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13.Missing In Action

 部隊専用の周波数に合わせたはずの通信機から響くのは、もはや聞き飽きたリフィリアの言葉。
「アーレス! それ以上はいくらお前でも、営倉入り程度では済まんぞ!」
 恐らくは通信機の使える全ての周波数で呼びかけを行っているのだろう。相手にはそれが届いたか届いていないかさえ分かっていないはずだ。
「上等だ! あの九本尻尾がぶっ潰せりゃ、結果オーライだろうが!」
 既に数度の偵察から判明している、敵の巣の警戒ラインは突破した。無論それが目的のアーレスにとって、それは速度を緩める理由にはならないものだ。
「……反応、来たよ」
 シャトワールからの穏やかな言葉に、少年は舌なめずりを一つ。
「やっとお出ましか。シャトワール、テメェは下がってろ。足手まといだ」
「分かった」
 やはり男の物言いに何も感じていないのか、アーレスのすぐ傍を移動していた補修用アームコートはそのスピードを落とし、隊の後ろへと配置を変える。
「……何考えてるのか分かんねぇな」
 シャトワールにはシャトワールなりの考えがあるのだろうが、アームコートの仕様からしてアーレスのように戦うためという事はないはずだ。
 だが……アーレスにとってそれは既にどうでも良い事だった。
「ビンゴだぜ!」
 何せ敵陣の中には、あの九尾の白狐の姿も見えたのだから。
 迫り来る他の魔物……アーレスの機体によく似た黒い獅子をするりとかわし、赤い獅子はその牙を白狐めがけて容赦なく突き立てる。

 多くの機体が出撃した後のハンガーでも、その喧噪はいまだ収まりはしない。
 新たに参入したアームコートの調整に、破損機体の修復。ハンガーを守る技術士官達の仕事は出撃した機体とは全く関係のないところで進んでいるのだ。
「あれ。今日はシャトワール君はいないのかい?」
 そんな仕事場の一つ。
 魔物のサンプルのもとへとやってきたのは、セタ達アームコートを調整中の居残り組である。
「ああ。今はスミルナの調査について行ってる」
「なるほど。僕も行きたかったな」
 話では、エクリシアのスミルナは緑に覆われた深い森なのだという。
 彼の地ではどんな風が吹くのだろうと思いながら、セタは足元の鳥形の魔物を眺めている。
「これが魔物?」
「そうだよ、ソフィア」
「こいつらが兄様の開拓を邪魔してるのよね……。何とか出来ないのかしら」
 先日戦った九尾の白狐は、相当な手練れだった。あれほどの魔物が多くいるなら、確かにアレクが苦戦するのも無理はないと思うが……。
「出来るなら、既にアレク王子がなさっていますよ。それが出来ないからこそ、我々が呼ばれたのです。……我々も来たばかりなのですから、焦っても仕方ありませんよ」
 コトナの言葉は真理だろう。その上彼女のアームコートは調整中で、今出来る事は何もない。
 動けない以上、どれだけ焦ってもどうにもならないのだ。
「うん。分かってるんだけどね……」
 もう一度小さく呟き、ソフィアは初めて間近で見る魔物に改めて視線を落とすのだった。

 リフィリア達が先陣に追いつく頃には、既にその戦いは始まっていた。
 魔物達も突然のこちらの襲来に対応し切れていないのだろうか。数はそれほど多くない。
 しかし、だからといって易々と逃がしてもらうわけにはいかないだろう。もちろん敵のお膝元での持久戦に至っては論外だ。
 ……ならば、リフィリア達の選択肢は自ずと限られてくる。
 敵にひと当てして隙を作り、その間に素早く後退するしかない。
「エレ!」
「おう! 貸し一つな!」
 エレの機体は速さがある。今まではリフィリア達に合わせていたのだろう、隊を散開させるや否やその速さをぐんと増し、目の前にいた黒い獅子型の魔物に力任せの跳び蹴りを叩き込む。
「ジュリア、こちらはあの大物を止める!」
 そしてジュリアが目標に定めたのは、アーレスの部下達に猛然と襲いかかるゴリラに似た魔物だった。
 突進力のある敵を止め、流れを変える。
 その為には……。
「分かった! 援護するわ!」
 その場に留まり弓を構えたジュリアの姿を一瞥し、リフィリアは機体を加速させる。途中で盾を放り捨て、片手持ちだった大斧を両手持ちへと切り替えた。
「せえええええええいっ!」
 金棒を振り回しては縦横に暴れ回るゴリラ型の魔物が、放たれた数本の矢に動きを止めた瞬間。リフィリアの全力の斧の一撃が、その分厚い胸元へと叩き込まれる!


 操縦席に響き渡るのは、自らを鼓舞するかのような叫びの連打。
「オラオラ! こんなもんかよ、九本尻尾がぁッ!」
 相手の動きはまだどこかぎこちなく、戦いに慣れてすらいないように見えた。
 九本尻尾は強敵だと聞いていたのに。
 あのライラプスの片腕を切り飛ばした相手だと聞いていたからと、楽しみにしていたのに。
 こんなものなのか。
 そしてこんな相手に膝を着いたアレクとは……キングアーツ王家とはその程度の相手なのか。
 何より、その程度の相手に負けた我らが祖国は……!
「があああああああああああああああああっ!」
 左腕の鎖に繋がれた大手裏剣を猛然と投げつけ、そこから身を躱そうとした九尾の白狐に追撃の刃を叩き付ける。
 下された刃は白狐の胴を、大太刀の結わえ付けられたハーネスごと真っ二つに断ち切れば……。
「な……に………」
 その二つに分かたれた身体は、幻の如くかき消えていた。
「馬鹿な……ッ!」
 刹那、後ろから吹き付けられた凄まじい殺気に、アーレスは反射的にアームコートの身を翻す。
 そこにいたのは……。
「黒い……狐だと………!?」


 リフィリア達から遅れる事わずか。
「……無駄な事を」
 戦場に飛び込んだヴァルが振りかざすのは、基本武装たる大鎌だ。それが空を割き、地を擦るごとに、小型の魔物達は次々と切り裂かれ、その場から退いていく。
 まさに死神の如き暴れようを見せるヴァルが足を止めたのは、目の前に一体の魔物が姿を現したからだ。
 二本足で歩くひときわ小柄なそいつは、キングアーツでは『子犬』のコードで呼ばれている種である。そいつは小柄なくせに全身に多くの傷を刻まれており、かなり古い個体である事が見てとれた。
 普段なら……いや、今この瞬間までは、十把一絡げの勢いで切り裂き、退けてきた相手のはずだ。
 しかしその『子犬』だけは、ヴァルから飛び込む事が出来ずにいる。
「知らない相手だぞ……。それが、どうして……」
 無言の視線に、無意識のうちに大鎌をぎり、と握りしめる。噛みしめた歯がきしりと音を立て……。
 白い額から流れ落ちた汗で、ようやく自分が気圧されているのだと理解する。
「私が……だと………?」
 ぞくりと背中を走るのは、薄ら寒い何か。
 それを感じたのは、遙か以前……人と虎を掛け合わせたような魔物とまみえた時以来だ。
「そんな馬鹿な……ありえん。……この、私が……!」
 そいつは、小柄な体躯に不相応な朱塗りの鞘からすらりと大刀を抜き放ち……。
 凜とした所作で被るのは、今まで横被りにしていた狐を模した仮面である。
 そしてそいつは軽やかに地を蹴って。
 叩き付けられた猛烈な殺気に、ヴァルキュリアは無意識のうちに叫びを上げる。


 叩き付けられたのは、大斧の巨大な刃。
 それを受け止めたのは、分厚い魔物の胸筋だ。
「さすがに、一撃というわけにはいかんか……っ」
 アームコートのセンサー類を通じて自身の両腕に伝わった衝撃は、切り裂いた時のそれではなく、受け止め、弾かれた時のそれに近いもの。
 全くの無傷というわけではないだろうが、それでも致命傷にはほど遠い。
「リフィリア!」
 後ろからの援護に素早く機体を引き戻せば、先刻まで彼女のいた空間を大木の如き両腕がぶうんと振り抜かれていく所だった。ジュリアの援護がなければ……そして機体の反応があと一瞬遅れていれば、いかに装甲を増やしたポリアノンといえど無事では済まなかっただろう。
 放り捨てた盾を拾い上げ、再び進むか、退くかをほんの一瞬迷い……。
「アルツビーク中尉! 聞こえるか!」
「シュミットバウアー中佐! 申し訳ありません!」
 同時に通信機に飛び込んできた声に、思わず悲鳴に近い声を上げてしまう。
「話は後だ! あと少しで合流する、隊をまとめろ!」
「はっ!」
 進めば負ける。退けば追われる。
 ならば選ぶのは……。
「総員密集隊形! すぐに支援が来る、それまで何とか持ちこたえろ!」
 通信に使える全帯域に、新たな指示を叩き付ける。
 命令違反の常習犯ながらも、今までの激戦を戦い抜いてきた兵達だ。損害は多いが、致命的な者はほぼいない。
 リフィリアの声に従い、傷だらけの機体達は少しずつ集まりはじめていく。


 そこにいたのは、確かに九尾の白狐のはず、であった。
 つい先程まで刃を交えていた相手を見間違えるはずがない。戦い慣れぬ新兵の如き有様で、よたよたと戦いに応じるその姿は、滑稽を通り越して怒りさえこみ上げてくるほどだったのに……。
 アーレスの斬撃を容易く躱し、白い狐の幻を吹き散らすかの如く現われた今のそいつは、違っていた。
 尾の数は先ほどと同じく九尾。
 ただその色は、インクを零したかの如き黒に染まっている。
 その九尾が僅かに鼻先を動かせば、黒い九尾の先それぞれに浮かぶのは、小さな灯火だ。けれど次の瞬間には、それらは篝火の如き苛烈な炎へとその火勢を増している。
「こいつ………!」
 豪と吹き付けたのは、炎から生まれた風などではない。
 圧倒的な戦いの意思。
 即ち、殺気だ。
 だからこそ、アーレスは油断した。
 敵と味方が乱れ交わる戦いの場において、ただ一人の相手に集中してしまったのだ。
 故に。
 背後から横殴りに叩き付けられた力任せの一撃に対応する事も出来ず、遙か彼方に吹き飛ばされた。
「がぁっ!?」
 油断した、と気付いた時にはもう遅い。機体のあちこちが悲鳴を上げ、痛覚遮断された時独特の薄気味悪い感触が身体全体を駆け巡る。
 ノイズの荒れ狂う視界の中。
 振り下ろされたと分かったのは、九尾の黒狐が噛み加えた大太刀の一撃と。
 必殺の刃をその身を挺して受け止めた、補修用アームコートの姿だった。

 薄紫の世界を覆うのは、白と灰の煙である。
「スモークグレネードはありったけ投げろ! すぐに散らされても構わん!」
 ようやく戦場に辿り着いたアーデルベルトの指示で、随伴するアームコート達は次々と投擲式の煙幕弾を戦場へと投げ込んでいく。無論、こちらの撤退を少しでもやりやすくするためだ。
 やがてこちらの無線での呼びかけに応じ、煙の中から幾つものアームコートが飛び出してくる。
「ヴァルキュリア、無…事……?」
「……うるさい。話しかけるな」
 けれど、そんな煙の中から現れたヴァルの口調はいつもの冷淡とさえ言える落ち着きはなく、どこか息苦しさを感じさせるもの。
(何だったのだ……あの『子犬』は……)
 そもそも自分は、どうしてあの戦いに身を投じたのか。
 あの、スミルナの傍らで彼女を導いた幻は何だったのか……。
 各所の装甲は砕け、切り裂かれ、内部にもいくらかのダメージが入っている。そこからは痛覚遮断された時特有の、痛みのみ取り払われた居心地の悪い感覚が伝わってくるだけだ。
「ファーレンハイト特務少尉!」
 そして最後に煙幕の中から抜け出してきたのは、ヴァルキュリアほどではないが、やはりボロボロになった装甲をまとう赤い獅子兜のアームコートだった。
「……シャトワールがやられた」
 だが、苦々しげに呟かれたそのひと言に、ジュリアは言葉を失っていた。
「え……?」
「何? どうしてアディシャヤ軍曹が?」
 シャトワールのまとうメディックは最前線でのアームコートの応急処置と補給を主体とする機体であり、戦闘に参加する事は考えられていない。せいぜい、護身用の短剣を持っているだけの機体だ。
「わかんねぇよ! オレだって下がってろって言ったんだ!」
 そうだ。確かにアーレスはシャトワールにそう告げたし、メディックも大人しく後退していたではないか。
「ちょっと、そんな事より早く助けに行かないと!」
「無理だ。諦めろ」
 けれど、ようやく言葉を取り戻したジュリアの提言をひと言で両断したのは、黒い機体のヴァルだった。
「リフィリア!」
 ジュリアの叫びに、歪んだ盾を提げたリフィリアからの答えも返ってこない。
「アーデルベルト様!」
「もうすぐ煙幕も晴れる。……撤退するぞ」
 アーデルベルトの言葉に、ジュリア以外の全てのアームコートはのろのろと撤退を開始した。
「どうしてよ……なんで、シャトワールを………っ! なら、私一人ででも……っ!」
 だがその瞬間、ジュリアはリフィリアに肩を掴まれ、それ以上進む事が出来なくなる。
「……撤退だ。イノセント少尉」
 北へと向かうアームコート達の中。
 少女の泣き声だけが、共通の通信回線をただただ満たしていく……。


続劇

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