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お菓子コンテスト編
 3.帰ってくる人、来ない人


 月の大樹のカウンター。
 一人ため息を吐くのは、桃色の髪の少女だった。
「どしたんだ、モモ」
 いつも悠然と構える彼女が困った表情を浮かべているのは、付き合いの長いマハエでも数えるほどしか見た事が無い。
「うむ。先日ノアに、特別審査員を頼んだのは知っておろう?」
「殿下や侍従長に直談判して、ダイチが死にそうになってた奴だろ。ダメだったのか?」
 彼女を良く知るマハエからすればその様子は簡単に予想のつくものだったが、確かに紹介者としてその場にいれば青くもなるだろう。自分がその場に居合わせなくて良かったなどと、他人事ながら思ってしまう。
「いや、参加するとの回答が来た」
「なら良かったじゃねえか」
「それはまあ良いのじゃが……その特別審査員に、どうやらワシは入っておらぬようでな」
 今年の特別審査員は、町の長と施療院の長、そしてノアとそのお付き扱いでナナトの四人。実行委員長の忍に根回しはしておいたはずだったのだが、どうやら上手く行っていなかったらしい。
「まさか、直談判したのって……そのためか!?」
「他に何の意味がある」
 もちろん、元気のないノアを外に連れ出したいという想いも、なかったわけではないが……。
「普通そこまでするか……? 何でも良いからお菓子作ればいいじゃねえか」
「オイラもそう言ったんだけどさー」
 一般参加は自由参加だから、モモが参加する事には何の問題も無い。他の店から買ってくるのはもちろん禁止だが、作り置きは問題ないし、そこさえ手間を惜しまなければ何の問題も無く一般審査員にはなれるはずなのだが……。 
「それが面倒じゃからノアを巻き込んだと言うに」
「……無茶苦茶だな。今に始まった事じゃねえけど」
「マハエ。おぬし、菓子を作る気はないか? 試食係はワシが引き受けてやろう」
 どうやら、何があってもお菓子は作りたくないようだった。もはや意地なのだろう。
「ねえよ。そもそも俺ぁ、その日は会場警備だ」
 さらに言えば、マハエもお菓子作りに自信があるわけではない。冒険者だから野宿などの時には料理もするが、その程度だ。


「ナナは?」
 夕方のお茶を飲みに来たターニャがふと問うたのは、いつもカウンターの辺りにいる幼子の姿が見えない事についてである。
「そういえばここ最近見ないわね。アルジェントとまたどっか行ったんじゃない?」
 今のナナトの保護者は、アルジェントだと聞いていた。巡回で各地を回る医者が本業の彼女だから、気が付けばガディアを離れ、別の地に向かっている事も珍しい事ではない。
「アルジェントさん、依頼でちょっと出掛けてまして。ナナちゃんは、しばらく殿下の所に厄介になるそうですわ」
 本来ならナナトは月の大樹で預かる手はずになっていたのだが、どうやらノアの所に入り浸っているらしい。もともとナナトはノアの側仕えをしていた事もあるから、それはそれで問題ないのだろうが……。
「へぇ……。あの侍従長の人が良く許したわね」
 以前、侍従長はナナトの事を屋敷から追い出したという話を聞いていた。あまりナナトの事を好ましく思っていないように見えるが……いくらノアが一緒にいるとはいえ、そんな屋敷にいて悪い扱いを受けないのだろうか。
「色々、大変だと思うのですけど。王宮の中って言えば、騒動が付きものでしょう?」
 仮宮で王族はノア一人とは言え、それでも色々あるはずだ。
 むしろ、出先だからこそ何かがある可能性も否定出来ない。
「それは小説の読み過ぎじゃない……?」
 ミスティの店でも、忍がその手の本を何冊か買っていった覚えがあるが……。
「どうなんだろうねぇ。殿下にも、そういう話ってあるのかな?」
 アルジェントと入れ替わって、月の大樹に逗留していた時のノアは、ごく普通の女の子のようだった。年頃ではあるし、浮いた話のひとつやふたつ、あった所で何ら不思議ではない。
「きっとありますわよ。護衛の騎士や侍従との報われぬ恋とか!」
「護衛だか侍従って……あの殿下の侍従だと、ちょっとイメージ違わない?」
 ノアの侍従と言えばシャーロットか、ダイチの弟くらいしか面識がない。タイキも良い青年だが、そういうポジションに相応しいかというと……。
 女性陣は互いに顔を見合わせて……誰とも無しに首を振ってみせた。
「でも、別に侍従や護衛もダイチの弟だけじゃないか」
 そもそもタイキは側仕えだが、天候魔術での天候管理が本業であって、護衛は彼の仕事ではない。護衛の騎士は、別にいるはずだった。
「そうそう!」
 そんな話で盛り上がっていた所で、店内に響き渡るのは夕刻を示す時計の音だ。
「あ、もうこんな時間! そろそろ夕方の支度しないと!」
 ターニャの店は、これから夕方の営業時間。仕込みは全て済ませてあるが、早く戻らないとディナーメニュー目当てのお客さんが来てしまう。
「大変ねぇ」
「……いや、ミスティこそお店空けてて大丈夫なの?」
 ミスティの店は夕方どころか終日営業のはずだったが、どうしてこんな所でのんびりお茶を楽しんでいるのか……彼女以外、誰も分からないのであった。


 渡されたのは、たっぷりのお茶の入ったティーポットと、揃いのカップ。
「気を付けてお運びなさい」
「わかった!」
 一式の乗ったトレーをシャーロットからそっと受け取ると、ナナトは廊下をゆっくりと歩き出す。
 だが、そんなナナトの前に現われたのは、大きな壁。
「ひゃっ!」
 後ろからシャーロットが支えなければ、慌てて止まった所でティーポットの乗ったトレーを取り落としてしまっていただろう。
「…………」
 ナナトの目の前にあるのは、大きな壁。
 無言でこちらを見下ろす……小太りの男である。
「行きなさい、ナナ」
 シャーロットの言葉に小さく頷きをひとつ返し、幼子は階上のノアのもとへとティーポットを抱えて上がっていく。
「マッドハッター、どうしました。アリスは?」
「……『ハートの女王』に、会いに行った」
 そう呟いたきり、マッドハッターは沈黙を守ったまま。
「『ハートの女王』……一体何者なのです?」
 協力者の一人だとアリスから報告だけは受けているが、シャーロットもまだ実際に会った事はない。『千年』のように有名なお尋ね者でもないし、ルードであろうという事以外、何の情報も無いのが現状だ。
 しかし、シャーロットのその問い掛けにも、男はそれ以上の言葉を紡がない。
 恐らく彼も、その正体を知らないのだろう。
 やがて男はゆっくりと頭を巡らせ……。
「…………ノ……ア…………」
 呟くのは、そのひと言。
 視線の先にあるのは、先ほどナナトが上がっていった階段だ。
(アリスがいないから、制御がされていない……?)
 一歩進める足は、階段へと向けて。
「マッドハッター! アリスが戻るまで、地下へ下がっていなさい!」
 王女の侍従長の言葉に、小太りの男は僅かに足を止め。
 無言で地下へと去って行く背中を見て、王女の侍従長はため息を一つ。
 マッドハッターに関しては、アリスが戻ってくるまで部屋に鍵でも掛けて拘束しておくしかないだろう。
「全く。片付かない事が多すぎるわね……」
 そんな諦めに似た気持ちを代弁するかのように、シャーロットのお腹が小さく音を立ててみせる。

 ディナータイムの『夢見る明日』に姿を見せたのは、海の国風の衣装をまとった、草原の国の侍従長だった。
「いらっしゃい! ……ごめんなさい、今日はセリカは留守なのよ」
「知っています。代用海亀を探しに行ったのでしょう」
 セリカが出発の挨拶に来たのは、もう何日も前の話になる。代用海亀自体は捕まえるのが難しい相手ではないから、捜索そのものが難航しているのだろう。
 まさか、周辺に現われたという竜に襲われているなどという事はないだろうが……。
「いつものでいい?」
 小さく頷き、テーブルの上に包みを置いてみせる。
「それは何じゃ?」
 包みの中には両手で抱えられるほどの木箱が入っているようだった。シャーロットの持っていた具合から、さして重量のある物ではないようだったが、さすがのモモもその中身までは分からない。
「出発前に、セリカに頼まれたのです。多分、これを持ってお菓子大会に参加しろという事だと思うのですが……」
 モモの問いにそう答えて蓋を開けると、中に入っていたのは確かにシャーロットの言う通りの品だった。
「まさか、忙しくて出る暇が無いと?」
「はい。ターニャさんも、参加されるのですよね?」
 包みを戻し、カウンターの脇へと寄せる。空いたスペースにターニャが置いたのは、スープとサラダの皿だった。
「ええ。だから、代理参加はちょっと無理ね。お店の誰かの手が空いてれば良かったんだけど……」
 間の悪い事に、ターニャ以外の従業員は軒並み依頼を受けて街の外に出掛けている。店の切り盛りは苦ではないが、さすがにコンテストへの代理参加までは不可能だ。
「そうですか……」
 他ならぬ親友の頼みだ。何とかコンテストに出してやりたくはあるが……。
 こんな用事に貴重な部下の手を割くのも問題だし、他に頼めそうな相手と言えば天候魔術師の少年か、それこそ酒場に依頼でも貼り出すしかない。
 だが、そんなシャーロットの傍らに腰を下ろした者がいた。
「その代理参加、ワシが出てやっても構わんぞ?」
 モモである。
「本当ですか?」
「うむ。おぬしには殿下を特別審査員にしてもらった借りもあるしの。任せておけ」
 一般審査員席はステージの前になるはずだから、ノアの護衛の位置としても悪くない。
「ありがとうございます、助かりました」
 これで、小さいが大切な用件は片付いた。
 不遜な所もある龍族だが、少なくとも約束は守る相手だ。コンテストの結果はどうなるにしても、出品出来ないという最悪の事態だけは回避出来たのだ。
「……借りを返すどころじゃないよね、モモさん」
 嬉しそうなシャーロットに聞こえない声で、ターニャは呆れたような呟きを漏らす。
 シャーロットは喜んでいるが、実際はモモの総取りではないか。
「それで皆が丸く収まるのじゃ。何の問題もなかろ?」
 そんなターニャの様子など気にする事もなく。
 モモは受け取ったグラスを、気分良さそうに口に運ぶのだった。


続劇

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