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16.砂時計が落ちきる前に

「だんだん近くなってきたわね」
 仮設の竜防柵の上。
 森の向こうに見える巨大な頭は、見て分かるほどに近づいている。侵攻速度自体が落ちていたとしても、街までの距離は着実に縮まっているのだ。
「そろそろ逃げるか?」
「正直、逃げるのもめんどくさいのよねー」
 カイルの軽口に適当に返していると、森の奥から激しい車輪の音が響き、やがて小型の馬車が飛び出してくる。
「カイルさん! ミスティさん!」
 最前線にネイヴァンと向かったはずのジョージだ。
 もちろん荷台の様相を見て、カイルもミスティも、状況の大半は理解している。
「怪我人です! それとミスティさん、矢弾や爆弾の補給って出来ますか? あと武器!」
「武器はマハエの家に行って頂戴。矢だけなら、店にはまだもうちょっと残ってたと思うけど……高いわよ?」
「請求はネイヴァンさんに回しといてください」
 荷台の怪我人を下ろしながらのジョージの答えに、ミスティは笑みを浮かべてみせる。
 ここで爆弾の残りがあればもっと面白いことになったのだろうが、残念ながら昨日セリカに渡した分と、泰山竜討伐の第一陣に売った分で品切れだ。
「カイル!」
 そんな彼女達に掛けられたのは、上空からの女の声。
「ん?」
 鳥系の獣人か、飛行魔法の使い手か。だがいくら見上げても、辺りには声を掛けてくるような相手は見当たらない。
 ただ一羽の小さな鳥が居るだけだ。
「スズメさんですわ」
 小さなスズメは、何かを脚に掴んでいるようだった。
 やがて竜防柵の上に舞い降りて……。
「鳥が、人に……?」
 カイルもジョージも、獣人族が完全な獣に姿を変えられる事は知識としては知っていた。しかしそれを実際に見たことはほとんどない。
 しかも、それが見知った顔となるとなおさらだ。
「ターニャか! どこのスズメかと思ったぜ!」
「カイル! これ!」
 ジョージと並んで怪我人を馬車から降ろしていたカイルに駆け寄り、手の中にある小さな欠片……スズメが必死に掴んでいたものだ……を手渡してくる。
「これは………」
 光を湛えた小さなそれは、宝石のようだった。
 だが、自ら強い力を湛え、あふれ出す力で輝くようなそれは……カイルや、側に寄ってきたミスティさえも見たことのないものだ。
「魔晶石じゃない……貴晶石でもないわね」
 魔晶石と同じ性質を持つ物である事は間違いない。
 けれど内に秘めた輝きは、魔晶石でも……それを束にしたとされる貴晶石すら凌ぐもの。
「…………まさか!」
 先ほど竜のもとに見えた、強い輝き。
 貴晶石さえ超える力。
 それが意味する物は……。


 降り注ぐのは、光の雨。
 正確に言えば、光の鞭の無限の打撃。
「ちっ! コウ、おぬしが焚き付けるからじゃぞ!」
 それを全力の機動で避けながら、ディスは傍らの赤い姿に怒りを放つ。
「トドメはディス姉がリントを重晶石なんかにしちまうからだろ!」
 続けざまの打撃の雨にコウは自らの車輪を全開に。
 一瞬の加速で距離を開ければ、さっきまで彼女の居た空間を埋め尽くすのは、無数の光の鞭である。
「モモ、グリフォン! 大丈夫か!」
 さしものハートの女王も、空中を舞う龍達に届く攻撃までは同時展開出来ないらしい。モモとグリフォンは先刻までと同様、泰山竜を相手にしているが……。
「あまり大丈夫ではないの! あんな暴走ぬこたまでも、おらんよりは幾分かマシであったわ!」
 泰山竜の攻撃は、確実に彼女達二人を狙ってくるもの。もちろん暴走したリントからの流れ弾が来ない分、受けるダメージは減ってはいたが、噛みつかれれば致命傷は免れない巨大な敵を相手に、攻撃に専念出来るわけでもないのだった。
「モモ!」
 迫る竜の首に雷光のブレスを吐くグリフォンに打ち付けられるのは、巨大な尻尾の一撃だ。
「腹の中に入ったダイチ達はまだなのかね……」
 光の鞭の雨に、巨大竜の攻撃。
 律に至ってはその双方をかわすのが精一杯で、弓を射る隙も見いだせずにいる。……もっとも残りの矢も残り少なかったから、温存という意味では問題なかったのだが。
「余り動けていないようです。体内の気の反応が強すぎて、細かい所は良く分かりませんが……」
「アギ!」
 傍らの少年も、一瞬の加速で相手との間合をずらしつつ、必至に光の鞭を躱している。
 しかし、続けざまに来た鞭の雨に、反応が一瞬遅れ……。
「っ!」
 飛んできた光の刃を切り払ったのは、二本の刃を構えた男である。
「あ……ありがとうございます」
 ジャバウォックはアギの言葉に返事を寄越すこともなく、無言でハートの女王のもとへと掛け出していく。


 仮設の竜防柵の上。
「ミスティ! 忍!」
 街側から掛けられた声と、そこに姿を見せた一同に……忍は思わず息を呑む。
「マハエさん。どうしたんですの……って、姫様?」
「こっちの方が戦力が揃ってると思ったんだが……ターニャ、戦況はどうだ?」
 馬車の辺りには怪我人も多く居るから、怪我人を連れ帰るのと折り返しで、補充の矢弾を持ち帰る……といった所なのだろう。
 マハエの言葉に、ターニャは無言で苦笑い。
「……ぼちぼちってとこか」
 潰走しているわけではないが、圧倒的に優勢というわけでもないのだろう。
 そこで、気がついた。
「カイルはどうした? 護衛を手伝わせようと思ったのに……」
 確かカイルは竜防柵の準備や避難の誘導に参加していたはず。まさか彼も前線に出向いたのだろうか。
「ちょっとねー」
 やがて、街の奥から大型の馬車がやってきた。
 ミスティである。
「補給の矢弾よ! 積み替えるの、手伝って!」
 大型の馬車は積載力に優れるが、森の中は走れない。ここから先は、怪我人の乗ってきた小型馬車に積み替えて戻ることになる。
「はい、お手伝いします!」
 そんなミスティの言葉に率先して手を上げたのは、あろうことかノアだった。
「じゃあよろしく!」
「よろしくって、姫様にそんな事させるなよ」
 即答したミスティに、マハエは思わず渋い顔。
「非常時ですから。出来ることなら何でもお手伝いします」
 けれどマハエの制止など聞くことも無く、ノアは矢の束を抱え上げ、空の馬車へと運んでいく。それに無言で続くのは、シャーロットとセリカである。
「そうそう、非常時ですから」
(……まあ、前線に立たれるよりはマシか)
 これ以上ゆっくりしていては、馬車に乗っていくなどと言い出しかねない。マハエもミスティの馬車の矢の束を抱えようとして……。
「……きた」
 ナナトの言葉に、矢の束の一つを素早くほどいてみせる。
 矢を番えるのは、同時に取り出したボウガンに、だ。
「早いわね」
 指揮官が優秀なのだろう。一度敗走した隊をこの短時間で再編成し、再び攻撃を仕掛けられる状態にまで持って行ける者など、そうはいない。
 出来れば、それは味方の仕事ぶりとして確かめたい所であったが……。
「ちょっとぉ。また面倒ごと?」
 マハエがノアを連れてきた時点で、ある程度は予想が付いていた。
 ミスティは不満顔で、御者台から立ち上がり。
「……すぐに補充持って引き返すってワケにもいかないみたいね」
 弾丸を運んでいたターニャもまた、自らのボウガンに弾丸を装填するのであった。


 響き渡る咆哮は、竜のそれではない。
 人の放った、裂帛の気合。
 双の刃がまとう淡い輝きは、迫り来る光の鞭を容易く両断し、人の身が通る空間を力任せにこじ開ける。
「これがアリスの言っていたジャバウォックですかー。なるほど、人間にしては……」
 そこまで言って、ハートの女王はバックステップ。舞の如き優雅なステップで、男の斬撃をかわしてみせる。
 着地と同時にビークに生まれた魔晶石を噛み砕き、解き放つのは一直線の光の槍だ。
「………っ!」
 男はその閃光をも弾き返そうと、刃を振うが……。
「っ!?」
 さしもの男も力及ばず、片方の刃を弾かれてしまう。
 男の手を離れた刃は、くるくると宙を舞い。
「ヒャッ……」
 それを空中でキャッチする影一つ!
「ッホォォォォォォォォォォィッ!」
 唐突に現れた鎧の男の斬撃は、文字通りの奇襲。早く鋭い一撃に、ハートの女王はさらに後退を余儀なくされる。
「ネイヴァン!」
「武器のうなってしもうてん! 何か武器余ってないかなーって来てみたんやけど、エエのあるやん!」
 最初のひと振りで気に入ったのか、既にジャバウォックの剣の一本を自分の物と認識しているらしい。
「え、お前ずっと泰山竜に攻撃してたのか?」
 そういえば、今までネイヴァンの姿はどこにも見当たらなかった。武器を取り替えながら攻撃しているとは、合流した誰かから聞いた気もしたが……。
「当たり前やろ。他に何せえ言うん」
 確かに真顔で問われれば、それ以外にここですることはないはずだ。
「まあ、何でも良いです。もう一人倒す相手が増えた所で、大して変わりませんし」
「何やめんどくさそうなんがおるな。ヒャッホイ出来そうにないんやけど」
 そこでようやくハートの女王の姿を見定めたらしい。彼女の姿はかつてのイーディスと何ら変わりの無いものだったが、それも覚えてはいないのだろう。
「じゃあお前はモモとグリフォンと一緒に泰山竜を攻撃しててくれ。アルジェントも限界っぽいし、こっちは俺らで何とかするわ」
「任せとき! ヒャッホォォォォォイ!」
 律にそう言われ、ネイヴァンは喜び勇んで泰山竜の足元へ駆け出していった。
「……いいんですか? 貴重な前衛っぽいですけど」
 この戦場での人間の前衛は、剣を一本失ったジャバウォックのみ。バランスを考えれば、もう一人くらいいた方が良いはずだが……。
「あれがいると話がややこしくなるからな」
「まあ、確かに」
 一緒に仕事をしたことはないが、『月の大樹』に居た頃に、何度か見たことはある。
「それに、ルードを相手にするなら、ルードが相手の方がやりやすいだろ」
「ボクとしては、まあどっちでもいいんですけど。やりやすいなら、それはそれでいいですよ」
 ため息を吐く律や片手剣を構えたコウに何となく同意しておいて、栗色の髪のルードは槍型のビークに魔晶石を生み出していく。
「で、こんな長話で、何の時間稼ぎをしたいんですか? 弾丸の補充くらいなら、まあ待ってあげてもいいですけど……時間稼ぎはむしろ、そっちが不利になるはずですよね?」
 ハートの女王との戦いは、この戦いにおいてさして重要な要素では無い。
 今の戦いで大事なのは、いかに泰山竜をガディアに近づけない様にするかだ。今この瞬間も歩みを進める泰山竜は、律達が時間を稼げば稼ぐほど、ガディアに近づいている事になる。
 そして残された時間は、ほんの僅かしかない。
「まさか。おっちゃんは無駄なことはしない主義でね」
 ひらひらとした海の国風の衣装の襟元をわずかに開けて、律は穏やかに微笑んでみせる。
「そこの魔法使いも、限界みたいですけど?」
 ネイヴァンと入れ替わって下がってきたアルジェントの体力回復や、魔晶石の装填程度の目的ではないはずだ。体力回復には時間は足りなさすぎるし、魔晶石の装填ならネイヴァンとの会敵の間の一瞬があれば十分だったはず。
「ちゃんと、時間稼ぎの意味ならあるさ」
 言葉と同時、僅かにはだけた衣装を激しく揺らすのは、流星の起こした疾風だ。
 響き渡る轟音と、大地を揺らす衝撃。
 吹き飛んだのは、百五十メートルの巨大竜。
 破壊の後から聞こえてきた飛翔音は……その弾丸が、音の速さを超えた証であった。


続劇

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