-Back-

−Prologue−
 「ハハハ……殺戮者め……。いつまでもお前の好きなように…させるものか……」  呪咀を唱えるかのような暗い声で、男は呟く。血走った眼が放つは、狂気と呼ぶ に相応しいほどの光。  不気味な刺青の彫られた額を持つその男の顔には、既に死の色が濃い。  まあ、無理もないだろう。  長大な馬上槍…ランスにその腹を貫かれているのだから。  「それで? 一体どうするつもりですか?」  死相すら浮かばせた男と対照的に、ランスの主である青年の声は平然としたもの だった。まるで井戸端会議に相槌を打つかのような声で、返事を返す。  「こ…う……するのだ!」  30代と見られる男の腕は年の割にやけに痩せこけ、妙に節くれ立っている。そ の枯れ枝のような腕で自らの背中へと抜けるランスを掴むと、男は叫んだ。  古来より彼の家に伝わる、呪咀調伏の秘儀の名を。  「樹封陣!!!」  刹那。  男の枯れ枝の腕が茨のようにしなやかな植物の枝へと姿を変え、ランスの青年へ と襲いかかった!  樹封陣。あらゆる存在をその内へと封じ込める、モンド=メルヴェイユでも最強 といわれる封印術の名前だ。絶対の封印能力は、神すらも封じ込める事が出来ると いわれる…が。  「我輩の道連れに、死ぬがよいわぁっ!」  そう。その威力と引き替えに求められるのは…  人の、躯。  最強の封印術は人の体、そして人の魂を贄として求める、最凶の黒魔術でもあっ たのだ。黒魔術師が封印術に対抗する術を求める過程に生み出された偶然の産物、 封印の術でありながら闇の社会でしか生きられない禁断の術。  それが、樹封陣の正体だ。  「やれやれ……。樹封陣ですか……」  しかし、青年は相変わらず焦る風もなく、白い腕に絡み付く茨にすっと掌を当て る。  「こんなもので僕を封じようとはね…笑止としか言いようがありませんよ、貴公 は………」  掌から生み出した魔力の焔で一瞬にして茨を薙ぎ払い、一跳躍で次なる茨の魔手 から身を躱す青年。迫る茨は、青年の白く長い髪にすら届く事はない。  だが。  「元よりお前を封じようとは思っておらぬ……。されど、お前の力の一角、確か に封じさせて…もらっ…た…ぞ……」  ヒトとしての最後の力を振り絞り、響く、声。  「ふむ………。そちらが狙いでしたか…なるほど」  その声に、青年は納得したように呟く。  「お前の戦の切札、『殺戮の七』をな……。殺戮者…シオン・ヴァナハよ……」  そう。青年の手からは長大なランスの姿が消えていたのだ。  そして、青年の目の前に生まれていたのは、見上げんばかりの大樹。先程までは 、男の姿しかなかった筈なのに。  「まあ、今回はあなたに勝ちを譲っておきましょうか…」  その言葉に返事はない。既に人柱の魂は結界に喰い尽くされ、封印の一部と化し ているのだから。  「『虐殺者』、クワイプ・ルガーディア……」  負の力と人の魂を吸って咲き誇る結界を見上げながら、青年…シオン・ヴァナハ は小さな苦笑を浮かべた。



凶風
-Magatsu Kaze-
(その1)



 「へぇ……。一夜で咲いた桜の大樹か……。さっすがモンド=メルヴェイユ、面
白い事が沢山あるわね」
 そう言ったのは、一人の銀髪の少女。小さな冊子をめくりながら、反対側の手で
はフォークに昼食のパスタを巻き付けようとしている。
 「けど、まだ桜の季節には少し早いんじゃない?」
 食堂の反対側の席でそう言い返すのも、銀髪の少女だ。
 二人の顔はまるで鏡に写したかのようによく似ている。ただ、パスタの少女が肩
までの銀髪なのに対してこちらは腰までの銀髪だから、見分ける事自体はそれほど
難しくないだろう。
 「け、ど……食事中に読むのは感心しないわね、ユイカ」
 と、ロングの少女は野菜サラダを食べるのに持っていた箸でユイカの読んでいた
小冊子をひょいと取り上げた。
 「へぇ……『モンド=メルヴェイユ観光特選・三月号』
か…。ねえ、この『プレートメイルの歩く街』って面白そうじゃない? すぐ近く
だし、今度行ってみましょうよ」
 「せ……折角人が読んでた本をっ! それに朱鳥だってゴハン途中じゃない!」
 一瞬の事に呆気に取られていたユイカだが、ようやく我に返って朱鳥への反撃を
開始する。
 「あら? 私はユイカが本読んでる間に食べ終わったもの。ああ、急いで食べる
のは消化に良くないから、ゆっくり食べた方が良いわよ」
 くすくすと笑いながら、その言葉を即座に迎撃する朱鳥。言うとおり、彼女の目
の前の皿は既に何も載っていない。
 二人の間に、沈黙が流れる。
 「……………やっぱ舌戦じゃあ朱鳥には勝てないかぁ」
 と、ユイカは敗北を認めたのか、苦笑を浮かべた。そのまま残っていたパスタを
片付け始める。
 「どっちかっていえば『箸はそういう風に使うもんじゃないわよ』って言ったほ
うが反撃になったのにね。まあ、次は頑張りなさいな」
 そんなユイカを眺めながら、朱鳥はにっこりと笑顔を浮かべた。


 「で……」
 紅い焔をまとった翼をはばたかせ、朱鳥が呟く。人二人が通るのがやっとという
狭い路地だというのに、大きな翼を少しも苦にする事無く飛翔している。
 「何で、あたし達まで追われてるわけ?」
 「いいじゃない、別に」
 そう答えたのは、走っているユイカ。そのスピードを維持したままで裏路地を曲
がろうとして…思わずたたらを踏む。
 目の前には、既に数人の男達が迫って来ていたのだ。
 「ちっ…普通の人相手じゃあんまり手荒な事も出来ないか……。ま、降り掛かる
火の粉は払わせてもらうけどね!」
 その男達を身軽な動作で片っ端から薙ぎ払っていくユイカ。
 相手はそこらのチンピラか本当の素人らしく、相手にすらならなかった。最近の
流行なのだろうか? 男達の額に彫られた奇妙な刺青が、ユイカの視覚に一瞬だけ
残る。
 「また来たわよっ!」
 そこで掛かった朱鳥の声に、ユイカは慌てて逆方向の路地へと足の向きを返した。
 「本当にキリがないわね……逃げるわよ」
 今の連中もすぐに気が付くだろうから、本当に一体大多数がなってしまう。ユイ
カと朱鳥、そしてさらにもう二人の影は、そちらの方向へ再び走りだす。
 「いやはや、巻き込ませてすみませんねぇ…」
 影の一人はそこに至って、すこし情けない笑みを浮かべながらユイカと朱鳥にそ
う声を掛けた。影の正体は、白い髪を長く伸ばした青年だ。そこらの貧乏学者か、
没落貴族といったイメージ…ではあるが、髪以外に目立った特徴はない。
 「別に気にしなくていいわよ。あたし達の方から首突っ込んじゃったんだしね。
どっちかって言えば、こっちの子に謝った方がいいんじゃない?」
 走りながらもそう答えるユイカ。
 彼女が手を引いているのは、五才くらいの小さな男の子だ。
 追われている途中で男達に囲まれていた所を、ユイカが助け出したのである。
 その男の子は、無言で走っているのみ。長い前髪に隠されて表情はよく見えない。
が、随分と恐い目にあったのだ。恐慌状態に陥っているのだろう。
 「けど、私は首突っ込んだ覚え、全然ないんだけど…」
 と、そのユイカに聞こえないよう、小さな声で呟く朱鳥。
 「? 朱鳥、何か言った?」
 「別に……」
 耳聡くその呟きを聞き付けたユイカを適当に誤魔化しながら、朱鳥はこの事件の
成り行きを思い出していた。


 時刻はほんの少し……そう、1時間ほど前に遡る。
 「これが噂の桜の木かぁ……。あの本に書いてあった事も意外と嘘じゃないみた
いね………綺麗…」
 桜の樹を見上げながら、ユイカはそう言葉を洩らした。目の前の桜は文字通り、
見上げる程に大きい。そこに咲くほのかな薄紅の花は、まさに乱れ咲きと呼ぶに相
応しい咲き様。
 なのに、街の人達は口を揃えて『こんな木は先週までなかった』としか言わない
のだ。それこそ、老人から子供まで。
 誰に聞いても嘘を付いている気配は全くなかったし、この突然の闖入者に心底驚
いている様子だった。
 「ユイカぁ。そろそろ戻らない? この木、何だか嫌な感じがするのよね………」
 と、朱鳥はユイカの腕にしがみついたまま、くいくいと引っ張ってみせる。ユイ
カと違って霊感の強い彼女のこと、この桜にあまりいい気配を感じていないらしい。
 「『桜の木の下には死体が埋まってる』って話? いくら何でもそれはないでし
ょ…」
 先程一人の老人から聞いた話を思い出し、ユイカは苦笑を浮かべる。
 だが。
 「その噂は本当だと思いますよ。現にこの木には…」
 二人の少女の傍らから掛けられた、声。
 「万を越す人間の魂が眠っているんですから」
 そこには、一人の青年が立っていた。


 「万!? 冗談でしょ…」
 青年のその言葉を聞き、ユイカは思わずそんな感想を洩らしていた。
 「この辺でそんな人死にが出るような事件や戦の話なんて聞いたことないもの。
十人や百人ならともかく……」
 ユイカの言う通り、戦略的に重要でもないこの地方は昔からあまり戦の舞台にな
った事がない。少なくとも一万もの人間が死ぬような自体に陥った事は、ただの一
度も。
 「信じる信じないは貴方の自由ですがね。それでは私は少し追われていますの
で、この辺で」
 それだけ言うと青年はのんびりとその場を歩み去った。
 「追われてるって……」
 ユイカのその呟きが消えないうちに、黒い服を着込んだ数人の男達が青年の歩い
ていった路地の方へと姿を消す。
 「へぇ…これは冗談じゃないみたい…ね」
 どこにでも居そうな、冴えない貧乏貴族といった風体をした青年だった。多分、
追う連中は借金取りか、放蕩息子を捕まえにきた父親の追っ手…と言った所だろう。
 ユイカは何やら機嫌の良さそうな笑みを浮かべると、隣の少女に向かって口を開
いた。
 「朱鳥、ご希望通り、ここを離れるわよ」



 時間を戻そう。
 「で、あの人達って結局何者なの? ただの借金取りや父親の追っ手ってワケじ
ゃなさそうだけど……。揃って変な刺青してるし」
 相変わらず逃げ回りながら、ユイカは隣の青年へと声を掛けた。後の追っ手は何
時の間にか数人から20人程にまで増えている。しかも、その手に握られているの
は剣や斧といった、お世辞にも捕縛向きではない代物だ。
 「借金取りでも追っ手でもありませんよ。彼らは一応、刺客ですから。操られて
いるだけの一般人だからこちらから手は出せませんがね」
 「操られた追っ手って……。キミ、裏社会の人か何か? 全然そうは見えないけ
どな」
 ユイカの洩らした率直な感想に、青年は苦笑を返す。
 「はは…。よく言われますよ。けれど……」
 青年はちらりと天を見遣り、そのまま前に視線を戻して言葉を続けた。
 「そろそろ逃げるのも終わりです。時間も丁度いいですし、そちらの子供も限界
みたいですしね。反撃に移りましょうか」
 「時間?」
 四人の目の前には光の筋が見える。細い裏路地の終わりを告げる、建物と建物の
間に浮かぶ光の筋が。
 そして、四人は大通りへと姿を現わした。


 「ここ……元の桜の木………? いや、違う…か」
 目の前に広がる風景に少しだけ茫然としつつ、感じた違和感に言葉を否定するユ
イカ。確かにまわりの風景は見覚えがある。だが、何かが違う。
 何かが……。
 「いえ、裏路地を一回りして戻ってきたのです。確かにここは、さっきの桜の樹
の前ですよ」
 そこに掛かるのは、ユイカの否定をさらに否定する青年の言葉。その言葉に応じ、
ユイカは今度は朱鳥へと問う。
 「朱鳥はどう思う? って、朱鳥?」
 そこでユイカは気が付いた。
 己の腕で自分の体を抱え、小さく震えている相棒の姿に。
 「どしたの?」
 「ユイカ…気付かないの? あの樹を見て…何にも…」
 辺りに漂うあまりに凶々しい気の流れに青くなった唇を震わせながら、朱鳥は弱
々しい声でその言葉だけを紡ぎだす。
 「樹……?」
 そして、ユイカはようやく自分の感じていた違和感が何かを、理解した。
 まずは、辺りには追っ手の男達だけで、観光客が始めから一人もいなかったこと。
それと…
 「桜の樹が…成長してる……」
 そう。先程よりも一回り近くも巨大になった、桜の大樹。
 咲いている桜花も乱れ咲きと呼ぶに相応しかった先程をはるかに凌ぎ、もはや狂
い咲きとしか形容できない程に咲き誇っている。
 「そうそう、確か先程お話しましたよね。『桜の木の下には死体が埋まってる』
…って」
 と、突然に青年が口を開いた。
 「あの噂、本当なんですよね。冗談抜きで……」
 青年は桜の樹へと近付き、その幹にそっと手を触れる。
 追っ手達は男のその雰囲気に圧倒されたのか、近付く様子すら見せない。
 「魔を封じ、負の力を浄化させる力を持った天然の結界性植物……桜。その力を
応用した禁断の封印術『樹封陣』…」
 ミシ……ミシ……
 と、桜の大樹が軋み、叫びを上げ始めた。
 青年からの呼び掛けに応じて内側から溢れだす、膨大な闇の力をその全身に浴び
て。その急速な成長に、樹木自身が耐えられずに。
 「しかし、ほんの100時間で飽和状態に達するとは………。樹封陣とは言えこ
の程度でしたか。幻滅ですね…」
 にじみ出る闇を吸い、桜の花が次々と咲いていく。
 乱れ咲きは狂い咲きへと変わり、狂い咲きはまさに狂気としか言いようのない程
の咲き様へと変わっていく。
 「こんな玩具で私の『力』を封じ切るなど、不可能ですよ」
 「あ………」
 ユイカ達の傍らにいた子供が、小さな声を上げた刹那。
 桜の怪樹は、砕け散った。
 後に残るは、一本の長大な馬上槍のみ。
 「この『殺戮の七』を封じる事など…ね」
 自らの背ほどもあるランスをそっと手に取り、青年…シオン・ヴァナハは、冷徹
な声でそう呟いた。
続劇
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