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廃坑探索編
 2.謎の先行者


 迫り来るのは、無数の羽音。
 赤外線ライトを併用した解像度の悪い映像では、その全ては重なり合い、ただの塊にしか見えずにいる。
 小さくため息を吐き、意識を集中。画像ではなく、羽音から相手の位置を立体的に解析し、『音の映像』をイメージする。
 羽音の響きが跳ね返る壁を蹴り、さらに跳躍。上下左右を壁に囲まれた迷宮の中、壁の蹴り込みだけで飛翔に近い機動を再現してみせる。
 短い気合の声と共に視界を切り替え、音の世界から、緑にぼやける赤外線の世界へ。
 同時に響き渡るのは、絶叫だ。
 もしこの瞬間、彼女が音の世界にいたままならば……その叫びで、視界の全ては一瞬のうちに白く染められていただろう。
「……ちっ。魔晶石か」
 コウモリの背から手甲とひと繋がりのビークを引き抜き、彼女は小さく舌打ちを一つ。
 落下を始めたコウモリの背を蹴り、再び跳躍による飛翔と音の世界へ舞い戻る。
「欲しいのは、貴晶石なんだがな……」
 尤も、周囲の雑魚からそんな強いエネルギーの塊が手に入るとは思っていない。
 だが、やがて感じるのは、オオコウモリの群れの中に響く、ひときわ大きな羽ばたきの音。
「お前は……くれるか? 貴晶石!」
 巨大な羽音の主に向けて、十五センチの小さな影は魔晶石を取り外したビークを構え、鋭く宙を翔ける。


 最初に気付いたのは、坑道の壁を確かめていたセリカだった。
「……フィーヱさんは?」
 十五センチの小さな影が、辺りに一人しかいない。
「さっきまでいたはずですが……二人は見てませんか?」
 ヒューゴの問いに、カイルとイーディスも首を振ってみせる。
 冒険者としては熟練の部類に入る彼女の事だから、新人のように変な迷い方をしたわけではないだろうが……。
「まったく。団体行動の出来ない子ねぇ」
「勝手に混ざってくるのも、団体行動出来るとは言い難いと思うけど……」
「何か言った?」
 カイルの言葉が聞こえたのか、そうでないのか。じろりと投げかけられたミスティの視線に、青年は無言で肩をすくめてみせる。
 そんな彼の肩にかかった衝撃は、ルードの着地によるものだった。
「ああ、お帰りなさい」
「向こうの細い道を何カ所か見てきたよ」
 そう言いながら、赤外線から光学へと切り替えたライトの光点を絞り、カイルの地図の一点を示してみせる。
「こっちとこっちは五メートルくらいで崩れてて行き止まり。で、こっちは突き当たりまで何もなかった。道の形は古い地図と同じで良いと思う」
 次に調査しようと思っていたポイントだ。どうやら仕事がなかったからか、先行で調査してきたらしい。
「ガスの反応はありましたか?」
「ああ。分岐辺りから反応が少しずつ強くなってたし、奧はたぶん人間じゃ無理だ」
「助かります」
 当たり前だが、機械仕掛けのルードは人間には有害なガスの影響を受けずに行動することが出来る。水の魔法による防護やレガシィのマスクなど、ガス対策がないわけではないが、使わずに済むならそれに越したことはない。
 ライトで示された通路に毒ガスの注意書きをしておいて、そこでカイルは気が付いた。
「血だらけじゃないか。大丈夫かい? フィーヱちゃん」
 彼女の肘から先が、ベッタリと血に濡れている。
「オオコウモリがうるさくて、追い払うのにちょっとな。けど、それより……」
 どうやら、ちょっとどころではない暴れようだったようだが……フィーヱとしては、問題はそこではないらしい。
「それより?」
「行ってみれば分かるよ」


 行き止まりの道と毒ガスの道を避け、一行はさらに奥へ。
 やがてフィーヱが足を止めたのは、太い通路の中央だ。
「この辺りなんだけど……」
「なるほど。まだ新しい」
 フィーヱの傍らにしゃがみ込み、ヒューゴも彼女に示された辺りを興味深そうに眺めている。
「二人でイチャイチャしてんなよ。俺達も混ぜろ」
 背負った荷物の上から乗っかって来たカイルに言い返すこともなく、白衣の青年は地面から離れようとしない。
「地面が削れてるんですよ。ここも、あの辺りもそうですね。何か硬い物を運び出したようですが……」
 カイルが乗っている事にそもそも気付いていないのか。ヒューゴは新たに見つけた削れた地面を追い、中腰のまま歩き出す。
「あ、ホントだ。何か運んだっぽいな」
 上に乗っているのを気付かれないまま立ち上がられても敵わない。リュックの上から大人しく降りて、ヒューゴの傍らにしゃがみ込む。
 確かに二人の言う通り、不規則に地面に刻み込まれた跡は、重くて抱えきれず、時折引きずって運んだ……といった雰囲気を漂わせるものだ。
「魔物じゃないの? お腹を擦ったとか」
「魔物なら、もっと規則的に跡が付くはずなんですよ。それに、他にも痕跡が残るでしょうし」
 運ぶ跡は途中でぱたりと途絶えている。これが魔物なら、飛び上がりでもしない限り、坑道の外まで跡が続いているはずだ。
 荷物であるなら、途中でその跡がぱたりと途絶えていても、他の手段を使ったのだろうと予測が付く。
「坑道跡なら、つるはしとか機材とかで傷なんかいくらでも付くでしょ」
 そんな話し合いの脇で退屈そうに話を聞いていたミスティの問いにも、ヒューゴは首を振るだけだ。
「そうなんですが……傷が新しいんですよ。鉱山が閉山になったのは百年近く前のはずですが、この傷の具合はごく最近のものです」
 恐らく付けられて半年も経っていないだろう。
 閉山前後なら問題はない。けれど、閉山して百年も経つ鉱山跡から、一体何を運び出したというのか。
「……宝物が残ってたって事、だよね」
 今まではそんなセリカの言葉を否定していたフィーヱでさえ、今は否定することが出来ずにいる。
「なら、まだ探せば色々あるかもしれないって事だな? 面白くなってきたじゃねえか」
 しかも、鉱山の床を削るような強度を持つ大型物なら、十中八九レガシィと考えて間違いない。
(コンピュータとかあればいいんだが……)
 さすがにそこまでは望み過ぎかと思いつつ、カイルもこの先の探索に期待を隠せずにいる。
(……面白い? 面倒ごとの間違いじゃないのか?)
 そんな中、たった一人、表情を曇らせていたのはフィーヱだった。
 この近い時期に調査が重なったのだ。運が悪ければ、こちらの滞在している時期に、相手もここにまた来ないとも限らない。
 友好的な相手なら問題ないが、敵対の意思を持つ相手だとしたら……こちらの戦力は、イーディスやミスティを入れてもたったの六人しかいないのだ。
 だが。
(いや……正当防衛なら、『事故』に出来るか)
 人間相手にビークを使う事は、ルードの掟で禁じられている。けれど、不当な脅威に晒された時は、その限りではない。
 例えばそれが、過剰防衛だったとしても……だ。
「辺りをちょっと偵察してくる。五分以内には戻る……誰か、時計持ってるよな?」
 ヒューゴの様子から、しばらくは謎の跡の調査からこの場を離れないだろう。フィーヱはそう言って、傷跡の残る地面から大きく跳躍してみせる。
「任せてください。こんな事もあろうかと、時計ならここに」
 自信たっぷりにそう答え、ヒューゴが背中の大きなリュックから取り出したのは、大きな置き時計だった。冒険者が私用で使うというより、酒場かギルドのカウンターにでも置いてありそうな品だ。
「……まあいい。行ってくる」
 とりあえず時間は分かるだけマシだろう。
 そう言い残し、フィーヱは別の分岐目掛けて走り出す。
「ちょっと! こっち来てみてよ!」
 そして、ミスティが一同を呼んだのは、フィーヱが消えて少し経ってからの事だ。


「これなんだけど……」
 ミスティが指した二つの物体に、一同は思わず息を呑んでいた。
「……こっちは動物の足の先だよな?」
 人間で言えば手首に相当する部分だ。指と肉球、そこから伸びた鋭い爪を持つそれは、半ば腐り、所々から骨も姿を覗かせている。
「こっちは……」
 そしてもう一つは、赤く薄汚れた上着だった。もともとは豪華な刺繍やレースが施されていたのだろうが……今はその全てが、赤黒く染まっている。
「動物の脚はヘルハウンドですね。少なくとも、半年近くは前の物だと思いますが……」
 坑道の中は気温が低いから、腐敗するにも時間が掛かる。半年というのも大まかな判断であって、細かく調べなければ正確な期間は分からない。
「でも、ヘルハウンドってこんな所に入ってくるのか?」
「本能的に狭い所を嫌う生物ですからね。入口ならともかく、こんな深部まで自分から入ってくる事はないはずですが……」
 以前北の森に姿を見せた『ヘルハウンドの姿をした生物』も、ヘルハウンドの本能は持っていた。恐らくは彼女達も、こんな所まで迷い込むことはないはずだ。
「じゃあ、誰かが持ってきたのか……」
「誰が?」
「そんなの分かんねえよ。言ってみただけだからな」
 ヘルハウンドは食用には向かないし、足首だけ持ってくる理由はなおのこと分からない。邪魔にならないサイズと言えばそうなのだが、わざわざこんな所まで持ってくる意味はなんだったのだろう。
「じゃあ、こっちは……?」
 上着に付いた赤い物は、誰かが指摘するまでもなく明らかだった。
「流石にこの量は致命傷だろ。中身はどこに行ったかわかんねえけど……その辺に居たりしないか?」
 辺りを見回しても、それらしき亡骸の姿は無い。仮にここで一撃を受け、理由は分からないが服を脱ぎ捨てたのなら……そう遠く離れていない所にその主はいるはずだ。
「戻ったぞ。何か面白いものでも見つかったのか?」
「フィーヱさん。この先で、亡骸とかありませんでした?」
 戻ってきたフィーヱは、ヒューゴの問いに小さく首を振ってみせる。
「けど、例のレガシィを運び出したらしい跡はあったぞ。魔法で掘ったみたいだった」
 掘った側も、まさかこんな寂れた坑道に誰か来るとは思っていなかったのだろう。坑道にしては不自然に、そして周囲から比べてあまりに綺麗な掘り跡は、何かがあったことを分かりやすく教えてくれた。
「なら、やはり最近ですね。この辺りには、魔法掘りの痕跡はほとんどありませんから」
 まずはそちらの調査をするべきだろう。ヒューゴ達がそんな事を考えていると、上着のポケットにそっと手を突っ込んだ者がいる。
「お前、よく触れるな」
「手がかりがあるかも。……あった」
 ポケットの中から現われた細い指先に絡むのは、金で作られた小さな物体だ。
「指輪……ですか」
 純金製なのだろう。軽く表を拭えば、大量の血に侵される事もなく、その艶やかな表面を露わにしてみせる。
「この指輪、紋章が彫ってある。ヒューゴさん、分かる?」
「どこかで見た覚えはあるんですが……」
 歌う鳥をモチーフとしたそれは、ヒューゴにもどことなく見覚えのあるものだ。ただ、それをどこで見たのかが思い出せない。
 魔物や古代遺跡の情報ならそんな事はないから、恐らくは今も健在な貴族の紋章なのだろうが……声が出てきたのは意外な所だった。
「あれ? これ、この鉱山の権利書にあった紋章に似てる気が……」
 イーディスである。
「元の持ち主って?」
「さあ? ボクも仲買から買っただけだから、そこまではちょっと」
 いずれにせよ鉱山の権利書は、『月の大樹』の金庫に預けられたままだ。今すぐ確認することは出来ないし、さすがのルードも見た物全てを記憶しているわけではない。
「なら、それも帰ってからか……」
 とりあえず今分かるのはそこまでだろう。これ以上あれこれ悩んでいても、時間を浪費するだけだ。
 他に彼等が出来る事といえば、亡骸が見つかれば、地上に出して埋葬してやることくらいだろうか。


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