
 結局城内の案内は宴までに終わらず、その流れから珀亜達は相変わらず行動を共にしていた。案内しきれなかった千茅は恐縮次第だったが、実のところ珀亜も柚那も城内のことは彼女よりも把握していたため、特に気にしているわけでもない。
「珀亜さんももちろん可愛いからオマケー」
 そして、そんな珀亜の皿にタロがひょいと置いてくれたのは、蒸し上がったばかりの桃饅頭だった。
「あ、ああ……」
「どしたんですか? クズキリさん。もしかして、甘いもの苦手?」
 珀牙・クズキリという人物は、酒は飲めても甘味は苦手な男であった。むしろ同じオマケなら、桃饅頭よりは千茅の皿に盛られている炒飯の方が良かったのであるが……。
「オイラの桃饅頭はそこらのとはひと味違うよ。だまされたと思って食べてみなよ!」
「そうそう。口に合わなかったら、残りはあたしが食べてあげるからー」
 勧められたものを食べないのも、二人の視線……いや、途中でそれが三人に増えていたのだが……に悪い。
 何より、料理の腕を振るってくれたタロにも失礼であろう。
 珀亜は覚悟を決めて、まだ湯気がもうもうと立つ桃饅頭を頬張り…………。
「…………美味い」
 呟いたのは、その台詞。
(むぅ……。確かに珀亜は、甘味を好んでいたが……)
 心は今でも珀牙のままだ。記憶も意思も、彼のままという自信がある。
 しかし食の好みに限っては、どうやら身体に残された何らかの意思を受け継いでいるらしかった。
「タロー。美味しいところ、適当に頂戴」
 そして、そんな料理人の少年に次に突き出された大きめの皿は、白猫の娘の物であった。
「あーあ。柚那さん、だっこさせてくれたらたくさんオマケしてあげるんだけどなー」
「やぁよ。千茅ちゃんや珀亜ちゃんに抱きついてるところ見るので我慢しなさい」
 そう言いながらも、自分の好みに応じて皿に盛る炒飯や饅頭の数を調整しているタロである。もちろん柚那に対しても、それは明らかにひいき目な量であった。
「おう、坊主! 可愛いアタシにもおまけしてくれ!」
 そして、鼻歌交じりに大皿を抱えて去る柚那の次に現われたのは……。
「え、お兄さん男じゃないの? オイラ、男の人は趣味じゃないんだよなー」
「ちょっと、タロさんっ!?」
 元気一杯の笑顔でそう答えたタロに、傍らで桃饅頭を食べていた千茅の顔が凍り付く。
「テメェコラ良い度胸じゃねーかっ! 誰が男そっくりでサルみたいで毛深くてケダモノだってーっ!」
「ウラベさんタロさんそこまで言ってないですよ!」
 今日の美峰の顔は赤く、明らかに酒が入っているようだった。宴席だから当たり前ではあるが……。
「デカいくせに胸がないとか言うんじゃねーっ!」
「誰も言ってませんよーっ!」
 一応、気にしているのだ。
 いくら勇猛で豪快に見えたとしても、やはり美峰も一人の女性なのであった。


 そんな喧噪の最中。
 その一角だけは、奇妙な緊張に包まれていた。
「…………」
 ちびちびと手酌で酒杯を傾けるのは、やはり王都から来たばかりの隻眼の巨漢。
「…………どうした。久しぶりの再会、少しは喜んでみせんか」
 そしてその傍らに腰を下ろすのは、体格の良い老人であった。酒を呑む気はないのか茶の入った椀を右手で持ち……なぜか、その目元は覆い布によって厚く覆い隠されている。
「ええっと……以前の事は?」
 先日の評定に、横の老人は姿を見せなかった。
 それが故か、評定は荒れに荒れ……もっとも、宿将という名目の年寄り達が万里の独断専行を糾弾する事がその大半を占めていたが……ナガシロ帝の信託を受けて馳せ参じた鳴神が、目付役としての権威を振りかざして強引に終わらせるしかなかったのだ。
「もう少し内緒にしておいてくれ」
 もちろん老人の今の地位は、予備役から復帰したいち組頭。
 侍大将格より上しか出席できない規模の評定に、そんな老人が呼ばれるはずもない。
 本来であれば、相談役や指南役といった名目で、評定などいくらでも入り込めるほどの力も人脈も持ち合わせているはずに、である。
「今はただの爺でよい」
 目の前の宴を眺めながら茶をすする様は、確かに往事の面影など感じられないものだ。
「それと……もう敬語はやめい。今更言葉遣いがなっとらんからと、小突き回したりなどせんわ」
「は、はぁ………」
 ムツキの言う『小突く』が何を表現しているのか、鳴神はあまり考えたくはなかったが……素手で大岩をも打ち砕く左の掌底をそう呼ぶのであれば、それこそ勘弁願いたい所であった。
 いくら年を経、小藩の主として十分な経験を積んだ身でも、若い頃に圧倒的な力と共に叩き込まれた恐怖はなかなか抜けるものではない。
「よージジイ! 呑んでるかー!」
 そんな所にやってきたのは、体格の良い女性であった。
「顔見ねーから、土ん中でくたばったのかと思ってたぜー」
 ヘラヘラと笑いながら老爺の肩に手を回し、心底楽しそうに笑いかけている。
「儂は下戸だと言ったろう。お主こそ呑みすぎではないか、美峰」
「ンだよ、呑まねーのかよ。じゃあこれ食え、これ。なんかすげー美味いらしいぞ! アタシ食べてねえけど」
 今度は酒と一緒に持ってきていた大皿を老爺の前に置き、やはり楽しそうに笑いかけている。それを見ている鳴神は、いつあの鬼教官がキレて美峰の腹を掌底でぶち抜くかと気が気ではなかったのだが、ムツキはいまだ楽しげな様子を崩さない。
「そうそう。儂は下戸だが、こっちのデカいのは底なしだぞ。酒が呑みたいのであれば、こやつに存分に呑ませてやれ」
「あ、ちょっと……!」
 やがてムツキは視界が隠れているとは思えない滑らかな動きで美峰の腕をすり抜けると、その腕をひょいと鳴神の肩にかけ直してやる。
「おーいいな! じゃあアタシと呑み比べといこうじゃねーか!」
 無造作にかけ直された腕は、女の力とは思えないほどに強く、完全に極められていた。
 この無茶苦茶な力からどうやって脱出したんだあのジジイと呆れながら……鳴神は差し出された酒を杯で受け止める事しか出来ずにいる。


 喧噪に包まれた宴の中。
 やはり奇妙な緊張に包まれている場面があった。
 人だかりの中央に相対しているのは、小柄な少年とこの八達嶺の軍師の二人である。
「これでも勝てないのか。ロッセさん、強いなぁ……」
 薄い木の札に記された幾つかの記号を組み合わせてその得点を競う、絵合わせだ。十人抜きを果たした少年に挑んだ十一人目こそが……その場にふらりと顔を見せた、ロッセであった。
「帝都の学舎にいた頃、少々かじっただけですよ」
 三勝先取で、ロッセは既に二勝を挙げている。対するリーティは、もう後がない。
「だったら……こうだっ!」
 数度の手札の交換でリーティが勝負に出れば、周囲から上がるのは歓声だ。
 場に出た札は、全てが同じ模様。上から三番目に強いとされる、強役だ。
「ならばこれで」
 だが、ロッセがさらりと出した札は……。
 リーティの役よりもさらに強い、上から二番目の役だった。
「……小官の勝ちですね。恐らくは袖の物を足しても、勝てなかったと思いますよ?」
「ありゃ、気付かれてたか」
 最後くらいは正々堂々の勝負をしようと、袖の仕込みは使わずにいたのだが……その指摘に、リーティは誤魔化し笑いを浮かべるしかない。
 ただ、イカサマについて辺りがどうこう言う事はなかった。この絵合わせに関してはイカサマは半ば公然のものであり、むしろ見抜けなかった方が悪い、という風潮すらあったからだ。
「学舎にいた頃は、そういうのが得意な輩もいましたので」
「何でこっち見ンだよ」
 見物人に混じっていた奉をちらりと見遣り、黒豹の足の青年は穏やかに微笑んでみせるだけ。
「……別に」
 そう呟いて自身も袖口から抜き出したのは、よりにもよって数枚の薄い木の札だった。
「幻術かぁ……。一応オレも、周りじゃ負けなしだったんだけどなぁ」
 軍に入る前も、入ってからも、絵合わせの勝負で負けた事はない。もちろんイカサマ込みでだが、相手のイカサマを見抜く手際に関しても負けた事はなかったのに……。
 正面からの勝負だけでなく、イカサマの手管まで見抜けなかったとあっては、まさしくリーティの完敗であった。
「よし決めた! 今度からロッセさんの事、師匠って呼ぶッスよ!」
「……呼ばれても何もしませんよ」
 絵合わせのイカサマ技も、学生だった頃に色々仕込まれたから覚えていただけである。教える気もないし、そもそも公私のどちらにしても弟子など取る気すらないのだ。
「いい事じゃないか。子分が出来て」
 そして、そんなリーティの肩を持つ者が一人。
 困っている友人の顔を楽しそうに眺めている奉である。
「別によくなんかありませんってば」
「さすが奉、話が分かる! オレが呼びたいだけなんだから、気にしないでくれよ、師匠!」
 それ以上話を長引かせ、こじれるのが面倒だったのだろう。リーティはさっさとその場を離れ、屋台の方へと駆け出していく。
「それじゃ師匠! なんか食べるもの取ってくるからなー!」
「ほら。いい事が出来た。さっきタロの店で桃饅頭食ったが、美味かったぞ?」
「……使い走りは別にいらないのですがね」
 笑う奉と。
 苦笑するロッセ。
 そして。
「…………さてと。ひとまずは、上手くいったかな」
 師匠と呼ぶ事にした男に背を向けたまま、一人ほくそ笑むのは黒猫の少年だ。
「あの終わり方は、いくら何でも非道に過ぎるからなぁ……」
 思い出すのは、先日の夢の事。
 彼らの長と異国の少女、鷲翼の少女の駆け抜けた道のりと……その最悪の結末に導く一助となった、黒豹の足の青年の物語。
 彼は、どうして彼女達の道程に剣を向けてしまったのか。
 それを知るため、リーティは自らの選んだ道を走り出すのであった。


続劇

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