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7.八達嶺承前評定 (はったつれいしょうぜんひょうじょう)

「……ヒメロパが?」
 八達嶺へと戻ってきた万里達に告げられたのは、そんな奉からの報告だった。
「……すまん。全ては俺の責任だ」
「いえ、小官が焚き付けたのが原因です」
 言われてみれば、確かに厩舎の片隅にいた半鳥半人の神獣が、一体数を減らしている。
 万里は少し考えていたが……やがて小さくため息を一つ。
「いいわ。とにかく、奉が無事で良かった。……どうかした? 奉」
 奉は無事に戻ってきたし、失われたのは貴重な飛行型だが、そもそも使い手のいなかった神獣だ。戦力的な損害は、実質ないも同じである。
「……いや、何でもない」
 失われた神獣は、あの夢の中では鷲翼の少女が使っていた神獣だ。それを勝手に駆った事は悪かったが……もし万里があの夢を見ていたなら、一体どういう反応を示しただろう。
 そう考えれば、奉の表情はどうしても晴れては来ない。
「ありがとう、リーティ」
「ああ。よくやってくれた」
「へへ、万里さんやロッセさんに褒められるなんて嬉しいな。……あ、そうだ。それと……」
 リーティが視線を向けた先に一同も視線を向ければ、そこに姿を見せたのは、がっしりとした体格の壮年の男である。
「久しいな、万里。見違えたぞ!」
 その様子に、万里は一瞬ぽかんとしていたが……やがてそれが誰か思い至ったのだろう。
「鏡のおじさま! お久しぶりです!」
 駆け寄ってきた小柄な身体をそっと抱きしめ、鳴神が目を向けたのは歩み寄ってきた青年である。
「鳴神殿……」
「……先ほどの馬廻衆か。勇み足だったな」
「面目次第もございません」
 まさに、そのひと言に尽きる。
 けれどそんな奉に鳴神が見せたのは、頼もしげな微笑みだった。
「若い内は無茶も良いさ。死ななければな」
 そもそも彼自身も、相当な無茶をして過ごしてきたのだ。故に身体は傷だらけだし、片眼を喪ってもいる。
 だがそれでも、まだこうして生きているのだ。
 若い勇み足に微笑みこそすれ、けなす事はない。
「おじさまも巨人達と?」
「うむ。ここに来る前に、大鎌を持った黒い巨人と、獅子の頭を被った赤い巨人の群れと戦ってきた。大鎌の方が、こやつの駆っていた飛行型を堕としたのだ」
 大きな手で頭を撫でられるがままにされていた万里だが、その言葉に僅かに表情を曇らせてみせる。
「それはまさか……」
「……ああ。前に珀牙を倒した奴だ」
 どうやら大鎌の巨人と万里達には、相応の因縁があるらしい。この時期に拙い事を言ってしまったかと、鳴神は一瞬言葉に詰まるが……。
「ふむ……。なら、詳しい話を聞かせて貰うとするか」
「はい。皆にも紹介します。お疲れかとは思いますが、良ければ評定の間へお越し下さい」


 白木造りの評定の間に揃っていたのは、先ほどの戦いに参加した兵達だ。評定というほど格式張った様子はなく、互いに戦った巨人達や全体の戦況などの報告会といった所であろう。
(……ムツキ殿はいないのか)
 辺りに座るのは、鳴神よりもはるかに若い兵だけだ。神揚の北上施策の要とも言われる八達嶺に、経験豊富な宿将達が一人もいないとは思わなかったが……。
「若い衆ばかりだと思っていらっしゃいますな?」
 小声でそう話しかけてきたのは、鳴神の隣に腰掛けていた娘である。万里達の様子に気を取られ、彼女の事はついぞ気にしなかったが……。
「……おぬし」
 短い鳶色の髪をした小柄な娘だ。
 鳴神を見上げる金色の瞳は、人間ではない……鷲の如き瞳。
 それは……。
「本来は、正式な評定は後になるのでござる。今回の作戦は、すぐに動ける兵だけでの奇襲戦でござったので……」
 一瞬、かつて見た夢の中の娘かとも思ったが、その喋り方は明らかに別人だ。
「……なるほどな」
 少女の偽物に対する驚きを誤魔化すように小さく呟き、思考を評定に引き戻す。
 どうやら、いつの時代も老人達は腰が重いらしい。
 やはりこの場に姿を見せない、ただ一人を除いては。
「……結局、敵の補充は止められませんでしたか」
「すみません。策を強硬した挙げ句……成果を上げられませんでした」
 人的な損害こそなかったが、貴重な飛行型神獣を失ってしまった。
 奉の前では使っていない騎体だからと言ったが、それでも帝国の所有物である貴重な神獣なのだ。おいそれと使い潰して良い物では決してない。
「まあ、ちょっとした威力偵察だったと考えればいいんじゃない?」
「そう考える方がいいだろうな。……俺が言えた義理でもないが」
 鳴神が戦っていた部隊はともかく、増援部隊に加わっていた巨人は、どれも今まで見た事のない個体だった。その存在が大きな戦いの前に分かっただけでも、今は成果と見るべきだろう。
「勝敗は兵家の常。過ぎた事を悔やんでもどうにもならん。……だが、確かに苦戦しているな」
 それらの話を聞く限り、八達嶺の苦戦ぶりは鳴神の想像をはるかに超えるものだった。
 もっとも、巨人という未知の敵が相手なのだ。さらに言えば、敵の総力はおろか、巨人の砦に潜む敵の規模すら分からないままだという。
(どうやら、今までの相手とは随分違うようだな)
 総力を結集させて一撃で捻り潰せば良い……そのくらいに思っていたが、どうやらそういうワケにはいかないらしい。
「偵察は?」
「もちろん定期的に出していますが、警戒網が厳しく……」
 それでなくとも滅びの原野での隠密活動は困難を極めるのだ。神獣がなければ近くまで近付く事は出来ないし、かといって神獣ほどの大きさの物が近寄ろうとすれば、いかに夜の闇に紛れたとしても、まず間違いなく気付かれてしまう。
 そもそも滅びの原野は、生物の存在しない不浄の地だ。
 人のいない彼の地で隠密活動に及ぶ事自体が、ここまでの神揚の歴史の中でも数えるほどしか存在しないし、人ではない相手の元に忍ぶことに至っては、一度たりとも存在していない。
「なるほど。言われてみれば……」
 神揚が大陸南部最大の国家となるまで、数多くの戦いがあった。
 鳴神の祖国のように、神揚以外の国で神獣を持っている国も少なくなかったし、滅びの原野における神獣同士の戦いも、今までの歴史を遡ればそれなりの数がある。
 しかしそれは互いの特性を把握しきった上での……少なくとも人と人同士の戦いであり、巨人などという未知の存在との戦いは、神揚の歴史が始まって以来初めてとなる。
「正直、今はその戦い方を模索している最中です。おかげで老将の皆様との折り合いはすこぶる悪いですが」
 いつの時代も苦労するのは若者か……と、今度は鳴神も苦笑いを隠さない。
「……あいわかった。で、こちらの補充はいつ来る」
 であれば、まずは戦力だ。
 帝都を出る時、補給部隊が出立すると聞いていた。鳴神達の方がひと足先に着いたようだし、相手の補給を絶てなかった以上、今はそれを大人しく待つのが得策だろう。
「数日の内には」
「ならばそれまでは英気を養えば良い。向こうが流れに乗ってこちらに攻めてくるような事があれば、しばらくは我が鏡衆で食い止めよう」
 先程の戦いで、鳴神の連れてきた兵に大した損害は出ていない。次にどの程度の攻勢が来るのかは分からないが、少なくとも彼らは全力を出す事が出来る。
「……お願いします」
 そして、その日の報告会は解散となった。


続劇

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