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14.人の成したこと

 カーテンの閉め切られた部屋には、一切の明かりも灯されてはいない。薄暗いその中で、力なくベッドに寝転がっているのは一人の少女。
「姉さん……。ホントに、魔物って姉さんが言ってた通りの相手なのかな……」
 その手に握りしめられているのは、彼女の姉が書き残した妹への手紙である。
 そこには、姉の想い。魔物は、悪魔の使いではなく、神が使わした神聖な存在なのでは……そしてその内に宿るのは、喰らわれた人間ではなく、神の使いなのでは……といった旨がしたためてあった。
 それはある意味正しいのだろうと、あの夢を見たジュリアは思う。
 けれど。
「魔物がホントに人間なら……シャトワールを……姉さんを殺すはずなんか、ない………よね」
 泣きはらした瞳で小さくそう呟けば……。
 部屋の外に響くのは、軽いノックの音だ。


 それがククロに告げられたのは、アーデルベルト達がメガリ・エクリシアに戻ってきてすぐの事である。
「どういう……事?」
 けれどククロは、その言葉を一度では理解出来ていないようだった。
 一緒に怪鳥の調査を行っていた、セタやコトナが見守る中。無理もないと思いながら……リフィリアは同じ言葉をもう一度繰り返す。
「……シャトワール・アディシャヤ軍曹は、魔物との交戦に巻き込まれ、戦闘中行方不明となった」
「そんな………おい、どういう事だよ!」
 告げ終わった瞬間、リフィリアの細い体がぐらりと揺れる。いかに全身義体で強化された身体でも、相手の身体も同じならパワーで勝つことは出来ないし、咄嗟の反応に対する動きは生身のそれと変わりない。
「シャトワールの身体は! アームコートはどうなったんだよ!」
「……軍曹の身体とメディックは、まだ戦場だ」
 メガリ・エクリシアを一歩出れば、そこは薄紫の空気に蝕まれた、人の住めない滅びの原野である。それが故に、操縦席までの深手を負ったアームコートの生還率というものは、実のところ恐ろしく低いものだった。
 シャトワールたち修理用アームコートも、本来は機体の修復というよりも、そういった致命的な損傷を軽減し、生還率を少しでも向上させる事を目的に作られたものなのだ。
「シャトワールもメディックも、興味深いイイ素材だったのに…………ッ!」
 その瞬間、広いハンガーに響き渡ったのは、ぱしんという乾いた音だった。
「貴様! 部下を何だと……」
「……やめてあげてください、リフィリアさん」
 だが、一瞬で激昂したリフィリアも、セタの穏やかなたしなめの言葉に力なく肩を落とすだけ。
「ええ。……この子は、そういう表現の仕方しか出来ないんですよ」
 もともと技術者の家に生まれた彼は、先祖の遺した義体やアームコートを遊び道具に育ってきたのだ。事実、彼の体やアームコートにも、それら先祖から伝えられた多くの部品が組み込まれているのだという。
 彼にとってのそれらの部品は、遊び道具であると同時に……偲ぶための手段でもあるのだ。
「……すまなかったな」
 ぽつりと呟いたリフィリアの言葉に、ククロの目から流れ落ちるのは、大粒の涙。
「…………なんで、なんで死んじゃったんだよ……シャトワール………」
 コトナがその肩を軽く撫でれば、膝を着いて崩れ落ちたククロは、彼女にすがって大声で泣き出した。
「すみませんね。こうまで平たいと、胸を貸している感じはしませんよね……」
 自嘲気味にそう呟きながら。
 コトナはかつての教え子の頭を、そっと抱きしめてやるのだった。


 鉄製の扉をノックする事、二度、三度。
「……ジュリアは?」
 扉の前に立つエレは、ソフィアの問いに小さく首を振ってみせる。
「出てこねえ。……無理矢理開けるか?」
 だがソフィアも、エレの言葉に首を振るだけだ。
「そっとしとくしかないよ」
 ソフィアが前線に立つようになって、既に数年が経つ。その間、幾つもの戦場で多くの戦友を看取ってきたが……それは未だ慣れるものではない。
 それが、ずっと内地にいてまともな初陣もつい先日済ませたばかりのジュリアなら、気持ちは察して余り有る。特にシャトワールは、同期のククロを通じて仲も良かったと聞くから、なおさらだ。
「姫様。……ジュリアは?」
 通り掛かったプレセアも、二人の様子を見て察したのだろう。首を僅かに落としてみせるだけだ。
 しかし、度重なるノックが通じたのだろう。
 鍵の開く音がして、わずかに開いた扉から覗くのは……泣きはらした、少女の顔だった。
「…………みんな」
「ちょっと……入っていいか?」
 エレの言葉に、ジュリアは小さく頷いてみせる。


「ここ……は?」
 目が覚めたのは、見慣れた天井。
 けれどそこは、自分の部屋ではなく……。
「アームコートのハンガーですよ」
 言われ、ようやく理解する。
 なぜ自分がそんな所で目を覚まし、天井を眺めていたのかを考えて……ククロは友人の死と、その報告を聞いて泣き疲れてしまった事を思い出す。
「少しは、落ち着きましたか?」
「うん…………」
 ククロを覗き込んでくるのは、彼の恩師の小さな顔だ。
 という事は、彼の頭の下にある柔らかな感触は、彼女の太ももということになるのか。
(でもあの夢、何だったんだろう……)
 しかし少女の膝枕に大した感慨を抱くこともなく……ククロがぼんやりと思うのは、今見たばかりの夢のこと。
 それは、長い長い夢だった。
 始まりは、今よりも少し前。そこを起点とした少年達の行く末と……この前線基地にやってきた少女と、南に住む魔物と共に生きるもの達の物語。
 その結末は救いのない、どうしようもないものだったけれど。そこでは彼の相棒は、最後の戦いが始まる瞬間……夢が終わるその時まで、彼の傍らで穏やかな微笑みを浮かべていた。
 夢は、これから先を示すものだったのだろうか。
 それとも、ただのククロの理想だったのだろうか。
「もう少し私の身体にボリュームがあれば良かったんでしょうが、すみませんね」
 思いを巡らせるククロを、膝枕に満足していないのだろうとでも思ったのだろうか。自嘲気味に微笑むコトナに弱々しく笑い返し、ククロはゆっくりとその身を起こす。
「それと、アルツビーク中尉から伝言です。起きたなら、ちょっと見て欲しい物があると」
 小さく首を傾げるククロに促されるように、コトナは静かに言葉を続けた。
「敵の残していった品です」


 それから半刻も立たぬうち。
「スミルナ・エクリシアの調査報告、確認させてもらった」
 メガリ・エクリシア司令官の執務室に立つのは、スミルナの調査を提案した青年将校である。
「成果が上がらず申し訳ありません」
 スミルナは、今までの報告書にある通り、深い深い森があるだけだった。今回の調査でもそれ以上の物を見つけ出すことは出来ず……もちろんアーデルベルトが期待した、神揚からの『何か』といえそうな物も見つけることが出来ずにいた。
「……さらには、貴重な兵に犠牲まで出してしまいました」
 アーレスの暴走は、正直予想出来なかったわけではない。
 しかし同行するリフィリアとヴァルキュリアの二人で、それなりに押さえが効くと判断してしまったのもまた事実。その見通しの甘さは、今回の作戦指揮官である彼の責任であった。
「過ぎた事だ。……さすがにアーレスには、しばらく営倉に入ってもらう事になるが」
「また営倉と減俸で済ますの? アレク、アーレスに甘くない?」
 脇の副官席から飛んできた声に小さくため息を吐き、アレクは提出された書類をもう一度開き直す。
「敵の戦力調査という意味では、それなりの成果だったろう」
 敵の首魁と思われていた、九本尻尾の白狐だが……アーレスが戦ったのは、それと瓜二つの黒狐だったという。ただでさえ厄介な九尾の狐が二体に増えた事を本格的な敵の侵攻より早く知れただけでも、アーレスの独走は大きな収穫と言えた。
 これが大規模な侵攻時の切り札として使われていれば、味方の被害はメディック一機では済まなかったはずだ。
「だが、スミルナ・エクリシアの調査はしばらくは保留でいいな?」
「しばらく……次の予定があるのですか?」
 アーデルベルトの問いに、アレクは小さく頷いてみせる。
「次はライラプスの動作試験も兼ねて、私とソフィアで行ってみようと思う。少数の方が目立たないだろう?」
「控えた方が宜しいのでは?」
 確かに今回は、アーレスが余計な巣を突いたが故の調査失敗ではあった。しかししばらくは魔物側も警戒を強めるだろうし、今回さして成果のなかったスミルナも、無理に二人で調査するほどの物でもないはずだ。
 少なくとも、この先に待つ神揚の姫君との出会いを知らないままであれば。
「スミルナの調査が急務と言ったのは貴官だと思ったが? ……これは決定事項だ」
 そしてアレクが告げた日付は……今日から半月ほど後の事。
「……出過ぎた事を言いました。申し訳ありません」
 それはアーデルベルトの記憶に照らし合わせれば、アレクとソフィアが神揚帝国の姫君と初めて出会ったとされる、その日であった。


 そして、アーデルベルトが去った後。
 メガリ・エクリシア司令官の執務室……脇の副官席の前に立っていたのは、白い髪の娘だ。
「処分はいかようにも」
 だが、ヴァルのその言葉に対して、副官席の青年は軽く手を振ってみせるだけ。
「別にいいよ。そんなの」
 今回のヴァルキュリアの任務は先導だけで、それ以外の役割は副次的な物でしかない。確かに機体を壊した事は損害に含まれるだろうが、それとてシャトワール達を失った事に比べれば微々たるものである。
 けれど、席の前から辞そうとしない白い髪の娘に、環の細い瞳がほんの僅かに開かれた。
「それとも何……? 君は僕に、お仕置きでもして欲しいの?」
「ご命令とあらば」
 ヴァルキュリアは先程と同じ姿勢のまま、その場からやはり辞そうとしない。その表情には、環のその発言に対する嫌悪も拒絶も浮かんではいなかった。
「……冗談だよ。アーデルベルトさんだって処分は特になかっただろ」
 小さくため息を吐いて、提出された報告書をめくっていく。
「それより、ラーズグリズは修理にしばらくかかるな……」
 外見の派手な損傷に比べて、内部部分の損傷は大したことがない。ただ、装甲板の損傷は見かけ以上にひどく、他の機体の修繕と並行で行うとすれば、相当な時間がかかりそうだった。
「それだが、ラーズグリズに関する改良プランが一つ……」
 そこに至ってようやく白い髪の娘が動きを見せたのは、机の上に新たな提案書を差し出すためだ。
 記されたその草案を流し見し……。
「…………ふぅん。ライラプスの装甲板の予備はあるから何とかなると思うけど、いいの?」
 それは確かに、ラーズグリズの改良案ではあった。しかし、重装型のラーズグリズに施す改良案としては、いささか弱体化が過ぎる気もする。
「九本尻尾が二匹いるなら、相応の対処も必要になるかと」
 その意見は間違ってはいない。この案が『強化』ではなく『改良』に留まっている事からも、恐らく彼女はその方向性を理解した上で提案しているのだろう。
「そうだな。あの分厚い装甲を打ち直すより早く終わりそうだ。アレクと技師達にはこれで話を付けておこう」


 激しい衝撃に歪んだ外装が、ゆっくりと取り外されていく。
「これが……ソル・レオンに?」
 そんな修復作業真っ直中のハンガーの隅。破損した装甲板に並べて転がされていたのは、巨大な金棒と……一枚の巨大な布であった。
「ああ。報告では、ソル・レオンに投げつけられた金棒に取り付けられていたそうだ」
 アーレスの機体を吹き飛ばし、九尾の黒狐からトドメを刺される原因にも繋がった、ゴリラに似た魔物の使っていた物だという。
 だが問題はそちらではない。
 布の方だ。
 そこに描かれているのは、幾つかの丸や四角、そして何かの模様らしきもの。布一面に書き殴られたそれは、果たして何の意味を持つものなのか……。
「日明から、ウィンズ大尉がこの手の事に詳しいという話をお聞きしましたので……何か分かりませんか?」
 最初はククロとコトナが呼び出された。
 しかし二人でもそこに描かれた物が理解出来なかったため……今度はセタが呼び出されたのだ。
「旗のようだね……」
 リフィリアの言葉に、青年は小さく首を傾げてみせるだけ。
 広げた布の片端には、何かに結び付けたような跡が残っている。キングアーツに旗を掲揚する習慣はなかったが、風と親しむ部族出身の彼にとっては、風の勢いを向きを知るための旗は馴染み深い物だった。
「……旗」
「これは、翼を持った人……女の子かな……? それにこっちは、人の周囲を固いものが覆ってる……鎧……いや、全身を包んでいるなら、アームコート……?」
「……これが?」
 リフィリアやククロの基準で見れば、どう見ても子供の落書きである。むしろ妻子持ちのアーデルベルトの方が、この手の解析には向いているのではないかと思うほどだ。
「だとしたら、これは魔物か……」
 図の下方には、セタがアームコートと判断した物体と同じ形の絵が描かれていて、その周囲は四つ足を持つ塊で囲われていた。
「アームコートの近くにあるこの四角が城塞……メガリ・エクリシアとすれば、この大きな丸はスミルナ・エクリシアだろうね」
 リフィリアの目にも、それはただの丸や四角にしか見えなかったが……古今の伝承や歌にも通じるセタには、それは別の意図を持って描かれた物と映るのだろう。
「なら、南のこの丸い物は八達嶺か」
「今……何て?」
 さらりとセタが口にしたその言葉を聞いて、リフィリアは自身の耳を疑った。
「神揚の前線基地だよ」
「神揚……」
 それは、夢の中に出てきた帝国の名。
 メガリ・エクリシアや魔物の巣の……この大陸のはるか南方に位置すると言われる、巨大な帝国の名だ。
 なぜ夢でしか出てこなかったその名を、セタが知っているのか。
「なら……この翼の女の子の名前は……」
 セタの見立てが確かなら、スミルナの近くにいる、翼を持った少女は……。
 数奇な運命を辿り、命の炎尽き果てるその瞬間まで過酷な定めを戦い抜いた、少女の名は。
「………沙灯」
 口にしたのは、ククロとコトナがほぼ同時。
「そうか。みんなも知っているんだね……あの夢を」
 そんな三人の様子を見て、セタは穏やかにいつもの微笑みを浮かべるだけだ。

続劇

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