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2.甘草沙灯之浮橋 (あまくさしゃとのうきはし)

 白木造りの長い廊下を歩くのは、細身の男。だが、軽くまとめられた白い髪も、白い狐の耳と尻尾も、優雅に着流した白い着物さえも、どこか落ち着かない様子で揺れている。
「俺は奉・トウカギ……万里の馬廻衆で、世話係の一人……でいいん、だよな」
 奇妙な夢のおかげで、未だに頭は軽い混乱状態にあった。
 そこでは奉の代わりに万里には小さな側仕えの少女が付いており、その時の彼と今の彼では、立場が全く違っていたからだ。
 あまりにも苛烈な主たる彼女と少女の行く末は、とても夢とは思えない圧倒的な現実感をもって、彼の記憶へ深々と刻みつけられていた。
 ヒサという家は、確かに神揚の神術師のいち家系として存在する。しかし当代のヒサ家には年頃の術者はおらず……それ故に今の万里の側仕えには、奉の属するトウカギ家とミズキ家の者が任じられ、ヒサ家の者は含まれていないはずだった。
「時を巻き戻す術……か」
 神術師の大きな家系には、それぞれ秘中の術がある。門外不出のそれは、場合によっては外部はおろか、主たる者にすら詳細が明かされない物も少なくない。
 それ故に、奉や万里の知らない術をヒサ家の娘が使ったとしても、不自然な事は何一つない……のだが。
「っ!?」
 そんな事をぼんやりと考えながら歩く奉の前に姿を見せたのは、曲がり角から現われた小柄な影だった。
「あら、おはよう。奉」
 一人はよく知っている。
 肩口で切り揃えた黒い髪に、黒い瞳。頭の上にすいと伸びる、狐の耳。
 今し方まで思いを巡らせていた彼の主、万里その人だったからだ。
(…………いや、そんな馬鹿な!)
 問題は、もう一人だ。
 鳶色の短い髪に、こちらを見上げる金色の鷲の瞳。
 その侍女の娘は翼こそないものの……あの夢の中で熾烈な運命を懸命に駆け抜けた、鷲翼の少女に瓜二つの姿を持っていて……。
「……どうしたでござるか? トウカギ殿」
 だが、返ってきたその声に奉はため息を一つ。
 謎は全て解けた。
「……半蔵か。なんだ、その格好は」
 奉の声と共に翼を持たない鷲翼の少女の姿はしゅるりとかき消え、代わりに現われたのは、黒猫の耳と尻尾を備えた平板な顔の人物である。
「なに。ロマ殿から万里様の護衛を仰せつかり申したのでな。拙者のこの格好では、いかにも怪しかろうと思った所存」
 半蔵の忍装束はもともと隠密活動を前提に備えられたもので、白木の回廊ではいかにも目立つ。確かに先ほどの侍女姿の方が、この城内での違和感は少ないだろう。
「うん。私も可愛いと思ったけど……奉はどう思う?」
「いや、まあ……万里がいいなら、いいと思うが」
 どうやら先程の姿を見ても、万里には何の感慨も浮かばないらしい。まあ、夢の中の少女の話が確かならば、あの時点で命を失っている万里が彼女の記憶を伝えられているはずもないのだが。
「って、だからってなんで私の頭……っ」
 ぼんやりと考えながら、思わず撫でているのは万里の頭である。
「……ああ、ちょうど良いところにあったから」
 少々邪険にされながらも、奉は誤魔化すような笑みを一つ。
「けど、名前はどうする。半蔵はいくら何でも目立つだろう」
 再び少女の姿に転じた半蔵に、再び夢の中に引き戻されたような感覚を覚えながら……奉は話題を自分の不利にならない方へと戻してみせる。
 半蔵という名前は、さして珍しくはないものだ。
 けれどそれは男子にとっての話である。間違っても万里の侍女に相応しい名前ではない。
「ご心配なく。それも既に用意済みでござる」
 鷲翼の少女のあどけない顔で不敵に微笑んでみせると、少女の姿に化けた半蔵は軽く背をそらし、胸を張ってその名を名乗る。
「沙灯、と名乗ろうと思っているでござるよ」
(……こいつも沙灯の神術を受けたか)
 名乗ったその名に確信を抱く奉だが、半蔵のその名にも万里の表情は変わらない。
 奉が抱くのは、半蔵に対する驚きが半分と……万里の様子に対するどこか寂しい想いが半分。
 やはり彼女は、もうこの世界にはいないのだ。


 琥珀色の霧に覆われた空の下。
 白木に葺かれた巨大な厩の屋上で、両手を組み合わせてぺこりと頭を下げたのは、一人の少女だった。
「本日からお世話になる事になりました、千茅・クマノミドーです! よろしくお願いします!」
 そんな、元気よく下げられた薄茶色の髪をぐしぐしと撫でてみせるのは、その脇に立った大柄な女性である。
「アタシんとこの新入りだから、よろしくしてやってくれな、二人とも」
 少女がいかにも新人……といった初々しい様子なのに対して、こちらは爪の先から頭のてっぺんまで武人といった様相の体格と態度を持ち合わせていた。
「オレはリーティ・リーッス。ミズキ衆で斥候やってるっすよ。よろしく!」
「私は昌だよ。昌って呼んでくれたらいいからねー」
「は、はぁ……。でもそれって……」
 へらりと微笑む昌に、千茅はどこか遠慮顔。
 彼女のまとう装束は、志願兵としての基礎教育を終えたばかりの千茅でも分かる。リーティの足軽装束と明らかに違うそれは……。
「ああ、この足? ウサギだよ。可愛いでしょ」
「そうじゃなくって……」
 綿毛で包んだブーツのようにふわふわとした兎の足は確かに珍しくはあるが、神揚の民であれば決して見た事がないわけではない。
「その装束……侍大将樣、ですよね?」
 侍大将は、一つの部隊を預かり、指揮する立場にある。雲の上……とまではいかないが、まだ新兵の千茅にとっては軽く山の上の存在くらいではあった。
「ああ、こっち? まあ一応そうなんだけど、別に気にしないで良いよ」
 けれど、昌の装束に腰の引けている千茅とは対照的に、昌はそれを誇る様子もなく、ニコニコと笑っているだけだ。
 恐らくは部下に当たるリーティや、やはり格下のはずの千茅の先輩も昌に対して畏まった態度を取らないあたり、そういう事を気にしない性格なのだろう。
「それにウラベさんが面倒見てるって事は、クマノミドーさんもナガシロ衆なんでしょ? 万里の所にはよく行くと思うから、まあお友達って事でー。あげる」
 そう言って昌がひょいと懐から差し出したのは、小さな飴菓子だった。
 千茅にとって見慣れた包紙に包まれたそれは……。
「……御堀堂ですか?」
「あれ? 分かる?」
「はい。わたし、ずっと八達嶺の街にいたので……。ちょっとですけど、あそこで働いてた事もあるんですよ」
 一瞬、軍に入った理由を聞かれるかと思って不安な様子を見せかける千茅だったが、昌はそれに気付いているのかいないのか、無邪気に喜んでみせるだけだ。
「ホント!? すごーい! 私、よく買いに行くんだよ? もしかして、会った事あったのかなぁ……?」
「もしかしたら、そうかもしれませんね。……顔覚えるの、苦手だったので……」
 侍大将の常連は何人かいた気もするが、そんな彼らの顔を千茅は一度も見た事がなかった。ここにいる顔ぶれを見ても分かるように、女性の侍大将や組頭も珍しくはないから、常連の侍大将自体はそれなりの数がいたのだが……。
「ああ、分かる分かる。誰が誰とか覚えられないよね」
「あれ? おいリーティ、ムツキのジジイは?」
 昌達がそんな話をしている中で、大柄な女性が問うたのはリーティに向けてだ。
「爺ちゃんならいないよ。また下じゃないの?」
 リーティの言葉に二人の女性は納得したようだったが、もちろんそれがどういう事か、千茅だけは分からない。
「変わった爺さんがいんだよ。ま、どーせそのうち会えるだろうから、今日はいっか……。オラ、次行くぞ、次」
「は、はーい。すみません、お邪魔しましたー!」
 大柄な女性に引きずられるようにして去って行く千茅を、リーティと昌は軽く手を振って見送るのだった。


続劇

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