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「…………おかしい」
 迫り来る槍を続けざまに避けながら、万里の脳裏に浮かぶのは小さな疑問。
「やっぱり、変……」
 それは、灰色の巨人の槍を防ぎ、回避するたびに大きく、確かになっていく。
「く……うぅっ!」
 テウメッサの視線ギリギリをかすめていくのは、手元でいきなり伸びた槍の一撃だ。あと半歩、穂先半分ずれていたら、テウメッサの頭部はそのまま貫かれていただろう。
 神獣を制御する間、駆り手と神獣は一体となる。
 神獣が貫かれた痛みは、駆り手の痛み。
 そうなっていたらと想像し……万里は小さく身を震わせる。
 けれど。
「やっぱり……手加減されてる」
 灰色の巨人の攻撃は、紙一重のものばかり。
 万里が紙一重で避けたものは分かる。
 だが、紙一重で当たらなかった攻撃も、ほぼ同数。
 遊んでいるのか、それとも油断しているのか。
「……でも、何で」
 武人同士の手合わせや稽古なら分かる。
 例えばロッセに剣の手ほどきをしてもらっている時は、彼は黒豹の反応速度や踏み込みを使わない。最後の本気の撃ち合いで、ほんの一度使うきりだ。
 加減されていると分かるのは悔しくはあるが、それが万里とロッセの実力の差というものなのだろう。
「何で……っ!」
 しかし、相手は古代の巨人。
 人を部品として使い、意思なく敵を殺して回る、恐るべき古の殺戮装置だ。
 手加減をする理由も、必要もないではないか。
「…………またっ!」
 紙一重ですり抜けていった攻撃に、怒りが募る。
 余計な思考は戦いでの反応を鈍らせる。その教えを守らなかった万里は、今の一撃は当てられてしかるべきだったはずなのに。
 噛み構えた刃で懐に入り込み、大きな斬撃を叩き込む。
 それも、あっという間に引き戻された槍で容易く受け流されて……。
「やっぱり、私一人じゃ勝てないの……っ!?」
 そんな弱気が心をかすめた一瞬だった。
「…………」
 声が。
 届いた。
「…………え?」
 それは、聞こえるはずのない声。
 遙か彼方、湖の向こう。
 清浄の地にいるはずの。
「…………万…里」
 愛しい男性の声。
「アレ……ク……?」





第3回 後編




 黒金の鎧の肩に乗っているのは、作業服を着た少年だった。
「そういえばアレク様、こないだ変なこと言ってたっすよ」
「どうでもいいから、早くして欲しいんだけど」
 外部との会話用のスピーカーから苛立たしげに漏れるのは、機体の中で待機しているソフィアの声だ。
「焦っても仕方ないっすよ。親方が良いって言うまでは、ダメっすから」
 既に調整は終わっていた。今は彼ら工廠の作業兵達の長……親方の最終確認を待っているだけだ。
闘が進めば、破損した機体の応急修理でここも別の戦場となるのだろうが……。
「……それで、兄様が何て?」
 どうやら諦めたらしい。
 スピーカーから聞こえてくる愛らしい少女の声に、少年は嬉しそうに言葉を続けてみせる。
「外部音声用のスピーカーを、滅びの原野でも使えるように出来ないかって」
 ソフィアが今使っているスピーカーの事だ。
 外部との会話に使うスピーカー……特に音を発生させる振動板は非常に繊細な構造になっており、滅びの原野の有害な空気に触れるとすぐに破損し、使えなくなってしまう。普段は防護用の装甲に隠されてしまうそれを、滅びの原野でも使えるように出来ないかという相談だった。
「……何に使うの?」
 分厚いアームコートの装甲に阻まれて、ソフィアの表情は分からない。けれどその声だけで、姫君が不思議そうに首を傾げているのは少年にも容易く想像が付いた。
「魔物を声で威嚇したかったみたいっす」
 獣を相手にする時と同じ感覚だろう。
 魔物も咆哮を上げるし、確かに大声で威嚇するという手は確かに有効かもしれないが……。
「だったら、武器を打ち鳴らすので十分じゃない?」
 威嚇なら、剣と盾を打ち鳴らし、槍の石突で地面を叩く今まで通りの方法でも問題無いだろう。
「アレク様が何考えてるかなんて、オイラも分かんないっすよ。親方も弓兵作るので忙しかったし、そもそもウチの工廠の規模じゃ無理な改造だったから断ったみたいっすけど」
 有り物の組み合わせならともかく、スピーカーの改善は部品レベルでの改良が必要になる。本来は王都や大都市の開発拠点で行うような作業だ。
「ま、そりゃそうよねー」
 優先順位を考えれば、当たり前の話である。
 頭の良い兄のこと。声を出す事で形になる、何かソフィアや少年兵には及びも付かない作戦があったのかもしれないが……。
 その時だ。
 黒い装甲に響くのは、がん、とハンマーで叩かれた感触だった。
 痛みなどない。
 むしろ、景気づけに気合すら入る。
「調整終了! いいぞ、暴れてこい!」
 そのひと言は、少女が待ちわびて待ちわびて、待ちわび抜いた言葉だった。
「やった! 親方、ありがとう!」
「姫様! 帰ってきたら、またみんなでご飯食べに行きましょう!」
 肩の少年兵が降りたのを確かめ、力強く一歩を踏み出す。
「まかせて! 今回はあたしがみんなにご馳走するわね!」
 黒金の巨人から伝わる感覚にズレはない。仕上がりは完璧だ。
「こら! スピーカーは閉じていけっ! 外の空気に触れたら壊れちまうぞっ!」
 後ろから飛んできた怒声に、外部に声を発するスピーカーを装甲で覆う。速度を上げて工廠を抜け、城門をくぐり抜ける。
「ハギア・ソピアー、出るよ!」
 視界を最大望遠にすれば、そこでは既に激しい戦いが始まっていた。
 意思のままに踏み込めば、黒金の騎士はソフィアのそれに従ってスピードを増していく。
「環! 『九本尻尾』はどこ!」
 通信機に怒鳴りつければ、怒鳴り返してくるのは指揮所に詰めた環の声だ。
「ソフィア! 奴はアレクが相手してる! お前は作戦通り、他の連中を助けて回れ!」
「やだ!」
 だが、下された命令を妹姫は速攻拒絶。
「やだって……!」
「アイツが一番強いんだよ! アイツを倒せば、後はみんな総崩れに出来るじゃないっ!」
 敵を倒すには、まず頭から。
 対人戦のセオリーが魔物達に通じるかどうかは分からなかったが、ボス格の『九本尻尾』を倒せば敵の戦力が大幅にダウンするのは間違いない。
 そうなれば、ソフィアもアレクも、他の敵をさらに倒して回る事が出来る。上手くいけば、この戦いに参戦した魔物全てを倒す事さえ出来るかもしれないのだ。
「いいんだよ! とにかく、お前は………」
 怒鳴りつけてくる環の通信を早々に切り上げて、ソフィアは黒金の騎士をさらに加速。
「うるさい! 早くこいつら、みんな倒すんだっ!」
 この戦いで魔物に大きな痛手を与えれば、アレクの評価はさらに上がるだろう。仮に万里との婚姻に反対する者がいたとしても、これだけの武功を成し遂げたアレクになら反対も出来ないはずだ。
 そうすれば、二人はずっと一緒にいられる。平和だって来る。
 結局大したものが見つからなかった万里達へのプレゼント探しも、今度は役に立たない環ではなく、沙灯と一緒に行けるかもしれないのだ。
 戦いさえ、終われば!
「邪魔……するなあああっ!」
 道を塞ごうとする魔物達の姿を目にし、ソフィアは黒金に輝く片手半を力強く振りかぶる。


「……万………里………」
 それは、予想もしない声だった。
「え……」
 だが、神獣の耳に届くそれを、間違えるはずがない。
「アレ……ク……?」
 愛しい人の。
 忘れるはずのない声だ。
「何で……アレクの声が…………?」
 そして、それを放つのは……。
「…………ば…里……」
 目の前の、巨人。
 槍を構えた、灰色の巨人。
 ノイズ混じりのそれは……。その、意味は……。
「嘘……」
 巨人は人間を取り込み、自らの部品としてしまうという。
 取り込まれた人間は、人とも巨人ともつかぬ鋼混じりの体にされ、体中に鋼鉄の綱を埋め込まれていて……。
「嘘……でしょ……」
 巨人は清浄の地には入り込まないと言われていた。
 けれどそれは、今までの調査から導かれた仮説でしかない。
 現に戦う相手などいないはずのアレクやソフィアは、常に甲冑を纏っていたではないか。
「ば……り……」
 新たな巨人を目覚めさせるため、あるいは自身を強化するために、巨人達が清浄の地に新たな部品を求めたとしたら。
 わずかに残ったアレクの意思が、巨人の穂先を鈍らせ、この途切れ途切れの声を出させているのだとしたら。
「よくも………」
 九尾の白狐の体内に響くのは、狐姫の涙声。
「よくもアレクを………」
 体の外に響くのは、九尾の白狐の咆哮だ。
「ばん……り……?」
 噛み構えた白鞘を放り捨て、四つ足の九尾の白狐は啼き。鳴き。泣き。
 立ち。
 上がる。
「よくもアレクを! アレクを……ッ!」
 万里の全身に走るのは、痛み。
 基本となる四つ足ではない。
 放り捨てた白鞘を前脚で拾い上げ、背のハーネスに残るもう一刀も引き抜いて。
 ゆらりと立ち上がり、構えるのは……二本足のヒトガタだ。
「あああああああああああああああっ!」
 神獣と一体となった万里の全身を貫くのは、神獣が全身の構造を組み替えた時に起こる、引き裂くような激痛である。
 けれどその痛みも、万里の怒りを加速させこそすれ、停滞させる原因になりはしない。
「おのれええええええええええええええっ!」
 周囲に無数の炎を踊らせながら。
 狐頭九尾のヒトガタは、薄紫の大地を蹴った。
「万…………里」
 真の姿を現したテウメッサが茫然と立つ灰色の巨人を十文字に切り裂いたのは、まさに一瞬の出来事だ。


「そん……な……」
 沙灯が見下ろす戦場は、一瞬時が止まったようだった。
 矢も飛ばず。
 剣も鳴らず。
 眼下に見えるのは、十字に切り裂かれ、崩れ落ちた灰色の巨人と。
 咆哮を上げる、狐頭九尾のヒトガタの姿。
 巨人達は、灰色の巨人が倒れた事に衝撃を受けているようであり。
 神獣達も、狐頭九尾の慟哭混じりの咆哮に、やはりその手を止めていて。
「あの巨人……ホントに、アレクさんを……」
 万里の慟哭は、テレパスとなって沙灯の心にも届いていた。
 ヒメロパの瞳を残骸と化した灰色の巨人に向け、さらに拡大。
「そんな……」
 そこに見えたのは……。
 人間の、左手だった。
 薬指にはまるのは、金色の指輪。
「アレク……さん………」
 それは、見間違えるはずもない。万里が内緒だからねと前置きして、嬉しそうにはめて見せてくれた……彼女の左手の薬指を彩る銀色の指輪と対になるものだ。
 だが、その手が……。
「え……」
 ゆっくりと、切り裂かれた巨人の外装を叩き。
 そこから繋がる半身を、起こそうとする。
「まさ……か………!」
 現われたのは、血まみれの黒い髪。
 狐頭九尾のヒトガタの視線は、灰色の巨人に向けられたまま。
 そして碧い瞳に宿るのは……いつもの青年の優しく強い意志の色。
 それは……。
「万里! ……ダメっ!」
 ヒトガタのテレパスとして伝わってくるのは、神獣の背中が開こうとしている感覚だ。
「そんな事したら、万里まで死んじゃうっ!」
 滅びの原野の空気は、神獣無しでは数分と持つものではない。呼吸を助ける高等神術を使ったとしても、せいぜい十分かそこら。
 無論そんな高等術など、神術師である沙灯ならともかく、万里が会得しているはずもない。
「出してよ! テウメッサ、出してっ! アレクが、アレクがまだ生きてるのに……っ! 私を呼んでくれてるのに……!」
 我に返った沙灯は、ヒメロパを全力でダイブさせる。
 その視線の先。いまだ人間の形を留めたアレクは、虚ろな瞳で小さく口元を動かしていた。
 紡ぐ言葉は……。
「ばん、り………ど…して………」
 そして。
 青年の金の指輪の輝く左手が、かくりと折れて。
「いやあああああああああああああああっ!」
 沙灯の心を満たすのは、万里の放つ絶叫だ。


 ようやく辿り着いた目の前で。
「え………」
 十字に切り裂かれたのは、灰色の騎士・ライラプス。
「に……さま………?」
 その一撃を放ったのは、双の刀と無数の狐火を従わせる、狐頭九尾のヒトガタだ。
 それはいまだソフィアが知るはずもないが、かつて戦った『九本尻尾』が姿を変えたもの。
「アレク……兄様……」
 異形の放つ咆哮は、少女の耳には灰色の騎士を討ち取った快哉を誇るかのように聞こえていた。
「兄様……!」
 崩れ落ちたライラプスから、兄のいまだ生身のままの左腕がそっと伸び……。
 宙を掻くようなその動きに、ソフィアの意識も覚醒する。
「兄様ぁっ!」
 けれど、ここは滅びの原野。
 アームコート無しでは人の生きる事適わぬ、薄紫の死の大地。
 兄の体は、一瞬後には糸が切れたように崩れ落ち。
「兄様ああああああっ!」
 目の前にあるのは、快哉を叫ぶ狐頭九尾。
「きさまああああああああああああああっ!」
 ソフィアは黒金の大盾を放り捨て、片手半を両手持ちに。
 沸き上がる怒りの声すらも叩き付けようと、外部スピーカーの装甲を開く。
 怒りのままに振りかぶり。
 ヒトガタを切り裂くよりもハギア・ソピアーの周囲に炸裂するのは、天空から降り注ぐ炎の弾丸だ。
「くそぉぉぉっ!」
 舞い降りてきた『怪鳥』が狐頭九尾の両肩を掴み、そのまま全力の急上昇。
「くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉぉっ!」
 空に逃げられては、いかな黒金の騎士とて為す術もない。
 今の黒金の騎士は、空への攻撃手段など持ち合わせてはいないのだ。
 既に動作不良を起こし始めた外部スピーカーを起動させたまま、辺りに響き渡る黒金の騎士の咆哮は……届けたい相手にも、もう、届くことはない。

続劇

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