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13.揃わぬピース

 街を漂うのは、一人の娘の名前だった。
 ノア・エイン・ゼーランディア。
 隣国から来たという、神を宿すと称される姫君だ。
 上手く回らぬ唇と舌で、その名を声に出してみる。
「…………。…………………っ」
 口に出たのは、半ば意味を成さぬ音だけだ。
 何度も何度も口にしても、それは正しい発音には至らない。
 だが、頭の中をよぎる名は、そいつには正しく認識されている。
 あの屋敷に住まい、今もこの街にいるのだという。
 口にする。
 思い描く。
 何度も何度も異音を口にしていれば、近くを通りがかった犬がじろりとこちらを睨み付けてきた。
「………………ッ!」
 叫びに混ざる強い意思を解したのだろう。犬はびくりと身を震わせて、その場を一目散に後にする。
「…………ノ……………ア………ッ」
 異音を止めぬ唇と、その瞳に宿るのは、淀みの色だけでは……もう、ない。


「アリスに会ったぁ?」
 昼の喧噪の落ち着いた『夢見る明日』に響き渡るのは、そんなターニャの驚きの声だ。
「アリスってあれだろ? ルードの貴晶石を盗って回ってるっていう」
 確か先日『月の大樹』で動作を停止したルードが追っていた、お尋ね者のルードだったはず。
「よく無事だったわね……」
 一歩間違えれば、ディスのそれも同じ目に遭っていただろう。無事であった事は運が良いとしか言いようがない。
「日頃の行いが良いからの」
 だが、彼女のそれに返されたのは、どこか冷ややかな視線の群れだ。
「……冗談じゃ。コウがおらなんだら、危なかった」
 そう呟いて視線を寄越すのは、店の隅で外を眺めているルードの少女である。何か考え事でもしているのか、向こうはこちらに気付く様子もない。
「助かって何よりですが……何なんです? 『あれ』」
「あれとは……アリスの事か?」
 皿洗いを終えて戻ってきたメイド服の少年の表情は、素直にディスの無事を喜ぶターニャ達とは明らかに質の違うものだ。何か恐ろしい物を思い出すような様子で、少年は小さく頷いてみせる。
「はい。僕もそのルードの近くまで行きましたけど……。まるで、ルードが何百人もまとめて居るような……」
「………どういう意味じゃ?」
 アギが周囲の気配を感じる技を身に付けているのは知っていた。それを使えば、隠れている相手やルードさえも見つける事が出来るのだと。
「ちょっと説明しにくいんですが、貴晶石の気配が何百個もあるというか……そんな感じで」
 レーダーで、たった一点に数百の反応があるという感覚だろうか。ディスだけは何となく理解するが、そのどちらも使った事のないマハエ達は不思議そうな表情を変えないままだ。
「わらわ達の胸には、貴晶石は三つしか入っておらぬぞ。あ奴も、そう何百も持っておった様子はないし……」
 道化の服は確かに派手だったが、貴晶石を幾つも持っていたならいくら何でも分かるだろう。ましてや数百も持っているなど、あり得なかった。
「だから、分からないんです……」
 ルードの胸に納まっている貴晶石と、持っているだけの貴晶石では、放つ力の質が明らかに違う。ただ持っているだけなら、あの時のような異様な存在感を示すはずがない。
「それだけ、あたし達ルードの怨念に包まれてるって事じゃないのか? 一体どれだけルードの貴晶石を抜き取ってきたんだか」
 古代の超科学の結晶であるルードにしては随分と非科学的な物言いだが……いま一行が追っているのは幽霊である。ルードが化けて出るのかどうかはこの際置いておくとして、コウの言い分もあながち冗談ともいえないだろう。
「考えても分からぬ事は、誰かに聞くしかなかろうな。で、マハエの方はどうじゃった」
 霊媒師も死霊術士もいないのだ。謎の存在感の件は、どれだけ考えても答えは出ないだろう。ディスが問うたのは、別行動を取っていたマハエである。
「ガキどものイタズラだった。ネイヴァンに追っかけられまくって、もう二度とやらないって泣いてたけど」
 子供たちは遊びかもしれないが、こちらは生活が掛かっているのだ。それで仕事がなくなっては、たまったものではない。
「じゃあ、幽霊の正体は……」
「あいつらはただの便乗犯だよ。本物は別にいるみたいだ」
 実際に昨晩も、別の場所での目撃証言はある。街の地図には、新たな証言の得られた場所にも既にピンが打たれていた。
「行動が読めねえな。こないだまでは高台の周辺をウロウロしてたんだが……」
 最近の目撃情報は、別の場所に移っている。昨夜の便乗犯もそのおかげで捕まえる事が出来たのだが……彼等も高台周辺には足を伸ばしていないと言っていたし、そちらは別の便乗犯なのか、本物が出現場所を変えただけなのか。
「ねえ。この跳躍する影ってのは……?」
 昨日の目撃情報の一つだ。街の屋根の上を物凄い勢いで駆け抜ける影が見えたのだという。
「……僕ですね。たぶん」
 昨日のアリスから逃げる時の事だろう。見られて特に困るものではないが、幽霊扱いされるのは微妙に忍びない。
 たぶん幽霊を追う別の冒険者達の間では、幽霊の新たな行動パターンとして認識されているに違いなかった。
「さて。片付けも終わったし、ちょっと海にでも行ってこようか」
 表にCLOSEDの看板を掛け、ターニャは小さく伸びを一つ。ディナーの営業時間まで、しばらくは休憩時間である。
「……浜辺でコンテストだっけか」
 そういえば、『月の大樹』で何かイベントがあると聞いたような……。
「おお、そうじゃ。忍に行くと約束しておったのじゃった」


続劇

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